九 【敵】。
新暦518年6月4日。
全ての始まりから10日。朝霞分屯基地には不気味な静けさが漂っていた。
いや、物理的な「音」という意味では普段よりも喧騒は激しかったかも知れない。しかし、何事もなく既定の事を進めていくだけの三日間は、嵐の前の静けさのような趣であった。基地内の誰もが、その不気味さを感じながら時間と作業に追われていた。
状況が何も好転しないまま、ゆっくりと時間切れが迫ってくるような、漠然とした危機感が基地内を漂っていた。
通信ユニットの増産と換装だけは順調であると言えた。だが勇夫の取調べは未だ続いていたし、依然として頼造の意識は戻っていない。華夕の千羽鶴は600羽を越えたが、頼造の容態に変化はなかった。とは言え、肉体の衰弱、そして脳細胞への影響も懸念される状況である。基地内の空気が重苦しい、大きな理由の一つであった。
それだけではない。基地の外でも問題が大きく膨れ上がっていた。
【Tシリーズ】パイロット達を守るため、特別立法を国会に提出しようとする岐部総理。そして軍事に関わるさまざまな【疑惑】を徹底的に追求する構えの野党議員たち。その対立は激化し、特別立法の審議など出来る状態ではなかったのだ。
国会前には連日、岐部総理退陣、内閣総辞職を求める市民団体が集まり、デモを繰り返していた。
13:00。
当の国会では、まさに防衛警備委員会が開かれていた。
委員会室の中まではデモの声は届いていなかった。それは防音性能のお陰もあるだろうが、そもそも委員会室の中を飛び交う野次のせいでもあった。
「光が丘及び筑波におけるテロに対する緊急措置法」と名付けられた法案の審議が主な議題として設定されていたが、野党側の質疑は疑惑追及に集中していた。件の法案の事は【軍拡・徴兵法】と呼び、なんとか成立を阻止する構えだ。午後の集中審議は最初から紛糾した。
「本日もまた、5月31日における岐部政権と軍部による暴挙について追求させていただきます」
野党女性議員は敵意のこもる口調でそう切り出した。
「まず御殿場大臣。あの日、戦闘が起きた理由と、何故上野公園という人口も多い市街地での戦闘となったのか、ご説明下さい」
御殿場防警大臣が手を上げて答弁席に立つ。
「えー、お答え致します。5月31日15時30分頃【敵】機が筑波基地を発し、東京方面へ移動を開始。航空師団によるスクランブルを……」
怒号に等しい野次によって答弁が掻き消され、御殿場防警大臣は言葉を切った。
「大臣答弁中です。不規則発言はお控え下さい」
防衛警備委員長がたまらず注意するが野次は全く治まる気配がない。
「そんな事は聞いていません。質問しているのは、何故戦闘が起きたのか。何故それが上野という場所であったのか、という二点だけです。答弁を長引かせず、聞かれた事にだけ答えて下さい」
野次が途切れると、女性議員はすかさず質問を重ねた。
「お答えを致します。繰り返しになる部分がありましたらご容赦下さい。
えーまず、戦闘になった原因でございますが、これは【敵】機が東京方面に侵攻してきたと言う事。それに尽きると思います。
また、何故上野か、という点でございますが、彼我の戦力差等を勘案し、充分な態勢を整える必要がありました事、それに伴う【敵】機の移動、そのような条件が重なり、当該地での戦闘となりました。
出来る限り民間への損害を出さぬよう対応したという事でございますが、被害に遭われた方につきましては、お詫び申し上げたいと、そう思っております」
凄まじい野次が委員会室を満たした。
「あのですね。ここ連日、そのようなごまかしの答弁ばかりで、国民はうんざりしてるんですよ。
実際ですね、戦闘が始まるまで、【敵】とされる機体は何もしていないんです。戦闘行為は一切行っていないんですよ。
防警軍側が無理に戦闘を始めた、手を出した。それが真実なんじゃないんですか?
