(2)
指定された町の裏山は、実は皆人たちの学校からそんなに遠くはない。それこそ、道を選べば、人一人を運んでも誰にも見られることなく辿りつけるようなところだ。
山道を埋め尽くす小枝を踏み荒らし、皆人は一人歩を進める。しばらく無言なまま歩いていると、木々が拓かれ、砂と石の地面が剥き出しの拓けたところにたどり着いた。
「…………ここか」
呼び出された場所に着き、皆人は辺り一帯に聞こえるよう、無感情に、それでいて腹の底から叫んだ。
「おい、出て来いっ。テメェーだろっ。ランキング第89位。黒山悟」
皆人の叫びが木霊し、その後を追うように吹き荒れた強風が木々をざわざわと靡かせる。
「こりゃ、驚いた。ばれてたよ」
皆人の呼びかけに答え、ニット帽を被り眼鏡を掛けた長身痩躯の男が一帯を挿んで反対側の木の一本から、低い笑い声を漏らしながら現れた。
歳は皆人の少し上、二十かそこらといったとこだろう。その肩にキャロルの使い魔の人形を乗せているところを見るに、この男がキャロルのマスターで間違いないようだ。
身体全体に線が細く、顔はこけていて、お世辞にも運動神経がよさそうには思えない。その眼鏡の奥の目は、どこか爬虫類じみいていた。
「いつ分かった?」
それは余裕なのか、下衆な笑いを浮かべる黒山に、皆人は面倒臭げに理由を説明した。
「別に、大したことじゃねぇ。モエモンランクTOP100の中で、持ちモエモンがキャロル。それにコンボカードが《トイ・ボックス》。ついでに、こんな来たねぇ真似使いそうなのは、イカサマで退場になったお前くらいだろ」
「へぇー、よくご存じで。こりゃ、御見それしましたー」
大仰に手を上げてポーズを取る黒山を無視して、イラつく皆人は単刀直入に切り出した。
「おい、剣宮先輩は何処だ?」
「なんだぁ、その口のきき方は。そんな奴には教えてあげないもんねぇー」
断言していい。この男、黒山は一般人にはイラっとする人種だ。皆人の対応は早かった。
「先輩の居場所、教えてください」
馬鹿相手にまともに放しても無駄。皆人が黒山に向けて頭を下げる。
その思惑通り、皆人が頭を下げた瞬間、黒山は子供のように喜んだ。
「ぷ、ぷははははは。ダッセぇー。マッジうける。こんな簡単に頭下げちゃってるよぉー」
ぴょんぴょんと飛び跳ね、指を刺しながら皆人を笑う黒山。当の皆人はそんなことどこ吹く風だ。黙って頭を下げ続けていると、まもなく笑いを収めた黒山が、それでもウズウズと疼く口を手で覆いながら答えた。
「あはははは。あぁー、おもしれぇー。いいや、教えてやんよ。そっち。そっちだよ」
黒山が指さす方に、皆人は身体を起こし目を向ける。
「やっぽぉー。こんにちはー、おにぃーちゃーん」
「…………」
そこには満面の笑みで皆人に手を振るキャロルと、身長差からその腰をキャロルに支えられ、焦点の合っていない目を虚空に向ける剣宮の姿があった。
剣宮の姿を確認し、皆人はその視線を再び黒山へと向ける。
「先輩を解放しろ。一般人を巻き込むのはルール違反のはずだろ」
「はん。そんなルールなんか、僕知らないもんねぇー。第一、お前ムカつくんだよ。僕たちにはモエモンがいるのに、こんな綺麗な彼女なんか作ってさぁ」
先ほどまでとは一転して、黒山が嫉妬の眼を皆人に向ける。
そこがどうにも皆人には納得できなかった。
「一つだけ、訊いていいか?」
「ん。なんだよ?」
「なんで、俺と先輩が彼女なんだ?」
「なんでって。とぼけるなっ、この馬鹿っ」
ジトーっとした嫉妬の眼を放っていた黒山が、何を勘違いしたのかいきなり怒りだした。
「僕は知ってるんだぞ。昨日、おまえこの人と放課後イチャイチャしてただろ」
「……はぁ?」
「お、おまけに。二人でアイスまで食べやがって、僕の見ている前でぇ~」
「お、おい。ちょっと待て。まさか、昨日俺が先輩に付き合わされているの見て、先輩が俺の彼女だと思ったのか」
