(3)
夕焼けの赤が映える、一級河川榛名川の河川敷。
「皆人殿ーっ」
その草土手で一人寝転ぶ皆人の耳に、遠くから自分の名を呼ぶ声が響く。
面倒そうに皆人が首を捻ると、九王の後に続く伊吹が息を切らしながら走ってきた。
「皆人殿。何を考えているでござるかっ?」
走ってきた伊吹は、かなりご立腹のようだ。吐き出す言葉の端端に怒りが滲み出ている。
「答えるでござるよ。何故拙者から離れたでござるか」
顔に険を浮かばせて詰め寄る伊吹を、皆人は鬱陶しげに振り払った。
「静かにしろ。今日は疲れた。一人にさせてくれ」
「何を悠長な。敵が近くにいるかもしれぬでござるよ。もっと、自分が狙われていることに自覚を持つでござる」
「五月蠅ぇなぁ」
耳元で叫ぶ伊吹に、皆人は些か機嫌悪げに髪の毛を掻きむしりながら上半身を起こした。
「あのな。そもそも俺が狙われてるのは、お前らの都合だろ。いい迷惑だ」
「ううぅ。皆人殿、それはそうでござるが……」
痛いところを突かれ、尻すぼみになる伊吹。そんな彼女の眼の色が唐突に変わった。全身を舐める殺気に呼応しその瞳に炎が灯る。
「何者でござる?」
《睡蓮》の柄に手を掛け、伊吹が全神経を集中する。
「出てくるでござるよ」
土手の脇にある藪に向けて、伊吹が詰問する。
その質問に合わせたかのように草藪が大きく揺れ、そこから何かが飛び出してきた。
「これはっ!」
伊吹が《睡蓮》を抜く手を止める。
茂みから飛び出してきたのは、ちょっと不細工な猫のぬいぐるみだった。
糸が付いているわけでも、ましてやラジコンでもないのに自立して動くぬいぐるみ。
「斬れ、伊吹」
「なっ!」
伊吹よりも先に皆人の方がその危機に気が付いた。皆人の鋭い声が響いたのと、猫のぬいぐるみの腹部から鋭利なナイフが飛び刺したのはほぼ同時だった。
「はぁっ!」
伊吹の気合と、鋼同士がぶつかり合う甲高い音に引き続き、布を断つ籠った音が川面の水面に響く。二つに別れ、上下別々に川の中に落下するぬいぐるみ。一瞬にして皆人に向けて飛来したナイフを叩き落とし、ぬいぐるみを上下二つに分断した伊吹は辺りを警戒しながら皆人の安否を伺った。
「無事でござるか、皆人殿」
「ああ。問題ない」
短い返答。そこに今まさに命を狙われたものの恐怖は感じられない。
皆人は自分に襲いかかった狂気など露にも歯牙に掛けず、ただ冷静に状況を見ていた。
「セット・オン」
皆人が指輪からディエルディスクを具現化。そして、カードをドローする。
皆人にカードを発動させまいと、茂みから次々に刃物を持ったぬいぐるみが飛び出した。
「来るぞ、伊吹」
「任せるでござる」
皆人が叫び、伊吹が応える。
皆人と伊吹の初バトルの開戦だ。
「勝負っ!」
声高らかに叫ぶ伊吹は、単身でぬいぐるみの中に身を投げ出した。
一足飛び込むと同時に両手で振り上げた《睡蓮》を袈裟切りに振り下ろし、先頭にいたクマのぬいぐるみを右肩からバッサリと切り落とす。更に地面すれすれで《睡蓮》を返し、左手からハンマーを振り落すパンダのぬいぐるみの首から上を斬り飛した。
回転しながら宙を舞い、水柱を上げ川の中に落ちるパンダの首。
伊吹の背後。攻撃の隙を付き背後から奇襲を掛けた猿のぬいぐるみは、後ろを見ぬままに突き立てられた《睡蓮》の切っ先に深深と胸を貫かれ吹き飛んだ。
「へぇ……」
さすがは通常戦闘能力特A級。オプションカードなしでも、伊吹は圧倒的だ。
その動きは、少なからず皆人を感心させた。
一瞬手札のカードに視線を落とした皆人を守るように、伊吹の動きが更に加速する。《睡蓮》を片手に持ち替え、右足を軸にその場で大きく旋回。一斉に空中から飛び掛かってきた様々な鳥のぬいぐるみが、一太刀のうちにバラバラになって宙を舞う。
伊吹の周りを真っ白い綿が彩った。
純白の雪の如き綿を割り突き出された《睡蓮》の刺突が、前方で機を窺っていたワニのぬいぐるみの口腔から尾までを一直線に突き抜ける。伊吹は手を緩めない。そのワニ刺さったままの《睡蓮》を掬い上げ、内側からワニの布を断つと、その勢いを殺さず、メイスを叩き落としてくるオットセイのぬいぐるみの股間から脳天までを一筋に切り捨てた。
