七 もう一つの母娘。
今野華江が出海曹長補に案内されたのは、華夕の部屋ではなく香川頼造の病室だった。
華夕が何故そこにいるのか、出海から経緯の説明をうけていたが、華江にはどうもピンと来ないものがあった。
華江の知る華夕は、本を読むこと以外、物事に執着する事のない子だったのだ。知り合って間もない中年男性の見舞いにそれほど熱中するという事が信じられなかった。親が体調を崩した時でさえ、的確なアドバイスはするが、必要以上の看病をしてくれた事はなかったのだ。
香川頼造とはどんな人物なのか。
それは華江にとって、娘が戦いに巻き込まれている事と同じくらいの大きな問題だった。
「今野さん、お母様をご案内しました」
出海がドアを開けると、華夕はベッドサイドのテーブルで763羽目の鶴を折っていた。顔を上げ、母親の顔を見ると笑顔で会釈した。
「華夕ちゃん……」
華江が探るように娘の名前を呼ぶ。華夕はまたにっこりと笑顔を返した。
出海はどうにも拭えない違和感を感じていた。華夕の笑顔は自然なものだ。作り笑顔の固さはない。だが、いつも見ている笑顔と異質である事は間違いなかった。実母に対する親密感とも違う。出海にはその違和感の正体、華夕の中にある複雑な思いは想像もつかなかった。
「あ、あの、お茶淹れますね!」
出海は少し慌てて簡易キッチンに入った。
「何を作ってるの?」
華江は華夕の向かいに座った。
「千羽鶴って言うんです。一羽一羽折っていって、千羽作ると病気の人が元気になるんです」
華夕は自分の手元に集中し、母親の顔を見ずに答える。
「私も手伝おうかな。やり方教えてくれる?」
華江が紙に手を伸ばそうとした時、華夕はさっと顔を上げた。
「ダメです!」
意外なほど鋭い声。思わず手を引っ込める華江。こんな華夕を見るのも初めてのことであった。
「……ごめんなさい。こういうのって、一人でやらないとダメみたいで……」
「そ、そう……」
そして、沈黙。
二人とも、今話す必要があるという事は理解しているのだが、どう話していいのかわからなかった。
華夕はこうなるだろうと思っていたが、華江には予想外だった。華夕はいつも素直に話を聞いてくれる子だったからだ。
そう言えば、と華江は気付く。
そう言えばもう随分長いこと、華夕との会話はスケジュールの伝達だけだった。もう随分長いこと「はい」という返事しか聞いていなかった。いつもの笑顔しか見ていなかった。
昔はもっとくるくる表情の変わる子だった気がする。泣いたりわめいたりする事もあったような気がする。でも、華江には、その表情は思い出せなかった。
「……私、帰りません」
鶴を折りながら、顔も上げずぽつりと言う華夕。
「えっ……」
「帰りません。私、まだここでやらなきゃいけないことがあるんです」
華夕は顔を上げず、だがきっぱりと言った。
「香川さんの事……?」
「頼造おじさんの事はもちろんです。でもそれだけじゃありません」
華夕は764羽目を折り終えて顔を上げた。
「それじゃあ、あなたも軍隊に加わるって言うの? そんな事は……」
「私、決めたんです」
華夕の顔は真剣だった。
「でも、あなたは中学生なのよ? 軍隊なんかじゃなくて……」
「ええ。私は中学生です。保護者の同意がないと、私がやらなきゃいけない事も出来ないんです。だから、協力して下さい」
華夕は一歩も引かない。だが、華江としても、自分の、まだ幼いと言っていい年頃の娘を軍に送り出すわけにはいかなかった。
「中学生が軍で何か出来るわけがないでしょう? みんなは学校で部活をしたり友達と……」
「私、ここに来る前から、部活なんかしていませんよ。毎日のように早退して、お仕事をしていました。
……私、ずっと前から、子供じゃなかったんですよ?」
華夕の言葉は静かだったが辛辣だった。
「でも……自分の娘を、戦争に送ることを許すなんて……」
「大丈夫です。その戦いが危険にならないように、みんなが出来るだけ安全でいられるようにするために残るんです。頼まれたり、命令されたりしてるわけじゃないんです。
でも、ここには私を本当に必要としてくれる人がいます。私がやりたいと思ったから、やらなきゃいけないと思ったからここに残るんです」
華夕は饒舌だった。華江は自分の娘がこんなにも喋るところを初めて見たし、考えている事を知るのも初めてだった。返す言葉もなかった。
「親の立場として、許せないというのはわかります。でも、私がやりたい事を認めてもらえないなら……」
華夕は一瞬言葉を切った。
「私は今後、親の庇護下にある普通の中学生として生活していきます。中学校で部活にも入ります。今後、私が就職するまで、一切のお仕事はお断りします」
「でも、それは、戦争のためのお仕事じゃなくて……」
華江は弱々しく反論した。言葉に力がなかった。それは、華夕に収入を頼ってきてしまった後ろめたさと、仕事をやめられてしまうと困るというエゴが存在している自覚がもたらす、自己嫌悪によるものだ。
どうしても娘を戦いに送り出すことはできない。それは愛情からに決まっている。だが、華夕の収入を失いたくないからではないのか、という問いへの明確な答えが出せなかった。
「私がやろうとしていることだって、戦争をするためじゃないんです。始まってしまった戦争を終わらせるためなんですよ。私にとっては同じ事です」
華夕はそこまで言い切ると、書類を一枚とって正方形に切り、鶴を折り始めた。
「生意気な事を言ってごめんなさい。小学二年生のころ東京に行きたいって言った時、もっと前に初めて本をおねだりした時、そのとき以来のわがままだと思って下さい。でも、どっちもいい結果になったでしょう?」
華江の目から涙がこぼれた。自分の娘が遠く離れてしまったような、いや、最初から遠い存在だったような寂寞感が彼女を支配していた。
救いのない事は、それが娘のせいではなく、自分達の自業自得であるという自覚もある事だった。




