三 胎動。
決然と歩き去る智美の靴音。
同じ言葉を華夕ちゃんも言っていた。という事は、智美さんも出撃する気なのか。
T1-2が使えないのに。トライアインは使えないのに。
どうして私はこんな時に動けないのだ。何故私は今、みんなの力になることができないのだ。
その時、頼造の心に、天啓のように一つの結論がもたらされた。
――そうか。智美さんの後悔とは。
私が、倒れたことか。
頼造は突然、全身の血液が勢い良く循環を始めたような驚きをもって、その事実を認識した。
華夕がずっと献身的に看病してくれていた事はわかっている。彼女のその献身も、優しさからだけではなく、後悔があったのだろう。大榊壱尉も、責任を感じていたに違いない。基地のスタッフも。
あのおとなしく控え目な智美さんが、ここまでの決意を表すとは。自分が倒れている間の彼女の苦しみはどんなだっただろう。
頼造は、今までの自分が間違っていた事に気付いた。
――死のうと思っては、いけなかったんだ。
誰かを救うために、自分の命を犠牲にしたい。それは自分自身が早く救われたかっただけのエゴではないのか。
自分が倒れたことで、多くの人が苦しみ、後悔している。私も、周りの人間が一人で苦しんで倒れたら、死んだら、どれだけ後悔するだろう。その後悔を、今まさに味わおうとしているのではないのか。
私は、周りの人にそんな後悔をさせるために死のうとしていたのか。
華夕と智美の二人が見せた決意。それは、そんな後悔の果てに私と同じように、自らを犠牲にしてみんなを守ろうとしているのではないのか。
それを、私は黙って見過ごすというのか。
自分の心を覆っていたかさぶたが、ごっそりと落ちたようだった。
「おい、軍人さん。一体どういうつもりなんだ」
大榊の執務室で、一樹は激怒の声を上げた。
「あのガキを一人で出した事もそうだ。
イラつくんだよ、あのガキも、あの女も!
おとなしく引っ込んでりゃいいのに出しゃばりやがって」
噴き出す一樹の激情。大榊は眉一つ動かさずにそれを聞いていた。
「なんとか言えよ。軍人さんよ!」
あまりにも動じない大榊に、一樹は感情の激発を抑えられなかった。
「平気だっつー面だな。くそっ」
一樹の中に無力感、徒労感がうずき始めていた。一樹にとっては慣れ切った感覚であったし、いつもなら「またか」で済ませていたものだ。
しかし今回は違った。自分でも何故こだわるのか、はっきりとはわかっていなかった。
だが、どうしても我慢ならなかったのだ。
「……言いたい事が済んだのなら、引き取って下さい。私には時間がありません」
大榊はゆっくりとそう言って立ち上がった。
「なんだと……」
「私は出来る限りの事をやるだけです。そして、やらなければならない事は必ずやり遂げます。それが軍人の仕事です」
大榊は一樹の横を通り、ドアを開けた。
「もし出来なかったらどうする! あのガキや……」
「やり遂げます。必ず」
大榊は一樹を遮るようにそう言った。
「真島君。君にもわかっているでしょう。では」
大榊は一樹を振り向きもせずに執務室を出て行った。
「畜生っ!」
大榊の背中で、一樹がドアを蹴る音が響いた。
15:00。
筑波方面で戦端が開かれようとしている中、国会前に集まった人々は膨大な数に膨れ上がっていた。
正門の前に詰め掛けたデモ隊は「岐部辞めろ」コールを執拗に繰り返し、巨大な岐部人形を粉砕するデモンストレーションも行われた。
さらにその外側を取り囲む群衆は、通りすがりの者が静かにその様子を見守っているような雰囲気だったが、人数は確実に増えてきていた。
議場では。
与党、野党による賛成討論と反対討論が行われ、いよいよ採決に入ろうとしていた。委員会に続いて本会議にもテレビカメラが入っている。戦端が開かれようとしている緊急時に【牛歩戦術】はあまりにも印象が悪い。野党にとってはなす術もない状況だった。
もっとも、一部の野党議員には意見を賛成に変えた者もいたし、そもそも自らの矜持に従って賛成票を投じようとしていた者もいた。圧倒的な大差で可決することは目に見えていた。
委員会質疑前には否決されるのではないかと囁かれていたことを考えると、信じられない大逆転である。国会前で騒ぐデモ隊との温度差はかなりのものであった。
「市民の声を聞け!」
「民意とかけ離れた採決など無効だ!」
「岐部やめろ!」
デモ隊の声が拡声器によって響き渡る。議場で粛々と行われようとしている採決がとんでもない悪行であると印象付け、自分達の行動を正義の行動であるかのように見せる意図がはっきりと現れていた。
採決の結果は、賛成322、反対29、棄権62。圧倒的可決であった。
その結果は、国会前のデモ隊にももたらされた。
委員会の結果、風向きが変わっていることを薄々感じていたデモ隊にとっても、この結果は納得できるものではない。デモ隊は最後の手段に打って出ようとした。つまり、国会の門を突破して暴動を起こし、この法案が市民から忌み嫌われているという印象を報道させようとしたのだ。
「戦争法反対!」
「岐部軍国政権は退陣しろ!」
デモ隊が国会議事堂の門に殺到しようとした時、背後から怒涛のような歓声が上がった。
それは、デモ隊の背後に集まっていた群集の、快哉を叫ぶ声だった。
委員会中継を見、さらに国会前のデモ隊のニュースを見た近隣の住民や、わざわざ遠くから駆けつけた者など、自然発生的に集まった人々の数は一万人を数えた。
「岐部総理がんばれー!」
「防警軍、ありがとう!」
口々に叫ぶ応援の声。デモ隊が拡声器で増幅した声もかき消される勢いだ。
主催者発表三万人のデモ隊は、一万人にのぼる一般市民の圧倒的な数に飲み込まれ、崩れ去った。




