(2)
辺りはすっかり暗くなり、子供たちの声もなくなった夜の公園。
ギーコ、ギ――コと錆びた音を響かせるブランコにその影はあった。
「なぁ、伊吹。これからどうするよ?」
皆人に内緒で千草が持ってきてくれた夕食を突きながら、九王が伊吹に声を掛ける。
「そりゃ、俺っちだってあんな奴のとこ帰るなんて死んでもごめんだけどよ。なぁ、伊吹」
「…………」
九王に答える訳でもなく、ただただブランコを揺らす伊吹。
昨日皆人の部屋を飛び出してからというもの、伊吹はずっとこの調子だった。
今日の昼に意外にあっけなく千草に見つかったときには少し表情を見せていたが、それ以外ではときどき力なく笑ったり、一転泣いたように顔を歪ませたりするくらいのもので、言葉を発することはほとんどない。反応を返してくれればいくらか手はあるのだろうが、完全に無視され九王はほとほと困り果てていた。
いっそのこと、傘下にした町の鴉を使って皆人に無理やり謝らせようと本気で九王が考え始めた、その時。
「あれっ? 伊吹……さん?」
公園の反対側の暗闇から、二人の重い空気とは対照的な澄んだ声が響いた。
九王以外に名を呼ばれ、伊吹の方も声の方に注意を向ける。
「あっ。やっぱり伊吹さんだ」
暗闇の中から現れたのは、練習帰りなのか弓袋を背負った九王も見覚えのある人物。
「お主は、確か」
「ああ、ごめん。自己紹介がまだだったね。僕の名前は杉里東夜。よろしく」
昨日学校を訪問した際に、皆人が唯一まともに会話していた東夜だった。歩み寄ってきた東夜が伊吹に手を差し伸べる。しかし、伊吹は俯くばかりでその手を取ろうとはしない。
昨日とは違う伊吹に東夜は怪訝な顔をしたが、すぐに何か合点がいったのか、無言のまま柔らかく微笑むと、伊吹に習って空いているもう一つのブランコに腰を落ち着かせた。
「皆人と、何かあった?」
核心を突く東夜の言葉に、伊吹の肩がビクンと震える。
その反応を見て東夜は、若干呆れたように笑いながら「はぁ、やっぱり」と一言。
それ以上の言葉を東夜は続けなかった。
月明かりが眩い夜空を、黙ったまま眺める東夜。電燈に照らされる足下を、黙したまま眺める伊吹。柔らかな風が二人の頬を撫で前髪を攫う。
それは東夜という人間の人柄とでも言えば良いのだろうか。彼がいるだけで辺りの空気がほんの少しだけ、しかし確実に緩む。
刻々と時を刻む公園の中央に据えられた花時計。
「拙者は、お節介だったでござろうか?」
カチカチというその音に混じって、いつの間にかポツリポツリと昨日の出来事を一人言のように伊吹は話し始めていた。九王の能力で、モエモンの実験の話は省略したが、その他のことは全部自分で、それこそ皆人にも言っていないようなことまで話した。
学校に行ったのは、本当はただ皆人に会いにたかっただけであること。カードゲームで歴戦を重ねたとはいえ、キャロルと戦った時、本当は不安でたまらなかったということ。皆人との手合わせでその心の翳に気が付いて、皆人の力になりたいと思ったこと。
そして、皆人に「人間じゃない」と言われて、本当に悲しかったこと。
隠さず、全てを出し切った伊吹。
「これは独り言なんだけどね」
今度は、東夜が口を開いた。
「皆人ってさ、本当は…………すっっっっっっごい、馬鹿なんだよ」
ゆっくりと語りは始める東夜へ伊吹が顔を傾ける。
東夜は知的な顔を崩して子供のように笑っていた。
「ああいうのを感情直行型って言うのかな。人一倍しゃべるし、よく動く。それでいて妙に真面目だし、お人好し。笑ったり怒ったり、泣いたり楽しんだり。見てるこっちが楽しくなる。僕の、僕たちが好きな皆人はそういう奴だったよ」
「それは真でござるか」
「うん、ホント」
「信じらんねぇな」
「ホントだってば、カラス君」
「俺様は九王だ」
自分に視線向ける二人に東夜が微笑む。
少し顔を赤らめた伊吹に、東夜は更に笑みを濃くして続けた。
「一年……いや、あれは夏の大会だからまだ半年かな。――皆人が剣道で全国大会優勝した話は、もう剣宮先輩から聞いたんだよね?」
「うぬ」
「じゃあ、その全国大会の後に皆人がリンチを受けたって言う話は聞いてる?」
「ぇっ?」
微笑んだままあっけらかんと言う東夜に、伊吹が聞き間違いじゃないかと目を丸くした。
「まぁ、返り討だったけどね」
