第三章(1)
「ふふふふふ、漸くこの日が来たな。神埼、今日こそお前を打ち崩す」
「打つのは俺だろ、早く投げろ」
時刻はお昼前。バッターボックスに入る皆人に嬉々として勝負を持ちかけたのは、皆人のクラスメートにして野球部二年生の期待のエース高坂君だ。
「ふっ、もはや語ることもあるまい」
「いや、お前が勝手に喋ってるだけだろ」
「喰らえ。殺人魔球グレネードビックバ……ぐあああぁぁっ、うそだろぉぉぉっ!」
かくして、軽快な音と共に野球ボールは場外の彼方に吹き飛ばされました。
高坂君ががっくりとマウンドで項垂れている間に、女子の黄色い歓声に包まれた皆人はそそくさと控えの木陰に帰っていた。
「…………はぁ。だるぃ」
「ナイスホームラン」
そんな皆人軽い調子で声を掛けながら、東夜がスッとタオルを手渡した。無言で受け取る皆人。東夜は嫌な顔一つ見せずに、ごくごく自然にその隣へと腰を下ろした。
「ナイスホームラン」
「……何で二度言う?」
「いや、聞こえてないのかと」
「ホームランなら、お前も打っただろ。つーか、内野ゴロのランニングホームランなんてやり過ぎだ。陸上部に行け、陸上部に」
皆人の言葉に「あはははは」と乾いた笑い声で東夜が答える。グランドに響く青春の奏。穏やかな風が運ぶ匂い。
「皆人、最近なんかあった?」
その質問は唐突だった。
「何で、そう思う?」
「だって、最近の皆人ならホームランなんて狙わないだろ。いつも適当に流すし。ねぇ、どういう心境の変化?」
「…………別に」
今日は四月十六日の木曜日。伊吹が皆人の前に現れて、早三日。特別何かがあったわけでもないが、皆人に取って学校以外で他人と接する機会が多くなったのだけは確かだ。
そして、それを自覚した瞬間、皆人の中に言い知れぬ不快感が過った。
「別に、なんでもねぇーよ」
心ない、ただ口だけの返答。そんな学園風景が、次の瞬間に一転した。
「ほぉー、コレが現代の学び舎でござるか」
「なっ!?」
皆人が目を見開き振り返る。そこにはいつもの道着に身を包んだ伊吹が立っていた。
「えっと……。皆人、この人は?」
東夜の質問に皆人は答えず、大きく息を吸い込んだ。
「何でテメェがここにいる?」
できるだけ言葉の抑揚を抑え、皆人が伊吹に問う。
その返答が返る前に伊吹の存在が他のクラスメートに気付かれてしまった。
「おーい、ありゃ誰だ?」
誰かが叫び、クラスメートが殺到。それからはあっという間だ。授業なんか関係なく、敵チーム味方チームが入り乱れて集まってきたかと思うと、激しい質問攻めが始まった。
「神埼、誰そいつ?」「うわぁー、凄い。ねぇねぇ、これってコスプレ?」「綺麗な髪」「つぶらな瞳」「僕の胸に飛び込んで」「その胸に飛び込ませて」etc
約一名バカが遅刻で休んでるおかげ騒ぎは小さいが、それでも収拾がつきそうにない。
「ちょ、お前ら。とにかく落ち着け。コラっ!」
さすがの皆人も声を荒げ事態を収拾しようと努めるが効果なし。と、その時。
「カアアァァアアー」
鶴の一声ならぬ、鴉の一声が辺りに響き渡った。
「へぇ、神埼君の従妹なんだ」
「な~んだ、つまんねぇ~の」
「ん?」
興味を無くし、皆人から蜘蛛の子を散らすように自分の持ち場に戻るクラスメートたち。
「これで、貸し一だな」
ここ数日で聞き慣れた声が木の上から響く。皆人が見上げると、木陰を作る木の枝の一本にめんどくさそうな顔をした九王が止まっていた。
「謎の美少女が学校に乱入。ベタだね」
「…………」
「い、いや」
皆人に物凄く冷たい視線で睨まれ、おどけて見せた東夜が口ごもる。
「ハァ……。席、はずしてくれるか?」
「ん、了解」
軽く手を上げ、他のクラスメートの所へ去っていく東夜。こういうところでキチンと気を利かせてくれるところは、東夜の良いところだ。
人払いが済んだところで、皆人は後ろも振り向かないままに伊吹に詰問した。
「さて……、何で来た?」
口調そのものは穏やかだが、皆人の身体から溢れる言いようのない気配はまさに本物。
その気配を一身に受けた伊吹は、そんなものどこ吹く風といった様子で切り返した。
