第6話 皇太子殿下、私の夫を演じてください
※ここから第6~9話は、完結後に追加した新規エピソードです。第10話以降にも、追加内容に合わせて一部軽微な修正を行っています。
翌日の午後、アレクサは宮廷の西棟にある記録保管室から出てきた。
腕に古い布告文と税務記録の写しを数枚抱えて。どれも正式に持ち出し許可を取ったものだ。
――ということになっている。
正しくは、持ち出し許可を取ったのは一番上の一枚だけで、その下に重ねたものについては、記録官が忙しそうにしていた(?)ので確認を省略してもらった。
つまり、こういうこと。
「こちらの書類も一緒に確認させていただいてよろしいでしょうか?」
アレクサが笑顔でそう尋ねると、露骨に嫌な顔をされた。この人、きっとイリス様のファンなんでしょうね。
記録官はどこの馬の骨かもわからない赤毛の令嬢とは口をききたくもないと言う雰囲気をありありと出して、書類の中身を確認もせず「さっさと行け」と答えた。
だから、許可は得ている。
行ってよし! ってことでしょ?
(『記録』は厄介だけど、『言葉』っていうのは便利よね)
カシアスが聞いたら眉間に深い皺を作りそうだなと考えながら、アレクサは廊下を歩いていた。
宮廷へ潜り込んでから、アレクサは書類と人間の両方を調べている。
1.オーカー卿の名で出された布告文
2.皇太子が署名した原案
3.実際に地方へ送られた通達
それらを見比べると、確かに農作税の『免除』が『猶予』へ書き換えられていた。
だが、アレクサが気になったのは、その後だ。
猶予された税は、帳簿上では消えず翌年へ持ち越される。もしその次の年も不作なら、また持ち越される。
この積み上がった数字は、今はどうなっているんだろう。
実際に回収されているのか。
払えない村は、どう扱われているのか。
その処理によって、誰かが利益を得てはいないか。
そこまで見なければ、オーカー卿の判断が正しかったのか、あるいは別の歪みを生んでいるのかがわからない。
宮廷の数字の記録だけではまだ見えなかった。
しかし、宮廷の記録よりも正直な場所がある。
それは、酒場と賭場と市場だ。
机の前では口を閉ざす人が、酒と金の前では驚くほどよく喋るのをアレクサは知っている。
特に、自分だけが得をしていると思っている人間は。
廊下の角を曲がったところで、アレクサは足を止めた。
前方から歩いてきたのは、痩せた中年の文官だった。
灰色の上着に擦り切れた袖口。抱えている書類は、地方税務局から届いた報告書。
この人物の名は、マルセル・ノール。
宮廷の下級書記官で、地方から送られてきた税務報告を整理する役目のはず。
役職は低くて、給金もそれほど高くない。
だが、アレクサが侍女たちから聞き集めた話によると、マルセルは月に二度ほど、城下の北通りにある高級酒場へ出入りしているらしい。
あそこは、下級書記官の給金で頻繁に行ける店ではないはず……。
しかも、そこで会っているのは、宮廷勤めの者ではなく、穀物商や貸金業者だっていうじゃない。
(税の情報を売っているか、それとも借金でもあるか、ね)
まぁ、どっちでも良いんだけど。
マルセルが地方税務について何を知っているのか。まずは、そこを確かめる必要がある。
マルセルはアレクサに気づくことなく、そのまま廊下の先へ消えていった。
アレクサは抱えていた書類を胸元に寄せ、にこりと笑った。
(いい人見つけた!)
✿~~~~~✿
その日の報告時間。
いつもの客間には、茶と焼き菓子が用意されていた。
今日は薔薇の形をした赤い焼き菓子。表面には砂糖がまぶされてキラキラしている。
見た目があまりにも可愛らしく、アレクサの頬までピンクに染まりそうだった。
しかし、カシアスは一向にそのお菓子には手を出さない。
「殿下? 召し上がらないんですか?」
「私はおやつは食べない」
あ、それ前にも聞いた台詞。本当に食べないんだ。
この赤い色は、もしかすると料理人がアレクサの髪の色 (ウィッグなんだけど)を意識して作ってくれたのかもしれない。もしそうなら、ちょっと嬉しい。
だけど、この偉いお方はそういう所には気が付かない方なのかもしれない。
「殿下。これ、林檎の焼き菓子ですよ? お花じゃないですよ?」
「だから何だ」
「殿下は林檎が好きなんでしょ?」
「好きだとは一度も言っていないが」
アレクサは焼き菓子をひとつ手に取った。砂糖がまぶされた花びらを一枚ほろりと外して、カシアスの口元へ差し出した。
「一口だけでも」
「いらない」
あら。また、きた。
「私からの奢りですよ?」
「……嘘をつくな」
「はい、あーんして」
「話を聞いていたか?」
それでもアレクサが諦めないので、カシアスは少しだけ口を開けた。
アレクサはカシアスの口に焼き菓子の花びら一枚を押し込むと、残りの花びらを丁寧に一枚ずつ外しながら自分も食べた。
カシアスは口を動かしながら、アレクサの食べる様子をじっと見ている。
最後に指についたお砂糖をぴっとなめてしまったのは、お行儀悪かったかな……。それも見られてしまった。
なぜか少し居心地が悪くなり、アレクサは慌てて書類を机に並べた。
