表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
詐欺師令嬢アレクサは皇太子を騙せない【毎日更新:全11話】  作者: 藤井 紫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/7

第5話 人の口に戸は立てられぬ

 客間に入ると、カシアスはすでにいた。

 毎日、カシアスに会う(報告する)時間と場所は決まっている。


 単なる恋人たちの逢瀬と思わせる為に、そこには淹れたてのお茶と高そうな菓子の準備までされていた。


 窓の外を見ていた背中が、扉の音に振り返る。相変わらず姿勢が良く、皇族のオーラが醸し出ている。


「殿下、イリス様のことですが」


 アレクサは椅子に腰を下ろしながら、さっきの廊下の出来事を順番に話した。すれ違いの一部始終、その後のオーカー卿との場面。余分なことは言わずに、見たものだけを。


 カシアスは黙って聞いていた。


「……イリスとオーカー卿が、そんな風に親しいとは知らなかったな」

「お互い尊敬も信頼もしている感じでしたが、仕事の枠を越えているようにも感じられました」


 カシアスは腕を組んで考えこんでいる。


 世の中には「おじさん好き」が一定数いるのは知っている。特におじさんが優しげな高位貴族ならなおさらだ。

 さっき目撃したオーカー卿は、まさにその頂点と言える存在だ。

 あの物静かな学者を思わせる佇まい、相手を包み込むような穏やかな瞳と声。あんな極上の『おじ様』に娘のように見つめられたら、そりゃあ聖女様じゃなくてもうっとりするでしょ。

 でも、だからこそ。


(うん、怪しい。完璧すぎて裏があるようにしか見えない)


「オーカー卿は独り身で、家族がいない。ずっとこの皇家の為に身を尽くしてきた男だ」

「だったら、なんでオーカー卿を疑ってるんです?」


「そもそも私とイリスの婚約を進めたのはオーカー卿だ。だから……イリスのことを、そういう目で見ているはずはない」

「でも、イリス様のお気持ちは? なんか婚約破棄で全く落ち込んでないどころか、若干嬉しそうにも見えましたけど」


 カシアスは少し間を置いた。眉間の縦皺が、いつもより深い。


「報告は以上です」

「……ああ」


 それだけ言って、カシアスはまた窓の外を向いた。

 今日の報告はここで終わりだと判断して、アレクサは立ち上がった。


「では——」

「この後、時間はあるか?」


 窓を向いたまま、カシアスが言った。


「……仕事の話ですか?」

「違う」


 アレクサは少し考えた。正確には、考えるふりをした。答えは最初から決まっている。


「……まあ、あるといえばありますが」



 ✿~~~~~✿



 連れて来られたのは、宮廷の東側の端にある中庭だった。

 その場所は人気がなく、使われていなさそうな小さな水路と、手入れの行き届いていない花壇。宮廷の中に、こんな場所があるとは知らなかった。


「……ここは何ですか?」

「昔、母が好んでいた場所だ。母が亡くなってからはこんな状態だが、ここには滅多に人は来ないから、ちょうど良いだろう」


 カシアスは歩きながらそれだけ言った。


 花壇の縁に腰を下ろして、カシアスは空を見上げた。アレクサはその隣に立ったまま、同じ方向を見た。


 雲が多い。でも雨にはならなさそうだ。


「アル」

「アレクサです」


 今は令嬢のドレスを着てるんだから間違わないでほしい。でも、カシアスは聞いてなさそうだ。


「私は、知らないことが多すぎる」

「……それは、靴の値段とかのことですか?」

「それだけではない。上着のボタンを——自分で留めたことがない」


 アレクサはつけまつ毛をぱさぱさと上下させて、少し間を置いた。


「えっ、外すのも?」

「外すのはする」

「……本当に留めたことないんですか?」


 その声音に驚きの色を感じ取ったようで、カシアスが微かに眉を寄せた。


「……笑うか?」

「いえ、笑いませんよ。……そうじゃなくて。『良かった』と思ってるんです」


「良かった? どういう意味だ」

「だって、外せなかったら、将来お妃様にやらせるのかと思って。聖女様に脱がせてもらうつもりだったんですか?」


 カシアスがピタリと止まった。ああ、なんだかカシアスの耳が少し赤く染まっていく。

 アレクサは知らん顔をして目を逸らす。……可愛すぎる。


「……不謹慎なことを言うな」

「あはは! すみません!」


 全然すまなそうではない声でそう言って、アレクサはカシアスの上着を見た。今日は濃紺の上着だ。胸元から腹にかけて、銀のボタンが九つも並んでいる。侍従が毎朝丁寧に留めているのだろう。


