二 疑問。
あれからどれくらいの時間が経過したのだろう。
頼造は今更のように思った。
上野公園上空での戦闘。最後まで見届けていた。全員無事だったはずだ。
華夕ちゃんは心配してくれただろうな。とても聡明で、心の優しい子だから。
勇夫君や智美さんはほっとしているだろうか。私がいなくなれば智美さんは戦う事が出来ないはずだ。戦わなくて済む、こんな中年と関わる必要もなくなる。
「いえ! ……私は、一人で大丈夫です……」
コンビとしてシミュレータ訓練を行う事を拒絶した智美の声が、未だに心から離れない。
あの年頃の少女が中年の男を毛嫌いするのは無理もない。それが当たり前と言うものだ。もし愛梨が見ず知らずの中年男性に警戒心を抱かなかったら、それは親としては悪夢でしかない。
それでも頼造の心には、智美の鋭い拒絶が突き刺さっていた。
心に刺さったその痛みを慰めるかのように誰かが頼造の身体をさすっている。頼造は不思議な思いでその刺激を感じていた。
精神の動きが活発になっていくに従って、外界の刺激が伝わる量と質は上がっていくようだった。
医療関係者の匂い。紅茶の匂い。腕や脚をさすったり動かしたりしている手の感触。大きな手、柔らかい手、小さな手……。この小さな手は華夕ちゃんだろうな。
身体をさすってくれている手は止まる事がなかった。常に誰かがそばにいてくれている。私の回復を願ってくれている。信じられない事だった。
身体に伝わる暖かさは、心をもぬくもりで満たしていった。感謝があふれた。
この気持ちをどうやって伝えればいいのか。私を気にかけ、心配してくれる全ての人に、感謝の気持ちを伝えたい。
しかし、その方法がなかった。
感謝を伝える力がない。身体を動かすことができない。
心を、気持ちを表現することができないもどかしさが、頼造の心で内圧を高めてきていた。
……カサッ。
胸の上に、何かがのせられた感触が生じた。苦しくなるような重さではないが、しっかりと存在感のある感触。
感触とともに、その音が聞こえたような気がした。
カサッという感触、そして、音。
続いて、かすかに声が聞こえた。
「……行ってきます」
この声は。
頼造の脳裏に今野華夕の小さな姿が浮かんだ時、爆発的に聴覚が蘇ってきた。
真島一樹は、基地内に響き渡る警報によって目を覚ました。夜が明けるまでT3-1のコクピットに籠っていた一樹は、朝方自室に戻るとそのまま昼過ぎまで眠っていたのだ。光が丘の事件以前にはバーテンをやっていた一樹にとって、それは慣れ切ったライフスタイルだった。
一樹はいつものように熱いシャワーを浴びてきっちりと覚醒すると、手早く身支度を整えた。
心がざわついている。苛立ちが止まらない。
この苛立ちは何だ。決まっている。あのガキだ。ガキの癖にいっぱしの大人風の口をきいて、大人のように振舞いやがるあのくそガキだ。
一樹は苛立ちを抑えられぬまま、部屋を出た。自分が何をすべきなのか、全てわかっていた。
聴覚と言うのはとてつもなく大きな情報源だ。
華夕の声を聞いて聴覚が戻ってから数時間で、頼造は現在の状況を概ね把握していた。
筑波基地奪還作戦。勇夫の勾留。Tシリーズの運用もままならない状況での戦い。事態は絶望的だ。
頼造の脳裏に、華夕の小さな声がリフレインしていた。
華夕は「行ってきます」と言っていた。あれは、出撃する前の挨拶だったのだ。そして、先ほど鳴り響いた警報。
あの子に、危険が迫っているのではないか。
頼造の心に華夕を守らなければ、という焦りにも似た感覚が湧き上がってきた。しかし、今の頼造に出来る事は何もない。
ただ、自分が動けない事で、もう一人の少女、倉科智美を戦いに巻き込まずに済む事がせめてもの救いだった。
こんな中年とコンビを組まなければならない不快さに耐えてよく頑張ったと褒めてあげたかった。
自分は死ぬつもりだったんだよ。智美さん。君達を守ることが出来て、そして、君を戦いから解放するためにはそれが一番正しいやり方だったんだ。
こうやって生きているのか死んでいるのかわからない状態になってしまったが、私は戦える状態じゃない。君は解放されたんだよ。
頼造は本気でそう考えていた。
「……聞こえますか? 香川さん」
その時、思いがけない声が聞こえた。
――智美さんの、声……?
頼造には、智美が見舞いに来る事など思いも寄らなかった。彼女の拒絶の声、表情。それしか記憶の中にはなかったのだ。
「私、もう同じ後悔は絶対しません」
智美の声はまだ続いていた。
後悔――。沈痛とも言えるその声。彼女は一体、何を後悔していると言うのだ……?
「だから、お願いです。頑張って下さい。元気になって下さい。お願いです」
感情の波に崩れそうになりながら懸命に語る智美の声が、頼造の心に突き刺さるように響いた。自分の回復を心から望んでくれている智美の心が直接染み込んで来るようだった。
自分が倒れている間に何があったのか。そんな疑問が渦巻いている胸に、何かがそっと乗せられた。
これは、なんだ……?
その時、決意を込めた智美の一言が、頼造の耳に飛び込んだ。
「……じゃあ、行って来ます」




