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第二十二話「杞憂が現実になる日」

 翌朝、風間は扉を叩くけたたましい音で目覚めた。

 ブリッツに、時計がなければ不便だろうと渡された懐中時計で、何時なのか確認する。

 どうやら、寝過ごしてしまったらしい。時計の短い針は九を、長い針は一を差していた。

 本来なら訓練を終えて、一息吐いている時間だ。扉のノックは地下修練場にこなかった風間を心配して、誰かが来た音に違いなかった。

「ふえい……今、開けます」

 寝ぼけ口調で扉の向こうにいる相手に応え、取っ手に手をかけて開く。寝ぼけ眼の視界に飛びこんできたのは、ディステルとブリッツ、そして、エッガだった。

「ちょっ、全員、お揃いできたんですか」

 一人で誰かが呼びにきたのだろうと思いこんでいた風間は驚いた。昨夜はディステルが、自分の部屋で話し合いをしようと言っていたため、完全に虚をつかれたのだ。

 そこで、エッガの後ろにマリアがいることにも気づく。目が合うと頬笑み返しをされた。

「へえー、シンゴは民族衣装を着て寝るんだね。あっ、後頭部、寝癖が立ってるよ」

 風間が着ているのは民族衣装ではなくジャージだ。しかし、何度説明しても民族衣装と言われるので、改めさせるのは諦めた。

「怠惰なことこの上ない姿だな。本当に、お前、ギガントオーガを倒したのか?」

 続けて、呆れたような視線をエッガに向けられる。どうやら、ギガントオーガとの戦いの経過はディステルから聞いたようだ。

 しかし、せっかく上がったエッガの友好度も、寝起き姿を見られたことで、落ちてしまったらしい。

 指摘された寝癖を手櫛でなおしながら、せめて友好度は戻さなくてはと思い、風間は口を開いた。

「俺が住んでいた日本は戦闘とは無縁ですから……って、ディステル将軍、勝手に部屋に入らないでくださいって」

 しかし、説明途中でディステルが入室してきたため、話が中断してしまう。この世界にきてからは女性陣に、ずっとこんな調子で扱われてしまっている。

 風間のベッドに腰をおろしたディステルに悪びれた様子はない。それどころか、ベッドの上に資料を広げる始末だ。まるで自室であるかのような振る舞いに、風間は頭を抱えた。

「ほら、シンゴもはやくこっちにきて。互いの報告会もしないといけないし、ゴードに怒られたくなかったら、責任者のシンゴがはやくしないと!」

 もし、男性の部屋に女性が入るとしたら?

 恥じらいというものが少しはあってほしいと風間は思う。ここまで堂々とされると、逆に意識してしまっている自分が変なのかと思わざるを得ない。

 しかも、あれほどの死闘を繰り広げた翌日だというのに、この快復力のはやさだ。エッガにしても、重傷だったにも関わらず、何事もなかったかのように立っている。

 風間は、この世界の生活に慣れることができるのだろうかと物凄く不安になった。

「まとめるのはいいですが、俺は日本語しか書けないんですよ」

「そういえば、独房で書いていたメモがそうだったな」

 皆を部屋に招き入れながら風間が言う。それで争闘前夜のことを思い出したのだろう。ブリッツがだとしたらどうするかと悩むような素振りを見せた。

「じゃあ、シンゴの勉強も兼ねて資料のまとめをするよ。マリア、まずは城内の被害報告をお願い」

 居場所をどうするのか悩んだマリアに、風間はイスを差し出す。小さな声で、お礼をしてから座ったマリアは、持ってきた報告書を広げると説明をはじめた。

「被害者の数は昨日伝えた通りです。ゴブリンが侵入した箇所は三つ確認できました。現在は結界の修復も完了しています。建物の損傷も一部確認していますが、こちらの修復は必要ない程度とのことです」

 少女ともいえる年でありながら、淀みなく語るマリアにも驚嘆する。マリアが持っているメモを後ろから覗きこんだ風間だったが、日本語ではないので読むことはできなかった。

「今後、ゴブリンのようなモンスターに侵入される可能性は?」

 ディステルの隣に座ったエッガの質問には、立ったままのブリッツが反応した。

「ゴブリンの全滅は確認しました。ギガントオーガもです。ただ、似たような襲撃が今後もある可能性は高いですね」

 ブリッツが襲撃の可能性を語ったのは、黒いゴブリンたちを見たからだろう。思考能力が高いモンスターの出現。それは、同じような知能を持つ人間との衝突の危険性を感じさせるものなのだから。