「ほら、今言った。自分で付き合ってるって言った。この~、馬鹿にしやがってっ!」
一人怒りを膨らませる黒山に対して、皆人は大きな溜息を吐きだした。
一緒に帰ってデートゴッコに付き合わされただけで剣宮と恋人と勘違いされるとは思ってもみなかったし、そんなことで勘違いする黒山に付き合うのが何とも馬鹿らしかった。
「テメェーの頭んの中は小学生かよ」
黒山に聞こえないよう皆人は呟くと、まだ一人文句を言い続ける黒山に向けて叫んだ。
「おい、取りあえず言っとくと、その人は俺の彼女でも何でもない」
「嘘つくなっ!」
「嘘じゃない。本当にその人は……、ただの部活の先輩だ」
「なんだよ、今の間は?」
「いや、……いや、なんでもない」
一瞬、一昨日のことを思い出す皆人だったが、すぐに思い直して現状に集中した。
「とにかく、その人は本当に無関係だ。さっさと解放してくれ。このとおりだ」
再び頭を下げ、皆人が黒山を説得する。だが、今度は黒山もそれでは納得しなかった。
「やっぱり、ヤダねぇー。ただで返してやるもんか」
自分が偉くなったつもりでいるのか、黒山はひどく高飛車だった。
だがそれも皆人の考えのうちだ。ふんぞり返る黒山に、皆人はかなり下手に出た。
「じゃあ、どうすればいい?」
「うぅーん、そうだなぁー……」
わざとらしく腕を組み考える黒山。そのやらしく笑う眼が、皆人の指を捉えた。
「指輪、僕に渡せよ」
「ん?」
「聞こえなかったのか、指輪を僕に渡せって言ってんだよ」
それは、遠回しに皆人にモエモンの舞台から退場しろと言う命令だった。
普通なら、そんな条件飲めるはずがない。そう、普通なら。
「なんだ、そんなことでいいのか」
皆人は黒山の要求をあっさりと飲んだ。
「え? お、おい。ほんとにいいのかよ」
驚く黒山を無視して、皆人は淡々と指から指輪を外し、黒山に向けて投げつけた。
カランっと乾いた音を立てて、指輪が黒山の足下に転がる。
「さぁ、先輩を解放しろ」
まっすぐな、しかしどこか現実味のない目で睨みつけてくる皆人。
それは、人質を取られる被害者の目ではない。しかし、捕食者の目でもない。
本当に、ただただこの場を終わらせたいというだけの不気味な目。
その眼光に気負いされ黒山は一歩たじろいだが、すぐに我を取り戻すと一転して満面の笑みを浮かべ、足下に転がる指輪を一気に踏みつけた。
「あはははは。この、この、このっ!」
ガシャンと鋭い音を響かせ、黒山の靴底に潰された指輪が粉々に砕け散る。
「はぁ、はぁ。……ぐふ」
足を上げてバラバラになった指輪を確認した黒山は、それこそどこかのネジが飛んだかのように、思いっ切り声を上げて笑い出した。
「あは、あはははははは。やったぞー、僕が、僕があの神崎を倒したんだぁーっ!」
子供のようにはしゃぐ黒山。そして、これで皆人が彼に付き合う義理はなくなった。
「おい」
鋭い皆人の声が響き、黒山の耳に突き刺さる。黒山は、以前笑ったままで答えた。
「ああ、そうだった。ごめんごめん、僕は約束は守るよ。キャロル、そいつを放してやれ」
「はぁーい。ご主人様。遅過ぎて、忘れちゃったかと思っちゃったよぉ。お話長すぎぃ~」
「あはははは。ごめんごめん。大丈夫、帰ったらちゃんと可愛がってあげるから」
下卑な笑みを浮かべる黒山に、キャロルは嫌な顔一つせず、むしろ「わぁーい」と喜んで、その手から剣宮を解放した。
「ほら、綺麗なおねぇちゃん。もう、行っていいよ」
キャロルに押され、剣宮がふらふらと皆人の方に歩いてくる。そして、皆人との距離が残り一メートル半を切った、次の瞬間。剣宮の動きが、突然素早いものに変わった。
「くそっ。だろうなっ!」
両手をお腹の前で組んだ前傾姿勢になり、いきなり剣宮が皆人に向けて突進。咄嗟に足を捌き、体をかわす皆人。その制服の腹部の布が、横一文字にぱっくりと切り裂かれる。
剣宮が両手で握る鋭いナイフによるものだ。
