(2)
「なかなか……、ハードなところでござるな。学校というところは」
「だから来るなって言ったろ」
「ケヘ、ッケヘ。俺っち、もう声が出ねぇ」
漸く授業が全て終わった放課後。行くところ行くところ注目の的だった伊吹にとって、今日の一日はとてもハードだったようだ。
「そんなんで戦えんのか?」
「む、無論でござる」
伊吹は気丈に答えるが、そこに常の内包するような覇気はない。
本当に、心身ともに疲れているのだろう。
伊吹、それに彼女の言う敵のこともあって、皆人はHRが終わるとすぐに玄関へと着ていた。皆人自身も今日は疲れている。厄介事はもうたくさんだ。
「はぁ、さっさと帰……」
「やっほー、お疲れ。神埼皆人」
再び溜息を漏らす皆人の背中を、厄介事の申し子のような人が思いっ切り叩いた。
確認しなくてもわかる。皆人は、本当にうんざりした顔で背後を振り返った。
「ニコ!」
わざわざ効果音まで付けて天真爛漫な笑顔を向けてくる剣宮。これほど癒しを与え、なお且つ人を困らせる人もそうはいないだろう。しかも、今日はすでに剣道着に着替えている始末だ。皆人は一瞬で状況を判断し、伊吹を残して脱兎のごとくその場から逃げ出した。
ガシッ! 残念、失敗。
「ふっふっふ、逃がさないわよ」
「見逃してください」
「ダーメ。今日こそは付き合ってもらうんだから」
完全に悪役のノリで皆人を捕まえる剣宮。
「フフフフフ……、って、あれ? 神埼、誰この子?」
皆人しか見えていなかったのか、そこでは初めて伊吹の存在に気が付いた剣宮が皆人に説明を求める。話を振られ皆人は九王の方を向いたが、九王は黙って首を横に振った。
「従妹です」
「ああ、なるほど。今日噂になってた子って、この子なのね」
独り納得した剣宮は、伊吹をしっかり掴みながら品定めするように伊吹に向き直った。
「あ、あの。皆人殿。この御仁は?」
今度は反対に伊吹が剣宮の説明を求める番だ。
しかし、その答えは皆人が答えるよりも剣宮本人が返してきた。
「ああ、ごめんでじろじろ見ちゃって。あたしは剣宮真季。学年は三年生で、皆人の剣道部の先輩。ついでに恋人」
「こ、恋人!?」
「嘘だ。騙されんな」
他愛もないウソは、剣宮の悪い癖だ。「ばらすの早いぞ」と皆人にヘッドロックを掛ける。少々うざいが、同級、下級生に分け隔てなく接するのは、彼女の良い魅力でもある。
ひとしきり皆人で遊び満足した剣宮は、今度は改まって伊吹にちゃんと向き直った。
皆人の制服をしっかり掴むのは忘れずに。
「さてと。ええっと、伊吹さん、でいいわね」
「うむ。しかし、剣宮殿は拙者より年上でござろう。呼び捨てで構わぬでござるよ」
「えっ! じゃあ、いぶっち、とかでもいい?」
「そ、それは遠慮するでござる」
「じゃあ、改めて。いぶっち」
「すでに決定でござるかっ!」
完全に伊吹は剣宮先輩のペースに呑まれていた。気の毒なことだ。
「あなたの腰に差さってるのって、それって、本物」
尋ねながら、剣宮は伊吹の腰に刺さっている《睡蓮》を指さした。
「ん? これでござるか? もちろん本物でござるよ」
「へ~、じゃあ、ただのコスプレじゃ無いんだ」
「こすぷれ? こすぷれとは何ででござるか?」
「まぁ、その話は置いといて」
「流さないでほしいでござる」
その時、完全に伊吹を扱い慣れた剣宮の眼が妖しく光ったのを皆人は見逃さなかった。
「すみません、今日は俺急ぐんで。それじゃ」
手早く挨拶を済ませ、剣宮の手を振りほどき帰ろうとする皆人。しかし、敵もさる者。剣宮は皆人が一歩を踏み出すその前に、皆人の方を全く見ず、今度は逃げられないようその襟元をガッツリと掴み話を続けた。
「いぶっち。あなた、うちの部活、剣道部に興味ない」
「剣道部、でござるか」
「おい、コ……ふふぇふぇふ」
目を輝かせる伊吹を止めようとする皆人の口を、先んじて剣宮の細い手が塞ぐ。
「いぶっち、興味ない?」
「い、いや。そんなわけないでござるよ。し、しかし。今日は敵が」
「え、なに。聞こえな―い」
そこからはもう独裁政権だ。剣宮が伊吹を丸めこむのにそう時間はかからず、気が付けば皆人と伊吹は道場に連れて来られていた。
