伯爵家の朝・後編1
長くなりそうなだったので、後編は分けました。
「痛っ?!・・・うぅ・・・。」
「チェルミン様のおっしゃる通り、早く治療をされていれば、今朝は少しは痛みが引いていたと思いますよ。イグナーツ様。」
伯爵家の小部屋で、イグナーツは昨日痛めた右手を、執事のイーストに治療されていた。
執事と言っても、年も近く、幼い時から家にいる為、大人の目のない時は、少しは砕けた口調になる。
「分かっているよ・・・それにしても、チェル姉は、何で分かるんだろう・・・足運びとか、オレ、かなり気を付けてたのに・・・。」
イグナーツは、ポーカーフェイスは得意ではないが、身体の痛み等を隠すのは、得意だと自負していた。
その証拠に、昨夜参加したパーティーで会った友人達にも気付かれなかったうえ、朝、会った、末っ子の双子や長兄にもバレなかったのだ。
しかし、
「チェルミン様は、御姉弟、皆様をよく見ておりますので。」
イーストは、淡々と答える。
「チェル姉には、隠し事が出来ないってことか・・・。」
「そうですね。」
「なぁ、イースト。」
「はい。何でしょうか?」
「チェル姉が男だったらさ、スゴイ騎士になれたよな・・・。」
「我が国で、王立騎士になるのに、性別による差別はありません。ですが、チェルミン様が一番守りたいと思うのは、国では無く、皆様ですので、王立騎士にはならないと、私は思います。」
「・・・そう言われると・・・うん・・・イーストもよく、チェル姉のこと見てるな。」
「私、いえ、私共は、チェルミン様のおかげで、こちら(伯爵家)におりますので。」
「・・・・・・。」
友人同士なら、からかって色恋について聞くが、この忠誠心の塊のような執事には、上手く躱されるのが目に見えている。
イグナーツは、話ながらも手当てを終えているイーストに、これ以上の追及を止めて立ち上がった。
「みんな、ただいま~!・・・あれ?」
小部屋を出てイーストと別れたイグナーツが食堂の扉を開けると、何故か、姉と兄は気まずそうな顔を浮かべていた。
双子にいたっては、エルヴィーネのドレスを掴んで、自分が怒られていた時以上に、長姉の陰に隠れていた。
「皆、どうしたの?」
「イグナーツ、治療は終わったのか?」
「うん。何かあったの?」
「あれを見なさい。」
シュテルンが言う方向を見ると、
「あれって、チェル姉とピクシス兄さん?」
チェルミンが、部屋の隅に長黒髪を襟足の下で無造作に結ったの男性を追い詰めていた。
その表情は険しく、イグナーツの時とは別の意味で、目を吊り上げていた。
「ピクシスお兄様。目の下の隈と、このパサつき光のない髪は、どういうことですか?」
口調は丁寧だが、目が笑っていない。
「一昨日、発売されたミステリー小説を読んでいて・・・。」
「髪を適当に洗い、乾かさ際も、適当になさったと?」
「あぁ・・・。」
「・・・お兄様。」
「!?」
チェルミンの声が一際低くなり、ピクシスは肩を震わせた。
「お忘れですか?数年前の私の誕生日に、『贈り物が決まらなかったから、自分に出来ることで代わりにして欲しい』と言ったことを。」
「そ、それは・・・。」
目を泳がせるピクシス。
その様子から、忘れたわけではなさそうだ。
「そんなお兄様に私は『急病等を除き、お兄様の美しい髪を毎日、私に見せて下さること』を望みました。その時、お兄様からは、『そんなことで良いのか?分かったよ。』と、快諾のご返答をいただきました。それも、お忘れではございませんね。」
「うぅ・・・・・・。」
疑問では無く、断定的に尋ねるチェルミン。
ピクシスは、過去の己の言動に悔むしかない。
「ピクシスお兄様。私は、私は・・・悲しゅうございます・・・。」
チェルミンは、倒れるように床に膝を着き、両の手で己の顔を覆う。
何故か、一瞬辺りが暗くなり、チェルミンの上からスポットライトが当たっているようだ。
「あぁ・・・宵闇のごとき、艶やかでサラサラの絹糸のような美しき黒髪。星の瞬く夜の海を思わせるキューティクル。手に取れば、一本一本が、指をすり抜け、香しき薫りを残す・・・そんな、美しい髪を・・・髪を・・・このような・・・無残な姿に・・・。」
チェルミンは、目じりに涙を溜めながら、ピクシスの髪を指に絡める。
その髪は、パサつき、新聞紙をグシャッと握ったようにゴワゴワしていた。
とても、チェルミンが、褒める髪とは思えない。
「・・・もう、髪をきるか・・・。」
ピクシスは、己の髪に触れ嘆くチェルミンを皆がら、ポツリと呟いた。
「えっ?!」
チェルミンが、勢いよく顔を上げた。
その瞳は見開かれ、指に絡められていた髪の毛が、指をすり抜け、振り子が戻るように、ピクシスの肩に戻っていった。
それと同時に、
「ピクシスっ!?」
「えっ・・・あっ!?」
口を押えたが、もう遅かった。
「髪を・・・切る?カァット・・・?」
ゆらりと、糸に操られた人形のように立ち上がり、顔は、七十五度程に傾け、腕をホタルブクロのように垂れ下げている。
角度のせいで、流している横髪が顔を隠すように被さっているが、ピクシスとはまた違う黒髪の隙間から見える灰色の瞳は、生気を失っていた。
「・・・切る・・・髪・・・を・・・。」