「こんのぉ。下衆野郎がぁっ!」
皆人が腹部の切れ込みから、視線を剣宮に移す。
剣宮はやはりどこかフラフラしていて、とても正気の沙汰には見えない。
剣宮の動きを警戒しながら、皆人はゆっくり視線を黒山へ流す。そこには、窒息しそうな勢いで腹を抱えて笑う、デュエルディスクを装着した黒山の姿があった。
「ぎゃははははははははは。ばーか、ばーっか。本当に、指輪を渡すなんて、お前ってホント馬鹿。何が氷心だよ。クール気取ってんじゃねぇーよ」
「あはははは、ホント。おバカなお兄ちゃん」
「何の、カードだ?」
声を揃えて笑う二人に、重々しく問う皆人。その問いに、黒山はあっさりと答えた。
「別にぃー。大したカードじゃないんだけどねぇー。ちょっと、《吸魂》を使って、人形になってもらっただけだからさぁ。いやぁー、でも。僕もね、まさか本当に操れるとは思わなかったんだよ。ほら、知的好奇心てヤツ? いやぁー、僕って天才かなぁー」
「……戻せ」
「へぇ?」
「戻せぇえぇぇぇぇーっ!」
へらへらと笑う黒山の笑い声が止まる。辺り一帯に皆人の怒号が木霊し、山にいた鴉たちが戦々恐々として我先にとその場から逃げ去った。
――な、なんだコイツ
こんな奴知らない。と声にならない空気だけが黒山の口から洩れる。
表情が更に冷たくなった皆人の一言が、黒山の身体を芯から凍りつかせた。
「今なら、まだ許してやる。さっさと先輩を元に戻せ」
今度は怒鳴り声ではない。だが、その言葉は絶対零度の冷気を放っていた。寒気のする身体からどっと汗が噴き出す。そんな情けない状況でも、黒山は精一杯の虚勢を張った。
「は、はははっ。許さないだって? お前、何様のつもりだよ。わかってるのか? お前は、もう指輪を持ってないんだぞ。身の程をわきまえ……ヒぃッ」
黒山の顔が更に凍りつく。ズキンと痛む頬。皆人の投げた石が黒山の頬を掠め、その後ろの木の一本に深深と突き刺さった。
「二度も、同じこと言わせんなよ」
皆人が新たな石を拾い上げる。
しかし、黒山の意識は別の所にあった。ディスクを装着した手を持ち上げ、黒山が自分の頬をなぞる。ヌルッとした感覚。指先を染める真っ赤な血。
「お、おひょっ!?」
奇声を漏らす黒山が、自分の血を目の当たりにしてキレた。
「こ、このクソ野郎がっ。殺っちゃえぇー。キャロルっ!」
口調、いや、人が変ったように狂い叫ぶ黒山。
「はぁーい。ご主人様」
そんなブチ切れるご主人とは対照的に、キャロルが楽しそうにステッキを振るった。
キャロルに操られ、沈黙していた剣宮が再びナイフを握る手に力を込める。正面から斬りかかった剣宮が、ナイフを持つ手を振り上げた。振り下ろされる鈍い銀色の刃。バックステップで刀身を避ける皆人に、剣宮が執拗に追撃を掛ける。
左上から右下へ。逆手に持ち替え、右から左へ。今度は胴体から狙いを逸らし、僅かに遅れた右腕に。腹部の時のような制服だけでなく、その下の皮膚までもが浅くはぎ取られた。皆人の鮮血が制服の生地に真紅の染みを作る。「チッ」と舌を打つ皆人。遠くでその様子を見ている黒山が愉悦の笑みを漏らす。
「ほらほら、まだまだ行くいよぉー」
元気に叫ぶキャロルの声に導かれ、剣宮の動きが加速する。保身を考えず、再び両手でナイフを握り皆人に突っ込む剣宮。足場が悪く、皆人が体勢を崩す。しかし、皆人は焦らず、そして臆することなく剣宮の動きを見切ると握った右拳をナイフの横腹に叩きこんだ。
鈍い金属音を立てナイフが剣宮の手から吹き飛ぶ。
「甘ぇよ」
どんなに鋭利な刃物を持とうと、所詮操られているにすぎない剣宮の動きは皆人にとって大した恐怖ではなかった。得物を無くし動きを止める剣宮から再び黒山に向き直る。
「てめぇじゃ、俺には勝てねぇよ」
短く宣告する皆人。
「甘――――っい」
それは油断以外の何物でもなかった。
「装備カードセット。《ネルフの剣》IN・ドール」
