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詐欺師令嬢アレクサは皇太子を騙せない【毎日更新:全11話】  作者: 藤井 紫


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第6話 善人の地図

 宮廷に入って十日が経った。

 朝、アレクサが部屋で温かいスープを口に運んでいると、ノックもそこそこにカシアスが飛び込んできた。

 「恋人の逢瀬」の時間も場所も決めていたのに、完全に我を忘れている。その手に、ぐしゃぐしゃに握りしめられた新聞を見た時点で、アレクサは大体のことを察した。


 カシアスはテーブルの上に新聞を広げて見せてきた。アレクサは紙面を覗き込む。

 三面の下の方だ。でも、見出しはそれなりに大きかった。



『皇太子殿下の新たな婚約者、素性に疑惑  東部辺境の没落貴族の娘か』



 東部辺境の没落貴族。父親の博打による没落。母親の夜逃げ。宮廷に潜り込んだ目的は皇太子への取り入り。聖女を追い出したという「目撃証言」も添えられていた。


 アレクサはその記事に目を通しながら、心の中で採点する。


(ふ~ん、よくある感じ。あんまり面白くないけど、こういう設定が人気なんだ)


 全部嘘だが、でも全部、皆が読みたい物語になっている。


 アレクサが話すより先に、カシアスが口を開いた。


「これは嘘だ!」

「ええ、そうですね」


「東部辺境の没落貴族? 夜逃げ? でたらめだ。誰がこんなものを」

「前にも言いましたけど、宮廷ゴシップはみんな好きなんです。そういうものですよ」


 アレクサは椅子に腰を下ろした。カシアスの眉間に縦皺が刻まれている。いつもより深い。


「そういうもの、とは何だ」

「噂というのは、面白い方向に育ちますから。私との婚約自体が実際嘘ですし、気にしても仕方ないですよ」


 カシアスが止まった。


「……気にしないのか?」

「ええ、私のことは」


「お前の名誉が傷つけられているんだぞ」

「名誉どころか、私はもともと令嬢じゃありませんし」


 言いながら肩をすくめた。

 カシアスはしばらくアレクサを見つめる。何かを言おうとして、やめた。そしてまた言おうとして、やめた。


 何回繰り返すの、この人は……。


「……お前は怒らないのか」


 その声には、怒りと、それとは別の何かが混ざっていた。


 アレクサは少し間を置いた。


「……殿下は怒ってるんですね」

「当然だ。私の婚約者が、根も葉もない話を活字にされたんだぞ」

「まぁ、殿下の怒り具合は顔と態度を見ればわかります。でも、」


 カシアスの眉がぴくりと動いた。


「この記事が本当に言いたいのは、私が何者かってことじゃありません」

「何?」

「殿下が、『そんな女』を選んだってことです」


 部屋が静まり返る。

 アレクサはテーブルの上の新聞を指先で軽く叩く。


「東部辺境の没落貴族でも、夜逃げ娘でも、成り上がりでも何でもいいんです。記事を書いた人たちは、『そんな女を選ぶなんて皇太子は愚かだ』と言いたいんですよ」


 カシアスはずっと黙っている。


「だから傷つけられたのは、私の名誉だけじゃありません」


 アレクサは新聞から目を離した。


「殿下の判断も、殿下の見る目も、殿下の選択も、全部まとめて馬鹿にされているんです」


 カシアスの指が新聞の端をぐしゃりと握った。


「だが、それは事実ではない」

「もちろんです。私達の関係は仕事です」


 アレクサは即答した。


「それに、誰を伴侶に選ぶかなんて、本来は殿下が決めることですから」


 カシアスの眉間のしわが少し緩んだ。


「没落貴族だろうと、商人の娘だろうと、平民だろうと。本当に殿下が選んだ相手なら、他人がとやかく言う話じゃありません」


 二人の間に置かれた新聞を睨みながら、カシアスは黙った。

 その顔を見て、アレクサは少しだけ視線を逸らした。


 嘘を書かれたことに怒ったわけじゃなかった。そんなことには慣れている。

 でも――。

 殿下が選んだ相手は、この程度の女だと言われたような気がして。

 そして、それに腹を立てている自分に気づきたくなかった。



 ✿~~~~~✿



 そして次の日、とうとうオーカー卿からのお呼び出しがかかった。


 文面は丁寧だった。「殿下の婚約者として宮廷に慣れていただくためのご案内を」という名目だ。昼食を共にしたい、と。


 要するに、査問だ。だけど断る理由がない。断ったら逆に怪しい。

 アレクサは「喜んで」と返事を出した。




 食事の間は小さかった。そこは宮廷の公式な食堂ではなく、貴賓用の小部屋のようだ。丸テーブルに向かい合って座る形式で、給仕が二人。


 料理が運ばれてきた。

 美味しそうだった。でも今は味なんてどうでもいい。

 目の前にいるのは、この国で一番信頼されている男なのだから。


 アレクサは完璧に振る舞った。ナイフとフォークの順番、スープの飲み方、パンの千切り方、給仕への目線の向け方。令嬢の作法は体に染み込んでいる。どこで身に付けたものかは別として。


