第7話 正論の使い方
翌日の午後、アレクサは大聖堂の東回廊へ向かった。
昨夜、客間の扉の下に差し込まれていた文には、差出人の名はなし。
『大聖堂の東回廊にてお待ちしております』
って、絶対に聖女イリスでしょ!
丸くて小さい、かわいい字。
時間と、場所だけ。(ずいぶん一方的だけど)
うーん、これはちょっと想定外です。
まさか、本当におじ様ファンだったとか?
一体、何の話だろう……。
アレクサは令嬢らしく優雅に歩いていくと、大聖堂の鐘楼が見えてきた。
その姿を見上げながら、アレクサは文を折り畳んで懐にしまった。
✿~~~~~✿
大聖堂の東回廊は、午後の光が差し込む静かな場所だった。
石造りの柱が等間隔に並び、その向こうに中庭が見える。広場の喧騒もここまでは届かず、人気もない。鳥の声だけが、遠くから聞こえている。
その回廊の途中で、イリスが待っていた。
飾りの少ない白い礼服。淡い金色のストレートヘア。回廊の柱に手を添えて、中庭を見ていた。
アレクサの足音が聞こえると振り返ってこちらを向いた。穏やかで、整っていて、読めない顔。だけどやっぱりかわいい。(くやしい)
「聖女様でしたの?」
ちょっと嫌な顔して睨んでおく。
「アレクス様、来てくださってありがとうございます」
「アレクサですわ。どうして私をお呼びに?」
……一応訂正しておいた。
変装に合わせて名前を変えるのは私の矜持なんだけど、どうせわざとなんでしょ。ふんっ。
そして、どうして聖女がアレクサを呼び出すのか、その理由がわからない。
イリスの近くで中庭を見渡すと、イリスは口を開いた。
「正直に申しますと、実は、オーカー様に頼まれたんです。アレクサ様も過去に辛い時期があられたと聞いて。何か相談があれば乗ってあげてほしいと」
そう言って、天使のようににこりと微笑む。天使が微笑むのかどうかはしらないけど。
オーカー卿、あなたはどこまで善良なおじ様なんですか。過去の行いを悔い改めたり、辛かった時期の心の治療とかそういったことなのかな。
それとも花嫁修業の引継ぎみたいな感じ?
二人は並んで中庭を見た。しばらく、どちらも何も言わなかった。
この人は、隣に立ってくれているだけで心が洗われるような気分になる。きっと今までもそうやって人の心に寄り添うことをしてきたのだろうか。
「アレクサ様、何かご不安なことやお困りごとはありませんか?」
「ええ、特には……」
アレクサの返事に、イリスはくすっと微笑んだ。
「それじゃあ、わたしから聞いてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「では。カシアス様のことを、本当に大切に思っていますか?」
面接かな。
「……はい、もちろんです」
「本当に?」
その確認の仕方、一番嫌な感じだ。ただ確認しているだけなんだけど。
「本当です」
イリスはしばらく黙った。それから、静かに続けた。
「オーカー様が、あなたの生まれやご家族について記録がなかったと言ってたんです。——言いづらいこともあると思いますけど、カシアス様を本当に大切に思うなら、あなたの本当の生まれや素性のことを、カシアス様には話していただけますか?」
アレクサは内心で少し笑った。
(これは、余裕だ。だってこの関係は皇太子と詐欺師の契約だから)
「それは、出会ったその日に全て話しています」
イリスが、「あら」と少し驚いた。
大きく見開いた翠の眼がまた可愛い。でも——その瞳の奥で何かが、静かに動いた気がした。
イリスは少しの間黙り込んだ。口元に手を当てて床に目線を落とす。
その動作が完璧すぎて、アレクサは違和を感じた。
この沈黙、情報を整理して、次の手を考えている。
何かを計算している――。
(——おかしい)
警報が鳴った。理由はまだわからないけど。
「……そうなのですね」
イリスが静かに言った。表情は変わらず微笑みのまま。でもさっきまでと、微かに空気が変わった。
「それでも、カシアス様の考えは変わらなかったのですね」
「はい。私のことを必要だと言ってくださって」
(……待って。この人は今、何を確認した?)
アレクサは表情を崩さなかった。だが、頭の中では全速力で考えていた。
「素性を話したか」という質問。そこに「全部話した」と答えた。イリスはそれを聞いて、計算で黙った。
そうか。この人はそれを確認したかったのかもしれない。
知っている、とわかった。だから黙った。
つまり聖女は最初から、アレクサが何者かを疑っていた……?