さらっと話を続ける東夜。どうやら、嘘ではないようだ。
「皆人ってば、昔はさっき言ったような性格で血の気も多かったからね。味方も多いけど、その分、敵も多い。皆人にリンチを仕掛けたのは、当時この辺を縄張りにしていた魔流血ー頭っでいう不良グループさ」
「頭の悪そうなチーム名だな」
「うんうん、僕もそう思う」
きっぱりと言う九王に、東夜が笑って頷く。
その最中、伊吹は俄かに眼を見開いていた。皆人を襲った不良グループの名を伊吹は知っている。数日前。もがくように眠っていた時に皆人が呟いた言葉だ。
「―――では、皆人殿はその件が原因で剣道部を退部させられた、と言うことでござるか」
伊吹の言葉に熱が籠る。それとは対照的に東夜は静かに首を横に振った。
「いや、そうじゃない。ああ、いや、全く無関係ってわけでもないんだけど。そんな単純な話でもないんだ」
「どういうことでござるか?」
「黒幕、って言うと映画やドラマみたいでいやなんだけど、……その不良たちを手引きしたの、当時の――剣道部の三年生だったんだ」
ガシャンとブランコを吊るす鎖の乾いた音を立てて、伊吹がすごい勢いで立ち上がった。
「そ、それはどういうことでござるか? 東夜殿」
「しィー。伊吹さん、声抑えて」
声を荒げる伊吹に、東夜が人指し指を唇につけて窘める。
慌てて口を両手で覆う伊吹に微笑を漏らしながら、ことの真相を話し始めた。
「まぁ、こう言っちゃ失礼だろうけど、その時の剣道部の三年生はあまりレベルが高くなくてね。練習もサボってばかり。でも、プライドだけは異様に高い。早い話が嫉妬だよ」
「……事情はわかったでござる。しかし、それでは彼らを退部にすればいいでござろう。皆人殿が剣道部を止めさせられる道理はないでござろう」
今度は声を抑えて訊いてくる伊吹に、「まぁ、座りなよ」と勧めながら東夜は続けた。
「簡単な話だよ。皆人は、現実から逃げたんだ。そして、もう人に裏切られたくなくて、あんな風に他人を拒むようになった。さっきも話したけど、皆人って超が付くほど真面目でね。要領よく生きるってこと知らないんだよ。付き合う方が大変だよ、ホント」
肩をすくめ、溜息交じりに話す東夜。伊吹もそれ以上言葉が続けられずに黙ってしまう。
逃げている、それは今の伊吹にも当てはまる言葉だったからだ。
二人の会話が途切れ、今度は気まずい雰囲気が辺りに満ちる。
「くくくくくくく」
そんな静寂を、押し殺したような笑い声が吹き飛ばした。
俯き、肩を震わせ笑っているのは東夜だった。
「くくく、くははは。あははははっ」
「と、東夜殿。どうしたでござるか?」
「なんだ? 気でも違えたか??」
「い、いや。ごめんごめん。たださぁ、なんかすごくベタな話だなぁって思っちゃって」
「ベタ?」
首を傾げる伊吹に、なんとか笑いの発作を抑え込んだ東夜が、ブランコから飛び降り、再び少年のような顔で振り返った。
「そう、ベタ。突然現れた、謎の美少女。トラブルに巻き込まれる主人公に、壮絶バトル。あとは、主人公かヒロインのトラウマ、最終的にトラウマを克服してのハッピーエンド。小説や漫画の新人賞に持っていったら、ありきたりだって跳ね返されそうな、いわゆるお決まりの展開って言うやつかな」
「なんだか、微妙に話がリアルでござるな」
少しテンションが上がり始めた東夜とは対照的に、伊吹は嘆息を漏らした。
「東夜殿。拙者、真面目な話をしているでござるよ。ベタなんてひどいでござる」
ふてくされる伊吹。東夜の返しは意外なものだった。
「そうかい? 僕はベタな話は素敵だと思うけどな」
「素敵……でござるか?」
自分でけなしておきながら素敵と答える東夜に、伊吹が困惑した目を向ける。
「うん。素敵」
東夜の眼は輝いていた。
「だってさ、ベタって言うのは、言い換えれば皆が期待している展開のことだからね」
「ん? それは一体どういうことでござるか?」
「えっと、例えば……さ。勇者が魔王に捕まった姫を助ける話があったとする。まぁ、キャラクターの設定・ストーリーの展開はいろいろあるとしても、最終的な終わり方は魔王を倒し、姫を助けてハッピーエンド。これってベタな話でしょ」
「ふむふむ」
「でも、それって当り前なことなんだと思うよ。逆に、勇者様は実は魔王よりも残虐な大悪魔、お姫様は勇者に殺されてしまい、世界は暗黒に包まれました、なんて話じゃ読者はがっかりだし。やっぱり、皆が望むのはハッピーエンド。それが例えベタな展開でもね」