咄嗟に身を捻った皆人の横腹を、灼熱の刃が掠める。焦げ臭い嫌な匂いが鼻を刺した。
「……厄介だな」
静かに剣宮へ向き直り、自分の置かれている立場とは裏腹に冷静に呟く皆人。
低く呻く剣宮が握っているのは、先ほどの鉄切れとは違う、ルーン文字を刻み刀身を赫く染める短剣だった。
「さらに追加してあげるよ。オプションカード《ランクアップ》IN・ドール」
カード効果により、《ネルフの剣》を握る剣宮の身体能力が数段跳ね上がる。
「あはは、レベルアップだ」
まるでゲームでも楽しむように、キャロルが再び剣宮を操り、皆人に強襲を仕掛けた。剣宮が操る《ネルフの剣》が、四方八方から皆人に襲いかかる。速いっ!
「クッソ!」
斬ると同時に傷口を焼かれ、顔に苦悶を刻む皆人。だが、それでも決定打ではなかった。
大きく息を吸い、皆人が酸素で肺を満たす。冷静になれば見切れない速度ではない。
それに、剣道全国大会の猛者たちの魂の籠った打突はこんなものではなかった。
「ふっ……う……くぅ……」
低く呻きながら剣宮の《ネルフの剣》が、連続して虚空を斬る。
格段に速度が上がった剣宮の動きを、皆人は冷静に見切り避け続けた。
「おい、何やってんだ。役立たず。早くそいつをやっつけろ」
「あぁーん、もう。当たらないよぉ、つまんないぃ。もう、このおもちゃやだぁー」
なかなか致命傷を与えられない剣宮に、先に黒山とキャロルの集中力が切れる。
忍耐の足りない今どきの若者を代表する黒山が早々に切り札を切ってきた。
「あぁぁぁー、もう、面倒臭い。それに飽きた。キャロルっ。もう一気に決めるぞ」
「あっ、やるの? あれ使っちゃうの? ご主人様」
「ああ、使うよ。準備するんだ、キャロル」
「はぁーい」
無邪気な笑みを浮かべて、空高く舞い上がるキャロル。
黒山が満面の笑みを浮かべて、新たなカードをデュエルディスクにセットした。
「パペットカード《バルド・ドラゴン・ドール》発動」
「えへへへ、出て来い出て来い、お友達」
楽しそうにステッキを振り、キャロルが上空に亜空間を作り出す。そこから現れたモノに、剣宮の妄執を避ける皆人が目を見開いた。亜空間から飛び出してきたのは、アメリカの漫画に出てきそうな、コミカルさが強調された1/1スケールドラゴンのぬいぐるみだ。
「いっけぇー、バドちゃーん」
「ギャァァァォォォオオ――――」
主の命に答え、真っ赤な布地のドラゴンが雄叫びを上げる。その口腔にエネルギーを集中し、紅蓮の炎を吐き出した。広範囲を包み込む攻撃に、一帯の気温が一気に上昇する。
「やべぇっ!」
さすがに皆人が焦りを口にした。剣宮諸共皆人を飲み込む真っ赤な炎の波が、皆人の上空を埋め尽くす。その上、剣宮も皆人への攻撃を緩めてはいない。
前門の刃、天空の炎。苦渋の選択を迫られる皆人は即座に決断を下す。
皆人は危険を顧みず、大きく《ネルフの剣》を振りかぶった剣宮の懐に潜り込んだ。
「先輩。すみません」
短く謝罪を述べ、《バルド・ドラゴン・ドール》の発動によりキャロルの支配が弱まった剣宮の腹部に皆人は拳をねじ込む。ビクンと震える剣宮。その思った以上に軽い身体を担ぎ上げ、皆人が炎の波の下を皆人が駆け抜ける。まさに滑り込みセーフ。熱風に身体を撫ぜながらも、皆人は間一髪炎の波から離脱した。だが、安心するにはまだ早い。
「あはははは。お兄ちゃん、すごい、すごいでも、これなら、どぉーだぁー」
ステッキを指揮棒代わりに、キャロルが《バルド・ドラゴン・ドール》に指示を送る。キャロルの意思を了解し、再び口腔に炎を蓄える《バルド・ドラゴン・ドール》。口腔の中で臨界点に達した炎が徐々に球体を形作りだした。
「コレ食らったら、さすがに死んじゃうかなぁー? おにいちゃん、がんばってねぇー」
悪魔の指揮に誘われ、すでに鉄をも溶かす温度の火球がドラゴンの口から放たれた。
あまりの温度差に周りの景色がグニャリと歪む。だめだっ! 避けきれないっ!