 筆をはしらせるディステルの手元を見ながら、風間は必死に言葉を理解しようとしていた。文字を見ると、何となくドイツ語であるとわかった。やはり、キャラクターの名前に文字は反映しているらしい。

「モンスターが襲撃してきた時に侵入される危険性は?」

 ディステルはメモを取りながら、マリアに確認した。

「上級モンスターでなければ平気だと思います。ただ、神樹の魔力は低下し続けているので……最終的には結界を維持できなくなる可能性もあるかと」

 話をするにつれて、マリアの声が小さくなっていく。未来への不安。結界を維持する責務の重さに、彼女は押し潰されそうになっているのかもしれない。

 もしこの状態のまま、マリアに責任を負わせ続けたら?

 小さな体は体力的にも精神的にも限界が近づいているのではないか?

 そう考えはじめると、風間は黙っていることができなくなった。

「それなのですが、いざって時のために避難マニュアルは必要だと思うんですよ。安全に避難できるルートや避難場所を示す看板をつくるとか。放送スピーカーや鐘もつけるとか」

「また、お前は難しいことを……」

「皆が安心できる。そういった生活のためにはマニュアルは必須です。結界の維持だってそうです。神樹やマリア将軍だけに頼りっぱなしじゃないですか。もし、ひとりで対応しきれなくなった時はどうするんですか? マリア将軍だけの責任ですか? 彼女だけに責任を押しつけすぎだと俺は思います」

