0119.坑道の目的
「プレイアデス教団」
俺は口の中で反芻した。
舌に乗せてみても、味のない言葉だ。
聞いたこともない組織の名前。
けれど、いま目の前にいるのは、
“体験を読む”情報屋だ。
しかもシンが先生と呼ぶ人だ。
嘘を言って俺たちを脅す必要がない。
だからこそ、その名前が。
余計に、冷たく胸へ落ちてきた。
「まぁ、今わかってるのは名前と、
ちょっとした組織の階級だけ。
何故ステラが関わってるかってのは、
奴が言ってた言葉が教義になってるんだ」
「教義、ですか?」
「うん。人が幸せになる方法っていう、
誰が聞いてもいかれた話なんだよ」
いわく、こういうことらしい。
鍛錬する必要はない。
知ろうとしなくていい。
考えることもいらない。
変わる必要すらない。
他人を信じてはならない。
人生を楽しもうとしてはならない。
そうわかっていれば、
人は幸せになれるのです。
「なんすかそれ……。
生きてる意味あるんですか?」
およそ人間の成長に関する全ての否定だ。
それらがあるから人間だというのに。
「そっ。ステラが最終的に行き着くのは、
『生きることこそ苦しみ』だったんだ」
ヤエさんは理解できないと、
表情を歪ませたまま続ける。
「それでも生きたいならさっきの六つを
実行すれば苦しみから逃れられる。
それがステラの教えだったんだよ」
そして、ヤエさんはカップを手に取った。
ステラについては以上ということか。
すると、カルドが低く、静かに、
それでいて折れない芯のある声で聞く。
「で、そいつらの目的はなんだったんだ」
ヤエさんは、カップを持ち上げたまま、
わずかに目を細めた。
笑っていたさっきまでの陽気さが、
ほんの一歩だけ引く。情報屋の顔になる。
「……本当は話しちゃいけないんだけどね」
前置きが、重い。
それだけで、この話が“本物”だとわかる。
「ヴェルが知ってるようだし、
いずれ辿り着く話だ。話そう」
俺が? なんの話だ?
喉の奥が乾く。
その答えは、俺の心臓の奥を正確に突いてきた。
「神域。十つの未踏ダンジョン。
奴らの目的はそれだよ。
その一つが、土の国。クロムの近くにある」
声が出なかった。
空気が薄くなったように感じる。
神域の話を聞いて家を抜け出し、
攫われた先が神域を探すための場所。
……なんて皮肉なんだろう。
憧れが、罠だったみたいに。
ヤエさんは、
俺の反応を見て少しだけ声を落とした。
「まぁ、奴らが言ってるだけだけどね。
情報源に私が触ったわけじゃない。
少なくともそう言われてるみたいだ」
そう言ってヤエさんは、
ズズズとコーヒーに口をつけた。
カップの縁が小さく鳴る。
この部屋の空気が一段静かになる。
「神域は千年都市エリュシオンより前の、
古代時代と言われる時代からある。
君たちが攻略した遺跡にあった、
古代機巧を作った時代だね」
俺は頷く。
遺跡の冷たさ。機巧の無機質さ、統制者の圧。
あれが“古代”だというだけで、
神域がどれだけ遠い存在かがわかってしまう。
カルドが、まだ腑に落ちていない顔で聞く。
「神域は古代人が作った場所なのか?」
ヤエさんの答えは曖昧だった。
「まだわかってないんだよね、これが。
でも、一つ言えることがある。
未踏と言われてるが……踏破者はいる」
「えっ!? 未踏ダンジョンなんだろ!?」
思わず声が漏れた。
夢の最終地だ。
それが“実はもう終わってました”なんて。
そんなこと……いや、でも!!
ヤエさんは手をひらひら振って笑う。
「安心していいよ、夢見る少年。
わかってる範囲でだけどね?
踏破されたのは一つだけだよ。、
世界樹の神域を、ゼノンが踏破している」
「ゼノンさんが!?」
あの人、マジでどこまで……。
何でもあの人がやってないか?
「だが、悲しいお知らせもある。
今、場所がわかっている神域は五つ」
ヤエさんは指を一つずつ立てながら、
淡々と教えてくれた。
世界樹の神域。
火山の神域。
天空城の神域。
大瀑布の神域。
海底殿の神域。
それはまるで童話の題名みたいに綺麗で。
なのに、背中が冷たくなる。
ヤエさんは言葉を止めず、続けた。
絶望を告げるのと同義の話を。
「これらに、かの四英傑とゼノンが、
それぞれ挑戦したんだよ。
……だが、踏破したのはゼノンだけ。
他は魔王フラムを除いて帰ってこなかった。
フラムもそれ以来隠居したらしい」
伝説と謳われた四英傑が、死んだ?
天使と戦い、追い返したと言う四英傑が?
