一 智美の悪夢。
(前回のあらすじ)
【Tシリーズ】のパイロット達は、初陣を勝利で飾った。
だが、彼らを取り巻く状況は過酷さを増して来ていた。
世論を巻き込み、軍への批判を強める野党。
【敵】は再度侵攻を開始するが、
【Tシリーズ】パイロット達は出撃をする事が出来ない。
法的根拠、権限、責任。 勇夫たちはそれでも、出撃をする。
命令違反で戦闘を開始してしまった勇夫は警察に勾留され、
怪我を隠して戦っていた頼造は、意識を失って倒れた。
暗闇の中で智美は一人、震えていた。
光が丘の地下にいた、あの記憶が蘇ってくる。
いや、本当はまだあの地下にいるのではないだろうか。勇夫と共に脱出し、軍に協力して戦った事は夢ではなかったのか。
自分が戦争に巻き込まれるなんて、荒唐無稽な夢に決まっている。そんな事はあるはずがない。だとするならば。
今、ここにこうしているという事は、あの恐ろしい地震だけが現実だという事だ。あのお洒落な紅茶専門店。勇夫に呼び出されて……。
「速水君!」
思わず声が出た。そうだ。あの地震が本物なら、勇夫は。
「速水君、どこ?」
勇夫の返事はない。智美の震えはどんどん大きくなってきた。周囲の静寂は、闇と同じように深い。
「速水君!!」
勇夫を呼ぶ声は絶叫と化していた。それでも勇夫の返事はない。闇は何度も何度も絶叫する智美の声を、反響させることもなく飲み込んでいった。
智美はのろのろと立ち上がった。この場にいる事に耐えられなかった。
ここから出たい。
脅迫的に迫ってくる恐怖。足を踏み出すと何かやわらかい物を踏みつけた。誰かの身体。大地震の犠牲になった……。
土気色になって動かなくなった中年男性の横顔が、智美の脳裏にフラッシュバックした。智美は悲鳴をあげた。
闇を通して回りに転がる死体の大群が見えた。その全てが、同じように土気色をしていた。そして、全てが同じ顔をしていた。
智美は声を上げて走り出した。どこへ向かっているかも解らない。自分が何を叫んでいるかも解らない。足元の死体につまづき、踏みつけながら、息を切らして走り続けた。
断続的な銃声。
背後から智美の腕を、足を、身体を掠める銃弾。
壁に当たる銃弾が、まるで金属の装甲に弾かれるような音を立てる。
智美は苦痛と恐怖におびえ、座り込んだ。頭を抱えて丸くうずくまった。
「助けて……助けて……! 速水君……!」
繰り返しつぶやく智美に向けて、鋭利な刃が突き出してきた。明確な殺意を込めたスピード。避ける術はない。
智美は頭を抱え、絶望の悲鳴を上げた。
ドスッという鈍い音。
肉体が、刺し貫かれる音だ。智美はそろそろと顔を上げた。
智美をかばうように立ちはだかる人影。その人物の脇腹に、その刃は突き刺さっていた。
「速水君!」
智美は叫んだ。自分の身を犠牲にして庇ってくれた懐かしい人。苦痛のうめき声も上げず、智美を守るために立ちはだかっている。その脇腹から、大量の血が吹き出していた。
「速水君……速水君、大丈夫?」
智美はその背にすがった。彼の苦痛を取り除くためなら何でもする、智美はそう思った。
「すまないね、智美さん。私なんだ」
振り返ったのは土気色の顔をした中年男性だった。彼はすまなそうに謝ると、ゆっくりと倒れ、動かなくなった。
智美はもう一度、悲鳴を上げた。
智美は悲鳴を上げながら目覚めた。全身が気味の悪い汗にまみれていた。顔も涙でぐしゃぐしゃだ。
夢の内容ははっきりと覚えていた。覚えている事を恨みたくなる程の悪夢。夢でよかった、と智美は一瞬思った。
だが、それは違った。彼女にとって現実はもっと辛辣だった。
パートナーである頼造の入院。頼造が倒れた時、触れる事すら拒んでしまった自分。応急処置とまでは行かなくても、何かできることはあったはずなのに、何も出来なかった。いや、何もしなかった。見殺しにしたのだ。
私は香川さんを見殺しにしたんだ。
智美の呼吸は浅く、速くなってきていた。
そうだ、速水君は。
智美は勇夫の幻影にすがろうとしていた。眠れなかったあの夜から、毎夜声を聞かせて安心させてくれた勇夫。しかし、昨夜どんな話をして眠らせてくれたのか、思い出すことができない。
突然、飛んでいた記憶が戻ってきた。
頼造の手術は成功したが、意識は戻らず昏睡状態が続いていること。そして。
勇夫の、警察による勾留。
そう。速水君が警察に捕まったと聞いて、息が苦しくなって、そして……。
ぐるぐると考えるうち、智美の呼吸はどんどん速くなっていく。
「倉科さん! 倉科さん、大丈夫?」
ドアを開けて若い女性下士官が飛び込んできた。智美は過呼吸を起こし、失神しかけていた。
「大丈夫、大丈夫よ、智美ちゃん、大丈夫……」
女性下士官は、そっと智美の頭を胸に抱いた。
「安心して。大丈夫だから……ね? ゆっくり、ゆーっくり息を吐いて、ね? 大丈夫だよ……」
呼吸のペースを誘導するようにゆっくりと語りかけながら、彼女は智美の頭を撫でる。
「あ……いなもと……さん……」
智美は、女性下士官のふくよかな胸元から朦朧とした目で見上げた。
稲本と呼ばれた下士官の母性を思わせる優しい丸顔は、智美の気持ちを落ち着かせる作用があった。
彼女の名前は稲本友美。大榊隊所属の士官候補生、20歳の航空曹長補である。名前の読みが同じと言うこともあって智美のサポート役を担当していたが、今の智美には最も適任と言って良かっただろう。
「さ、ゆーっくり深呼吸しよ? 大丈夫、私がいるからね?」
稲本の言葉に素直に従って、智美はゆっくりと深呼吸した。少しずつ、気持ちが落ち着いてくるのがわかる。
「ありがとう……ございます……」
ゆっくりと息を整えるように、智美は感謝を口に出した。稲本はその丸い顔をほころばせ、智美をさらに安心させるように微笑んだ。
「も少し落ち着いたら、お風呂入ろっか。いっぱい汗かいちゃってるもんね」
智美は子供のようにうなずくと、稲本の胸に頭を預けるように、全身の力を抜いた。