「ここが道場でござるか。なかなか広いでござるな」
言いくるめられた伊吹だったが、道場に着いたその眼は輝いていた。すでに練習が始まっているのだろう。踏み込みの音や竹刀の音が廊下にまで聞こえてくる。
そんな喜ぶ伊吹に反比例するように、皆人はとことん無愛想になっていた。
「ほらほら、二人とも何してるの。入った、入った」
「いや、やっぱり俺は」
「きーこーえーなーい―」
「行くでござるよ、皆人殿」
「わ、っととととっと」
やはり、剣をふるう者同士通じるものがあるのか、すでに意気投合した二人に、皆人は無理やり道場に押し込まれた。竹刀の打撃音が響き、力強い踏み込みが床を振動させ、腹から響く気合が耳を打つ。すでに練習は始まっていたが、部長である剣宮が連れてきた珍客にその動きが唐突に止んだ。
「あれ、神崎じゃないか。久しぶりだな」
「おっ、本当だ。おーい、神埼ぃー」
「へぇ、あれが噂の神埼先輩? かっこいいじゃん」
「えっ、でも彼女連れてるよ。ほら」
「漸く捕まえてきたんすか。部長にしては時間がかかりましたね」
練習を一時中断し、学年問わずザワザワし始める部員たち。しかし、そこは部長である剣宮の腕の見せどころだ。
パンパンと手を叩き、剣宮はあっという間にその場を収めてしまった。
「はいはい、皆の言いたいことはわかるけど、今は練習中だよ、集中集中」
「練習サボって俺を呼びに来た先輩がそれを言いますか?」
「う、うるさいわねっ!」
皆人の鋭い突っ込みに顔を赤くした剣宮に、辺りが暖かな笑いに包まれる。
剣宮の指示通り、練習は直ぐに再開された。これも、彼女の持つ人徳だろう。
「さて……。さあ、神埼」
ようやく本題とばかりに、剣宮は皆人の方を向き直った。
「お断りします」
「まだ何も言ってないでしょうが」
速攻拒絶を示す皆人に、子供のように頬を膨らませる剣宮。
皆人は軽く一息吐いてから、先に口を開いた。
「何度誘われても、俺は剣道部に戻るつもりはありません」
「ん? 何勘違いしてんの、神埼。今日はその話しで呼んだんじゃないわよ」
予想外の返答に「え?」と声を漏らし皆人がョトンとする。そんな皆人をよそに、剣宮はクイッと親指を立て背後の胴と垂れを着けていない新入部員らしき一団を指さした。
「今日は、あの子たちを見てほしくて呼んだの。どーも踏み込みがうまくできなくてね」
「…………つまり、俺に指導しろと」
「そいこと。神埼、教えるのうまいでしょ」
「部外者ですよ、俺」
「関係ないわ。あの子たちにもちゃんと説明してあるし。それに……」
「それに?」
「今年は可愛い子が揃ってるわよ、社長さん!」
「帰ります」
「あー、ちょっと待って。冗談よ、冗談」
カバンを持ち、本気で帰ろうとする皆人を剣宮は慌てて引き止めた。
「とにかく、あの子たちは神崎に任したから。はい、あんたの竹刀」
剣宮はいつ用意したのか、柄の布に「神埼皆人」と書かれた竹刀を皆人に手渡した。
「……まだ、取ってあったんですか」
竹刀を受け取った皆人の声色が心なしか冷たくなる。表情からもより一層感情が消え、瞳の光が濁る。そんなことお構いなしに、剣宮は思いっ切り皆人の背を叩くと、有無を言わさず送り出した。
「さ、行った行った」
「今回だけですよ」
ボソッと呟き、上着だけ脱いで皆人が一年生の元へ向かう。
半そでから延びる鍛えられた腕に、女子たちが「ふぁ~……」と歓声を漏らした。
「ほら、あんたたち。あいさつはどうしたの?」
「「よ、よろしくお願いします」」
「ああ。よろしく」
無愛想に挨拶を返し、新入生を一瞥する皆人。初心者組はそのほとんどが女子。剣宮の言葉が本気だったのか冗談だったのかは置いといて、確かに可愛い子が揃っていた。
まぁ、そんなこと皆人にとってどうでもいい話だが。
「取り敢えず。踏み込み、見せてみろ」
「竹刀は振りますか?」
「ああ、そうだな。出来れば振ってくれ」
「「はい、わかりました」」
皆人に促され初々しい掛け声を掛けながら踏み込む初心者たち。踏み込みは初心者にとってかなり覚えにくい動作の一つだ。確かに、どの子も踏み込みがぎこちなく、足はただ上から下に強く落としているだけで、竹刀のタイミングとも合っていない。
