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8月、夏の嵐が過ぎたあとには



 夏休みも残すところ、あと一週間になってしまった。

 課題は数日前になんとか終わらせているから、その心配はないのだけど。


 わたしには目下、大きな悩みごとがあった。


『付き合うって、なにすればいいと思う?』

『は? ちょっと低年齢向け少女漫画の天然主人公みたいなこと聞かないでくれる?』


 相変わらず恵那は返信が早いうえに、手厳しい。

 でもこういうことを相談する相手として一番に思い浮かぶのは、やっぱり彼女だ。

 調理部の活動も何回かあって、そこで恋話に発展することもあったのだけど、なぜかあまり上手く話せなかった。


『ふつうにデートとかしなよ』

『ふつうにデートって? 映画は行ったことあるけど、ほかはどこにいくのがふつう?』

『あんたが今持ってるその機械で調べなさい』

『調べたけど……身近な経験者に聞きたくて』

『付き合ってる男子のタイプが違いすぎるから、参考にしない方がいいと思うけど?』


 わあ……踏み込んではいけない感じだ……。

 しかも彼女は今、あからさまに虫の居所が良くなさそうである。


『ごめんね恵那。ありがとう! 自分で頑張るね! 今度いつ遊べる??』


 文字だけでは気持ちが上手く伝わらない。

 恵那とは少し前に一緒にオープンキャンパスに行ったきり、都合が合わなくて会えていないのだ。

 直接会って話したいという気持ちが伝わればいいなと思いをこめてメッセージを送ると、いったんメッセージアプリを閉じる。


 それからしばらく、テレビを見ながらひとしきり検索して、それでもやっぱり結論が出ない。


 そもそもわたしはこの夏休み、付き合ってもらうようになってからしつこくしすぎな気がする。

 予備校で会えたら帰る時間を聞いて合わせるし、予定が空いている日があったら図書館に行ったり本屋さんに行ったり、映画を観に行ったり、わたしの家で柊に絡まれながら課題をやったり。

 全部、わたしが誘ったり頼んだりして付き合ってもらっている。


 あんまり押しを強くしすぎて嫌われるのは嫌だ。


(どうしよう……)


 世間一般の恋人同士は、みなさんどういう風に同じ時間を過ごしているんだろう。

 定石も正解もわからないし、手探りだ。


 ずるずるとソファにだらしなく寝転がったとき、急にスマホがメッセージ着信の音を立てて、思わず体がびくっとなってしまう。


『沢渡さん、急にすみません。明日は何か予定ありますか?』


 やなぎんだ。

 なんで敬語なんだろう、という疑問は置いておいて、急にどきどき鳴り出した心臓を持て余しながら慌てて文字を打つ。


『ひまです!!!!』


 こういうところがいけないのかもしれない。

 まるで待っていたかのように数分もしないうちに鼻息の荒い返信をされたら誰だって怖いだろう。たぶん。


 でもしかたない。だってやなぎんが誘ってくれるかもと思ったら、嬉しくて冷静になんてなれない。


『よかったら、ここに行きませんか』


 そんなメッセージとともに送られてきたのは、都内にある水族館のホームページだった。




 



 


 ***

 

 今日は少しだけ曇っていて、蒸し暑い日だった。

 袖がふんわりした半袖ブラウスにひざ丈台形スカートというわたしにしてはかなり頑張ったデートスタイルに、やなぎんは一言「服かわいいね」と言ってくれた。たぶん彼も相当頑張ってくれたと思う。

 急な誉め言葉に混乱したわたしは、黒い半袖ボタンダウンにグレーのクロップドパンツという制服とそこまでかわらないけどちょっときれいめスタイルな彼に対し、「やなぎんも服かわいいね」ととんちんかんな返答をして彼を困らせた。


 初めてやなぎんから誘ってくれたデート。

 嬉しくて挙動不審だ。


 電車に揺られて数十分、多くの路線が接続する大きな駅で下車し、広い構内を歩いて駅舎の出口に向かう。

 そのまま水族館のあるビルまで、彼の先導で歩く。

 やなぎんの足取りに迷いはなかった。

 平日と言えど夏休みだからか、人通りはかなり多い。


「よく行くの? この水族館」


 がやがやとした喧騒の中、少し大きめの声で問いかけると、彼は首を横に振った。


「水族館は初めて行くけど」

「けど?」


 言葉を切ったやなぎんは、近づいてきた目的の商業施設を見上げる。


「並びのビルの劇場に、部活仲間とよく行くから」


 確かにこの商業施設には、劇場が入っている。

 いろいろな劇団やアーティストが公演をやっているらしい。


「そっか、演劇部だから観るのも勉強みたいな? でも舞台のチケットって高いイメージあるけど……」


 わたしのイメージは別に間違ってはいないらしく、彼は頷く。けれど、すぐに言葉をついだ。

 

