(4)
台所。そこはいかなる時代においても戦場である。
「伊吹、なにをしている。もっと素早く、迅速に動きなさい」
「しょ、承知でござる。千草殿」
そして、こと神崎家の台所において、そこ一体の実権は千草が握っていた。普段は清楚で穏やか+能天気な千草であるが、台所に立った彼女はまるで別人だった。
千草の両腕は神速を超え、傍からはまるで腕が8本あるようにすら見える。まな板に乗せられたサバは彼女の振るう愛包丁で一瞬にして三枚に下ろされ、綺麗な放物線を描きながら魚焼き機へ。千草の伊吹にも劣らない長い髪が、大きく揺れたかと思うと、その動きに合わせ刻まれた野菜たちが伊吹の用意した皿へ吸い込まれるように盛られていく。
そんな戦場に、千草の声に合わせて動く、小さく不思議な影があった。
千草の命令に応じ動く伊吹。しかし、その姿が些かおかしい。
3頭身の身体に、顔とは不釣り合いな大きな瞳。いつもの凛とした印象から、ちっちゃくてかなり可愛らしくデフォルメされたその姿は、さながらマスコット人形かぬいぐるみ。腰に差す《睡蓮》今は物差しほどの大きさしかない。
今の姿はプチ化と言われるモエモンのオプション機能の一つだ。
今伊吹がその姿を取っているのは千草のリクエストによるものである。 今の身長は千草の膝元ほどしかないが、そこは身体能力特A級。細々と飛び跳ね任務を遂行するその動作に無駄はない。
「次、大皿2.お椀4」
「承知でござる。千草殿」
「遅いぞ、伊吹」
「申し訳ござらん。千草殿」
「伊吹、ここでは軍曹と呼びなさい」
「しょ、承知でござる軍曹殿」
動き回るプチ伊吹に、千草の鋭い檄が飛ぶ。もちろん伊吹の動きは小さくても遅くはないのだが、台所での千草の動きは常軌を逸していた。
と、そこへ命知らずの馬鹿が一人&一匹。
小柄な影は音も立てずに台所へ忍び込んだかと思うと、すぐさま千草の死角へと回りこみ、僅かな隙をついて机の上で湯気立つ天ぷらへ飛び付いた。
「もらっ……」
「甘いっ!」
台所の端から端へ、研ぎ澄まされた包丁が空を切る。その切っ先は狙い澄ましたかのように、摘み食いを仕掛けた詠春の甚平の襟を貫通し、小柄な身体を台所の壁に縫い付けた。
「摘み食いは許しませんよ。お義父さん」
千草が鬼をも食べてしまいそうな眼光で詠春を睨みつける。
だが、詠春たちの攻めは2段構えだった。
「ふっふっふ、今じゃっ!」
「任せろ」
千草の意識が詠春に集中したのを見計らい、黒い旋風が台所へと突っ込んできた。
狙うは、千草の対角線上にある唐揚げ。九王の嘴が大きく開く。
「ぐげぇ」
「あらあら、こんなに美味しそうな鶏肉が」
一瞬にして千草は机を回りこむと、その細い指でがっしりと九王の喉元を掴んでいた。
冷笑を浮かべる千草。その眼は全く笑ってない。本気の眼だ。
「ギャーギャー。後生だ。助けてくれ、伊吹」
「九王が悪いでござるよ。諦めるでござる」
「ふっふっふ。首へし折って~~、血抜きしてぇ~~♪」
「助けてくれぇぇぇー」
千草の鼻歌に九王の叫びが重なる。
そこへ、料理の終了を告げる電子ジャーの音が台所に響いた。
「あら、やっとご飯が炊けたわね」
千草の気配が険としたものから普段の穏やかなものに戻り、九王を掴んでいた指を放す。
「あらららら。ごめんなさい、九王ちゃん。でも、摘み食いはダメよ。わかった?」
千草の質問に、九王が秒速十九回のスピードで首を縦に振る。
それを確認した千草は、台所の端で身構えている伊吹へとその微笑みを移した。
「伊吹ちゃん。みっちゃん呼んで来てくれるかしら?」
「かしこまったでござる。軍曹殿」
「あらあら。もう千草でいいのよ」
伊吹はデフォルメされた身体を普段の姿に戻すと、きびきびとした動きで自身の持てる最速のスピードで皆人の部屋へと向かった。