「それより、殿下! 今日は面白そうな人を見つけたんです」
「面白そうな人?」
「ええ、下級書記官のマルセル・ノール。地方税務局から届く報告を整理している人物です。彼のことはご存知ですか?」
「いや……」
「それなら、良かった!」
アレクサは椅子に腰を下ろした。
「実は彼、月に二度ほど、北通りの酒場に出入りしているという情報がありまして」
「酒場へ行くことが何か問題なのか?」
「いいえ。でも、街の酒場には格と言うのがありまして、そこの一晩の飲食代は、下級書記官の三日分くらいの給金なんです」
「格……?」とつぶやきながら、カシアスの眉間にはいつもの縦皺が入った。
「……下級書記官の給金はいくらなんだ?」
「一日、銅貨四十枚ほどです。平騎士の日当の半分にも届きません」
その言葉に、カシアスはわずかに目を見開いた。
(あっ、驚いた)
「月に二回……。それで、暮らしていけるのか?」
「んー、普通なら難しいでしょうね。私達は皇族の方と違って、家賃も食費もありますから」
カシアスの顔が難しくなったのを無視して、アレクサは書類を指先で軽く叩いた。
「ですが彼には別の収入があるようなんです。そうでなければ、会っている相手に奢ってもらっているのかもしれません」
「その相手とは誰だ」
「穀物商と貸金業者です」
アレクサは少し身を乗り出した。
「地方税務の情報を扱う書記官としては、ずいぶん都合の良いお友達だと思いません?」
「……証拠はあるのか?」
「まだありません」
「では、まだ疑いにすぎない」
「だ・か・ら! 調べるんですよ!」
カシアスは口を引き結んでアレクサを見た。
これは、まだ悪人だと決めつけるな、と言いたい顔だ。多分ね。
(もう〜。性善説主義の殿下の言いたいことはわかってますってば)
だけど――。
人間は、善人か悪人かの二種類で分けられるほど単純ではないんですよ。
もしかしたら、借金を返すためかもしれないし。
はたまた、病気の家族を養うためかもしれない。
あるいは、本当にただ酒好きだとか、奥様の実家が金持ちなのかもしれない。
まぁ、事情が何であれ、マルセルが地方税務に関する情報を持っている可能性は高い。
今回は、それが重要なのだ。
「確認しておくが、マルセル個人の不正を調べることが、オーカー卿を探ることに繋がるのか?」
「不正をしているかどうかも、まだわかりませんけどね」
「では、なぜマルセルを?」
「オーカー卿が『免除』を『猶予』へ変えたあと、その税務情報が誰に渡り、何に使われているのかを知りたいんです。マルセルは、そこを知っている可能性があります」
「ならば、本人を呼び出して聞けばよい」
……殿下。それ、本気で言ってる?
「あの……殿下に呼び出された下級書記官が、不正があったとして正直に話すと思います?」
「私は、質問に答えるよう命じることができる」
カシアスの真剣な瞳に、思わずため息が出た。
「それで正直に話すとは限りません」
「だが、嘘をつけば罪に問える」
「それは、嘘がばれれば、でしょう?」
カシアスは少し不満そうに胸の前で腕を組んだ。
この人は本当に真正面からしか物事を考えない。
壁があれば扉を探して、扉が閉まっていれば開けるように頼むタイプ。
「では、お前はどのように調べるつもりだ?」
そうですね、私なら窓から入るとか、鍵を盗むとか、中の人間を外へ出すんですけどね。
だから、今回は――。
「相手から話したくなるようにするんです♡」
カシアスの眉間に皺が寄った。
「話したくなる? どうやって?」
「マルセルに、こちらを金になる相手だと思わせるんです」
詐欺師の血が騒ぐ。
アレクサは並べた書類の下から一枚の紙を出し、一番上に乗せた。
そこには、架空の商会名と、架空の領地名が書かれている。
『ローウェン商会』
北部地方を中心に穀物と農地を扱う、新興の商会。
主人は慎重だが、妻は商才があり、地方の税債権を安く買い集めようとしている。
――もちろん、そんな商会は存在しない。
「地方の農作税が猶予になっているとおっしゃってましたよね?」
「ああ」
「その税を払えない農民に代わって、商人が一時的に立て替える。その代わり、収穫物や土地の権利を受け取る。そういう話を持ちかけようと思います」
カシアスの表情がまた険しくなった。
「それでは、農民の土地を奪うことになる」
「まぁ、本当にやれば、そうなんですけどね」
「違うのか?」
「私は詐欺師ですよ。今回の騙す相手は、農民ではなくマルセルです」
アレクサはにっこりと笑った。
「マルセルが具体的にどの村の税が猶予されているかを知っていれば、儲け話に乗ってくるかもしれません。自分の持っている情報を売れば、金になるって思わせるんです」
「だが、知らない相手に簡単に話すとは思えん」
「だからこちらを信用させるんです」
「どうやって?」
「それなりにお金を持っていて、税の仕組みに詳しく、そして宮廷とは無関係の《《夫婦》》なら、警戒は薄くなるでしょう」
カシアスが止まった。
「夫婦?」
「はい♡」
アレクサは両手を机の上で組んで微笑んだ。
そして、すぐに真面目な顔を作る。
「殿下。今度の仕事では、私の夫を演じてください」