「…………クソ」
迫り来る死に、皆人が最後の抵抗とばかりにギュッと剣宮の身体を抱き締めた、その時。
「はぁぁぁぁぁぁ――――っ」
鋭い気合が辺りに木霊し、灼熱の火球がその真ん中で真っ二つに立ち切られた。
莫大な熱風を吐き出し火球が爆ぜる。
その燃え盛る大地の真ん中には、漆黒の黒髪を熱風に揺らす一人の少女が立っていた。
「伊吹っ!」
皆人の声に伊吹は振り返らない。
思わず叫んでしまった皆人の次に続く声は、急激にその温度を下げていた。
「……何で来た?」
静かに、推し量るように、皆人が心を殺し伊吹に問う。伊吹は答えない。
そんな伊吹の代わりに、遅れて空から降りてきた九王が問いに答えた。
「へっへっへっへ。俺っちの情報網をなめんなよ」
「ボケ鴉!?」
「まずは、『ありがとう』だろ」
得意げに喉を鳴らす九王。
そんな中、皆人以上に伊吹の登場に驚愕した人物がいた。
「な、なんでまだ具現化してんだよ? お前たちの指輪、僕が粉々に踏んづけたんだぞっ!」
目を見開きながら、黒山がバラバラになって地面にめり込む指輪を確かめる。
そして、ようやく黒山は気がついた。確かに自分は皆人の指輪を壊した。しかし、その指輪は本物かどうかを確かめてはいない。そう。黒山が踏みつぶしたそれは、数日前に皆人がカードを調達した時についでに調達したフェイクの指輪だった。
「か~ん~ざ~きィ~~っ」
「やべ。バレたか」
謀られたことに気づき、血走った目で黒山が皆人を睨み、叫んだ。
「許さない。僕をバカにしやがってぇーっ。キャロル、もう一発だっ!」
「はぁーい、ご主人様」
キャロルが再びステッキを振るい、竜が口腔に込めた二つの炎弾を連続して吐き出した。
「ちくしょう。またかよっ!」
大気を焦がし、酸素を奪い、皆人の叫びを飲み込みながら飛来する炎の礫。
「大丈夫でござるよ」
轟音を吹き晴らす澄んだ一声。その赤き光を瞳に移し、伊吹は構え《睡蓮》を振り下ろす。伊吹は初弾を難なく切り裂いた。だが、次弾に間に合わない。
「逃げろ、伊吹」
冷静な仮面を殴り捨て、皆人が腹の底から叫ぶ。伊吹は、避けない。《睡蓮》構え、真っ向から炎弾に対峙する。被弾。轟音。爆炎。暴風。
「あのバカ。もろにっ!」
炎に包まれた伊吹へ駆け出そうとする皆人を、後ろから九王が三本の脚で引き止めた。
「待てっ!」
「何言ってやがんだ、ボケ鴉」
「俺っちの名前は九王だってつってんだろ。いい加減覚えろ」
「んなことはどうでもいい。とにかく放……」
言葉が止まる。砂塵を巻き上げ地が火に埋め尽くされる中、確かに伊吹は立っていた。
漆黒の髪は無残に焦げ、純白の胴着はボロボロになり、袴も所々火種が付き、煙を上げている。絹のように滑らかで、白魚のように白かった四肢や首筋は熱風に焼かれ赤く腫れ、足元もおぼつかない。それでも、伊吹は倒れることなくそこに立っていた。
「わぁー。おねいちゃん、頑張るねぇー」
「ちっ、しぶといな。それなら、これでどうだ。オプションカード《リニューアル》発動、IN。《リニューアル》の効果により、《バルド・ドラゴン・ドール》の攻撃力は30パーセント上昇する」
《リニューアル》の効果により《バルド・ドラゴン・ドール》の身体がさらに膨張、頭からネジ巻く火色の角を生やし、コミカルだった姿が禍々しくなる。
「やったぁー。ご主人様、太っ腹。よぉーし、行くよスーパーバドちゃん」
「GYAAAAAAAAAA」
主人の命に答え、雄叫びを上げるドラゴン。その凶悪な口腔から、今度は無数の青い炎弾を吐き出された。
「なっ!」
皆人が目を見開く。炎弾の一つ一つはバスケットボール程度だが、そのあまりの数に視界が真っ青に覆い尽くされた。今度こそ本当にヤバい!
