四 転回。
「よぉ。おっさん」
頼造の耳に、ぶっきらぼうな声が響いた。隠そうともしていない苛立ちが、頼造の心に直接ぶつかってくるようだった。真島一樹だ。
「てめえ、いつまで寝てんだよ。おい!
あの女も! あのガキも! 出撃したんだとよ、クソ生意気に!」
そんなことはわかっている――。
一樹の言葉は、頼造の心に突き刺さった。自分でもわかりきっている分、深くまで突き刺さった。
「クソっ、この……!」
上半身が浮き上がる感覚があった。胸倉をつかまれているのだ。
「真島君っ!」
鋭い制止の声。頼造付きの下士官だ。頼造を守るため、一樹を抑え込もうとしているようだ。
「おい! おっさん! てめえ何やってんだ! 何やってんだよ!
てめえ、死にたがってたろ。あいつらを守って死のうとしてたんだろ、おい!
だったら! ちゃんと守り切ってから死ね! 途中で投げ出してんじゃねえ!
おい! なんとか言え! なんとか言えよ!
あの女も、あのガキも、大人しく守られてりゃいいんだ。そうだろ!
起きろ! 戦いが終わるまで休んでんじゃねえこのクソオヤジが!」
がくがくと上半身が揺さぶられている。全身に熱風が吹き付けられるような感覚。それは一樹の感情の迸りだ。火傷しそうなほどのその熱い思いを浴びる事は大きな痛みを伴っていたが、それでも頼造にとっては心地よかった。
「真島君! いい加減に……」
下士官がそう言いかけた時。
「いいんだ……」
自分の声を、久しぶりに聞いた。
かすれた声だった。弱々しい響き。だが、二人の動きを止める力はかろうじて宿していた事に、頼造は感謝した。
「か、香川さん……っ!」
下士官が奇跡を見た者の声でつぶやく。同時に一樹が息を飲むのがわかった。
「真島君は何も間違っていない……。すみませんが、身体を起こしてくれませんか」
頼造は目を閉じたままそう言った。まだ身体が思うように動かせない。目を開く事もままならなかった。
「真島君、ありがとう。おかげで、活が入ったみたいだ……」
それでも、喋れる。意識ははっきりしている。周りの人に意思を、心を伝える事ができる。
充分とは言いがたかったが、頼造にとってはとてつもなく大きな第一歩だった。
「……いつまでももたもたしてんじゃねえぞ」
一樹はそういい残すと、頼造の病室を後にした。
あと、やることは一つだ。
一樹はドックに向かいながらめまぐるしく頭を働かせていた。自然、歩速が上がっていく。やる事がはっきりしている分、考える事はむしろその他の事に傾いた。
真っ先に大榊の事が一樹の脳裏に浮かんだ。
あの軍人め、食えない野郎だ。あの女やあのガキを前線に送り出しやがった。どう言い繕おうが同じだ。あいつらの申し出に許可を出すこと自体が、戦争にかり出す事じゃないか。
俺に対しても何かをしろと命令したりはしなかった。俺が何をするのか見透かしてやがるんだ。俺が自分の考えで、自分の責任で行動したという事実があれば、あいつに責任が及ぶことはない。卑怯なやり方だ。
心の中で毒づいている一樹が、それでも全てを放り出す気にならないのは、彼自身の矜持だけではなく、大榊に対する別の解釈が根強く残っているからだ。
確かに現状ではT3-2とT1-1の運用は理に適っている。問題はそれが軍属じゃないという事だ。
あの女も、あのガキも、それを理解した上で最善の方法を取ろうとしている。
大榊が責任の所在をはっきりさせるために出撃命令を出せば、それはたちまち政治問題化してしまうだろう。そうなったら、今後【Tシリーズ】をまともに運用することなど出来なくなってしまう。
そんな事は一樹にもわかりきっていた。
だからと言って……と、一樹の感情は納得する事を拒んでいた。理屈ではない。一樹は自分の感情にも他人の感情にも冷淡なタイプだったし、そう自分でも思って生きてきたが、この理不尽な感情を無視することは出来なかった。
一体なんなんだ、これは。
一樹の苛立ちがますます高まる。
何も俺の思う通りに進みゃしねえ。
一樹はさらに歩速を上げた。自分が出撃していない事が最大のブレーキなのはわかっていた。作戦の遂行も非効率になるし、あのガキを危険に晒してもいる。
俺の思う通りってのは、一体なんなんだ。
思考と感情がシンクロしていないせいで堂々巡りをする思考。やる事ははっきりしていて動き始めてもいるのに、感情がついていっていない。
わかっているのだ。本当は自分がどう感じているか。はっきりとわかっているのだ。
ただ、それを認めることが出来ず、目を反らしているだけなのだ。
だから、矛盾が生じる。
だが、もう認める他はなかった。
放っておくことなど出来ないのだ。危険に晒したくないのだ、絶対に。
守りたいのだ。
あの、ムカつくガキを。
何としても守りたいのだ。
だからこの戦いの中に居づらくさせようとした。逃げ出せばいいと思っていた。出撃を諦めさせようとした。なのにあいつは。
あぁ、イライラする。イライラすんだよ、マジで。
いつしか一樹は走り出していた。