俺の頭が、うまく理解を拒む。
物語の英雄は、物語の中で死なない。
でもここは物語じゃない。現実だ。
……だからこそ、怖い。
「ゼノンの体験から読んだ記憶だ。
偽りはないと思う」
ヤエさんが静かに言う。
“体験から読んだ”という言い方が、生々しい。
想像じゃない。伝承でもない。痛みの記憶だ。
「だからこそ、王家とそれに連なる者以外に、
この話は秘匿とされているんだ。
英雄の最後なんて伝える必要がないからね」
そう言って、ヤエさんは、
俺の目を真っ直ぐ見つめた。
釘を刺すように、でも感情は熱くせずに。
「ヴェル、アンタが夢見るのは止めやしない。
だけどアタシと関わった以上、
実力もないのに挑戦しようとしたら……」
その瞬間、殺気が沸き立った。
目に見えない圧が、いや、刃が。
俺の心臓へ向かって突きつけられたように。
息が詰まる。喉が狭くなる。
胸が握り潰されるみたいに痛い。
ただ座ってるだけなのに。
ただ話しているだけなのに。
この人は“殺せる”のだと理解させる圧。
「アタシが……冒険者なんて、
二度と出来ないような身体にしてやる」
本気だ。
言葉の飾りじゃない。
これが情報屋の“止め方”なんだとわかる。
が、ヤエさんの顔はふっと和らぎ、
豪快ではなく、柔らかな笑みで。
そして、優しい声で言った。
「約束だからね?」
その優しさが、いちばん怖かった。
◇
その後は、教団の狙いとやらを話してくれた。
クロムの近くといっても場所は分かってない。
ゆえに無作為に掘り進めているとのこと。
今回、シンがヤエさんと出会ったことと、
地下の坑道が新人ダンジョンに繋がったこと。
その二つで世間に坑道のことがわかったこと。
クロムのギルド主導の下で、
新人ダンジョン内の不穏分子の調査をし、
同時進行でゼノンさんとヤエさんの二人で、
手紙でやり取りし、ゼノンさんが来たこと。
そして、まさに今。
ゼノンさん達は坑道の中を調べてるらしい。
「じゃあゼノンさんたちが、
別件って言ってたのは……それか?」
俺が言うと、ヤエさんは鼻で笑うでもなく、
少しだけ柔らかく笑った。
「そうだね。特にステラが関与してるなら、
ゼノンは自分の責任だと思っているよ。
アイツは結局、良いやつだからね」
その言い方が、やけに“友人”だった。
世界の大賢者ではなく、
一人の男としてのゼノンを知っている言い方。
「で、巻き込みたくないゼノンが、
アタシにアンタたちを押し付けたってわけ。
アタシもゼノンには借りがあるからねぇ!」
そう言ってヤエさんは立ち上がる。
話は終わりって空気だ。
空気がピンと戻る。
「念のため言うけど、逃げられないからね?」
ニヤリとして俺とカルドの肩を叩く。
叩かれた肩が少し重い。
そこに“逃げ道なし”と刻まれた気がした。
「逃げようとしたらアタシの弟子が、
地獄の果てまで追いかけっからさ!」
「死神姉妹っていうS級の人達ですか?」
俺が聞くと、ヤエさんは得意げに指を立てた。
「そそ。二人は強いよー?
ジャパニーズ忍者の技叩き込んだからね!」
「忍者!? いや、まさか、螺旋◯とかは、
その、忍者の術じゃないですよ?」
それを聞いてヤエさんはまた豪快に笑った。
「ハッハッハ! わかってるよ流石に!!
でも、アタシもうちの子も、
似たようなこともできる忍者さ。
ヤエってのは忍者に憧れて名乗ったんだから」
あぁ、元S級なんだもんな。
この人も化け物の一人ってことだもんな。
まともなS級なんて、都市伝説だ。
「ちなみに……何ですけど、
その死神姉妹って、どんな人なんですか?
俺たちまともなS級に会ったことなくて……」
親バカスパルタ大賢者。
視界大渋滞筋肉オカマ。
バイオレンス幼女。
毎回言うが本当にヤバい人しかいない。
「んー、本人に聞いてみたら?
後ろにいるんだから」
と言われて俺とカルドは振り向く。
……目の前にはヘソ。
……ヘソ?
辿るように見上げると、
ゴミを見るような目で見下ろしている、
肌が白い獣人の女性が立っていた。
その隣、カルドの方には肌が黒い獣人の女性。
どちらも猫耳? がついてる。本物だ!
「シロのこと、知りたいの?」
冷たい声で、白い獣人が言う。
続くように黒い獣人が厳しい声で言った。
「お前たちに話す話などない」
二人は消えた。
辺りを見回してもいない。
気配もない。音もない。
いるはずだった空気だけが残っている。
ヤエさんの笑い声が聞こえたから、
視線を前に移すと、ヤエさんの机に座っていた。
最初からそこにいたみたいな顔で。
そして、ヤエさんが代わりに話す。
「この子達は、シロナとクロナ。
二十年ちょいと前にくらいにかな?
アタシが拾って育てた獣人の姉妹さ」
俺にとっては四番目のS級。
死神姉妹 シロナとクロナ。
「アタシほど愛想よくないからねぇ。
……気をつけなよ? ハッハッハ!」
俺は感じていた。
あぁ、またまともな人じゃないんだろうな、と。