次々に布と綿の残骸に変わっていくぬいぐるみたち。
しかし、その数だけは尽きることがない。
「伊吹、藪の中だ」
「承知っ!」
皆人の指示に、伊吹は脇を抜け皆人へ狙いを定めた数体のぬいぐるみを切り捨て、一足飛びにぬいぐるみたちの上空を飛び越える。
着地と同時に放たれた横手からの一太刀は、文字通り藪を作る草を薙ぎ払った。
「これはっ!?」
思わず伊吹が声を上げる。切り飛ばされた草の中から現れたのは次々にぬいぐるみを送り出す、人ひとりが余裕で入りそうな可愛らしい玩具箱だった。
「斬れ、伊吹」
「ぎょ、御意。破ッ」
気合と共に、伊吹が振り落とした《睡蓮》の白刃が玩具箱を真っ二つに切り裂く。
同時に、辺りに残っていた人形たちが幻の様に消え去った。
「やった、でござるか?」
「阿呆。上をよく見て見ろ」
皆人に叱咤され、伊吹が慌てて首を上に向ける。
「キャハハハハハ。見つかっちゃたぁー」
「ミツカッチャッター」
人を小馬鹿にしたような声色に、頬をピクっと動かした皆人が上空の人物を見定める。
悪戯っけのある瞳とピンクのショートヘアが印象的な幼顔の女の子と、彼女の肩に座るフリフリのドレスを着た人形が、重力を無視してふよふよと宙に浮かんでいた。
「シリアスナンバー332。パペットマスターのキャロルとその使い魔クミュ、か」
「ピンポン、ピンポン。大当たりー。そんな頭の良いお兄ちゃんには、おっきなぬいぐるみをプレゼントー」
「プレゼントー」
キャッキャと騒ぎながら、キャロルが手に持つステッキを皆人に向かって振り下ろす。
するとそこから、実物大と同じ大きさのゾウのぬいぐるみが出現した。
「行っけー。エレファント・クラッシュ」
「イケー」
「PAOOOOOOOOO」
鼻大きく上げ、雄叫びと共に巨大な足裏が皆人に向けて踏み落とされる。迫りくる脅威に対して、皆人に動く気配はなし。
そんな主に、血相を変えた伊吹が奇跡のタイミングで飛び込んできた。
「皆人殿っ!」
咄嗟に間に割って入った伊吹が、重々しい音を響かせぬいぐるみのゾウの足を受け止める。並々ならない重量に伊吹の足下に地面が陥没したが、伊吹はその細身からは考えられない力で相手の巨体を押し、体勢を持ち直す前にその面を長い鼻ごと縦に割った。
「皆人殿、なにを考え……」
「伊吹。少し黙ってろ」
伊吹の抗議を皆人は有無を言わさず遮り、その視線をニコニコとこっちの動向を窺っているキャロルに向けた。
「おい、ガキンチョ。お前のマスターはどこだ」
「あー、ガキンチョって言ったー。そんな悪いお兄ちゃんには答えてあーげない」
「……なるほど」
独り納得する皆人は、いつもの如く冷静に勝機への指示を出した。
「伊吹。あと、6分持ち堪えろ。出来るな?」
「皆人殿?」
「出来る、な」
「は、はいでござる」
皆人の指示を受け、伊吹はキャロルと対峙する。その顔は笑っていた。
皆人が出す指示。それに従う自分。伊吹にとって、皆人と自分が一つになる。
皆人の期待。それに答えることだけが今の伊吹の最優先事項だ。
「キャロル殿、行くでござるよ」
「わーい、お姉ちゃんが遊んでくれるの? キャロル、負っけないよー」
上機嫌になるキャロルが再びステッキを一振りすると、そこから先ほどとは違う装飾の施された玩具箱が出現した。
「トイ・ボックス2ぅ。えへへへへ、行くよー。お姉ちゃーん」
「イクヨー」
ガタンと音を立てて、玩具箱が開く。そこから飛び出してきたのは、先ほどまでのぬいぐるみとは異なる人間に近い骨格を持ち様々な衣装を身に纏った着せ替え人形たちだった。
「くらえ、キャンディードール・プリティーアターック」
「アターック」
キャロルの号令に合わせ、夕暮れに凶器を染めた人形たちが皆人と伊吹に飛び掛かる。
主を庇って構える女侍。
「ここから先は、何人たりとも通さぬでござるよ」