 マリアが唇を噛みながら顔を伏せたのがわかった。彼女の心理は、この動きだけではつかめない。そのため、他の者の反応を見るため、風間は口を閉じる。

「カザマ、俺たちはお前が何を言いたいのか全く理解できないんだ。お前に考えがあるのなら、実行してみてくれないか?」

 そこでブリッツが助け船を出してきた。確かに、見たこともないルールを説明されたところで全て理解できる者はいないだろう。

 将軍の中のまとめ役ディステルが、うーんと唸ると口を開く。

「つまり、神樹の魔力が消え、結界を維持できなくなった時のことも考えろってことでしょ? 私は杞憂かと思うんだけど、シンゴってそこまで考えるんだよね」

 倫理なき世界の者たちは、結界内に何匹ものモンスターが侵入するという事態を経験してはいなかった。しかも、住民を攫われたというのは、今回が初めてだろう。

 想定外の事態が起きると断言することはできない。あくまでも推測だ。

 その想定外の事態が理解したくないことなら尚更、人は改善点からも目をそらそうとする。結界がなくなるということは、神樹の魔力がなくなるということだ。

 それは、日本列島が沈むと考えたことはあるのか? と、日本に住む者に質問をしたのと同等であると風間は捉えていた。

「その結界のことですが、マリア将軍は杞憂と思っていますか?」

「えっ?」

 風間の質問にマリアの表情が曇った。

 結界がなくなる。それは誰もが考えてもいないことだとわかった。

 しかし、マリアは結界がなくなる可能性が高いと思っているのではないか。

 風間は誰も訊かないことを敢えて質問したのだ。いや、誰もが訊きたくないであろう恐ろしい質問を。

 マリアが小さな肩を震わせているのがわかった。十六歳という少女には酷な質問だ。答えることも迷うだろう。

 それを知っていて風間は質問をした。それが必要であると思ったからだ。

 マリアが泣きそうな顔をして風間を見る。その視線を風間はしっかりと正面で受けとめると、小さく首を縦に振り、話すことを促した。

「私は……遅くても二年後には神樹さまの恩恵を受けられなくなり、結界はなくなるのではないかと考えています」

「二年だって! そんなこと一度も言ったこともなかったじゃないか」

「推測です。あくまでも推測なんです。それにそんなことを言ったら、皆が混乱すると思いました。それで、今まで言えなかったのです」

 エッガの興奮は、やみそうにない。マリアが恐れていた事態は、誰にも受け入れられないことだったのだろう。だからこそ伝えることが怖くて言えなかった。

 震えるマリアの肩に、風間はそっと右手を置く。

「マリア将軍に、そのことを言わせたのは俺なんですけどね。ひとりで問題を解決しようとしていたマリア将軍の考えは立派ですよ。俺は絶対にしたくないことですから。では、結界の対策は協力して考えましょうか。俺は魔力のことに詳しくないですが、神樹のような魔力を維持する装置やアイテムってあるのでしょうか? なければつくる必要があると思うのですが。今ある結界もそれがあれば強化できると思いますし」

 この発言で場の空気が変わったのを感じた。張り詰めた空気が緩和し、皆の頬が緩む。

「では、そういった方法が可能なのか、私も考えます」

 先程まで、暗い影を落としていたマリアの表情には、明るさが戻っていた。

「それと、黒いゴブリンと王の病気のことですが――」

「課題を大量に出すな。混乱するだろう!」

 続けて風間が話そうとしたところで、我慢しきれなくなったエッガの制止が入った。

 議論に対するエッガの指摘は正しい。問題は、ひとつに絞って考えたほうが解決につながりやすいからだ。

 しかし、風間は途中で話をやめるつもりはなかった。何故なら――。

「俺は、その原因が全て繋がっていると考えています」

 はっきりとそう伝えることで、皆の理解を求めるつもりだった。

「繋がっているだと? 神樹の魔力低下と黒いゴブリンの出現と王の病気がか?」

「はい、個々の問題に直接的の原因はなくても、ひとつに繋がると考えています」

 風間は、問題全ての裏に蠢く黒いものを感じ取っていた。それは勘だろうと問われれば、否定はできない。しかし、そうなることで得する者たちがいる。

 ギガントオーガを切り捨てた若い男の声。あれは、人の絶望を自らの楽しみへと転化させる悪意ある者の声であると、風間は考えていた。

「伝承の一文か……」

 手で顎に触れ少し悩んだブリッツが、ぼそりと呟く。

「神風吹き、神樹は語る。闇が蠢き、冥王は語る。混沌が笑う時、光の者現る」

 続けて、ディステルが伝承の一文を口にした。

「それが伝承の一文ですか。その光の者が、世界を救う勇者だということですか?」

 ディアナ王女から聞いた勇者だという言葉。風間は、それがずっと気になっていた。そして、勇者とはどのような力を持っている者なのかということも。

「伝承では、そう言われています。あくまでも伝承ですので、冥王とはどのような者なのか、混沌や光の者とは何なのか、誰も知らないことですが」

 真剣な表情でマリアは語ると、自分が持ってきた資料を開いていた。

「光の者は神樹さまの恩恵を受けている者と言われています。時には凶悪なモンスターと心を交わし、統率力や戦術を用いて邪悪な者を退かせる者。人々の心の闇を払う者とされています。そして、希望の光を与える者だと」

 マリアの説明を聞いて、風間は息を呑んだ。その説明の中に自分が知っているフレーズがあったからだ。

――さあ、今すぐページを開いて、仲間とともに「この倫理なき世界」に、『希望の光を与えてください』。プレイヤーの方々に、素敵な冒険を!

 それは、この倫理なき世界へようこそ! の説明書に書いてあった件だった。

「まさか、嘘だろ。そんなことが……」

 溜め息のような声しか出ない。いや、皆の前ではっきりと語ることはできなかった。

 自分はプレイヤーという特殊なジョブ持ちであり、倫理なき世界の者たちとは違う価値観を持っている。それならまだ理解できるし、受け入れることができる。

 しかし、攻撃力や防御力やスピードが最弱ともいえる数値なのに、そのプレイヤーが世界を救う勇者だと言われたら?

 自分には荷が重すぎる。ギガントオーガでも精一杯だったのに、それ以上の敵と戦う姿を想像できなかった。

「伝承が本当なら、神樹と冥王の戦いが起きるということか……」

 杞憂が現実になる恐怖。エッガの言葉に誰も答えることはできない。

 そして、風間はこの時、皆の視線が自分に向けられていることに気づいてはいなかった。

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