皆人はしばらくの間じーっとその踏み込みを見たあと、「わかった」と言って彼女たちに踏み込みを止めさせ、そしてほんの少しだけ口調を和らげて指導を開始した。
「おい、お前」
「わ、私ですか」
いきなり名を呼ばれ、初心者の中で背の高い女の子が緊張しながら答えた。
「ああ、そうだ。お前はどんなイメージで踏み込んでる?」
「い、イメージですか? ええっと……、足の裏を床に叩きつける感じ、です」
「そうか。他の奴らも同じか?」
皆人の質問に、新入生たちが総じて首を縦に振った。
「まぁ、そのイメージも間違っちゃいないが。そのイメージだけだと、ただ足を上から下に落としているだけだ。初心者にはありがちな間違いだな。見てろ」
そう言うと、皆人は初心者全員が見えるように、彼女たちに対して横向きに構えた。
皆人の構えは正眼。現代剣道はもちろん、様々な古流剣術の中で最も多く使われ、そして最良と評される構えだ。左端を右足の踵ほどに下がらせ、背筋はまっすぐ。手は握るのでなく、適度に力を抜き自然体。
第一線から身を引いていたとはいえ、その姿は剣道初心者の彼女たちから見ても見惚れる美しさを保っていた。
「いいか、よく見てろよ」
皆人が、動く。
初心者の彼女たちに見えやすいよう先に腕を振り上げ、振り下ろすと同時に踏み込む。足だけではなく腰が前に突き出され、踏み込んだ足と振り下ろした手が竹刀を絞るタイミングは完全に一致。道場に鳴り響く、尊厳な踏み込み音。
足の裏が床をしっかりと踏みしめ、それでいて全体の動きは緩やか。後足もすぐに引き付けられ、踏み込みの余韻の摺り足すらも見事なものだ。
誰からともなく溜息が洩れる。その中には、上級生のものも混ざっていた。
「どうだ、わかったか?」
「す、すごいです」
「ゴホン」
「あ、すみません」
完全に見惚れている彼女たちを皆人の咳払いが現実に戻す。練習はこれからなのだ。
「今の、お前らにもやってもらう」
「え。今のを、ですか?」
「なに、コツさえつかめば難しいことじゃないさ」
そう言って、皆人は彼女たちに踏み込みを教え始めた。
「まず、お前ら、竹刀は置いていいから、その場で気を付けしてみろ」
「え? 竹刀を置いてですか?」
「ああ、そうだ。背筋を伸ばしてしっかり立て。ああ、隣との間隔は空けておけよ」
皆人の指示に、初心者たちは首を傾げながら従った。
「あのぉ、神埼先輩。これって、踏み込みの練習ですよね?」
「ああ、そうだ」
即答する皆人に、彼女たちは半信半疑といった様子だ。
皆人も彼女たちの心の内には気付いていたが、構わず練習を再開した。
「よし、じゃあお前ら。そのまま前に倒れろ」
「ええっ!」
今度は明らかの動揺が彼女たちの中に走った。
「神埼先輩、そんなことしたら倒れちゃうじゃないですか」
「だから、倒れろって言ってんだよ」
「そんな、むちゃくちゃな!」
耐えかねてネコ目の女の子が皆人に向けて抗議の声を飛ばす。
他の初心者も口々に同じことを口走るが、当の皆人は「いいからやれ」の一言。
さすがに彼女たちが猜疑の眼差しを皆人に向け出した、その時。
バシンッ、と綺麗とはいかないが、先ほどまでとは明らかに違う踏み込み音が木霊した。
「で、出来た……」
自分でも驚いたように目を見開いているのは、傍から見れば両足を前後に大きく開く奇妙な格好をした、一番初めに皆人に呼ばれた背の高い女の子だった。
「よし。出来たな」
「は、はい」
「そこまでできたら、後は踏み込むと同時に後ろ脚を引きつけるだけだ。今度は止まらなくていいから、踏み込んだ後は摺り足で行けるとこまで行ってみろ」
「はいっ」
身体を元に戻し、再び彼女が直立する。そして同級生たちの注目を一身に受け、彼女の身体が再び前に傾いた。徐々に徐々に上半身が前に倒れ、下半身がバランスを保ち切れなくなった、その瞬間。
バシンッ。と倒れた状態を支えるために、自然と右足が前に飛び出した。
「左足を引き付けろっ!」
「は、はいっ!」
皆人の声に従い、背の高い女の子がすぐさま残った左足を前に出す。余った推進力を摺り足で徐々に落としていくと、驚くほど簡単に綺麗な踏み込みが完成した。
