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9月、恋の抜け殻



 夏休みが明け、授業が始まった。

 まだまだ暑さの残るなか、首筋にはりつく髪が鬱陶しくて適当に一つにまとめる。


 始業式の後、ホームルームが始まるまでの時間。席についてぼーっとしていたら、ふいに首筋をつつかれて肩が跳ねた。


「ゆーず。元気ないけどどした?」


 少しからかうような表情を浮かべた恵那が、机の脇に立ってこちらを覗き込んでいる。

 夏休み最後に会ったときよりも暗い色になった長い髪が、彼女の動きに合わせて揺れる。ふわっと甘いヘアオイルが香った。


 わたしは力なく答える。

 

「大丈夫……ちょっと自己嫌悪に陥ってるだけだから……」

「全然大丈夫じゃないな……」


 恵那は珍しく驚きをあらわにした。


「何があったか話せることならあとで聞くわ」


 早口でそう言うと彼女は小走りに自席へ戻っていく。

 ほとんど同時に、チャイムが鳴った。








 

「要は振られたってことか」

「恵那ぁ……」

「で、振られた事実そのものよりも、その要因、相手が我慢してたんじゃないかってことの方がダメージがでかいと」

「その通りです……」


 放課後、教室でことの顛末を話した。

 冷静にバッサリまとめられ、わたしはうなだれる。


 恵那はうーんと考えながら、ブリックパックのジュースをストローで吸い上げる。


「ま、夏休みだけでもいいからーとか下手に出ているようで絶妙にとりあえず感ある言い草がよくなかったのは間違いないよね、もうわかってると思うけど」


 必死が過ぎて適当に言葉を並べ立ててしまった自覚はある。


「柚がほんとに好きだって、伝わってなかったんじゃないの」


 くるんとした綺麗なまつげを伏せて、恵那は心配そうにそう言った。


 はじまりから、思い返してみる。

 お互いどこか遠慮していて、ぎこちなかったこのひと月。

 

「そう、なのかも」


 ひんやりした机に突っ伏したら、彼女の優しい声が頭の上から降ってきた。

 

「言えなかった?」

「うん。……自信がなくて」


 わたしの沈んだ声に、恵那はひとつ相槌を返した。

 それきりじっと黙っていたかと思えば、急にわたしの頭をぽんぽん撫でる。


「な、なに?」

「んーん、私があれこれ言うと、柚はそれが正解だって思っちゃうかもしれないし……」


 たしかに、恋愛のことは恵那に相談すれば間違いないと思ってることは否定できない。


「その、柳くんって子のことは、私より柚の方が知ってるわけでしょ」


 突き放しているようにも聞こえる言葉だったけど、わたしにはそれが、頑張れって言われているように聞こえた。


(そうだ、わたし……ちゃんと好きだって、言ってない)


 



 それに気づけたはいいものの。

 

 連絡する勇気がでないまま、一週間が過ぎた。


「沢渡さん、大丈夫? もうだいぶ沸いてるけど……」

「え? わわ……」


 調理部部長の結城さんの声ではっと我に返ったわたしは、慌ててコンロの火を弱めた。

 赤いフレームのメガネ越しに、澄んだ瞳が心配そうにわたしを見つめている。


「ゆずりん今日はもう火禁止~」


 隣で白玉を丸めていた萌香ちゃんが、腰でとんとわたしの体を押しのけながらコンロの前に立つ。


「ほんとごめん、ぼーっとしてて。果物切るね」


 夏休み明け、最初の調理部の活動日。今日のメニューは、残暑を乗り切る白玉フルーツポンチだ。

 白玉が茹だるところを見るのが好きなので茹で係に立候補したのに、火を扱いながら上の空だったなんて危険すぎる。

 反省しつつ挽回を申し出たけれど、萌香ちゃんは首を横に振った。

  

「包丁も禁止~」

「うん、やめておいた方がいいと思う。洗い物お願いしていい?」


 結城さんにも同意され、わたしは頷いた。


「……ボウル洗ってくる」


 萌香ちゃんが白玉粉をこねるのにつかっていたボウルを取って流しへ向かうと、後輩ののんちゃんが振り向いてにこっと笑う。


「あ、柚先輩も洗い物ですか? ついでに洗っておきますんで、そこ置いちゃってください」


 あっという間に無職になってしまった。


「誰か……誰かわたしに仕事を……」


 その後もてきぱきと動くみんなに適当にあしらわれ、あっという間にお食事タイムに。

 

 気落ちしながらスプーンを持ったわたしに、のんちゃんが首を傾げた。

 

「柚先輩どうしたんですか? 最近魂抜けてますよね」

「のんちゃんハッキリ言うね~」


 萌香ちゃんがのんびり同意する。


「でもゆずりんがこんな感じなの、珍しいよね。なにか悩みごと? ……ん、白玉美味しい」

「部長が持ってきてくれたブドウも美味しいです! 萌香先輩、あれじゃないですか? 電車で見かけるイケメンに彼女ができててショックだったとか。まあ私の話なんですけど」


