三 現状はすこぶる悪い。
新暦518年6月1日。
全ての始まりから一週間が経ち、月が替わった。
前日に起きた戦闘は、様々な所に傷を残していた。
市街戦の現場となった上野公園周辺は、人的被害こそごく軽微だったが、建物や施設の被害は大きかった。戦闘区域が極めて限定的だった分、狭い範囲に被害が集中したのである。光が丘の復旧復興が急がれている折、新たな被害地域の復旧に割けるリソースは薄く、完全な復興までには時間がかかるだろうという見立てが支配的だ。
そして、香川頼造の入院。
光が丘の震災時に負った傷の内部に、瓦礫の破片が残留していた。その破片が数日を経て内臓を傷つけたのである。異物の摘出と、損傷した臓器の再建手術は無事成功しているのだが、未だ頼造の意識は戻っていない。出撃など当分無理なのは間違いないところだ。
また、速水勇夫の勾留。
勇夫は上野公園での戦闘を引き起こした張本人として、警察による取調べを受けていた。逮捕状が出されているわけではなく、厳密に言えば勾留ではなかったが、勇夫の行動の自由は制限されていた。軍と警察の交渉により、軍施設の一角を取り調べのために確保し、勇夫にその範囲から出ることを禁じたのである。
当初警察は当然のように任意同行を求めたが、軍としては勇夫がそれに応じることを良しとしなかった。任意同行に応じない事による逮捕状の請求という事態を避けるため、軍は軍基地の中で、警察が勇夫の取調べを行う事を容認したのである。
軍による勇夫の保護は確保されたが、もちろん出撃など望むべくもない。
さらに、軍や政府に対する世論の反発。
首相と【敵】の密約、民間人の戦闘参加、そして不自然な軍用地買収。様々な疑惑が浮かび、新聞やニュースでは政府を糾弾する論調が支配的であった。勇夫達を軍属化させる特別立法など論外とという情勢だ。
大榊壱尉はため息交じりの唸り声を出し、甘い缶コーヒーを一口飲んだ。
ドアがノックされた。
「大尉、金富です」
「入れ」
ドアが開き、入ってきた金富参尉は新聞を数紙、持って来ていた。
「大尉、まずいですよ、これは……」
大榊は差し出された新聞を手に取った。一番上にある【毎朝新聞】一面トップの見出しは【岐部首相、徴兵制への足がかり】。内容は、勇夫達についての特別立法を、徴兵制復活を目論む悪法であると断じ、日本を軍国化させる第一歩だと糾弾するものだ。小見出しには【三つの黒い疑惑】と称し、密約問題、軍用地買収問題、そして謎の機体と民間人の実戦投入問題を挙げている。記事は二面いっぱいまで使い、岐部内閣の退陣を求めていた。
上野公園における戦闘については、三面に取り上げられており、軍が民間人の少年Aを使い、市街地で戦闘を強行したと報じていた。「防衛のための戦闘と言いながら、その手で街を破壊するというのは本末転倒であろう。防警軍の真の目的がどこにあるのか、疑問が投げかけられている」と一方的な論調で締めくくられていた。
他の新聞も似たようなものだった。さすがに一面トップには上野公園の戦闘を取り上げていたが、論調は政府や軍の批判であった。国会で取り上げられた【疑惑】についても、社会面で大きく紙面が割かれている。
唯一、軍に好意的に【市街戦、人命の被害なし】という見出しを打ち、社会面でも野党発言の矛盾に言及したのは【産海新聞】のみだ。
「さすがに自分には打つ手が見つかりませんよ」
金富が嘆息する。
「このまま手をこまねいていたら【敵】の思う壺でしょうに……。現状としては、まず一刻も早く筑波を奪還しなきゃならんわけでしょう? なのに政治ショーで足を引っ張る。なんなんでしょうねこれは」
言ってから金富ははっと口をつぐんだ。大榊の目が厳しく金富を咎めていた。世間の目は以前にも増して厳しくなっているのだ。また基地内から情報がリークされている可能性を考えると、軽はずみな「失言」が容認される状況ではなかった。
「筑波の奪還は急務だ。それは間違いない。だが、彼らの力を借りるわけにはいかないだろうな」
大榊の声は平常そのものだったが、その裏にある気持ちは全くの絶望であった。基地の攻略ともなれば、基地制圧のための地上部隊も必要になる。【敵】戦力が効率的な通信を用いて迅速な戦闘行動を可能にしているのに対し、事前の打ち合わせと発光信号だけが頼りの防警軍では太刀打ちできるわけがなかった。
「大榊ィ、入るぞー」
声がしたときには既にドアが開いていた。
「いくつか報告がある。情勢は厳しいが、だからこそ準備だけは怠るわけにいかんからな。我が整備中隊は至極順調だ」
自慢げにそう言いながら入って来た宮司壱尉は、大榊のデスクにタブレット端末を置いた。【徴兵制への足がかり】という目障りな見出しが隠れる。
宮司の目の下にはくっきりと隈が出来ていたが、大榊は敢えて触れなかった。自愛しろと言って聞く相手ではないし、激務をこなす為の自己管理について、他人にとやかく言われるのを最も嫌う人物である事は大榊にもよくわかっていた。彼自身もそうなのだ。余計な心配は却って失礼にあたる。
大榊は宮司が持ってきた端末を手に取ると、画面には目を落とさず、宮司を見上げた。
「まずは通信ユニットの量産化だが、何とかなりそうだ」
宮司は話し始めた。いつもの事だ。宮司は資料を作っては来るのだが、口で説明する事を好んだし、その方がわかりやすくもあった。口頭の説明を聞いた上で見た方が、資料に記載されている詳細な数字の裏づけも頭に入りやすい。
「実際にもう生産には入っているんだが、いかんせん朝霞の製造能力はたかが知れているからな。全軍に装備させるのは何年先になるかわからんというのが実情だ」
「レーダーやセンサー類は、やはり厳しいですか」
大榊が気になっているのはそこだった。やはり切り札となるのはセンサー類だろう。【トライドライ】程とは言わずとも【Tシリーズ】と同等レベルのセンサーが量産できれば、戦局は大きく変わる。
「厳しいな。正直、現状では無理だ」
宮司の答えは気持ち良いくらい明確だった。