上野に至るまで引き付けて、国民や国会に恐怖を与えた上で迎撃し、この【軍拡・徴兵法】を正当化しようとしたんじゃないですか?
総理、お答え下さい」
岐部総理大臣はゆっくりと手を上げ、立ち上がった。
「お答えを致します。
まずですね、上野での迎撃となってしまった事については、ここが最終ラインであった事をご理解いただきたいと思います。
その時点で攻撃をしてきていなかったとしてもですね。政治や経済の中枢であり、人口も集中しているこの国会周辺まで【敵】を至らせるわけには行かない。それはですね、あの日、野党議員の皆さんもですね、ここでそう叫んでおられたではありませんか。
もちろん、上野に到達する以前に迎撃できなかったと言う点においてはですね、ご批判も甘んじて受けなくてはなりませんが、ですから、この「光が丘及び筑波におけるテロに対する緊急措置法」を以て、防衛体制を万全にしなければならないと、そういう事でございます」
答弁の最中から野次は怒号と化していた。「議会を脅迫するのか」「軍事独裁化を目指す岐部は退陣しろ」「疑惑をごまかすな」等々……。
「総理、まだ様々な疑惑は全く晴れておりません。総理が【敵】と称する集団の指導者との密約の疑惑もあります。
今回の事態も、日本を軍国化するための狂言なのではないですか?
そのために起きた戦闘に巻き込まれ、家を失い怪我をした方も大勢いらっしゃいます。その方々に対してどう申し開きをするんですか?
罪悪感はないのですか?」
女性議員の声はワントーン跳ね上がった。周囲の議員達の拍手に押されて、調子が上がっているのだ。
「また、多数の目撃情報から、今回の戦闘が、例の新兵器が仕掛けたものである事がはっきりしています。軍属でもない民間人が勝手に戦闘を始め、近隣の住民に被害を出したことで、警察も動いております。
これがシビリアンコントロールされているという、わが国の軍隊の姿なのですか?」
断罪するようにそう言うと女性議員は委員長の方を向いた。
「今般政府から提出されている法案は、即刻廃案にすべきです。今回のような軍国主義的な暴走を続ける岐部内閣には総辞職を要求します。そのためにも、先の上野における戦闘について今後も追及させていただきます。そこで委員長。先の戦闘で被害を受けた方を参考人として招致していただきたいのですが」
委員会室が拍手に包まれた。与党側議員からの野次は完全にかき消されてしまっていた。
「……後刻、理事会で協議致します」
「ありがとうございます。では時間が参りましたので、今一度、軍国主義を復活させようとする岐部内閣退陣を重ねて要求し、私の質疑は終了させていただきます。ありがとうございました」
委員会は散会した。しかし、国会前、そして総理官邸前では市民団体が抗議活動を続けていた。
それは夜を徹し、朝まで続いた。
「地上ってのは、寒い所なんだってな」
彼は暗闇の中で顔を上げた。
「寒いが、空は重くない……か。悪いところじゃなさそうだ」
自分の身体を確かめるようにゆっくりと立ち上がるその機体は、さながら大きな翼を持つ巨人だ。
「新しいフレームってのは気持ちがいいもんだ。快調そのものじゃないか」
彼は周囲を見渡した。暗闇の中でも、彼に付き従う無人機たちの姿が、彼には見えているようだった。
「さぁ、出かけよう。奪われたものを取り戻しに」
彼の眼前で、巨大な扉が開いて行く。
それは、新たな世界への旅立ちであった。
【次回予告】
筑波基地奪還作戦の立案は難航を極めていた。
全てが遅々として進まない中、
【敵】の新たな動きが始まっていた。
上野被害者を参考人として招致した国会。
勇夫の罪状。そして頼造の容態。
山積する問題を抱えながら、軍は華夕の力を借り、
【Tシリーズ】なき作戦を立案した。
次回
第八話 「筑波奪還作戦」




