第3話 船の中で
「良い嫌味だったね。」
白石が笑った。
「え?嫌味か、あれ?」
「安全運転だったとか、連れてきてくれて…とか、嫌味じゃない?」
確かに、そう言われればそんな気も…。
「怒らせたか?」
素直に感謝を伝えたかっただけなのだが。
「大丈夫でしょ。気にすることないわよ。」
サユが伸びをしながら言った。
「早く行きましょう。あと一回の乗り換えで万別街よ。」
「えー、あと一回あるの?またこれやるの?」
「今度は、起きているよう頑張ります……。」
拓郎さんが恐縮したように頭を下げた。俺達は次の電車のホームに向けて歩き出した。しかし、サユの先程の姿について触れる人はいなかった。
幸い、次の電車は何だか途中止まったものの、一時間ほどで目的地についた。やはり、先程の電車の車掌が特別だったらしい。
ホームには、初めて万別街を訪れる方はこちら、と、標識があった。
それを辿っていくと、検査室が現れる。
「まだ若いんだから…。」
「仕事探してるなら、私たちが面倒みるよ。」
ここは最後の勧誘だ。だけど、もう、ここで止まるような俺ではない。
白石、拓郎さん、サユは、脇目も振らずに、歩いていく。検査室の中までは、彼らもやってこなかった。
男女別の検査室に入らされ、全裸にされて、穴のまた穴まで見られる。
謎の溶液につけられて、洗われる。
血をこれでもかというほど取られてへとへとになる。
全てが終わった時には、立ち上がる元気もなかった。
貸してもらえた松葉杖をつきながら、歩いていると、前方に白石が見えた。
「よう、お前も終わったのか。」
背後から白石に声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせて、振り返った。
「ああ、うん、終わったの。」
「お前も裸にむかれたか、あれやばいよな。」
「あ、うん。」
珍しく歯切れが悪い。顔を見ると、少し赤くしていた。いくら白石でも、女の子にズケズケ聞くことじゃなかったか。
「なるほど、これはこれで面白いな。」
「…なにが?」
「いや、なんでも。」
こいつにもそんな感情があったのか。
「他の二人は?」
「分かんない。まだだと思う。」
そんな話をしていると、遠くから松葉杖をついた覇気のない男の姿が見えた。
なんだか、酷く小さくなったような気がする。
「わあ、皆さん…。こんにちは。」
「…大変だったな。」
「身体がぼろぼろだと言われました…。検査がどんどん増えていって…。最後の方は何が何だか…。お前が行くのは病院だと……断りましたが。」
拓郎さんは苦笑した。
「サユは?」
「ここにいるわよ。」
横からひょっこりと顔が出てくる。顔色は良さそうだ。
「皆、揃ってるわね。ほら、行くわよ。船が出ちゃう。」
「船?」
まだなにか乗るのか。
「万別街は湖に囲まれてるの。連絡船が一日三回出るんだよ。」
「じゃあまた妨害があるのか?」
「ないわ。連絡船は万別街との共同運営だから、彼らが妨害なんて、チンケなことさせない。」
廊下を歩いていくと、外に出た。
風が強い。船の音が聞こえる。辺りには、自衛隊と思わしき制服を着た人達が歩いていた。
ここは日本の終わり、万別街への玄関口だ。
松葉杖を返してから、連絡船と書かれた看板に従い、船に向かう。もう、たくさん歩かなければいけないなんてことは無く、直ぐ側に発着場があった。ここで、検査の時預けた手荷物も返してもらう。あの老人から貰った金は没収されるかと思ったが、血まみれのまま返ってきた。
今日の最終便である船に全員乗り込むと、ちょうど出航時刻だ。船がゆっくりと陸を離れていく。
明るい機械都市が、暗闇に吸い込まれ消えていく。遠ざかっていく日本を背に、近づいてくる陸地に思いを馳せた。
夜の空には月が輝く。夜の湖面は暗く沈んでいる。
「向こうに着いたら、皆はどうするんだ?」
甲板で、湖を眺めながら、尋ねる。
「私は、取り敢えず戻って報告してから家に帰るわ。あなた達は多分、初心者講習があると思うわ。多分、無料だから聞いていきなさい。」
「そうか。ありがとう。」
波の音が聞こえる。水面を見ると、暗い水の中に、大きな魚影が見えた。体長は何十メートルあるだろうか。
魚影は船の周りをくるくると回っていたが、不意に水しぶきを立てて去っていった。
「私たちには聞こえない超音波で追い払ったのよ。」