 食べながら、合間合間にぽんぽんと会話が交わされていく。


「私の推しにもハマってくれなかったゆずりんがその手の悩みか~まさかね」


 萌香ちゃんは根に持っている。

 返事に困って曖昧に笑うわたしに、それまで黙って食していた結城さんが目ざとく気がついた。


「……そのまさかなの?」


 ぴしっと固まったわたしに、萌香ちゃんとのんちゃんが驚愕の目を向ける。ちょっと失礼だ。


「え、え、とうとう好きな人できたんですか!? 恋煩いですか!?」

「ひゃあ~!」


 手を取り合って楽しそうな二人と、興味津々にこちらを見てくる他の部員たちに申し訳なく思いながら、わたしは慌てて首を横に振る。


「いや、えっと。振られちゃって」

「え」


 調理室が静まり返った。


「でもちょっと曖昧な感じっていうか。ちゃんと告白してないから、どうにかしてちゃんと振られてこようかと……思うんだけど……」


 だんだんとしりすぼみになっていく言葉に、のんちゃんが大きく頷いてくれる。

 萌香ちゃんが無言で先を促した。

 少し前から考えていたことを、思い切って口に出す。


「だ、男子校の文化祭って、やっぱり一人だと行きづらい、よね」


 連絡して、返事がないのが怖いなら。

 直接会いに行ってしまえばいい。


「桐高?」


 結城さんが少し顔を赤くしながら尋ねる。彼女は恋バナが苦手なのに、申し訳ない。

 頷いたわたしのお皿に、萌香ちゃんが白玉を2個も移し入れながら言う。


「行ける行ける。このきびだんご食べて頑張って」

「わたし猿?」

「いや犬かな~」

「一緒に……行ってくれたりしませんか?」

「ごめん、桐高の文化祭って再来週でしょ? その日推しのツアー初日~」


 それならしょうがない。

 結局、調理部の面々は都合がつかなかった。その代わり、さながら壮行会のような激励をしてくれた。

 その翌日、わたしは渋る恵那様に頭を下げ、一緒に行ってくれる約束を取り付けた。

 


 




 ***

 

「そこの二人、もう見るとこ決まってる? お化け屋敷とか興味ない?」

「すみません、急ぐので……」

 

 隣の恵那の機嫌が急降下しているのを感じながら、足早に廊下を歩く。

 桐高の文化祭は、在校生やその家族、友人知人近所の人々でごった返している。にぎやかではあるがどこか大人しくて平和な華女の文化祭とは大違いだ。意外にも、制服姿の女子高生が多い。


「二人とも、かわいーね! このあと時間ある?」

「ないです!」

「そう言わずに!」


 断ったにもかかわらずめげない勧誘をする桐高生。

 戸惑って恵那の方を思わず見てしまう。

 

「時間無いって言いましたよね?」


 恵那が背筋も凍るような冷たい目で睨むと、彼はへらっと笑って去っていく。

 

「ちっ、制服で来るんじゃなかった」


 恵那が舌打ちした……!

 今日は土曜日で午前中は授業があった。恵那が嫌がった理由がなんとなくわかった。


 男子校の文化祭、女子への勧誘が凄まじい。

 最初の頃はお断りの返事をしていたけど、すべてガン無視の恵那に倣って目を合わせないようスルーするようにしたら、だんだん進みやすくなってきた。


「柚の行きたいとこ、こっちであってるの? ずいぶん辺鄙なとこまで来てるっぽいけど」

「こっちであってる」

「この先なにがあったっけ、しおりしおり……」


 少し人ごみをぬけてきたので、恵那が受付でもらったしおりを広げる。

 すばやく目を走らせる彼女は、ふいに眉を寄せた。


「もしかして演劇部だったりしないよね?」

「え、言ってなかったっけ」


 顔を見合わせるわたしたち。恵那がみるみるしかめ面になる。


「ここまで一緒に来たんだから、あとは一人で頑張って。適当に時間つぶしてくる。帰るとき呼んで。じゃ」


 しかめ面のまま矢継ぎ早に告げると、恵那は止める間もなく踵を返した。


「えっ! 恵那!」


 彼女は振り返らずに片手をあげる。

 無駄にかっこいいけど見捨てられた気分だ。

 だけど、ここまで付き合ってくれただけありがたいことなので、小さくなっていく恵那の後ろ姿に心の中で手を合わせる。


(恵那様仏様女神様……ここからは一人で頑張るね)