「「おおぉー」」
「それが踏み込みだ。後は構えの状態からできればいい。さ、他の奴らもやってみろ」
「「は、はい」」
皆人に促され、他の初心者たちも習って踏み込みをやってみる。なかなか上手くいかないのも数名いたが、皆人が二、三助言をすると残りの皆も短時間で踏み込みが様になった。
「あらかた出来てきたな。後はそれを徐々に自分のタイミングにできればいい。それと、踏み込みを腕と合わせるのはもうちょっと上手くなってからにしろ。それから、初心者はまずは竹刀に慣れろ。最後に、細々とした剣道だけはするな。声を出せ。以上だ」
「「はい、ありがとうございます」」
「どういたしまして」
形式通りに返し「ふぅ……」と皆人が彼女たちに見えないように息を着く。
その肩を再びあの人が、今度は労わるように軽く叩いた。
「へ~、さすが神崎。ご苦労さん」
「どうも。じゃ、俺はこれで」
「て、ええっ!。ちょっと、どこ行くのよ?」
「家に帰るんです。ちゃんと、踏み込み教えましたよ」
「まぁまぁ、そう言わずに。ちょっとは身体動かしていったらどう? 連れのあの子はかなり楽しんでるけど」
剣宮に促され上級生たちの練習に目を向けると、そこにはいつの間にか面・小手・胴・垂れを装着し、次から次へと男女問わず切り捨てて行く伊吹の姿があった。
「……取りあえず、剣道ではないですね」
「あはははは、まぁね。でも、楽しそうだし。まぁ、いいんじゃない」
「……そう、ですね」
剣宮の言う通り、竹刀を振るう面下の伊吹は満面の笑みだった。
その笑みを、皆人は知っている。
ほぼ日課となった寝る前の将棋。皆人が伊吹と真っ向から向かい合っている時に見せる笑みと同じだった。
それは戦いを求める伊吹の侍としての性と言うものだろうか。
「チッ」
そんな笑顔の伊吹を見れば見るほど皆人の苛立ちは増していった。
「俺、やっぱり帰ります」
「え? ちょっと、あの子はどうすんの?」
「置いてきます。まぁ、好きなようにしてください。あいつも、楽しんでるようですし」
そう言って伊吹に気づかれないように上着とカバンを取り、静かに道場を去る皆人。
「ちょっと、待ちなさいよ。神埼」
しかし、道場を出て人気のなくなったところで不意に剣宮に呼び止められた。
「剣宮先輩もほどほどしつこい人ですね。何度言われても、俺は再入部するつもりは……」
溜息交じりに話しながら振り向く皆人。
「そんなんしゃないわよ。ほら、コレ」
そんな皆人に、伊吹は用意しておいたスポーツドリンクのボトルを投げつけた。
「わっ、とと。なんですかこれ? 賄賂なら受け取りませんよ」
「本当に素直じゃなくなったよね、神埼。それはお礼。ありがたく飲みなさい」
口を尖らせる剣宮に、皆人は軽く肩を落としながら「それじゃあ、遠慮なく」と、ボトルのキャップを開け中身を喉に流し込んだ。
「ああ、言い忘れたけど。それ、さっきあたしが少し飲んだヤツだから」
「ぶっ!?」
あっけらかんと言う剣宮に、皆人の動きが停止する。
皆人はゆっくりと飲み口から口を放し、無言のまま剣宮を睨めつけた。
「……神埼の気持ちもわかるよ」
「やっぱり、無視ですか。つか、どっちのことですか」
突っ込む皆人を文字通り無視して、剣宮は更に笑って続けた。
「でも、あたしたちはあんたのこと待ってるから」
皆人は、答えない。無言の静寂が、夕焼けに染まり出した廊下に満ちる。
そんな静寂に耐えきれなくなったのか、不意に剣宮が皆人へと歩み寄った。有無を言わさずにドリンクのボトルを皆人から奪い取り、躊躇いなくボトルの口に自分の口を付け、コクコクと中身を喉に流し込む。剣宮の行動に皆人が唖然とする。
一方、ドリンクを全て飲み干した剣宮は、空になったボトルを、再び皆人に押し付けた。
「けっぷ」
「汚いですよ」
「明日、ちゃんと洗って持ってくるのよ。いいわね」
「え、あ。ちょ」
「い・い・わ・ね」
言いたいことを言って、さっさと道場に戻って行く剣宮。
暫し唖然とする皆人だったが、すぐにいつもの無表情に戻ると、ボトルをカバンに押し込み、本当に何事もなかったように生徒玄関へと歩き出した。




