第八話「争闘前夜2」
当然のことだが、独房の中では娯楽もまともにできない。手元にあるのは紙とコンテだけだ。それなので、風間は紙とコンテを使って、明りが消えるまで書き取っていた。明日、大雨だったら決闘は延期になるのかなと流暢なことも考えながら。
電気が消されるとベッドに寝転がる。本来なら、明日死ぬのかもしれないと恐怖して震えるのだろう。しかし、風間はそうならなかった。一縷の望みがあったからだ。その望みがつながっている限り、風間は諦めるつもりも悲観するつもりもなかった。
「現実では諦めたから会社は傾いたんだもんな。あそこで諦めなければ、もっとたくさんのことを変えていくことができたはずなんだ」
風間は何故、自分がこの世界にきたのか考え続けていたのだ。そして、いろいろとブリッツに質問して感じたことがあった。
「この世界には改善できる点があふれるほどある。皆で協力していけば、もっともっとこの世界は良くなる。だから俺は死ねない……」
エッガやマリアの戦闘能力は高い。しかし、明らかに戦闘力が低い風間が、ワンターンだけでも有利に戦況を運べたのだ。これがもし、敵相手ならどうなっていたのか。一瞬のスキが命を落とす切っ掛けにもなる。
そして、ディアナ王女の心境だ。王が呪いで床に伏せり続けていることを悩み続けている。父は元気になるはず。そんな確証もない未来を信じて。
先程の食事に関してもそうだ。栄養素を考えて美味しく調理できたら、どれだけ兵士の士気が上がるのだろうか。健康にだって、気を遣うこともできるはずだ。
最後に思うのは明日の対戦相手のこと。
「なあ、アイアンウルフ。お前はなんで逃げなかったんだ? 戦うことをせず、逃げたら捕まらなかったはずだ。逃げられない理由があったんだろう。そうじゃないのか?」
目の前にいないアイアンウルフに風間は語りかける。人間と同じ知的生物なら、心理を追求した先に、アイアンウルフの想いが必ずあるはずと風間は信じていた。
その時だ。風間の鼻が牢獄に存在しない香りを捉えた。香りはどこからきたのかと牢屋の格子をつかんで覗きこもうとする。しかし、柵の幅が狭くて顔を出すことはできない。諦めて寝転ぼうとすると、今度は淡い光が牢獄内を照らしていることに気づいた。
ブリッツは三十分おきくらいで、風間の様子を見にきている。風間は「逃げないから大丈夫だよ」と笑って言ったが、ブリッツは憮然とした表情で「決まりだからな」と答えていた。しかし、前にブリッツがきてから、まだ五分と経っていない。闇に染まった牢獄にいるため、正確な時間を計れる自信は風間にはなかったが、明らかに次の見回りの時間としてははやすぎると感じた。
次に風間が捉えた香りだ。牢獄は暗く、音ひとつしない静寂空間となっているので、他の感覚が敏感になっている。香りの正体を風間はわかってしまったのだ。衝撃的な出会いとともに知った、あのセッケンの香りを――。
「あなたと話したくてきてしまいました」
ランプの光と声を最小限にまで絞り、その人物は風間に語りかけてきた。淡い光の中でも、碧眼と金髪は映えて見える。予想し得なかった展開に、風間はまず息を呑み、自然と口から次の言葉が出た。
「先程の件については、申し訳ありませんでした」
風間は深く頭を下げて謝罪した。来たことがばれてしまって、叱責される覚悟もあってきたであろう、目の前にいる人、王女ディアナ・フロイトに向かって。
そのため、風間の声は小さいものだったが、ディアナは十六歳という若さでありながら慈愛に満ちた頬笑みを返していた。
「お名前は、シンゴ・カザマさまでいいのですよね。どのように呼べばいいでしょうか。シンゴさまでいいですか?」
「できたらカザマのほうで。ファーストネームではあまり呼ばれたことがないので」
「その呼びかたが、あなたの住む、にほんという国での普通の呼ばれかたなのですね」
ふわりとディアナのほうからセッケンの香りが流れてくる。明日はどのように戦いに臨むべきかと悩んでいるなかで、このような対応をされてしまうと、気迫も揺らいでしまう。風間は精神を保つのに必死だった。
そして、ディアナ王女が、ここにきた詳しい意図が見えない。風間は困惑するしかなかった。あと数十分経てばブリッツも見回りにくるだろう。そのため、ディアナと話せる時間は限られている。風間は単刀直入に訊いた。
「ディアナ王女さまが、何故、このような場所に?」
「あのっ……カザマさまは勇者さまなのでしょうか?」
「はっ?」
風間が答えにもならない疑問符で答えたため、そこで会話が強制終了してしまった。
当たり前といえば当たり前だ。王女さまの口からそんな質問があること自体、一般人であった風間は想定していなかったのだから。慌てて、風間はディアナに返す。