「・・・ちぇ、チェル・・・。」
言葉をか細い声で繰り返すチェルミンが恐ろしくなり、ピクシスは呼ぶが、もちろん返事等あるわけがない。
空気に色が付いていたら、ここはまさしく黒く淀んだ色をしていることだろう。
「ピクシスっ!今すぐ、取り消しなさいっ!!」
「え・・・?」
シュテルンの叫びに、ピクシスは再び固まる。
「ボヤボヤするなっ!チェルを正気に戻せっ!」
「は、はいっ!兄さんっ!ちぇ、チェルっ!じょ、冗談だっ!お前に黙って切ったりしないっ!!」
アーベントに言われ、慌ててチェルミンに叫ぶ。
「・・・・・・本当に?」
「本当だっ!」
「・・・本当に、本当ですか?」
「本当だっ!!今、ここにいる皆の前で誓うっ!!」
「・・・・・・約束でございますよ。ピクシス兄様。」
かなりの前を置いて、チェルミンは元に戻った。
ピクシスが見上げると、先程までの黒くドロドロし、無の灰色の瞳は無かった。
「もし、兄様が、病気や事故以外で勝手に髪を切った場合、私はその髪を全てかき集め、カツラを作り、兄様の髪が元に戻るまで、毎日着けますからね。」
「なっ・・・何もそこまで・・・。」
「私にとって、お兄様の美しい髪を見ることは、至福なのでございます。それを奪おうとすることは、誰であっても許しません。」
「うぅ・・・。」
真顔で言うチェルミンに、ピクシスは何も言えなかった。
「朝食を終わりましたら、お兄様のお部屋に行きますね。そこで、髪を整えます。」
「い、いや、私のことは、侍女達に任せても・・・。」
「ダメです。以前もそう言って、手入れをしないせいで、絡まっていたではないですか。お兄様の美しい髪が雀の巣のようになっている等、考えたくもありませんわ。」
「ピクシス。諦めなさい。」
「チェルちゃんが言い出したら、譲らないのは知っているでしょう?」
「そうそう。チェル姉は、ピクシス兄さんの髪の毛が大好きなんだら、やらせてあげなよ。」
「今回は、お前の落ち度だ。ピクシス。チェルの言う通りにしなさい。」
「うぅ・・・。」
皆は、チェルミンの味方である。
一応、末っ子の双子の方も見たが、エルヴィーネの後ろに隠れてしまい、助けは望めなかった。
「分かった。朝食が終わったら、頼む。」
「はい。お任せ下さい。でも、良かったですわ。そのまま、外に出られなくて。ただでさえ、ピクシスお兄様の朝ばらけ顔は、人を惑わす魅力がございます。その魅力に誘われ、襲われないか心配だったのです。」
「なぜ、私が襲われるんだっ!私は、人のことは気にしないが、そっちの趣味はないっ!」
「あら?複数の異性に襲われることもございますよ?」
首を傾げて、ピクシスに言うチェルミン。
その口元は笑っている。
「やめてくれっ!私は、そういう肉食系の女性は好きじゃないっ!!」
チェルミンの言葉に、全て真面目に返すピクシス。
その姿を見るチェルミンの瞳は、とても楽しそうだ。
「ウフフ・・・冗談ですわ。」
「お前が言うと冗談に聞こえないんだよっ!」
ピクシスは、顔を赤くして叫んでいる。
白い肌に高揚した頬は、緑色の瞳を際立たせた。
「チェルちゃん。ピクシスを、からかったら可哀そうよ。」
「はい。エルヴィーネ姉様。」
仲裁役のエルヴィーネの言葉に、チェルミンは下がる。
「全く・・・。」
「今回は、お前が悪い。」
「兄さん・・・。」
「チェル姉に、口で勝てるわけないんだからさ、諦めなよ。」
「イグナーツまで・・・って、右手どうした?」
ピクシスは、イグナーツが治療に出た後に来た為、事情を知らなかったのだ。
「いやぁ、昨日の鍛錬中にちょっと・・・。」
「気を付けろ。それこそ、チェルが目を吊り上げて怒るぞ。」
「実は、オレも、兄さんが来る前に怒られたばっかり・・・。」
「だろうな・・・。」
「いいか、ピクシスも、イグナーツも、チェルに秘密を持とうとするな。あいつには、千の目に万の耳があると思え。」
「「えっ・・・。」」
「アーベント兄さん、それは流石に・・・。」
「チェル姉は、妖怪じゃないんだから・・・。」
長兄の例えに一瞬固まるも、二人は反論する。
しかし、
「あぁ、精霊でも無いことは私も分かっている。だが、あいつの洞察力は全てを見聞きしているようだからな。」
「それは・・・。」
「うぅ・・・。」
続いた言葉には反論が出来なかった。
考えが読まれることは、もちろん、隠そうとしていたことの殆どは、チェルミンにバレているのだ。
『殆ど』といのは、彼女が敢えて黙っていて関与しなかった事例もあるからである。
「チェル姉様。もう、怒ってない?」
「えぇ、怒っていませんよ。」
「本当ですの?」
「はい。ピクシスお兄様が、約束を守って下さると約束して下さいましたから、もう怒っていません。」
「「良かったぁっ!!」」
長姉の後ろに隠れていた双子と視線を合わせて話すチェルミン。
そうした姿は、『普通』姉弟思いの令嬢であるが、中身を知っている者達からすると、『普通』にしていても、これから何かが起きそうだと思わずにいられなかった。
そんな、チェルミンを横目に見る三人は、つかの間の静けさに息を付いた。
読んでいただき、ありがとうございます。