「…なんだあれ、デカすぎないか。」
「異界から出てきてここに住み着いちゃったのよ。あれくらいで驚いてたら駄目よ。最もヤバいのもこの湖にはたくさんいるわ。間違っても泳いじゃ駄目よ。」
「ああ…でも、そんな気にはなれ…ない。」
気持ち悪くなってきた。船酔いというやつか。頭がぼおっとして、何も考えられない。船には乗ったことなかったから、酔うタイプだとは知らなかった。
「酔い止め…いりますか?」
拓郎さんから酔い止めを貰う。飲んでみるもあまり効果がない。
「中で休んだら?」
「そうしようかな…。」
「私はまだ少し外にいるね。」
ふらつく足で中に戻る。中では、少なくない乗客とすれ違った。一体どこから来たのだろう。
座敷を見つけて、ふらふらしながら横になる。絶妙に気持ちの悪い揺れ方、一番嫌なタイミングで揺れが起こる。
目を瞑って寝ようとするも、吐き気と目眩で目が覚める。大人しく、寝もせず、ただ、横になる。視界が曖昧になる夢と現実の境目が分からない。そこに、キラリと光るもの。
特に何も考えず、廊下に落ちていたそれを拾い上げた。
それはイヤリングだ。価値は分からないが、高価そうな気がする。
売ったら金になるだろうか。一瞬、いつもの癖でそう考えたが、ここはもう万別街の領域だ。その行動がどういう結果に繋がるのか分からない。
拾ったのを後悔する。そのまま戻すのが良いだろう。だが、ちょうど人が通りかかって、戻すタイミングを失う。そのまま気持ち悪さが頂点に達して、座り込んでしまった。
何人もそこを通りかかる。
だれか何かを探している人はいないか薄目を開けて確認する。何人も何人も通りかかる。だけど、下を向いている人はいない。そうしているうちにだんだん眠くなってきた。
一人、男が通りかかった。下は向いていない。その後の女、その視線を受けた時。
「…あなた、何か持ってる?誰か探してる?」
突然、女が話しかけてきた。その目は、何かを探るというより、確信している目だった。
「…ああ。イヤリングを見つけたんだ。」
あったことをそのまま言った。隠し事はできないと思った。
「ほんとか?」
男が戻ってきて問いかける。俺はポケットからイヤリングを取り出した。
「お前のか?」
「ああ…ああ!」
男は嬉しそうに頷いた。俺はイヤリングを男に渡す。
「ありがとう。助かった。探してたんだ。」
「そうか、よかった。」
俺はそう言って立ち去ろうとしたが、男が引き止める。
「何か礼をさせてくれ。すまん、今手持ちが少なくて、これくらいしかないが。」
男は懐から紙を十枚ほど取り出して、俺に渡しようとする。貰えるものは貰っておこう。しかし、この十枚がどれほどの価値なのか俺には分からない。
「…いや、それはいい。その代わり、万別街とか異界のこととか、まだよく知らないんだ。教えてくれよ。少しだけでいいから。」
そう言うと、二人は顔を見合わせた。
「…高くついたわね。」
女がそう言って笑った。
「うるせえよ。」
男は不満そうに呟いた。
「…不味かったか?」
「いや、それでいこう。そうだな。落ち着いたらこの番号に連絡してくれ。スタンダードプラン分は働いてやるよ。」
男は名刺を渡す。そこには、篠崎仁と書かれていた。
「スタンダード…?」
「いつもやってるんだ。初心者相手の説明や訓練。それのよくあるプランだ。」
他にも色々聞きたかったが、直ぐに二人は去ってしまった。
その後、少し眠って、起きて、暫くすれば気分もマシになったから、甲板に出る。
まだ真夜中の湖面は相変わらず何も見えなくて、人もほとんどいなかった。皆眠っているのだろうか。
一人、散歩がてら甲板を歩いていくと、ベンチに見慣れた後ろ姿が見える。白石だ。一人で湖をぼおっと見ているようだ。近づいていくと白石も気づいた。
「酔いはもう治ったの?」
「ああ、平気だ。」
「そう…。」
それっきり、白石は再び湖に視線を向ける。俺も隣に座って、同じ方向を見つめた。
「…まだ、万別街に行くのは反対なのか?」
「別に反対じゃないよ。気が乗らないだけ。」
「そうか」
「でも、楽しみでもあるよ。旅行をするのは好きだもん。知ってるでしょ。」
「ああ、」
何度か、彼女にねだられて旅行したことがあった。動物園と、温泉と、後は何だったか。
「温泉…入りたいな。」
「ああ。今日は疲れた。」
二人で、ただ、暗い湖面を見ていた。