「皆人殿、夕飯でござるよ。皆人殿」
数回扉をノックしてみたものの、返事は無し。念のため、伊吹はもう一度声を掛けたがやはり結果は同じ。一瞬悩んだものの、伊吹は皆人の部屋の扉をゆっくりと開いた。
「皆人、殿?」
扉と真反対に置かれた勉強机。そこに皆人の姿はない。スヤスヤと僅かに聞こえる寝息。
「――不用心でござるな」
小さな笑みを浮かべ、伊吹はベッドで横になる皆人に歩み寄った。
「皆人殿。起きるでござるよ。ご飯でござる」
よほど眠りが深いのか、布団も被らずに寝転がる皆人に起きる気配なし。
「………………」
伊吹が黙りこむ。出逢って丸1日。寝る部屋は同じだが、こうして皆人の顔をじっくり見たのは初めてだ。古い日本人の容姿が色濃い皆人。半袖から伸びる鍛えられた腕は、同級生のそれよりかなり太い。
「……んぅ」
その時、剣の道しか知らない伊吹の中で何かが疼いた。二人っきりの空間。もし《萌え》ポイントを図る対象が伊吹だったのなら、間違いなくその数値は急上昇したであろう。
ドクンドクンドクン。自分の心臓がやけに大きく聞こえる。
それは死地に立った時の緊張に勝るとも劣らない。
自分の胸の前で、キュッと手を握りしめる伊吹。
「ん……んあ……んっんん」
唸りながら寝返りを打つ皆人。その身体がぶつかりそうになり、伊吹は当ててベッドから飛び降りた。遠目で見る皆人は、しかめっ面を浮かべながら、なにやらもがく様に何度も何度も寝返りを打つ。その動きはすぐに止まって、再び規則正しい寝息が響いてきた。
再び詰まる二人の距離。気が付けば、皆人の唇が伊吹の目の前にあった。
止まったように、そして急速に流れる時間。再び皆人の唇が動いた。
「ん?」
何か言っているようだが、聞きとれず、伊吹は自らの耳を皆人の唇にそっと近づけた。
「ええと、なになに? マルチーズ?」
意味の分からない寝言に、伊吹が再び視線を皆人に向けた、その瞬間。
「何してんだ」
突然、皆人の目がカッと開かれた。
「わ、わわわわわ。……ウキャっ!」
驚き余って、伊吹はそのまま後ろに転倒。さらにテーブルの端に後頭部を痛打。
涙を流す伊吹に、寝起きでぼさぼさになった髪を掻く皆人は冷ややかな視線を送った。
「寝込み襲うとは、いい度胸だな」
「いや、拙者はただ軍曹に頼まれて」
「俺、何か言って……?」
「せ、拙者は何もしておらぬ。しておらぬでござるよ」
「…………」
無言の質問に、伊吹は「あはははは」と空笑いを返すしかなかった。
「ゆ、夕御飯が出来たでござるよ、皆人殿。さぁ、行くでござる」
強引に話をそらし、皆人の手を取る伊吹。
一方、皆人はそれを拒む訳でもなく、なすがままに伊吹の後に付いて行った。
食事終え、別々に風呂に入り、皆人と伊吹(おまけの九王)は再び皆人の部屋に集まっていた。集まるとは言っても、状況は伊吹が千草のお願いによりプチ伊吹のスタイルを取っている以外、昨日と全く一緒。
別段何か話をするわけでもなく、皆人は机で目を閉じて音楽を聴き、伊吹は布団の上で何か話す口実を探しながらキョロキョロし、九王は皆人のマンガを読みふけているだけだ。
だが、今日は動きがあった。暇を持て余したのか、はたまた別の理由からか。突然皆人は立ち上がると、何やらゴソゴソと押入れの中を探し始めたのだ。
小首を傾げる伊吹。九王に視線を送るが、九王は皆人に関して無関心。九王は本当に皆人が気に入らないようだ。
「あった」
注意しなければ聞き逃しそうな呟きが押入れから漏れ、押入れから大きな木盤を取り出した皆人は、部屋の真ん中にドカッとそれを置いた。
「皆人殿、それは……」
「ルール、知ってるよな。暇なら付き合えよ」
将棋を取り出した皆人は、そう言って伊吹を誘った。