 オーカー卿は穏やかに食事を進めながら、話しかけてきた。宮廷の歴史、季節の行事、殿下の幼少期の話。圧はない。試している雰囲気もない。ただの昼食のように感じられる。


 だからこそ、アレクサは全神経を使っていた。



「ご出身は、東部とお聞きしましたが」

「ええ、まあ」


 ちょうど良いので新聞に書かれたことを利用させてもらおう。

 アレクサの返事に、オーカー卿は穏やかに続けた。


「殿下の婚約者のご家族に対しても、誠実にお付き合いしたいと思いまして。少し確認をさせていただいたのですが」


 アレクサはスプーンを動かしたまま、内心で旗を立てた。


(来た!)


「東部の、該当するお家が見当たらなかったのですよ。記録を調べたのですが」


 そりゃそうだ。ゴシップ記事はそもそも作り話なんだから。


「あら」

 アレクサは少し首を傾けた。これは、聖女の真似をしてみた。うっふふ。


「どちらの記録をお調べになられたんですか?」

「領主府の家名録です」

「それでしたら、載っていないかもしれません」

 アレクサは少し申し訳なさそうに微笑んだ。


「東部は昔の戦火で記録が失われている地域も多いのと、それに——うちは、領主府に記録が残るような立派な家ではなかったので」

「……と、おっしゃいますと」

「……祖父と父が相次いで事業に失敗しまして」


 アレクサはデザートのスプーンを置いた。少しだけ、間を作った。


「その後は妹と二人で転々としておりましたので、どこにも記録は残っていないと思います。村の名前も、正直なところ、あまり思い出したくなくて」


 ここで涙よ。聖女様みたいに。うるうる、って……そんな上手くは出ない。


「それは……ご苦労されましたね」


 オーカー卿の声が、本当に申し訳なさそうだった。善人だ、とアレクサは思った。この人は本当に善い人だ。


「でも、おかげで、世間の厳しさも色々と覚えましたから。人を見る目とか、言葉の裏を読む力とか。そうしないと生きていけない時期もありましたので」

「……そうですか」


「宮廷というのは、外から見ると遠い場所でした。こういうところにいる方々は、最初から全部持っている人間だと思っていましたから」


 オーカー卿はアレクサの嘘を黙って聞いていた。


「だから殿下と出会って——」

 アレクサは少し止まった。


 止まってから、気づいた。

 ここまで口にしたことは全て作り話。嘘だ。

 でも、ここから先は、嘘じゃない。



「——真っ直ぐなところに、惹かれております。最初は、信じられなかったんです。ああいう方が本当にいるんだと思って」



 言葉が口から出てから、アレクサは自分でも少し驚いた。作った話の続きのつもりだったのに、気づいたら本当のことを言っていた。


 オーカー卿はしばらく黙っていた。それから、静かに言った。


「……殿下は、真面目な方です。皇太子という立場では許されないこともたくさんあります」

「はい」

「側にいてくれる方に、あなたの言うように思ってほしいと——きっと思っているかもしれません」


 どこまでも真っ直ぐな、善意の言葉だった。


 アレクサは微笑んだ。令嬢の微笑みで。

「恐れ入ります」

 スプーンを手に取って、デザートの続きを食べた。

 甘かった。必要以上に、甘く感じた。


 デザートの器が下げられた頃、オーカー卿が言った。


「アレクサ嬢は、しっかりした方ですね」

「恐れ入ります」

「作法も、受け答えも。殿下の婚約者として、何も申し分ない」


 オーカー卿は、婚約破棄の時の、あの下品なドレスを色眼鏡で見ることもなかった。


 でもね、この後に「しかし」が来るって、なんとなくわかってる。


「しかし」


 来た!


「お二人ともお若いので仕方ありませんが」

「……はい?」

「宮廷の庭園は、人目の多い場所です」


 アレクサの笑顔が一瞬だけ固まった。


 ――ん? 庭園?


「先日の件です」


(どの件!?)


