第8話 聖女か? 魔女か?
大聖堂の東側に、小さな接見の間がある。
そこでは朝の礼拝の後、聖女イリスが民の話を聞くための時間がある。一日に会えるのは数人までだが、誰でも来ていい。
アレクサがその扉を押したのは、最後の一人が帰っていった直後だった。
中は思ったより狭く、外の音も聞こえず静かだった。小さなテーブルと椅子が二つ。高い位置にある窓から光が差し込んでいる。
戸棚の上には花束がいくつも置かれていて、本棚の本の前には子どもが描いた絵や感謝の手紙も飾られていた。
さっきの客が最後だと思っていたようで、イリスは茶器を片付けようとしていた。
アレクサが扉を閉めると、金の髪が揺れ、白い礼服の背中が振り返った。
一瞬だけ——何かを確認するような目。
それからいつもの微笑みを浮かべて言った。
「……来たんですね」
イリスにはアレクサが来るとわかっていたのだろうか。それがまた、ちょっと悔しい。
アレクサは何も言わずに、椅子に座った。今日はアルの格好だ。金髪のベリーショート、動きやすい少年のような平民の服。
この姿でも、イリスはアレクサだとすぐに気がついた。
アレクサが椅子に座ると、イリスも向かいに座った。
「……お名前は、アル、でいいですか?」
「アリー、でも良いですよ」
普通の声で話すと、イリスがにこっと微笑んだ。その笑い方が地なのか、とてもかわいい笑顔で。
「では、アリー。今日はどうしましたか? わたしで力になれる事ならお聞きします」
「聖女様、単刀直入に聞きます」
イリスが何も言わないので、それは了承だと受け取る。
「あなた、――詐欺師ですね」
接見の間の時間が止まったように感じられた。
イリスは少し間を置いた。それから——
「……そうですね」
表情も声も変わらない。
しかし、イリスの纏う空気が少し変わった。聖女ではなく、別の何かとして向き合っている感覚。
「なぜここまでするんですか? 聖女を演じてまで。あなたの契約者は誰なんですか? オーカー卿ですか?」
詐欺師が契約なしで他人のために動くことはない。誰かがイリスに聖女を演じさせるために大きなお金が動いているのだとしたら。その痕跡をアレクサは宮廷の財務記録からつかめなかったのだ。
オーカー卿の計画か、別の誰かからの差し金なのか、それもわからなかった。
イリスはしばらく黙った後、アレクサの顔をじっと見つめてきた。
「わたし、娘がいるんです」
「へぇ……娘さんが?」
何を言うかと思ったら、ずいぶん個人的な話だな。
拾って育てている子でもいるのかな。まぁよくあるお涙頂戴の苦労話かもしれない。
(あれ? なんかこれだと、立場が逆じゃない? ま、いっか)
詐欺師の話をどこまで信じて良いか、アレクサは考えながら聞く。
だいたいお涙頂戴の嘘の経歴なんて、初心者が使う手口だ。
つまりこの人は、娘を育てる為に聖女のふりして詐欺をしているのか、そのまま皇太子に取り入るつもりだったのか。
――とりあえず話を聞こう。
「娘を産んで、女手一つでその子を育ててきました」
ほぅ、産んだのか。若いのに苦労してるって言いたいのかな。
「……それでですね、娘が、去年この国の方と結婚したんです」
聖女の声も話し方も可愛らしく、何故か幸せの色が滲んでいた。なんだか女子同士の『秘密のおしゃべりタイム』みたいな雰囲気になっている気が――って、
ん? 娘さん? 娘さんが結婚したの??
え? いくつで産んだの???
「その娘に、もうすぐ子どもが生まれるんです。だから、この先、子どもたちが生きていく国を——せめて、少しでも安定させておきたくて」
??????????
アレクサは一瞬呆然としてしまった。
やばい。今の絶対顔に出た。
聞き間違いはなかったか、聖女の言葉をさかのぼって頭の中で繰り返す。
そして、目の前のかわいい聖女を凝視すると、いつものように首を傾げて笑顔を向けられた。
「……えっと、、、」
脳内混乱の末にやっと出た言葉が、コレ。
「……美魔女ですか?」
イリスはにっこりと微笑んでいる。
「……えっと、もしかして、全てはお孫さんのため、なんですか?」
「そうですよ。おかしいですか?」
「……い、いえ、全然」
おかしくない。むしろ共感できる。
国のためなんて大仰ではなく、自分の孫(え?)のために動く。それは職業とは関係なく、人間として当たり前のことだ。詐欺師が善意だけで働くことはないので、むしろ大いに納得できた。できたけど!!
