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第七話「争闘前夜1」

『明日の午後、闘技場にてアイアンウルフとの決闘を行う。勝った者を自由の身とし、以後、ディアナ王女と将軍ゴードの権限のもと、勝者を監視するものとする』

 ブリッツの手から風間にこの文書が渡されたのは、会議が終了した三十分後だった。

 風間はその文書を三度ほど繰り返して読むと深呼吸をする。

「……驚いたな。もっと違う反応があると思っていたのだが」

 風間の様子をじっと見ていたブリッツが言った。

 アイアンウルフの背中は装甲のような硬い毛で覆われており、剛腕と謳われる将軍ゴードでさえも、背を狙って倒すことはできない。国が誇る将軍数人がかりでアイアンウルフをようやく捕えることができたのだ。そのため、風間ひとりで戦った時の勝率はゼロと断言してもいい。そんな状況で、冷静に深呼吸する風間は誰が見ても奇異な存在だった。

「ゴードの権限のもと、勝者を監視って……何気にあの赤鬼の旦那、すごいんだな」

「気にしていたのはそっちか! それに将軍を呼び捨てにするなと何度も……まあいい。ゴード将軍は、我々、戦闘兵の鏡のような方だ。戦場の赤獅子という異名を持っている」

「アイアンウルフって、最低戦闘可能レベルはいくつだったっけ。覚えてないなあ」

「戦闘可能レベル? なんの話だ?」

「いや、こっちの話。確か、アイアンウルフは、人語を理解できるんだよな。弱点は足で、ゴードはやっぱり、横からの槌攻撃で引っくり返したのか?」

「お前のところにもゴード将軍がアイアンウルフを倒したという情報が流れていたのか。その通りだ」

 風間はアイアンウルフの名前を聞いたところで推測していた。

 アイアンウルフは、自分がゲームでした戦闘と同じ方法で倒されたのではないかと。そして、ブリッツに聞いたところで推測は確信へと変わった。この倫理なき世界は一面をクリアした直後の時間が流れているのだと。

「アイアンウルフは森を開拓しようとした時に襲いかかってきたんだよな? その時、ブリッツは何か変な声とか聞かなかったか?」

「変な声だと? お前の質問の意図がわからん。ただ、アイアンウルフを捕まえた時、妙な声で鳴き叫んだとは聞いたな」

 風間を見るブリッツの表情は、奇怪な物を発見して怯える子供のように見える。そんなブリッツの顔を見て、風間は笑ってしまった。

「何がおかしい! 俺はだな。アイアンウルフと戦うと決まったお前が泣き叫ぶのではないかと思って、心配していたんだ。それなのに、貴様というやつは質問してきたり、ヘラヘラしたりと……」

「ブリッツ、俺のことを心配してくれていたのか……」

「誰が、貴様のために心配などしてやるものか!」

 地下牢獄に響き渡るくらいの声を出したブリッツは、風間から目をそらして背を向ける。

「いや、ごめん。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。ただ、この世界にきて、話をまともに聞いてくれる人がいなくてさ。ブリッツには感謝しているんだよ。それとブリッツ、頼みたいことがあるんだけど聞いてくれるか? できたら書く物と書き取れる紙が欲しいんだけど……」

 風間は自分の心境の変化に驚いていた。

 退職して就職活動をしている時は自信をなくし、このままやっていけるのかと酷く悲観的になっていた。しかし、今は違う。自分なら何とかできるという自信が生まれている。自信を快復できた理由は『この倫理なき世界へようこそ!』で、ミッションをこなし、最後のひとりのプレイヤーになれたためだろう。

 書き取るものが必要なのも、アイアンウルフのステータスや特徴から戦闘パターンを分析、脳内で仮想シミュレートをし、明日の戦いに万全の状態で臨むためだ。

 優秀な経営コンサルタントに必要な知識と自信。時と場を選んで臨機応変に的確な判断をすること。この世界には風間が欲していた舞台がある。それが今の風間にとっては、不安や恐怖を忘れてしまうほど興奮できるものだった。

「……書く物と書き取れる紙か。では、俺のもうひとつのバインダーを貸そう。但し、書き取っているものは確認させてもらうぞ」

「確認してもわからないと思うけどなあ。日本語で書くから」

 バインダーと紙とコンテを受け取った風間は、渡してくれたブリッツの目の前でアイアンウルフのステータスや特徴を思いつく限り書き出していく。十分ほどで紙一枚が文字でいっぱいになった。

「なっ、読めないだろ?」

「……うむ。言葉は通じるのに筆記では違うのか。訳がわからないな。にほんという国は」

「あと、これだけだと紙が足りないから、もう少し貰えないか?」

 ブリッツは言い返すことなく、追加の紙を何枚も持ってきた。ブリッツも興味が出はじめているのだ。この侵入者はアイアンウルフとどのような戦いをするのだろうかと。

「質問があるんだけど、闘技場で戦うってことは観客もいるんだよな。俺にも武器とか渡してくれるのか? あと、アイアンウルフが逃げる危険性はないのか?」

「武器は闘技場で戦闘直前に渡される。武器のリストを見せてやるよ。あと、アイアンウルフが逃げることはない。逃げようとしたら、首輪の内側から痺れ薬を含ませた針が出る仕組みになっているからな」