「何で来たとはごあいさつでござるな、皆人殿」
「要件を言え。そして、すぐ帰れ」
「ムム……」
つっけんどんな皆人の態度に、今度は伊吹がムッとする番だ。眼を細め、口を尖らせながら皆人の背中を睨みつける
「帰れと言われて、帰る訳にはいかぬでござるよ」
一区切り置いて、伊吹の声色が真剣なものに代わった。
「敵が現れたでござるよ、皆人殿」
伊吹の言葉に、ずっと真正面だけ見ていた皆人が、僅かに首を捻り視線を後ろに流す。
皆人は無言のまま続きを話すように促した。
「うむ、よく聞くでござるよ。気配を感じたのは、丁度一刻前でござる」
「どんな奴だ?」
「残念ながら、そこまではわからぬでござる。今は、九王に頼んで、町中の鴉に情報を集めてもらってるでござるよ」
伊吹の言葉を受け、木に止まっている九王が胸を張った。
「情報収集は俺っちの得意分野だ。さぁ、へなちょこ。俺っちを称えろ、崇めろ、跪け!」
「ガセネタ掴まえてくるのがオチだろ」
「何だとっ!」
「まぁまぁ」
皆人に飛び掛かろうとする九王を納める伊吹。ここ数日でよく見る光景となっていた。
「事情は分かった。だから、帰れ」
「な、何を言っているでござるか、皆人殿。襲われたらどうするのでござるか」
「よっしゃ、帰るぞ。伊吹」
「九王は黙ってるでござる。皆人殿、この戦を甘く見てはいかぬでござるよ」
「甘く見てるわけじゃない。つーかお前、学校部外者だろ。捕まる前にさっさと出ろ」
「ああ、それなら大丈夫でござるよ。ほれ、コレを見るでござる」
伊吹は首から下げた「見学許可書」のカードケースを皆人に見せた。
「千草殿に頼んだら、校長と言う人に電話で頼んでくれたでござるよ」
「あの、スケベジジィか」
皆人の通う高校の校長は、節度ある女好きとしてこの辺りでは有名な人物である。可愛い子がやってくるという話なら、二つ返事で見学を許可したに違いない。
「それに、何かあっても九王がいるでござるからな」
「おう、任せとけ」
コレが決定打となった。皆人は他にも理由を作って伊吹を帰らそうとしたが、すぐにやめた。伊吹は思いのほか頑固者だ。ここ数日で嫌というほど思い知らされた。すなわち、無駄な労力。結局、皆人の打ち出した案は、極限に伊吹を無視することだった。
「とにかく、目立つことだけはするな」
短く注意し、再び皆人は視線をグランドへと戻した。丁度その時。
「伊吹さーん。ちょっとーっ!」
グランドから、未だに皆人が打ちとれなかったことに落ち込んでいる高坂の声がした。
「ん? 何でござるかぁー?」
「伊吹さんも、一緒に野球しようよー」
「拙者が、でござるか?」
生徒たちがグランドから手を振り伊吹を呼ぶ。一方伊吹は、彼らと、そしてすでに腰を下ろし、組んだ手の上に顎を乗せ我関せずとしている皆人の方を交互に見る。
「み、皆人殿」
「俺は知らん」
むなしく跳ね返され、更に困惑する伊吹。対して皆人のクラスメートの行動力は凄かった。見るに見かねた女子たちが伊吹の下に駆け寄ってきたのだ。
「ほらほら、伊吹さん。やってみましょうよ」
「な、ちょっと待つでござる。皆人殿」
「俺は知らん」
かくして、伊吹はあっという間にバッターボックスへと連れてこられたのだった。
刀の代わりにバットを持ち、道着姿でグランドに立つ伊吹の姿はなかなかにシュールだ。
「いいの、あれ?」
そんな姿を見るに見かねてか、皆人の所に戻ってきた東夜が遠慮がちに質問した。
「俺は知らん」
皆人は皆人で、同じ言葉を繰りかえるだけ。冗談でなく、本当に興味がないようだ。
相手が女子、しかも美人と言うこともあり、ピッチャーマウンドに立つ高坂がいつの間にか復活していた。
「ふっふっふ。女とて、容赦はせぬぞ」
しかも、下手な口真似をしている始末だ。本当に皆人のクラスメートはノリがいい。
学年の問題児が集められたクラスだと噂を聞いたことがあったが、そのクラスメートに自分がランクインされていることと、メンバーのほとんどが一年の時と同じであることに、皆人が今更ながら溜息をつく。類は友を呼ぶ。問題児だらけの中に、これまた問題だらけの伊吹が巻き込まれたのは半ば必然であったのだろう。