「じゃあ、ボタンを留める練習でもします?」

「……ここでか?」

「はい、今ここで。人目につかないならちょうど良いじゃないですか。殿下の周りはいっつも人が居てますからね」


 カシアスはアレクサをじっと見た。アレクサはにこりとした。もしかしたら顔に「ホントに外せるのかな?」と疑っているのが出ていたかもしれない。


 カシアスは上から順番にボタンを外していった。それは慣れた手つきだった。するすると、迷いなく。


「わぁっ、上手上手~♡」

 と、褒めたが、カシアスの顔は不満そうだ。


「……なんだ、その子どもを褒めるような言い方は」


 あっ、ばれてしまった。それなら大人向けで。


「脱ぐのは本当に慣れてますね♡」

「…………」


 ……ちょっと、なんか言ってくださいよ、殿下……。一人で恥ずかしいじゃない。


 高そうなボタンは九つ全部外れた。カシアスは上着を開いたまま、ボタンを見た。

 さあ、練習だとなる前に、少し間があった。


「……留めるのはどこからだ? 上からか? 下からか? 真ん中からか?」

「上からでも下からでも、お好きなところからどうぞ」

「留める順番に決まりはないのか?」

「決まり? そんなの聞いたことないですけど」

「そうか」


 カシアスは上から留めることにしたようだった。一番上のボタンに指をかけて——止まった。


「留めにくいな」

「じゃあ、二番目から先に留めてみたらどうですか?」


 二番目と言う言葉にひっかかったのか、カシアスは少し不貞腐れたような表情でボタンに向き合った。しかし真剣だった。例えるとしたら、まるで国の財務を見るように。


 一つ目が留まる。そのまま二つ、三つと続けていく。だんだん早くなっていく。

 九つ全部、留まった。


「できるじゃないですか」


 アレクサは心から言った。カシアスは自分の胸元を見下ろした。


「……平民は、皆これを自分でやっているのか」

「あ、でも平民の服にはボタンはほとんどついていませんよ」


 カシアスが顔を上げた。


「……ボタンがついていない? どういうことだ?」

「紐で結ぶか、かぶるかです。ボタンは高いんで」


 カシアスはしばらく黙った。また何かを整理している顔だ。


「では、誰かにボタンを留めてもらうというのは——」

「それなりに良い暮らしの人か、特別な日か、ですね」

「特別な日」

「お祭りとか、婚礼とか。良い服を借りてきて。その時は家族に手伝ってもらったりしますよ」


 カシアスはまた黙った。


「……では私は、毎朝特別な日を過ごしているのか」

「あぁ~、そういう言い方もできますね」


「それは——おかしくないか?」

 カシアスは少し眉を寄せた。


「でも、皇族はそういうものでしょう?」

「そういうものだとは思っていたが、平民と変わらないではないか、結局」

「殿下は知らないだけです。皇族と平民は全然違いますよ」

「何が違うんだ」

「そうですね、例えば〜。皇族の方って、国の為に、民の為にって、愛のない結婚をするんでしょう?」


 アレクサはさらっと言った。庶民の、いや、人間の一般論として。


 皇太子は、もともとは国の為に聖女と婚約をしていた。そこに愛はなかったかもしれない。……知らないけど。


「だが、私は解消した。愛と言う名目で」

「じゃあ、本気で探さないといけませんね。愛する方を」


 カシアスが黙った。


 黙り方が、いつもと少し違った。何かを考えている黙り方ではなくて、何かが刺さった時の黙り方だ。アレクサは詐欺師だからその違いがわかる。


「平民は愛で結婚するのか?」

「全員ではないですけどね」


 アレクサの答えに納得がいかないようで、カシアスは腕を組んだ。


「でも、殿下のおっしゃる通り、変わらないといえば変わらないですね。それに、誰かに尽くしたいというのは、身分関係ないですし」

「……誰かに尽くしたい、とは」

「好きな人には、何でもしてあげたくなるじゃないですか」


 アレクサが何気なく言うと、カシアスは声も立てずに、ふっと柔らかく微笑んだ。

 いつも仏頂面な男が、まるで愛おしいものでも見つめるように見せた、初めての無防備な笑顔。

 アレクサは、その顔を見た瞬間に、カッと顔が熱くなって慌てて目を逸らした。


 何、今……笑った?


(……不意打ちはやめてほしい)


 アレクサは花壇の枯れかけた草に視線を落とした。


「アル」

「……アレクサです」

「お前の本当の名前は何だ? どうせ全部偽名なんだろう?」


 カシアスはしばらくアレクサを見ていた。それから——


「いつか、教えろ」

「……業務の都合上、無理です」


 アレクサはバレないように小さく息を吐いた。

 カシアスはもう違う方を見ている。その横顔は、さっきの笑顔とはまるで別人のように、いつもの無表情に戻っていた。


 でも、アレクサは少しだけ気になることがあった。

 この人が立っている位置が、いつの間にか、少し近くなっている、気がする。


 中庭に風が吹き、花壇の枯れかけた草が、揺れた。



 ✿~~~~~✿



 しかし、その庭に二人以外の目があったことを、アレクサもカシアスも気づいていなかった。

 少し離れた回廊の陰から、一人の女官が息をひそめていた。


 見えたのは——皇太子殿下が上着を開けて、赤毛の令嬢と二人きりでいる光景。そこまでだ。


 でも、人の口に戸は立てられない。


 夕方には侍女から侍女へ。夜には文官の耳へ。そして翌朝には——オーカー卿の机の上に、一枚の報告書が置かれることになる。


 曰く、「婚約者の令嬢が、人目のない中庭で殿下の衣服を脱がせていた」と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