 オーカー卿は穏やかだった。


「殿下の衣服を脱がせておられた件です」

「ぶっ……!」

 アレクサは危うく紅茶を吹き出すところだった。


「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です……」


(何で知ってるの!? じゃなくて! 待って、何か誤解が)


「私は若い男女のことに口を挟むつもりはありませんが」

「若い男女!?」

「?」

「あっ、い、いえ……」


 あれはボタンの練習だ。

 ただボタンを留める練習をしていただけだ。

 脱がせてないし!!(殿下が自分で脱いだのよ!)

 決してやましいことはない。


 だが説明しようとすると、


『殿下に上着を脱いでいただいて、私が見守りながらボタンを留める練習をしていました』


 とは、ちょっと言い訳としては無理がある。(事実なのに……)


「宮廷には想像力豊かな者もおりますので」

「え、ええ……本当にそうですね……」


 本当にそうですよ! まさか見られていたなんて私としたことが!(冤罪よ~!)


「お気をつけください」

「はい……」


 別にやましいことは何もなかったのに。

 説明すればするほど怪しくなりそうだった。


 だけど、オーカーは責めているわけではないようだ。

 アレクサのことを『殿下が選んだ女』として尊重してくれている気さえする。


 オーカーはしばらくしてからまた話し始めた。


「しかし、」


 こっちが本題のようだ。


「皇太子妃や皇后というのは、心と志、それに作法だけでは務まらないものでしてね」

「はい……」


「国を背負う。民を背負う。殿下を背負う。その重荷が、嬢にはまだ少し——」


 オーカー卿は言葉を選ぶように少し止まった。


「——想像しきれていないのではないか、と心配しているのです。嬢がまだお若いゆえに」


 これって暗に「殿下と別れてくれ」って言ってるんじゃなくて、本当に私のことを心配している声だ。まるで嫁に出す娘を心配しているように。


 アレクサはデザートのスプーンを置いた。


 でもね、()()()()


「オーカー卿」

「はい」


「では、その重荷は——聖女様なら、担えたのですか?」


 食事の間が、静かになった。

 給仕が息をひそめた。窓の外で鳥が鳴いた。


 オーカー卿は、黙った。

 表情も変わらず、言い訳もせず。

 だが、その沈黙は小娘への反論を探している沈黙ではなかった。


 その沈黙の中に、アレクサは答えを見た気がした。


 オーカー卿は聖女を信じているんだと思う。『聖女』という役職を、聖女の意志と同じだと思っていたのかもしれない。国のために動いてくれている。だから重荷を背負って皇后になれる。そう信じていた。

 でも——聖女本人が、その重荷をどう思っていたか。そこまでは、考えていなかったんじゃないかな。


(でも、あの聖女様は多分只者じゃない気がするけど)


 善人は、時々、自分の信じたい綺麗事ばかりを見て、相手の本当の気持ちを見ないから。


 アレクサはもう一度微笑んだ。令嬢の、完璧な微笑みで。


「ごめんなさい。余計なことを申しました」


 カップを手に取って、口に付ける。


 オーカー卿はしばらくして「……そうですね」と言った。その声は、少しだけ、さっきより低かった。


 昼食は和やかに終わった。

 見た目だけは。



 ✿~~~~~✿



 そして夕方、客間でカシアスに報告した。


 オーカー卿との食事の内容を話した。圧のない査定だったこと。「重荷」の話が出たこと。アレクサが切り返したこと。


 カシアスは黙って聞いていた。


「……オーカー卿が黙ったのか」

「ええ」

「それは——」

 カシアスは少し考え間を置いた。


「お前が正しかった、ということだと思う」

「うーん、どうでしょうね。ただ、ちょっと意地が悪かったかもしれません」


 カシアスは答えず、アレクサを見た。


「アル」

「アレクサです」


「今朝のことだが」

「はい」


「……お前が怒らないのは、慣れているからか」


 また、新聞の話だ。アレクサは少し間を置いた。


「慣れているというか、仕事として処理したり、表には出しません」

「……そうか」

「私は詐欺師ですから」


 さらっと言った。カシアスは何も言わなかった。それが答えだとわかっているように。


「でも」


 アレクサは続けた。続けるつもりはなかったのに、口が動いた。


「殿下が怒ってくださったことは、嬉しかったですよ」


 カシアスは何も言わなかった。


「今日の報告は以上です」


 アレクサは立ち上がった。礼をして、扉に向かった。


「アル」

「アレクサですってば」

「明日も頼む」


 アレクサは扉を開ける直前に、一瞬だけ止まった。


「……はい」


 廊下に出て扉を閉めた。

 宮廷の夕暮れが、廊下の窓から差し込んでいた。


(……仕事は仕事。情は挟まない)


 ここに来て三回目。アレクサは気合を入れ直した。

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