 怖気づきそうな足をなんとか動かして、演劇部が文化祭公演をしている視聴覚室へ。

 演目が書かれた立て看板だけが置かれたシンプルな入り口は、のれんのような暗幕がかかっている。

 緊張してもたもたしていたわたしは、開演ぎりぎりに滑り込んだ。

 

 

 



 はっきり言って、緊張しすぎたのと難解なテーマだったのとで、内容があんまり入ってこなかった。

 公演後、演劇部の面々は観客の見送りをするらしく、見に来た知り合いと話したり家族を追い払ったり、視聴覚室の中は一気ににぎやかになった。

 そんな中、やなぎんの姿を探してぽつんと一人のわたしに、知り合いが来ていないらしい暇そうな演劇部員の方々の視線が突き刺さってくる。おい誰か話しかけに行けよ、みたいな肘でのこづきあいまで始まってしまった。


(柳くんいますか? って聞けばいいのはわかってるけど、こうまで見られてると話しかける勇気が……)


 すると、やなぎんの友達無理宣言からすっかりナーバスになっているわたしに、聞き覚えのある声がかかった。

 

「沢渡チャンじゃん、久しぶりー」


 ここにいると思っていなかった人物の登場に、一瞬理解が追いつかなかった。

 にっこり笑ってひらひらと手を振っている東くんだ。

 桐高の学ランに包まれた右腕に、演劇部の腕章がついている。裏方の人がつけているやつ。


 さっきまでわたしをパンダか何かのように物珍しそうに見ていた部員の方々が、なんだ東の知り合いか、みたいな感じで解散している。それを視界の端でとらえながら、なんとか返事をする。

 

「……東くんって、演劇部だったんだね」

「あれ、言ってなかったっけ?」


 きょとんとした東くん。わたしは慌てて記憶を掘り起こす。

 

「軽音って言ってた気がする」

「気がするって、マジで俺に興味ないよなー。それもホントで、兼部してんの」

「そうなんだ」

「そういや、恵……西上は? 一緒に来てないの」

「途中まで一緒に来たけど、今は別行動」


 今、少し違和感があったんだけど、その正体に気づく前に思考が途切れた。さっきまでの舞台で主役を演じていた、つんつんヘアで目がくりっとした小柄な子が会話に入ってきたからだ。


「東じゃないなら、誰に会いに来たの?」

「そうだ、彼氏できたって言ってたじゃん! うちの部ってこと?! 誰!」


 東くんにその話をしたかどうか覚えていないけど、とりあえず頷いて小さくつぶやく。


「……柳くん」


 興味津々、といった二人の目が、みるみるまんまるになる。

 

「え!! 柳?! 柳って、柳秋典?!」


 主役の子の大声に、演劇部の面々がざわついたのがわかった。予想外に注目されてしまって、すこし居心地が悪い。


「あー、なるほど柳か。沢渡チャン、お目が高い」

「うん。いますか?」


 目の端で、何人か舞台袖に入っていくのが見えた。冷やかしの混じるがやがやした喧騒と、がたがたという物音。

 東くんはにやっと口の端をあげて、舞台の方を振り向いた。


「いるいるいる。待ってて連れてくる――お、出てきた」


 何人かの手に押されるように舞台袖から出てきた彼は、一瞬だけあった目をすぐに気まずそうに逸らしてしまう。

 ここまでやってきた勇気が、急激にしぼんでいった。


 わたしの目の前まで来てくれたやなぎんとは、相変わらず目線が合わなくて。

 わたしは何を言いたかったのか全部出てこなくなってしまって、うつむきそうになってしまうのを必死でこらえる。


 ここで何もできなかったら、今度こそ本当に、終わってしまうんじゃない?


「ごめんね。どうしても……わ、渡したいものがあったから」


 必死に絞り出した言葉と声は、自分でもおかしいくらい弱々しかった。

 

「行ってもいい? って聞いた方が良いと思ったんだけど」


 言い訳がましい言い方だったけど、彼はハッとしたように顔を上げ、微かに首を横に振る。

 その、変わらない優しい仕草に励まされて、意を決する。

 深呼吸して、鞄の中から手帳を取り出す。それにはさんでいた小さな紙片を取って、彼を見た。


「手、出してくれる?」


 ぱちり、と彼が瞬く。怪訝そうにしながら、わたしの言葉通りに手を差し出してくれる。


「絶対、来ること!」


 ちょっと大きな声が出た。

 言いながら、彼の手に華女の文化祭のチケットを押し付ける。


 手の中のチケットを見た彼が驚いてこちらを見る頃には、わたしはとっくに逃げ出していた。


「沢渡さん!」


 久しぶりに聞く彼の声に、どうしようもなく嬉しくなって、逃げ出したいのに振り向く。


「待ってるからね!」


 ほとんどやけで叫んだわたしは、言い逃げよろしく視聴覚室を走り出た。


 

2023/8/5 本日20時、残り2話同時更新で完結予定です。

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