(……まずい)
「では、次です」
イリスは声も変えず穏やかなまま続けた。
「カシアス様が笑っているところを、見たことがありますか?」
だから、やっぱり面接なの? これ。
「……あります」
そう、青果屋の軒先でアレクサを見つけた時の(超一瞬の)笑顔。飼い主を見つけた大型犬みたいだった。
それと、庭園でもふっと柔らかく微笑んだ。あの時は、何の話をしていたっけ?
「まぁ、そうなのですね」
今度の「そうなのですね」には、何かが滲んでいる気がした。
「わたしには——婚約していた一年間、一度もありませんでした」
イリスは静かにこぼした。
思わずアレクサは口を開いていた。
「聖女様は、殿下のことがお好きだったのですか?」
「婚約者でしたから」
やっぱり優等生の答えだ。アレクサを恨んでいないし、カシアスを責めてもいない。ただ事実を答えただけ。
考えているうちに、次の質問が来た。
「じゃあ、あなたといるカシアス様は、幸せそうですか?」
アレクサは一瞬答えに詰まった。
「……はい」
「そうですか」
イリスは中庭の花壇を見た。
「では、その幸せを——いつまで続けられるか。あなたが一番よくわかっているはずですよね」
これは、反論できないし、反論する気も起きない。――いつまで続けられるかと問われれば、正しくは『契約満了』、その時までだ。
「イリス様は、私に、出て行けとおっしゃっているんですか?」
「いいえ。わたしはそんなことを言える立場ではありません。ただ——」
イリスがアレクサの方を向く。翡翠の瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。
「あなたがカシアス様を本当に大切に思うなら、お聞きしてもよろしいですか」
「……何でしょう」
「もし、この先、カシアス様が皇太子でなくなったとしても」
イリスは静かに続けた。
「あなたは、今と同じようにカシアス様の隣にいますか?」
この質問は恋愛の話ではない、とアレクサは気づいた。
イリスはもう、私の正体に気づいている。だから、私の答えが嘘の可能性も想定しているはず。
ならば、この質問で知りたいのは私の気持ちではない。
私が契約より殿下を選べる人間なのかだ。
もちろん答えは作れた。
でも、ほんの一瞬でも迷った時点で負けだった。
契約だけなら迷わない。
恋だけでも迷わない。
……今の私は、そのどちらでもなくなっている。
イリスはその沈黙を見て、静かに微笑んだ。
「……難しい質問でしたね。ごめんなさい」
謝っている。でもこれは謝罪ではない。
その時、大聖堂の鐘がなった。
「あら。せっかく来ていただいたのに、もう時間のようです」
イリスは踵を返した。白い礼服が、午後の光の中を歩いていく。
アレクサは動けなかった。
イリスが角を曲がる時に振り返らずに——言った。
「——またお話しましょう、アリー」
その背中が、角の向こうに消えた。
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アレクサは回廊に一人残された。
心臓が強く打つのを隠すように、石造りの柱に手を添えた。
(……今、何と言った)
アリー。
その名前を知っているのは、師匠と——師匠から聞いた人間だけだ。
聖女が、その名前を知っているはずがない。
頭の中で、今日の会話を巻き戻す。
最初の質問。「殿下を本当に大切に思っているか」——これは前置きだった。
二番目の質問。「素性を話しているか」——こっちが本命だ。
私は全部話していると答えた。
その瞬間にイリスは気づいたんだ。
カシアスは騙されていない。アレクサの正体を知った上で、詐欺師を側に置いている、と。
『嘘』が嫌いな男が、詐欺師と手を組んでいる。それが何を意味するか——。
あの婚約破棄は、ただの恋愛沙汰ではないと。
(——聖女は、全部気づいた)
詐欺師として、今まで色んな人間を見てきた。嘘をつく人間、騙す人間、演じる人間。その全部が、アレクサの仕事の中にあった。
でも——ここまで完璧な人間を、見たことがない。
(……同業者だ)
確信も証拠もない。だけど、アリーという名前を知っていた。
そして最後にわざわざその名前を呼んだ。
あれは合図だ。「私はあなたが何者か知っている」という。でも証拠は残さずにただ去っていく。
空が橙色に染まる中、アレクサは回廊を真っ直ぐに歩き出した。
(仕事は仕事。情は挟まない)
四回目のそれは、もう声にならなかった。