「伊吹っ!」
再三にわたって皆人が叫ぶ。しかし、伊吹は逃げない。荒い呼吸を整え、瞳を炯々と輝かせ、その四肢に力を送り、ありったけのエネルギーを爆発させた。
「勝負っ!」
青く染まる空を、伊吹は飛んだ。
《睡蓮》を掬い上げ、眼前に染まる火球を二つに斬り、さらに手首を返し、振り下ろし、足元の火球を叩き落とす。右腕・左足に迫る火球。寸毫の差で間に合った《睡蓮》の刀身に青い火花が爆ぜる。皮膚を炙る火の粉、喉を焼く熱気。下降しながらその勢いを刀に乗せ、下方に飛ぶ三つの火球をまとめて消し去り、着地を狙ったかのように飛んできた火球には、その中心に《睡蓮》の切っ先をねじ込んだ。
圧倒的な剣術を駆使し、伊吹が目に映る火球を片っ端から斬り伏せる。
そんな激戦の中、伊吹の眼が煌めいた。乱れ降る火球の一つが伊吹の火球を掠める。
「ぐぅっ!」
苦痛を飲み込む伊吹。会心の笑みを浮かべる黒山。
対して、皆人は伊吹の狙いに気が付いていた。
――今の被弾、わざか。
皆人の予想通り、伊吹は被弾と引き換えに生まれた火球の綻びに身を投げ出していた。
双脚のバネを開放し、一気にドラゴンの懐に潜り込む。一瞬俄かに見えた好機。
だが、カード効果が付与されたドラゴンはそう容易くなかった。
「残念でしたぁー」
上空でキャロルが笑い、ドラゴンに指示を送る。伊吹の動きはまさに神速。しかし、カードの能力よりカードのコンボが勝るモエモンの勝負においてそれは絶対にはなりえない。
「バドちゃん、必殺バーストテール」
伊吹の目の前でドラゴンが旋回する。ぬいぐるみの布の生地で地面が大きく抉れ、遠心力を伴った巨大なドラゴンの尾が横手から伊吹に激突した。
「ガハッ!」
激しく身体を強打され、圧迫された肺から無理やり空気が押し出される。外皮は布、内部は綿。だが、その圧倒的な質量とスピードを伴ったドラゴンの尾は、華奢な伊吹の体を軽々と吹き飛ばした。
まるでダンプカーに轢かれたかのように吹き飛ばされ、受け身も取れず二・三転しながら伊吹は皆人の目の前に転がった。炎にあぶられ、激しい火傷に負った華奢な身体。純白の胴着は見るも無残に泥と煤にまみれている。
「いぶ……」
駆け寄ろうとする皆人。そんな彼を、スッと持ち上がった伊吹の手が押し留めた。
「ぐ、ううぅぅ。ガッ……んぐぅぅぅ」
口腔から血塊を吐きだし、呻き声を上げる伊吹。だが、伊吹は立ち上がった。傷だらけの足を引きずり、《睡蓮》を杖代わりにし、惨めな格好になりながらも、伊吹は立つ。
そんな伊吹を前に、皆人は思わず叫んだ。
「なんでだっ。なんで逃げねぇんだよっ!?」
ボロボロの伊吹の背中に向けて叫ぶ皆人。その鼓膜を、か細い声が激しく揺さぶった。
「……は、……ない……る」
肺が強打されうまく息ができない、空気が言葉にならない。
伊吹が大きく息を吸い込み、叫んだ。
「拙者は、逃げないでござるっ!」
痛みに涙を流しながら、それでも今度ははっきりと皆人に答えた。
「なに、訳のわからないこ……」
皆人の言葉が途中で止まる。再び口から火炎の礫を吐き出すドラゴン。その標的は皆人に向いていた。
「させるかぁぁぁあああああーっ!」
刃を地面から離し、伊吹がドラゴンに向け構える。