「確かに、そうでござるな」
「よし。じゃっ、伊吹さんの役割は決定だね」
「ほへ?」
いきなり話を飛躍させる東夜に、伊吹が間抜けな声を漏らす。東夜は構わず続けた。
「さっきの異次元ファンタジーの王道のエンドはお姫様を助け出して平和に暮らす。じゃあ、今の僕たちみたいな現代ファンタジーの王道のハッピーエンドは何だと思う」
「むむむむむ」
眉間に皺を寄せる考える伊吹。
しかし、答えが出なかったのか伊吹は弱弱しく「わからぬでござる」と一言。
そんな伊吹にますます笑みを濃くした東夜は、まるで舞台俳優のようにオーバーな振り付けで伊吹を指差すと、迷惑にならないくらいに声を抑えて、でも夜の公園を包み込むような澄んだ声で叫んだ。
「そんな難しいものじゃないよ。答えは簡単。ヒロイン(伊吹)が主人公(皆人)に恋をすればいいんだよ」
「んなっ!」
伊吹が思わず喉を詰まらせる。
「ちなみに逆も可」
いきなりぶっ飛んだことを言い始めた東夜に、伊吹の顔が真っ赤になった。
「なっなっなっ、何を言うでござるか、東夜殿。そ、そんな、拙者のような無精者が皆人殿に、こ、こ、ここ、恋などと。冗談も大概にするでござるよ」
さっきまで落ち込んでいたとは思えないほど、伊吹がコミカルに腕をバタバタと振って、東夜の言葉を断固否定する。しかし、東夜は至って真面目だ。
「そう? これぞ現代ファンタジーの王道って感じだけど?」
「お、王道とかは関係ないでござるよ。東夜殿は『事実は小説より奇なり』という言葉を知らないでござるか? 現実は、そんなに単純な問題ではないでござるよ」
言い切った途端、伊吹の脳裏に皆人の言葉が蘇った。現実という悲しみが伊吹を襲う。
そんな伊吹の悲哀を吹き飛ばすほど、あっけらかんと東夜は言った。
「あははははは、その点なら大丈夫だよ。だって、皆人って単純だもん」
「ふへ?」
東夜は笑いを抑え込もうとせず、思うがままに笑いながら伊吹に皆人が単純ゆえに伝説になった逸話を話し始めた。
「くふふふふ。そ、それはホントの話でござるか? 東夜殿」
「うん、ホントもホント。そう言えば、こんな話も……」
その話を聞くたびに、泣きそうだった伊吹の顔がどんどん笑いに包まれた。
「あはははは、も、もう勘弁してほしいでござる。もういいでござるよ、東夜殿」
「いや、まだまだこんなもんじゃないよ」
「あはははははははは」
破顔一笑とはまさにこの笑顔のことだろう。
親友による昔の皆人の暴露話に、伊吹(と九王)はお腹を抱えて笑い続けた。
そして時刻が11時を回ったころ、不意に東夜の携帯が鳴った。
「っあ、母さんどうしたの、えっ? うわ、もうこんな時間! っえ? 違うよ、……うん、……うん。わかった、じゃあ。……はぁ」
電話を切った東夜は小さく溜息を漏らすと、「ごめん、伊吹さん。僕、もう帰らないと」と手を合わせて伊吹に侘びた。
「こちらこそ、拙者などに付き合わせて申し訳なかったでござる」
「いやいや、僕も楽しかったよ。あっ、それで伊吹さんはこれからどうするの? 行く場所がないならウチにでも来る? 部屋なら空いてるよ」
「そ、そこまで迷惑はかけられないでござるよ。拙者はもう大丈夫でござる。それに……」
「それに?」
「少し……一人で考えたいでござるから」
「……そう。じゃあ、しょうがないね」
東夜は小さく笑い、「おやすみ」とまるで往年の友人と別れるように去って行った。
「俺っちもいるぞ」
辺りに人がいなくなったことを確認して、ちょっと不機嫌気味に声を出す九王。
「もちろん、忘れてないでござるよ」
伊吹は自然に笑って答えると、東夜が去っていった方向に目を向け、羨むように呟いた。
「いい友人でござるな」
「そうか? 俺は少しあのバカが気の毒になったぞ」
赤裸々に語られた皆人の昔話を思い出し、九王が意地の悪い笑みを浮かべる。
伊吹はそんな九王を見て、また「くす」っと笑った。
「それで、伊吹。これからどうすんだ? あのバカの所に帰るか?」
「そうでござるなぁー……」
もったいつけるように言いながら、伊吹は顔を夜空に向け、また笑う。
さすがに冷たくなってきた夜風が伊吹の後ろ髪を靡かせる。
「ふふふ」
何も答えず、伊吹はまた小さく笑った。




