第4話 聖女様 vs 悪役令嬢
アレクサ嬢が婚約者として宮廷に現れたのは、婚約破棄から三日後のこと。
皇太子が用意した馬車で、皇太子が用意した侍女と一緒に宮廷にやってきた。
赤毛のウィッグ。ピンクの瞳。今日のドレスは婚約破棄の日とは違う。衣装のお代は皇太子殿下のツケなので、仕立ても良くて品もある。露出の少ない紫と黒のドレスだ。
あの日の「少し下品」は計算だった。新しい婚約者が聖女より格下に見えるよう、わざとそうしていた。
アレクサ嬢として振る舞うのは、正直それほど苦ではない。令嬢の作法は幼い時に身に着けて体に染み込んでいる。
南向きの部屋を準備してもらい、初日は侍女と一緒に早速宮廷内を見学する。
そして廊下を歩きながら、さりげなく観察する。
どの侍女がどの派閥か。どの文官がオーカー卿に近いか。どこに耳があるか。
歩くだけでで把握できることには限りがあるが、後は夜会でもあれば大体のことは把握できそうだ。
宮廷という場所は詐欺師にとって情報の宝庫だ。
最高に面白い……!
そして、オーカー卿が「この国で一番信頼されている男」であることはすぐにわかった。
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カシアスと約束した客間へ向かい、アレクサが廊下を歩いていると、前方から人がやって来た。
白い礼服。淡い金色のストレートの髪。殿下の依頼で婚約破棄させた『元婚約者』、
聖女イリス――。
正面からすれ違う位置だが、アレクサは歩調を変えなかった。
変えたら負け。こういうのが宮廷での女の戦いだ。
婚約破棄の後、大聖堂に入るときに見た、あの翠の視線の主――。
「あらぁ、聖女様。まだこちらにいらしてたんですか? てっきり傷心で大聖堂にひきこもっておられるのかと」
明らかに悪役っぽい自分の台詞に「アホくさ」と心の中でツッコミを入れながら、長い赤毛を後ろにふわりと流す。
しかし、イリスの方も堂々として歩みを止めなかった。
だけどこの聖女のなんと可憐な事か。さらさらストレートの金髪は歩みに合わせて揺れ、歩くときの小さな靴音さえもかわいい。これでは確かに老若男女が魅了されてしまうのは仕方ない。あー、出来れば自分もこんな可愛らしく生まれたかったものだ。
「えっと確か、アレクシス様……でしたでしょうか?」
澄んだ声でそう言いながら、かすかに首を傾ける。
……なんなの、わざとなの?
アレクサも少し首を傾けて聖女の微笑みの真似をしてみた。
「やだ、アレクサ、ですわ」
「ごめんなさい、アレクサ様」
ちょっと、その『わざとだよ』みたいなかわいい顔はやめなさいよ……。ズルい。
「あの、わたし、カシアス様との、お二人の邪魔は絶対に致しませんので、ご安心くださいませ」
まるで「私はカシアス殿下には全然興味ありませ〜ん」と表現しているような言い草だ。それはそれでムカつくな。なんなの、この子……。
二人はそのままお互いに会釈をした。令嬢と聖女の、礼儀正しい挨拶だ。
それだけで終わるはずだった。なのに。
なのにだ――。
「聖女様」
アレクサが先に声をかけた。おかしい。仕事に情は(以下略)。
「なにか?」
正しく、鈴のなるような声だ。
アレクサは微笑んだ。今度こそ完璧な令嬢の微笑みで。
「婚約破棄の件、大変でしたわね。突然のことで、さぞかし驚かれたでしょう?」
声のトーンはばっちり喧嘩を売る感じで言ってやった。
しかし、聖女の声は穏やかだった。慈悲深く、温かく、どこまでも誠実そうだった。
「ええ、少しだけ。でも、殿下のお気持ちに従うのが、元ですが、婚約者の務めですから」
「ずいぶん落ち着いていらっしゃるのね。私なら婚約破棄された三日後に宮廷へ戻る勇気はありませんわ」
これは本心だ。仕事なら大丈夫だけど、さすがに私でも傷つくわ。
だが――。
「殿下からは、これからも陛下の祈祷をお願いしたいと仰せつかっておりますので」
「は?」
婚約破棄されたのに、普通に仕事続行って……。殿下ー?
「でもわたし、安心しました。殿下がお一人ではなかったから」
イリスは両手を胸の前で合わせていた。感動したような仕草だ。その目には、うっすらと涙さえ浮かんでいるように見えた。
「…………」
「神はきっと、アレクサ様のような方を見ておられます。どうか神のご加護がありますように」
どういう意味に捉えたらいいのか悩みながらも、アレクサは微笑えんだ。
「ありがとうございます、聖女様」
イリスが角を曲がって、見えなくなった。
アレクサはしばらく、その場に立っていた。
……怪しい。
あの涙は何だ……。
両手を合わせるタイミングも完璧だった。声の温度も、目線の角度も、頷き方も。全部計算されている。でも多分、素人には計算に見えないのではないか。
怪しすぎるわ、あの子。ちょっと完璧すぎじゃない……?
聖女ってそんなものなのかな?
だけど、今回の依頼は「オーカー卿を探ること」だ。完璧にふるまうのは詐欺師としての矜持だが、あまり深入りし過ぎないようにしないと……。
そう思い、踵を返そうとして、ふと、足が止まった。
廊下の先、イリスが曲がった角のすぐ手前に、もう一つの影があったのだ。
白髪混じりの髪に、細い銀縁眼鏡。物静かな学者を思わせるその男は――この宮廷で最も信頼されている宰相――オーカー卿、その人だった。
いつの間にそこにいたのか、アレクサはまったく気づいていなかった。
オーカー卿は小脇に書類を抱えたまま、聖女イリスと向き合って立っている。
二人は何かを囁き合っているが、ここからでは内容までは聞き取れない。アレクサは目を凝らし、二人の口元を注視した。
イリスが上品にうふふと微笑みながら、そっと口元を隠す。それに答えて、オーカー卿が優しく目を細めて頷いた。
その様子はとても自然で、穏やかで――まるでとても仲の良い父娘のようにも見える。
やがて二人は揃って廊下の奥へと歩いていき、並んだ背中が角の向こうへ消えた。
アレクサはしばらく動けなかった。
(……なるほど。これは手強そう)
詐欺師として。――面白くなりそうね。