「伊吹さーん。がんばってー」
「まぁ、及ばずながらやってみるでござる」
流石に伊吹も緊張しているのか、その表情は硬い。
一方、本当に高坂に容赦はなく。初心者の伊吹相手に高々と腕を振り上げた。
「俺が勝ったら。付き合ってもらうぞ、覚悟しろ」
しかも、変な条件まで付けて。しかし、この言葉が伊吹の闘志に火を着けた。
「そ、それはならぬでござるよ。拙者には、皆人殿がいるのでござるから」
「「ええええぇぇぇぇぇぇぇーっ!?」」
グランドに皆人のクラスメートの絶叫が響き渡る。「なになに、やっぱりそういう関係だったの?」「何で皆人ばっかり」「ねぇ挙式は何時。ハネムーンはどこ?」「俺たちの夢は所詮叶わぬ幻想なのか?」「我らに愛を、神埼皆人に鉄槌を」etc
歎息を漏らし、憐れむような眼を前方に流す皆人。
「……ほんと、馬鹿ばっかだな」
もはや伊吹の野球はどこへやら、クラスメートが再び皆人の下に殺到してきた。
「わ、やばいよ。皆人」
そのあまりの迫力に、皆人の隣でたじろぐ東夜。が、当の皆人は至って平然としていた。
「おい、ボケ鴉。何とかしろ」
「それが人にモノを頼む態度かよ?」
「人じゃないだろ」
「ちっ、しゃぁねぇな。カァァァァーッ!」
本日二度目の九王の雄叫びが、グランドに木霊した。クラスメートたちがピタッと足を止め、なにやら訳のわからないことを口走りながら自分たちがいた所へと戻っていく。
何とも、便利な能力だ。仕切り直しで伊吹の打席が始まった。
「行くぞ、伊吹さん」
高坂が振りかぶり、渾身の力でボールを投げる。綺麗にバックスピンの掛かったボールは伊吹の手元で更に伸びた。だてに二年で野球部のエースに上り詰めてはいない。
伊吹のバットが空を切り、スパーンとボールがキャッチャーミットに吸い込まれる。
「おお、コレはなかなか凄いでござるな。だが、次はこうはいかぬでござるよ」
「伊吹さーん。ボールは最後までよく見てね」
「あい、分かったでござる」
野球の授業はどこへやら。辺りは完全に伊吹のお披露目式と化していた。
「さあ、来るでござる」
「その意気、よし」
キャッチャーからボールをうけとり、再び高坂が振りかぶる。
「打てるものなら、打ってみろ」
目に集まった闘志を轟々と燃やし、高坂が初球をはるかに上回るストレートを放った。
だが、侍の動体視力を持つ伊吹に、真っ向勝負は無謀過ぎだ。伊吹の眼は確実に投球を捉え、迎え撃つ。伊吹のバットが唸りを上げ、スパーンッッという快音を響かせた。
「スパーン?」
ボートとバットが奏でるはずのない異音に、思わず皆人が伊吹たちの方を向く。まず初めに目に飛び込んできたのは、あんぐりと口を開ける生徒たち。次に、何やら「あわわわ」と慌てる伊吹。そして最後に、伊吹の足下に転がす真っ二つに割れた野球ボールだ。
「……おい、東夜」
「……何?」
「どうやったら、バットでボールが切れるのか。三文字以内で説明してくれ」
「さぁね」
軽く返す東夜だったが、彼も相当驚いているんだろう。眼鏡が少しずり落ちていた。
「も、申し訳ござら……、うきゃっ!?」
「「うおぉぉぉー」」
伊吹の謝罪を遮ったのは、伊吹の神業に沸く生徒たちだった。
彼らは一斉に伊吹に駆け寄り、あっという間に伊吹の姿は皆人から見えなくなった。
「な、ちょ、ちょっと待つでござる。お、落ち着くでござるよっ。皆人殿っ!」
生徒たちに揉みくちゃにされ、助けを請う伊吹の声がグランドに木霊する。
そこに午前の授業の終了を知らせる鐘が木霊した。
「さっ、東夜。行くか」
「ええっ! いいの、あれ?」
あまりにも薄情な皆人の態度に、東夜は思わす伊吹の方を指す。東夜の指の先では、クラスメートに称えられ、崇められ、跪かれる伊吹の姿があった。
東夜の声に応える皆人は、相も変わらず素っ気ないものだ。
「俺は目立つなって忠告した。あれは、あいつが悪い」
教室へ歩いて行く皆人。この後、三度目の九王の雄叫びが木霊したのは言うまでもない。




