五 助走。
基地内が沸き立っている。何があったんだろう。
速水勇夫は部屋の外が慌しく動き出している事を感じていた。
数時間前に鳴った警報と何か関係があるのだろうか。しかし、明らかに空気が変わっている。
勇夫は気になって、部屋のドアを開けた。
「あの、何かあったんですか?」
ドア脇に控えている若い警察官に声をかけた。
「あぁ、勇夫君。僕もまだ詳しくはわからないんだけど、どうやら風向きが変わったみたいだよ」
もう顔なじみになっている警官がそう言った時、瀬里奈の声が響いた。
「勇夫くーん!」
勇夫に走り寄った瀬里奈の顔は珍しく上気していた。その後から金富参尉が歩いてくる。
「どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもないわよ、勇夫君、自由になったの!」
瀬里奈は興奮していたが、勇夫にはまだピンと来なかった。確かに今まで瀬里奈と面会する時は、面会用の部屋でガラス越しの面会だった。だが今はここで直接話している。勇夫は自分の立場に変化が生じていることを感じ始めていた。
「自由……?」
半信半疑で鸚鵡返しにつぶやく。一体何があったというのだ……?
「君への訴えが取り下げられたんだ。つまり、事件そのものが消滅したんだよ。速水君」
そう言ったのは、尾藤警部補だ。尾藤は早足で勇夫に近寄り、一通の書類を見せた。
「この通り、君の勾留は取消された。正式に訴えが取り下げられたのがつい三十分ばかり前だから、裁判所も異例のスピードで対応したとみえるな」
尾藤警部補は晴れやかに笑った。
「急ぐわよ、勇夫君。智美ちゃんと華夕ちゃんがもう出撃しているの」
瀬里奈が急かすように勇夫の肩を叩く。勇夫の表情がさっと変わった。
「倉科が!? ほんとですか瀬里奈さん!」
「我々は止めたんだけどね。Tシリーズのセンサーが必要だろうと言われては返す言葉がなかった」
金富の面持ちは神妙だ。彼としても智美の出撃を手放しで賛成する気にはなれないのだろう。
「だから! あたしたちが助けに行かなきゃ! 合体できるのはあたしたちだけなんだから!」
勇夫はその言葉を最後まで聞かず、走り出していた。
「尾藤さん! 色々お世話になりました! 俺、行ってきます!」
通路の曲がり角で振り返って手を振る勇夫に、尾藤は黙って片手を上げた。
「金富さん、俺たち、出撃しても大丈夫なんですか?」
ドックへ走りながら、勇夫は後についてくる金富に声をかけた。
「あぁ。先ほど、例の特措法が本会議で可決したんだ。御殿場防警大臣がその直後に省令を発行した。後は君たちが辞令を受けるだけだ」
「省令と辞令のファイルは五十畑さんから預かってるわ。大榊さんは出撃しているから、渡してくれって」
――そうか。じゃあ、俺たちはこれで何の気兼ねもなくTシリーズを使えるんだ。守らなきゃならないものを、守れるんだ。
ついさっきまでは、俺は被疑者だった。なんという急転直下の変化だろう。
「……急ぎましょう!」
勇夫はさらに走る速度を上げた。
「か、香川さん、無茶しないでください! 無理ですってば!」
渾身の力でベッドから降りようとする頼造を支えながら、頼造付きの下士官、寺嶋正直航空曹長補は悲痛な声を上げていた。
頼造の身体には全く力が戻っていない。六日間に及ぶ昏睡状態が頼造の筋力を衰えさせ、体重も落としていた。
だが、そのわずかな力を押し返すことができない。頼造の身体を軽々と支えながら、力を以ってベッドへ寝かせることができないのだ。むしろ、じりじりと押されている。
「行かなければならないんだ。私が死ぬためじゃない。誰も死なせないために」
小さな声だったが、言葉ははっきりと意思を示していた。
頼造の開いた目には、枕元に下げられた千羽鶴が見えている。これが、華夕が一生懸命に作ってくれた物である事はわかっていた。
そして、部屋中の壁を彩る無数の鶴。
華夕の健気さに感動した出海が、華夕に内緒で宮司隊の仲間と作っていた千羽鶴。そしてその輪は大榊隊にも広がり、鶴の数は一万を超えていた。
そして。
頼造の手のひらには一羽の折鶴があった。智美が見様見真似で何度も失敗して折り上げた、たった一羽の折鶴。羽が異様に大きく不恰好だったが、それはどこか【トライアイン】に似ていた。
――みんなを、誰一人死なせるわけにはいかない。
頼造はゆっくりとベッドから足を下ろす事に成功した。しかし、立ち上がる力はない。
「頼みます。私を、T1-2へ連れて行って下さい。手さえ動かせれば、音声入力とコンソール操作でサポートくらいはできる。トライアインに合体させる事もできる。
ご迷惑はかけません。死ぬつもりもありません。だから、頼みます……!」
なんという強い目をしているんだ、と寺嶋は思った。身体には全然力が入っていないのに。この気力は何なのだ。
自分が気圧されている事は疑いようもなかった。そして、自分には頼造を止める力がない事も、よくわかっていた。
「……お世話になりました、か」
勇夫たちの姿が見えなくなると、尾藤は少し苦笑してそうつぶやいた。
「これから俺たちが、いやって言うほど世話になるのにな」
そう言って傍らに立つ若い警官に一瞥を寄越す。
「なぁ、どう思う? 今回の件。手続きに則ってたのは間違いねえんだろうけど、なーんか嫌な感じがしねえか?」
若い警官は面食らって、無言で尾藤警部補を見返した。
「あはは、まぁなんも言わんでいい。これは俺の独り言だ。
軍には軍の任務があり、警察には警察の役割がある。目的は同じく、一般の国民を守ることだ。だが、俺たちと軍には明確に境界線がある」
尾藤は一つ一つ、噛み締めるように言った。自分に言い聞かせているようでもあった。
「あいつがこれから背負っていくような事は、警察官の俺には手を出せない事だ。でも、俺たち警察にも、あいつらが手を出せない事に手を突っ込む権限がある。
……今回の件の裏、ちょっくら調べてみる事にするわ。上には内緒で、な」
尾藤は若い警官の肩をぽんぽんっと叩くと、書類の整理をするべく、警察関係者に貸与されていた部屋に向かった。
「警部、お手伝いします」
後を追う若い警官。その顔に何かの決意がこもった光を見て、尾藤は笑みをこぼした。
「その若さで、お前さんも損な性分だな。出世できねえぞ」
「自覚しております」
二人は苦笑い気味に、しかし何かを吹っ切ったような声で笑った。