いや、それより、見た目若っっっっ!
イリスがまた笑った気がした。
「……あの、あなたは、どのくらい詐欺師をやってるんですか」
「もう四十年くらいです」
……こんな可愛い顔で、ベテランだった。
「四十年以上やってきて、最後にこれか、って我ながら思いますけど」
「えっと……おいつくかお聞きしても……?」
「今年、五十三です」
「五十三?」
「はい」
「ごじゅうさん!?」
「二回言いましたね?」
大先輩どころではない。この人、……レジェンドだ。
「だから、これを最後の仕事にするつもりだったんです。聖女として皇后になって、生まれてくる子どもたちのためにこの国を少し整えて——それで終わりにしようと思って。数年前からちょっと城下の景気も治安も悪いでしょう?」
あぁ、なんて善い人なのー?! あなた、マジで聖女じゃないですか!
どういうことなの? 美魔女で聖女だなんて!
「……でも、引退するつもりだったんですか?」
アレクサは少し前のめりになって聞いた。
「何事にも潮時ってあると思うんです」
アレクサはまだ考えたこともなかった。
「私、まだ十年です……」
「アリーは、まだまだ若手ですね」
十年。
自分ではそこそこ長くやってきたつもりだった。
だけど、目の前には四十年選手がいる。
詐欺師の世界にも、化け物というものはいるらしい。
「ちなみに、最初の仕事は何をしたんですか?」
「尼僧でした。今も覚えてます」
「最初から重いな……」
「アリーは?」
「私は男爵令嬢から始めました」
「それは初心者向けですね」
口元に手を当ててくすっと笑うが、可愛いので全然嫌味じゃない。
「あの、今まで何人くらい騙したんですか?」
「さぁ? 数えていません」
まずこの見た目にみんな騙されてるな、きっと……。
「じゃあ、一番長かった仕事は?」
「二十一年です」
「二十一年も何をしてたんですか?」
「良妻賢母を♡」
言いながらイリスは うふふ♡ と可愛く笑った。
やっぱり、この人、怖い。プロだわ。
イリスがくすりと笑った。
「でも、聖女になったのはオーカー様に声をかけられたからなんです」
「どういう経緯で?」
「二年前にこの街へ来たんです。娘が嫁いできたので、幸せかどうかこっそり覗きたかったし」
こっそり、って……あんまり突っ込んで聞かない方が良いかもしれない。
「それで薬草を売って暮らしてたんですけど、たまたま皇帝陛下のお薬を作ることになりまして」
「たまたま?」
「それが、効いてしまったんです」
「効いてしまったんだ……」
「その後から、聖女と呼ばれるようになって。そこでオーカー様と知り合いました」
「それでイリス様は、オーカー卿の計画に乗ったんですね」
「ええ。わたしは政治は詳しくありませんから」
「それ、本当ですか?」
「少なくとも財務は専門外です」
そう言いながら、イリスは肩をすくめた。
年齢に詐欺師歴、良妻賢母に娘に孫の話。そして現役の聖女。
どこまでが本当なのかはわからないが、「財務は専門外」という言葉だけは本当かもしれない。
「オーカー様にカシアス様との婚約のお話をいただいた時、悪くないと思ったんです。殿下には支えが必要で、わたしは自分の目標に近づくために最も便利な地位が与えられる。利害が一致していたんです」
「……オーカー卿の本当の目的は知っていましたか?」
「オーカー様の目的?」
イリスはぱちぱちと瞬いた。
本当に何を聞かれているのかわからないという表情もまたかわいい。やめなさい。
「わたしはオーカー様とは契約関係ではありません」
その言葉に、アレクサは少し驚いた。
詐欺師が契約なしで動く。
少なくともアレクサの身近では、ほとんど聞かない話だった。
「オーカー様も、あの人のやり方でこの国を良くしようとしているんです。アリーは知らないでしょうけれど、この国が二十年以上、戦争や内紛が起こっていないのは、オーカー様の国家戦略のおかげですよ」
かわいい顔なのに言っていることは国家運営の話だ。見た目だけなら二十代前半だけれど、今この人が語っているのは、アレクサの歳では届かない時間だった。
「殿下から聞いたんですが——布告文で、農作税の免除が猶予に書き換えられた話があったんです」
