六 進展。
同日23:47。
勇夫は自室でうろうろと歩き回っていた。落ち着かなかった。一人で部屋にいるととたんに襲ってくる恐怖から、今は解放されていた。
【Tシリーズ】端末の画面を何度も確認する。テキスト通信アプリが起動していた。22:19に倉科智美からのメッセージを受信している。その時勇夫たちは談話室にいた。
智美、勇夫、瀬里奈、頼造、そして珍しく華夕。
特に話題があるわけではなかったが、誰もが一人で部屋に戻るのを引き伸ばしていたのだ。
そんな中、同じ談話室にいるはずの智美から来たメッセージ。
『今夜、寝る時電話してもいいかな?』
驚いて智美を見ると、智美は勇夫から目をそらし、端末に目を向けた。
勇夫は慌てて承諾の返事を送ったのだった。
部屋に備え付けられている内線電話が鳴った。
跳ね上がるように鼓動を早める心臓。勇夫は息苦しさすら感じていた。
が、しかし、受話器を取り上げるのは早かった。
「も、もしもし」
からからに渇いた声で呼びかける。
「速水君……?」
受話器の向こうから、緊張した智美の声が聞こえた。
「ごめんね、変なことお願いしちゃって……」
「ぜ、全然大丈夫だよ……あの……」
勇夫は声が震えてしまいそうになるのを必死で抑えた。言葉が途切れた。
智美からの電話。心細そうな智美の声。頼られているという自覚。
勇夫は全身の血が沸騰しそうだった。自分の身体を制御できる自信が全くない。
「迷惑じゃ、ない……?」
「当たり前だろ?」
全く気の利いた事が言えない。頭に血が上ってしまってうまく考えることが出来なかった。
「端末の通信だと、他の人にも繋がっちゃうかも知れなかったから、内線の電話を使ったの」
申し訳なさそうに話す智美の小さな声。勇夫は、自分の心に温かく力強い感情が湧き上がってくるのを感じていた。
「うん。倉科、俺の方は全然大丈夫だから気にするなよ。……いろいろあったし、でも、俺、倉科と一緒にいるから」
智美の言葉に答える返事ではなかったが、勇夫は気持ちを込めて言った。智美を少しでも安心させてやりたい。勇夫自身、部屋に一人でいるのは怖いのだ。智美は尚更だろう。
「昨日は瀬里奈さん、何か都合悪いみたいだったから軍の人に一緒にいてもらったんだけど、いつまでもそんな事してもらうわけにもいかないし……」
智美は言いよどんだ。
瀬里奈はもう一人で眠れるのだろうか。そこが大人と言う事なのか。
勇夫は瀬里奈が大人の女性であることを意識した。タンクトップ姿の多い瀬里奈の曲線。勇夫が今までに接したクラスメートの女の子とは完全に一線を画していた。
【トライツヴァイ】のコクピット内でも、瀬里奈の存在は勇夫にとって好ましかった。瀬里奈には、勇夫を奮い立たせる何かがあった。
そう言えば今日、瀬里奈の横には常に金富がいた。勇夫は突然思い出した。もちろんコクピット内には入ってこなかったが、談話室にあわられた時も、ミーティングの時も、金富は瀬里奈と一緒にいたような気がする。
智美が言いよどんだ理由は、そう言う事なのか。一瞬勇夫の頭に血が上る。心の中にどろどろとした感情が湧いてきた。
しかし、勇夫はその感情を無視する事にした。
瀬里奈と金富がどうだろうと関係ない。むしろそのおかげで智美と話せているのだ。感謝すべきなのかも知れない、と勇夫は思った。
「速水君……?」
黙りこんでしまった勇夫を気にして、智美が恐る恐る問いかけた。その不安そうな声に、勇夫は慌てて答える。
「あぁごめん。……正直言うとさ、俺も一人でいるのってちょっときついんだ。情けないけど。だからほんと、俺も助かるよ、ありがとう」
智美は少しほっとしたように息をついた。
「良かった……」
勇夫は内線電話をベッドサイドの小テーブルに置き、ベッドに腰掛けた。智美が求めているのはどこまでなのか……。安心して眠れるようになるまでおしゃべりしている事なのか。それとも。
電話をつないだまま、一緒に眠る。勇夫はそうしたかった。電話を切った後、一人になることに耐えられなくなりそうだったし、眠る時も一緒にいるという特別な存在になりたかった。しかし、智美はそれを望んでいるのか。
「ね、速水君、ほんとにわがままなんだけど……、怒らないで聞いてくれる?」
「ん? なに?」
勇夫はまた跳ね上がった鼓動を必死で押し隠しながら聞いた。
「私が眠るまで、切らないでいてくれる……?」
電話の向こうで、布が擦れる音がしていた。智美がベッドにもぐりこんでいるのだろう。勇夫はついその姿を想像してしまい、生唾を飲み込んだ。
「も、もちろん。安心して眠って」
「速水君も、眠かったら寝ちゃっていいからね」
智美の言葉は、勇夫が求めていたものだった。二人ともが眠ってしまうまで電話が繋がっているのなら、それはイコール朝起きるまでと言う事になる。言外にある智美の真意を汲み取って、勇夫は幸せと高揚感に包まれた。
倉科の不安は、俺が全部取り去ってやる。
勇夫は電話機をスピーカーモードに切り替えると、ベッドにもぐりこんだ。
もちろん、どう考えても、眠れそうになかった。
数日が何事もなく過ぎ、5月が終わりを迎えようとしていた。
新暦518年5月31日。未だ【敵】の動きは、ない。
軍上層部では、この沈黙を楽観してはいなかった。【敵】が筑波基地で戦力を増強しているというのは衆目の一致するところだ。
だが政府は、防警軍による筑波基地の奪還について慎重であった。攻略の決め手を欠いていたからである。
防警軍が【敵】機動兵器に対抗するためには、【敵】を上回る通信性能が必要であった。【敵】機のAIによる正確で迷いのない攻撃に伍していくためには、【敵】の索敵範囲外から攻撃する必要がある。その索敵方法も、攻撃方法も、今の防警軍にはなかった。
唯一の切り札が【Tシリーズ】だった。
しかし、基地奪還作戦を【Tシリーズ】頼みで行うことは出来ない。基地奪還には、敵戦力の撃破だけではなく、基地の制圧が必要になる。制圧には防警軍の地上部隊が必須だ。
また【Tシリーズ】は素人の民間人である。ハードな作戦となる基地奪還作戦に投入するのはまだ難しいと判断せざるを得なかった。
大榊も宮司も、この判断に異論はなかった。この事件の初期に感じていた上層部への違和感はなくなっている。もう【知らされていない事情】はほとんどないのだろうな、という実感でもあった。
勇夫たちのシミュレーターによる慣熟は順調と言っても良かった。しかし二人の目には、まだ一人前とは言い難いレベルであった。
ただ巻き込まれた被害者である彼らに万一の事があってはならない。
シミュレーションでの慣熟も含め、まだまだ準備は足りなかった。