「別に。ただ、お前の癖を知りたいだけだ」
「え?」
「顔に書いてあるぞ」
いとも容易く心を読まれたことに一瞬伊吹は顔を真っ赤に染めたが、すぐに嬉々として伊吹は皆人の真ん前に陣取った。単純に、皆人に構ってもらえるのがうれしいのだろう。
「勝負するからには、手加減はしないでござるよ」
「そのふざけた姿を元に戻せ。ヤル気が失せる」
「あ……、その通りでござるな」
伊吹が恥ずかしそうに頷き、身体から眩い光を放つ。皆人の部屋を隅々まで照らした光が収まると、伊吹が元の麗しい八身に戻っていた。背筋を伸ばし、伊吹が対面に正座する。
「お前から指せ」
「御意」
促され、本当にうれしそうに伊吹は駒を握った。規則正しいリズムで駒が盤上を踊る。
「しかし、将棋とは。拙者が言うのも何でござるが、皆人殿は本当に古風でござるな」
「悪いか?」
「い、いや。そんなつもりで言ったのではござらぬよ」
慌てて取り繕う伊吹を「ふん」と鼻であしらう皆人。
二人が打ち始めてそろそろ中盤戦。盤上は随分とハッキリしたものだった。
伊吹は金銀を王に集め、その上逃げ道も残しながら鉄壁の壁を作りつつ、一点に勢力を集中し皆人の陣地に乗り込んでくる。
対して、勝負を仕掛けた皆人の陣形はかなり奇怪なものだった。攻める訳でもなく、守るわけでもなく、時折敵を切り崩すもののその大部分は意図の掴めない打ち筋ばかり。
中盤の硬直戦の最中、先に伊吹が勝負に出た。
「行くでござるよ。皆人殿。王手でござる」
一際大きな音を立て、伊吹が香車を盤上に打ちつける。小さな音を立てて王を逃がす皆人。その王を逃すまいと、伊吹の怒涛の攻めが始まった。
「王手、王手、王手っ」
次々に打ちこまれる駒。12回ほど王手が続いたところで、伊吹の動きが止んだ。
「ぐっ」
低い呻きと共に、流れるように動いていた伊吹の手が止まる。まるでこの機を待っていたかのように皆人の放った歩の一手が、伊吹の動きを縫い止めたのだ。
そして、ここから皆人の反撃が始まった。
「王手、だ」
それまで動くことのなかった皆人の駒が、まるで命を与えられたかのように動き出す。
「王手。王手。――王手」
「なっ? くっ!」
連続の王手。
「王手飛車角取り」
「えっ? まさか、そんな手が?」
好手に鬼手。
「う、ううう。参った、でござるよ」
怒涛の猛反撃はあっという間だった。しゅん、と項垂れる伊吹。
しばらくの間ジーっと盤上を見ていた皆人は、満足したのかせっせと駒を片づけ始めた。
「皆人殿、あのでござるな」
「今日はもう無しだ。寝るぞ」
再戦を申し出た伊吹を、皆人は聞き入れる間もなく却下。
将棋盤を押入れに仕舞い込むと、代わりとばかりに伊吹の布団を取り出した。
無言のまま渡された布団を受け取り、伊吹は名残惜しそうに将棋盤を見ながら寝床を準備する。何か口にしようかと思ったが、皆人も九王もすでに自分の巣の中だ。伊吹は若干しかめっ面を浮かべるが、それでも皆人が自分の相手をしてくれたことに対する喜びが勝ったのか、最後には笑いながら部屋の電気を落とした。常夜灯だけがただ暖かく光る。
「伊吹」
そんな中、不意に皆人が伊吹を呼んだ。
「何でござるか?」
「お前の癖は、良くも悪くも保身に回るところだ。保険を掛けるのはいいが心に隙を作るな。それと、攻め自体は悪くない。が、調子に乗るな。もっと周りを見る広い視野を持て」
「な、なるほど。承知したでござるよ、皆人殿」
常夜灯の薄明かりの下、太陽のような笑みを浮かべる伊吹。
その輝きは次に続く皆人の言葉で更に増すこととなった。
「それと……、将棋は一日に二回までだ。忘れるな」
「皆人殿!」
「話は終わりだ。もう寝ろ」
その言葉の通り皆人は完全に口を閉ざしたが、伊吹はその後しばらく喜びに浸っていた。