「ええ、知っています」
「あれ、一度だけじゃないですよね?」
イリスの目が聖女ではなく、詐欺師の目になった。
「……そうですね」
「宮廷に入ってから、侍女たちの話を聞いていました。今年も猶予になった村がある、と。それが毎年続いているなら——」
アレクサはイリスの翡翠の瞳の奥をじっと見つめた。
「猶予税は消えません。帳簿の上では資産として計上されていますが、実態は回収不能債権です。しかもこの国の慣例として、新皇帝即位時には前帝代の猶予税の精算が行われる」
イリスは口をつぐんだままだった。
「このまま猶予税が積み上がり続けた場合——誰が即位しても、財務諸表は不良債権を抱えた状態で始まります。農村部からの税収が見込めない中で即位初年度を迎えたら、財政は」
「……破綻しますね」
イリスが静かに言うと腕を組んだ。聖女らしくない、プロの目になっている。
「過去の経験から言うなら、クーデターが起こる可能性もありますね……」
「オーカー卿は数字が読める方です。でも、自分で積み上げた数字の歪みには、気づけない。誰もあの人がやることは間違いないと信じているので、間違いに気づけないんです。詐欺師の世界も似てるじゃないですか。自分が作った嘘は、自分には嘘じゃなくなる」
イリスは何も言わなかった。
だが、組んでいた腕の指先だけが僅かに動いた。
「カシアス殿下がそこまでわかっていたかはわかりませんが、殿下ははじめから猶予ではなく免除しようとしていました。今、猶予税を免除に切り替えることが出来るのは皇太子のカシアス殿下です。財政は一旦苦しくなるけれど、民への約束を守れる。もしこのまま猶予税を資産として精算し続けたら、払えない農村部が出る。そこから崩れます」
高い窓から差し込む光が、テーブルの上をゆっくりと動いていた。
「……わたしは」
イリスがようやく口を開いた。声が、少し低くなっていた。
「わたしも、オーカー様の進める計画が正しいと信じていました。あの方のやり方は間違っていないって」
その声には、自嘲でも怒りでもない何かがあった。ただ、事実を受け取っている声だった。
アレクサは何も言わなかった。言える言葉がなかった。
しばらくして、イリスが笑った。自嘲ではない。静かな、穏やかな笑いだった。
「四十年以上やってきて最後に読み誤るなんて。勘が鈍ったら、もう本当に潮時ですね」
「……先輩、どうするつもりですか」
アレクサが聞いた。「先輩」という言葉が、口から出てから少し驚いた。初めて使った呼び方だった。
イリスは少し首を傾けてにこっと笑った。
「わたしは、このまま自分の目的を遂行するまで、ですよ」
そう言いながら、人差し指を口に当てる。
ちょっと待って、可愛すぎる!
五十三歳でその仕草が似合うのは反則だ。
イリスは聖女の目に戻ってアレクサを見つめてきた。
「でも、アリー。あなたはオーカー卿を探るという依頼は完遂できますよね。殿下との目的は果たして、それで『契約満了』。あなたの感情が、本物になる前に終わらせればいいと思います。本物の詐欺師なら出来ますよね」
あっ、これって、正しく聖女からのありがた~いお言葉だ。
だが、もうアレクサは素直に受け取れなさそうだった。
「詐欺師って便利ですよね。名前を変えて、仕事を変えて、町を変えて。また別の人生を始められるでしょう? だからわたしはこの仕事が好きなんです。じゃあ、そろそろ午後のお勤めがありますので」
さらに、詐欺師の先輩からのありがた~い教訓もくっつけてきた。
イリスはそれだけ言うと、先に接見の間を出ていった。
アレクサは一人取り残されたが、静かな室内でしばらく考えこんでいた。
……どうしてだろう。
今回だけは、詐欺師の『便利さ』を手放したくない気がした。
しばらくすると、大聖堂の正午を告げる鐘が鳴った。
静かだった接見の間にも、低い鐘の音は響いてきた。
接見の間を出ると昼の太陽がまぶしい。
大聖堂の外門をくぐると、城下の店先や露店から食べ物の良い匂いが漂ってくる。
アレクサは立ち止まらなかった。
『契約満了』――その言葉を頭の中で繰り返す。
でも、自分はイリスみたいにはなれないかもしれない……。