そして、再び火球と対峙する伊吹がその心の内を皆人に向けて吐き出した。
「皆人殿、拙者の体は作られた存在でござる」
上空を駆ける火球を、伊吹が突き上げた《蓮華》で食い止める。
「だが、それがいったいどうしたでござるかっ」
火球が地面を抉り、石の礫が伊吹を殴る。
「拙者の心は、魂は、皆人殿のカードに生み出されたものでござる」
右側に抜けようとする火球を、伊吹が身を呈して受け止める。
「しかし、そのどこに問題があるでござるかっ」
《睡蓮》が弾かれ、火球が次々に伊吹に被弾する。けれど、伊吹は倒れない。
「もう一度言うでござるよ、皆人殿。拙者は逃げない。例えこの肉体が作り物でも、この心が紛い物でも、この魂が偽りだとしても、拙者は拙者。それだけは、だれにも譲らない、誰にも文句は言わせないでござる」
泣きじゃくる寸前の顔で、全てを認め、なおも進もうと伊吹が叫ぶ。
「拙者は、逃げない。だ、だから、皆人殿も前に。拙者と一緒に……」
「んなっ!」
伊吹の言葉、心の内を悟り皆人が大きく見開き伊吹を見る。
「伊吹、おま……」
「皆人殿っ!」
伊吹は振り返らない。顔を涙でクシャクシャにし、それでも誰よりも精悍に前を向く。
「拙者と、拙者と皆人殿に倒せない敵はいないでござる。皆人殿が前を向くならば、拙者が全て切り捨てるでござるっ。それが例え、過去の亡霊だろうともっ!」
――伊吹っ!
皆人の心臓が大きく跳ね、熱いものが体中に迸った。
「あ~、もう。めんどくさいな。バドちゃん、一発でっかいのいくよっ」
「GUYYYYYYYYYYYYYY」
天高く叫ぶ凶竜。その口腔が限界まで広げられ、莫大な炎が蓄えられる。
「いっけぇー」
振り下ろされるステッキに誘われ、万物を溶解する温度までに練り上げられた黒炎弾がドラゴンの口から吐き出された。
「くっ……」
迫りくる黒炎弾を、悲痛な面持ちで伊吹が睨む。そのダメージのエネルギーは完全に伊吹の許容量を超えていた。くらえば消滅は免れない。
とうとう黒炎弾が伊吹たちを飲み込もうとした、まさにその瞬間。
突然、伊吹の眼前でその黒炎弾がはじけ飛んだ。
「えっ?」
「うそっ!?」
「何だっ?」
伊吹、キャロル、黒山、三者三様の驚愕が漏れた。彼らの眼前で火花の吹雪が舞い散る。
時が止まる中で、ただ一人、皆人の時だけが動いていた。
「マジックカード《リフレクトシャッター》」
伊吹の目の前に展開する見えない幕。
「伊吹、まだやれるな?」
「ぁっ……」
何度も聞いたその言葉。だが、そこには今までにない熱が籠っていた。
ザッと音を立て、皆人が伊吹の隣に立つ。
「どうした、伊吹? もう限界か?」
「ぁ……ぃぁ……」
言葉にならない。大粒の涙が零れ、疲労が弾け、嗚咽が漏れ、膝が折れ、腰が落ちる。
そんな伊吹を見て、皆人は笑った。
「まぁいい、少し休んでろ」
優しく、心を込めて伊吹の頭をポンポンと叩く皆人。
ゆっくりと剥がれる氷の仮面。デッキからカードを引き抜く指先。
「久しぶりに……」
言葉の端からが滲み出る覇気。浅い三日月を描く口元。
「……燃えてきた」
皆人のディスクに記されたFPが、青天井に跳ね上がった。