「えっと、勇者とは? 俺は自分のことを、違う世界で趣味をしている時に、いきなり光に包まれて、ここにきてしまった平民だと思っているのですが……」
「手を……手を触らせていただけないですか?」
「手を?」
そのままコンテで汚れた手を差し伸べるのも失礼な気がして、風間は服で手をこすった後、牢屋の格子から手を出した。ディアナは持っていたランプを下に置くと、風間が出した右手に両手で包み込むように触れる。
「素敵な風をお持ちですね。まるで高台から吹き抜け、全てを優しく包みこむ春風」
「風……ですか?」
「はい、我が国の民全てに神樹さまの力が与えられているのです。その力は風で表されると聞きます。私は人の手に触れると、その風を感じることができるのです」
「神樹って……城よりも高い、あの木のことですか?」
「はい、神樹さまは我が国の力の要なのです。太陽の日のように。水や空気のように。命に繋がる力を皆に分け与えてくださっているのです。そして、全ての人たちが持つ風は違います。荒々しかったり、冷たい風だったり。カザマさまの風は、私が思っていた通りの風でした。そうまるで……」
そこで何故かディアナは言葉を濁していた。詮索するのは失礼にあたると感じた風間は、次の言葉を選ぶ。
「明日の戦い、俺は勝つつもりもないですし、負けるつもりもないですよ」
風間がそう伝えると、ディアナは驚いた顔をした。当然といえば当然だろう。決闘で勝敗なしに戦いが終わるということはあり得ない。しかし、風間の頭の中では、いくつもの推測から結論に導かれた秘策が構築されていた。
「俺かアイアンウルフか。どちらかが負けたら処罰されるんですよね。では、どちらも負けなければ、どちらも処罰されないということですから、そうしたらいい」
「それは一体、どういうことですか?」
「そのままの意味で捉えていただければ。それに俺はディアナ王女さまの、お父上のことも気になりますし……」
風間は語る途中でディアナの手に力がこもりはじめているのに気づいた。体が小刻みに震え、ディアナは俯く。次に風間は冷たい感触を手の甲に覚えた。声を殺してディアナは静かに泣いていたのだ。
「誰にも言えなかった。訊けなかった。お父さまをどうしたら救えるのかって……お父さまが遠くに行ってしまうのではないかと思うと、怖くて怖くて仕方がなかった」
「ええ、つらかったでしょう。お母さまも小さい頃に亡くされているあなたですから」
「こんな話、カザマさまにしか言えません。どうか、どうか、死なないでください」
それはディアナの懇願ともいえる呟きだった。風間からは絶対に死にませんので安心してくださいとは言えない。非確定の未来に絶対という言葉を使ってはいけない。根拠のない自信を持つ怖さも、無責任な期待を持たせてしまうことの危険性も、風間は痛いほど理解していた。
「ここにくるのにディアナ王女も覚悟と勇気を持ってきてくれたのでしょうから……俺は期待に応えられるよう全力を尽くします。それだけは約束しますよ。そろそろ見回りがくる時間です。今日はゆっくりと、おやすみください」
風間の言葉を聞いて、ディアナが離れようとする。その時だ。闇に染まった牢獄内を、突然まばゆい光が照らす。一体、何が起きたのかと風間は光の根源を探した。すると、ディアナが自分を指差しているのが見えた。驚くことに、光は風間のジャージのポケットから漏れていた。
これほど激しい光を発する物を風間は持っていた覚えがない。確認しようと恐る恐るポケットに手を入れる。指先に固い物が当たり、風間は触れた物をつかむと取り出した。
ポケットの中にあった物。それは、黄金色の光に包まれた木の枝だった。
「それは、神樹さまの枝ですか?」
「そのようですね。神樹から城に飛び移る時に必要だと考えて、ツルと枝を拝借したんです。入れた覚えは全くないのですが、いつの間にか入っていたみたいですね」
「カザマさまは、神樹さまに認められたのだと思います。だって、カザマさまが持っている風は、神樹さまの風に似ていますから」
「えっ?」
「そろそろ戻ります。ご武運をお祈りいたします」
そういうとディアナはランプを手にして慌ただしく牢獄を出ていった。後ろ姿を見送るように首を伸ばすと、ブリッツの足音が聞こえた。
おそらくディアナは、ブリッツが出てくる気配を感じ取ったのだろう。しかし、退出のタイミングが良すぎる。ブリッツが風間と話しているディアナ王女に気づかないふりをしていたとも考えられた。牢獄の前にとまったブリッツが口を開く。
「異常はなさそうだな。決闘は午後からだが、はやく寝ることだ。睡眠を怠ると、頭も働かなくなるぞ」
その言葉は、ブリッツが必死に考えた最高の激励だったのかもしれない。
風間は「ブリッツも安心して眠れないもんな」と答えて、眠りに就いたのだった。