「結構、高校生料金を設定してくれてる劇団は多いよ。映画と同じくらいの金額で観れる」

「そうなんだ!」

「あとは演劇部の学生限定で招待メールが届いたり」

「そんなのもあるの!?」


 いわく、観劇の習慣を作ることが大事なのだとか。

 たしかに、高校生のうちに習慣ができていれば、大人になってから正規の料金でも出す価値があると感じる文化的素養ができあがるということなんだろう。


 ここの劇場でみた演目で印象に残っているものを話してもらっているうちに、水族館に到着した。





 少し暗めの照明に、ぽうっと青く浮かび上がるような水槽。

 その中でたゆたう生き物たちは、不思議ないのちの光でわたしたちを出迎えた。


 実はこの水族館は、わたしたちの好きな児童書シリーズ第一巻の舞台のモデルだと言われているらしい。

 言われてみれば、映画化したことでわかりやすくなっているかも。どこか見覚えがあったのは、そのせいだったんだ。


「沢渡さんと一度来たかったんだ」


 そう言ったやなぎんは、わたしの隣に並んでどこか遠くを見るように水槽を見上げた。

 その目線の先を、おおきなエイが悠々と通り過ぎてゆく。

 エイのしっぽを追うようだった彼の目はやがて、わたしに向けられる。

 けれどやっぱり、遠くを見ているようだった。わたしが映っているはずなのに、わたしを見ているように思えない。


 胸のざわめきが、次の問いを押し出した。


「……どうして?」


 わたしの声が届いたのか、彼はようやくわたしをまっすぐ見てくれた。

 それなのに、なぜかかすかにあきらめたような顔で笑う。

 

「前の映画のとき、誘ってもらえて嬉しかったから」


 水が作り出す不思議な陰影が、彼の表情を覆い隠す。


 戸惑いと不安とで、わたしは少し緊張していたんだろう。

 彼がふと、わたしの手に触れた。


 ぴりっと電流が流れたように、触れた手がびくりと揺れる。

 わたしの手はわずかに、だけど確かに、彼の手から逃れるように動いた。動いてしまった。


 彼は少しだけ俯いて、ややあって口元にぎこちない笑みを作る。


「……他の展示も見に行こうか」


 静かにそう言ったきり、彼は口を閉ざしてしまった。



 

 それから、ずっとぎこちない空気のまま、水族館で過ごして。

 どちらともなく帰ろうと口にした。


 

 

 家の最寄り駅に着いてからも、わたしたちは言葉少なに歩いた。

 いつも別れる角まで来ると、やなぎんはふと足を止める。


 そして、まるでずっと前から決まっていたことのように、言った。


「‶付き合う″の、もうやめにしてもいいかな」


 問われているわけではなさそうなその言葉に、わたしの思考は停止した。

 今日一日の様子から、不安はあったけれど。

 信じたくなくて、聞き返す。

 

「……え?」


 こんなときばっかり、彼との目線が合うなんて。

 静かで感情の読めない瞳を覆い隠すように、彼が目を伏せる。

 

「もともと、お試しだったよね」


 淡々とした口調は、夏の夕暮れに似合わない冷たさだった。


「夏休みだけって、言ってた」

「そんな、でも……」


 わたしの声は震えてしまった。自分が何を言いたいのかわからなくて、言葉を続けられない。


「沢渡さんのその好きは、本当に恋愛的な意味の好き?」


 畳みかけるように、彼は続ける。

 言葉が頭を素通りして、わたしは何も答えられなかった。


 そんなわたしを注意深く見て、やなぎんはまた少し、あきらめたような笑みを刷く。


「違うと、思うな。少なくとも、僕は……沢渡さんといて、居心地が良かったことなんてない」

「どういう意味?」


 やっとのことで聞き返すと、彼はそこで初めて、痛みを耐えるような顔をする。

 初めて見た、そんな顔。


「好きな人が欲しいって言ってた」


 吐き捨てるように言って、彼はふいと顔を背ける。


「たまたま、多少気心が知れてる僕と再会してさ。ちょうど良かった……とか。沢渡さんが意識的にそうしたわけじゃないってことはわかってるけど、結果的に」


 いつもより早口で、投げやりな言葉たち。

 わたしはどうしていいかわからなくなってしまって、ただ首を横に振った。


 そうしたらやっと、彼は顔をこちらに向ける。

 眉がぎゅっと寄せられる。


「だって今のこの関係って、友達とどう違うんだろうって考えなかった? 沢渡さんの言う‶付き合う″って、こういうことだった? それがわからないと、応えられない」


 わたしは彼を、傷つけていたんだろうか。

 わたしの勝手な恋の押しつけが、彼を苦しめていたんだろうか。


 やっとのことでそこまで考えが追いついたわたしは、すがる思いで聞いた。


「友達に戻ろうってこと?」

「友達、は……もう、僕には無理だ。ごめん」


 うつむいた彼のつむじが、なぜかすごく寂しげだった。


「しばらく……距離を置かせてほしい」


 そんなに苦しそうに言われてしまったら。

 わたしは小さく頷いた。

 頷くしかなかった。

 


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