意思を刻み、伊吹は異様な雰囲気を漂わせ飛び掛かってくる人形たちへその鋭い眼光の標準を合わせ真っ向から迎え撃った。
上空から一斉に投擲される短刀を一つ残らず弾き落とし、一番先頭にいたチャイナ服の人形を地面に着地する前に胸付近で上下に分断。身を捻り最小限の動きで横手から飛び掛かってきた制服の人形の爪を交わし、すれ違いざまに柄を叩きこむ。
柄の一撃にバラバラになって四散する人形。その影から小さな発砲音が木霊した。
「くっ」
焼ける弾丸が伊吹の肩を掠め、道着を焼き、肌を焦がす。弾そのものは小さいが、その性能はまさに本物だ。だが、伊吹は恐れない。一足で迷彩服の軍人人形たちの間合いに踏み込むと、小さな指が引き金を引くよりも早く《睡蓮》を水平に薙いで銃を構えた一団を切り飛ばした。
背後からバカデカイ注射器を持つナース服人形が、伊吹の背へ向けて強襲を掛ける。
「笑止っ!」
伊吹は後ろも見ぬまま《睡蓮》の腹を人形の脇腹に叩き込んだ。伝播する衝撃に人形が持っていた注射器が割れ、中の液体が伊吹の足下にぶちまけられる。
液体から立ちのぼる、ツンとした鼻を刺す刺激臭。
「引け、伊吹」
その危険性を察知したのは皆人の方だ。
皆人の声に伊吹が一足飛びにその場から離脱する。次の瞬間、伊吹の足下に巻かれていた液体が発火し、それまで伊吹がいた空間を青い炎で包み込んだ。
危機を逃れた伊吹の顔に浮かぶ、安堵と信頼の笑み。
「アホ伊吹ッ。気を抜くなッ!」
そこに、皆人の叱咤が木霊した。
「なっ!」
背後に飛び退いた伊吹を待っていたのは、十重百重に捨て身で飛び掛かってくる人形たちだ。人形に包まれ見えなくなる伊吹。動く気配は、ない。
「アハハハハハ。ヤッター。キャロルの勝ちだー」
「カチダー。カチダー」
伊吹を捕縛し、歓喜の声が辺りに響き渡る。
「フフフフ。どうするの、おにーちゃん? おねぇちゃん、キャロルが捕まえちゃったよ」
嬉々として皆人を見降ろすキャロル。
一方、圧倒的な劣勢にもかかわらず、皆人はひどく無表情だった。
「ねぇ、ねぇ。おにーちゃん」
「……432…………433」
「ねぇー、ってばー。遊ぼーよー」
「……440……441……」
キャロルの誘いを皆人は完璧に無視。
そんな皆人の態度にキャロルが癇癪を起し始めた。
「あーんもう。いじわる。けちんぼ。お兄ちゃんの、意気地なし」
遂に駄々をこね、皆人の悪口を言い始めるキャロル。そんな幼稚な悪口が皆人に通用するはずもない。その悪口に反応したのは別の人物だった。
「――――を――――するな」
「えっ? なに?」
「ナンダ? ナンダ?」
突然辺りに怒号が木霊し、正体のわからないその声にキャロルが怯えだす。
その声の主は直ぐに明らかになった。
「皆人殿を、愚弄するなぁぁぁーっ」
人形の山が、さながら火山の噴火のように弾け飛ぶ。人形たちの中から生還した伊吹は、主である皆人へのキャロルの侮蔑にその柔面を憤怒の相貌に染め上げていた。
「皆人殿を愚弄する輩は、誰であろうが、拙者が、斬る」
周りを取り囲む人形を無視して、伊吹が炯炯と双眸をキャロルに向けて輝かせる。
「ひぃッ」
そのあまりの覇気に、恐怖に顔を引き攣らせるキャロル。
だが、すぐにキャロルは余裕を取り戻した。理由は皆人サイドの戦況にある。
「きゃーん、怖~い。でも、キャロル嘘は言ってないも~ん。ポイント零のお兄ちゃんになんて、全然怖くないもんねぇー」
「貴様っ。まだ言うでござるかっ」
口を閉じないキャロルに、伊吹が《睡蓮》を握る手に更に力を込める。キャロルとの距離は、目測でおよそ15メートル。全力で踏みだせば、空中だろうが一歩で十分な距離。
伊吹の両脚の筋肉が撓み、極限まで絞り込まれる。
「わっ。ちょっと、待ってよ。おねぇーちゃーん」
自分に向け闘志むき出しに構える伊吹を見て慌てるキャロル。
(うふふふふ、甘いな~。おねぇちゃんは)
しかし、キャロルは自分に向け闘志むき出しに構える伊吹を見て、内心では早く飛び込んで来いと待ち構えていた。伊吹とキャロルの間の空中には、目に見えない爆弾、もといトラップカード『ステルスボム』が仕込まれてあるのだ。