「それは新情報だな。武器のリストは、はやめに渡してくれるとありがたい」

 話しながら風間は二枚目も書き終えた。ブリッツがそれを見て目を丸くする。

「ゴード将軍が言うには、兵士の士気を上げることにもつながるから、がっかりさせるような戦いだけはしないでくれとのことだ。それなので今日の晩飯は、将軍たちも食べているものがお前にも出される。アイアンウルフと善戦できるとは思えんが、今日は英気を養うことだな。バトルの際には、他の将軍も王女さまもくるはずだ」

「ディアナ王女も? そういった血生臭いイベントは嫌いじゃなかったっけ」

「今回は特別に観たいとおっしゃったそうだ――」

 ブリッツは続けて何か言いかけたようだったが、途中で言葉を濁していた。

「それと、戦闘前にお前のステータスを確認させてもらう。兵士の間では賭け事があってな。ステータスデータからオッズを計算しないといけない」

「賭け事か……今更、そういった慣習にいろいろ言う気はないけど。そのステータスデータって、俺も見ることができるのか?」

「アイアンウルフと戦う直前に発表されるから、その時に見ることができるだろう」

「失礼します。本日の食事を持ってきました」

 いつの間にか食事の時間になっていたようだった。給仕の声が震えているのは、風間が王女暗殺を企てて侵入した者とされているからだろう。

 密室空間に近いので、料理の香りは流れてくるというより充満してくる。ゲームの世界にきてしまっただけに受けつけられない料理もあるのではと風間は思っていたが、香りで心配はなさそうだと安堵した。

「ご苦労。あとは俺が引き受ける」

 ブリッツの言葉に給仕は一言「はい」とだけ返事をして出ていった。ブリッツは給仕を見送ると息を吐く。

「お前は、エッガさまとマリアさまと戦闘をしたと伝えられているからな。お二人とも四大将軍のひとりだ。普通は誰も戦おうとは思わない。あの給仕の反応はそういうことなのだろう」

 ブリッツは風間にも給仕にも気を遣ってくれていた。

 エッガやマリアと一戦するということは、国を敵にするのと同じなのだ。そのため、風間と話しただけでも、敵視される可能性もある。ブリッツは仲介役を見事に果たしていた。

 台車から料理を取ったブリッツが、一皿ずつこぼさないように丁寧に運ぶ。独房の中には、パンとメインの肉、スープとサラダが並んだ。しかし、風間はこれを見て違和感を覚えた。

 いただきますと言って、まずはパンを取る。物凄く固くてパサパサの状態だった。しかも香ばしさもない。ここまで風味を感じないパンははじめて食べた。

 続けてスープをスプーンで掬って一口飲む。ヴィシソワーズのようなものなのだろうが、青臭ささと香辛料の辛みしか感じない。パンを付けたらどうにか飲むことができるかと思ってやってみたものの、気休めにしかならなかった。

 次にメインの肉をフォークで押さえてナイフで切ろうとする。こちらもパンと同じように固い。口に入れて噛んだものの、肉の旨味をあまり感じなかった。サラダも一目見て瑞々しさがないとわかった。口に入れても、青臭さのほうが強く、自然の甘みがほとんどない。

 将軍たちが食べているものと聞いて期待した風間だったが、あまりの質の悪さに愕然とした。それでも、アイアンウルフと戦うのであれば、程度は口に入れていたほうがいい。

「これ、改善の余地ありそうだな……」

 食事は人々の楽しみのひとつでもある。特に戦いに向かう兵士たちは食事を楽しみにしているに違いない。その食事の味と質が上がったら、兵士たちはどう思うだろうか。

 風間の経営コンサルタントの血が騒ぎはじめた。

「パンは発酵時間が足りないのかな。肉も熟成時間が足りない気がする。野菜は育てた時の水の量と土に問題がありそうだな。味付けも材料のことを考えずにつけている感じだ」

 独房の前で食事をはじめたブリッツが、風間の独り言を聞いて目を丸くした。

「今、何を言ったんだ。お前?」

「気を遣ってくれたブリッツには悪いんだけどさ。俺が住んでいたところは、食文化が優れていたから……もっと美味しくつくることができたら、兵士の士気も上がるんじゃないかなと思ったんだ」

「これよりも美味くつくれるというのか?」

「俺には農業や料理の知識はほとんどないけどね。ただ、美味しくなるとは断言できるよ。今、思ったことをメモしておこう。今後の役に立つかもしれないから」

 明日の午後にはアイアンウルフとの戦いがある。

 普通は失望するものなのに。と言いたげにブリッツはため息を吐いていた。

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