伊吹はその罠に気付いていない。
伊吹は――――飛び出さなかった。
「もういい、伊吹。よくやった」
「皆人殿?」
仕掛ける寸前の伊吹を呼び止める皆人。手札カードは9枚。皆人はその中から一枚を指で取り上げた。
「さっさと終わらして帰るぞ。伊吹」
「なになに? 今度はお兄ちゃんが遊んでくれるのぉ? でも、キャロルは負けないよぉ」
何か手を繰り出そうとする皆人に対し、先んじてキャロル、そして身を隠しているキャロルのマスターが動く。モエモンの大会において歴戦積勝の皆人とはいえ、その勝負を左右するモエポイントは共に零。皆人の状況を予想していたキャロルのマスターは、ノーコストカードに対する対策を万全に整えていた。
「出てきて、出てこい、玩具の守護者。《バーメンズ・ガーディアン》」
キャロルがステッキを振るい、玩具箱から大きな盾を持った銀鎧の兵士を自分の身を守るように召喚した。
「えへへへへ、どーだぁー。《バーメンズ・ガーディアン》はコストが三以下のカード効果を受け付けないんだよー。あはははは、残念でしたー」
上空で足をばたつかせながら、人を小馬鹿にしたように笑うキャロル。
「残念なのは」
だが、キャロルの読みは甘かった。
「テメェーの頭ん中だろが」
指先に挿んだカードを、皆人がディエルディスクに叩きつける。
ディエルディスクがカードのテキストを読み取り、発動の準備が整った。
「マジックカード発動。《轟炎泉》」
「え? なに!なに? うっ、きゃぁぁああぁぁーっ!」
皆人のカードに導かれ、間欠泉の如く台地から吹きあがった火柱が宙に舞う宝箱や兵士諸共、目を見開くキャロルを飲みこんだ。灼熱の業火に焼かれ、キャロルが苦悶を叫ぶ。
「熱い。熱い熱いっ。な、何で? 何でノーコストカードにこんな威力があるのっ?」
炎から逃げ出そうと身体を捩るキャロル。だが、炎の腕は彼女を逃がしはしなかった。
その様子を虫けらでもみるような目で眺める皆人が、静かにキャロルの敗因を口にした。
「ノーコストカード《轟炎泉》。残念だったな。このカードはある条件を満たしたときのみ、他のカードの効果によって打ち消されない特殊効果がある」
「ある……条件……?」
「三ターンの間、他のカードを一切使用しない」
皆人の言葉に、キャロルが目を大きく見開く。それまで皆人がカードを発動しなかったのは、発動が出来なかったのではなく、この瞬間を狙ってのことだったのだ。
「――――、――――っ!」
炎に喉を焼かれ、もはやキャロルの叫びは言葉にならない。
夕焼けよりも紅き炎が消えた時、空中から炭化したキャロルだったモノが降ってきた。
「やった、でござるか?」
あくまで慎重に、消し炭となったソレに近づく伊吹。だが、皆人の見解は違っていた。
「……いや、しくじったな」
《睡蓮》を落ちてきたソレに構える伊吹に、皆人は無表情のまま呟いた。
「聞こえなかったのか? あいつ、まだ生きてるぞ」
「しかし……。では、これは一体?」
目の前にあるキャロルの残骸に、目を向ける伊吹。次の瞬間、炭化したキャロルの残骸だったモノが突然音を立てて破裂し、中から人を小馬鹿にしたように紙吹雪が舞い散った。
「なっ!」
「だから言ったろ。《フェイクドール》、そいつはただの身代わりだ」
「では、奴らはまだ近くに?」
「いや、それもないな。《フェイクドール》を発動したら、モエモンは一旦場を離れる。もう近くにはいないだろう」
「逃がした、でござるか? 申し訳ないでござるい、皆人殿。拙者の力が及ばないために」
ガバっとその場に傅く伊吹。皆人の反応は素っ気ないものだった。
「逃がした、んじゃねぇ。逃げられた、だ。カードの効果なら、仕方ない。……帰るぞ」
「み、皆人殿」
戦闘の余韻も自分を狙った敵に対する執着も何もなく、ただ静かに踵を返す皆人。
けれど、確実に皆人の中で何かが変わり始めていた。
その変化は家に着いた途端に姿を現した。




