第1話 終点の簒奪者 前編
『万別街のある場所は、七十年程前に異界から溢れ出したアノマリーによって占拠されました。その後、民間の安全保障会社が奪還。しかし、国に返還されることはなく、万別街が作られました。彼らは国の憲法、ルールを完全に無視し、自治組織を作りました。その場所では日本国の法律は通用せず、人権と安全は保証されま……』
動画の中でマスコットが厳しい顔でセリフを読み上げる。万別街の歴史を解説する動画だ。
どれもこれも、おどろおどろしいサムネイルを使っている。
「…少し怖くなってきたな。」
「まだ引き返せるよ。」
白石は外の景色を見ながら、そう言った。
ここは、万別街に続く電車の中だ。いや、正確には、万別街に直接行ける電車はない。
この国は国民が万別街に行くことを推奨していないからだ。しかし、過去数度の内乱から、国と街との間で、互いの行き来を邪魔しないという条約が結ばれた。
互いに、危険物を持ち出し、持ち込みさえしない限り、誰でも境界を自由にまたぐことができる。
『この電車は次の○○で終点です。△△へお越しの方は□□線にお乗り換えください』
アナウンスが流れる。ここから近い施設の名前も読み上げられる。しかし、万別の文字は出てこない。それどころか、万別に向かうための乗り換え路線の名前すら出てこない。
端末で調べれば一発なのだが、これが国のささやかな抵抗の果てだ。
電車を降りて、階段を下り、上り、そしてたくさん歩いて端のホームに向かう。
するとほかの電車に比べて明らかに本数と車両数の少ない電車が現れる。そこに乗り込むが、アナウンスは先ほどよりも少なくなっている。この先には何もないとでも言いたげだ。人もまばらで合っているのか心配になるが、事前に情報を知っていたので問題はない。
日本は万別への行き来を認めたが、それでもできる限りの妨害を試みた。万別街周辺から人を少なくし、電車の本数を減らし、直通も減らした。驚くことに、あと十数キロの距離を三回も乗り換えなければならないらしい。何が何でも行かせたくない、そんな意思が感じ取れる。
それでも、万別街に近づいてくると、一度減った人の数が元に戻ってきた。別のルートから来た人たちがこの路線に集約されていくのだ。ただでさえ少ない車両では受け止めきれず、座れなくなってくる。
満員の電車の中、人々の顔が近くで見える。沈んだ顔、希望に満ちた顔、覚覚悟を決めた顔、泣き出しそうな顔。色々だ。
そして明らかに通常よりゆっくりとしたスピードで、誰も使わないだろう駅に止まりまくる。嫌がらせもここまでくればあっぱれだ。
ちなみに、戻りの車両には特急があるらしい。さっさと引き返せということだ。
アナウンスが少なくなり、幸せを歌う内容が増えていく。メンタルヘルス、職業斡旋、大学、奨学金、国の支援制度、住宅、etc.
そしてもう少し近づけば、万別街のニュースが流れてくる。殺人、強盗、詐欺、性的暴行、抗争、etc.
白石はそういった情報やニュースを見るたび、「こんな制度があるんだね」とか、「怖いねー」とか言ってくる。
車内にいる人たちも暗い顔をして、一人、また一人と降りていく。
気づけば、満員電車ではなくなり、座れるようになっていた。
空いた席を見つけて、白石が駆け寄る。
対面になっている四人席、その片側が空いていたのだ。座ろうと近寄ると、その前に少女が一人、座ってしまった。
少女は白石を見ることなく、鞄から本を取り出し、読み始める。白石はそんな少女をじっと見つめて、そのまま少女の隣に座ってしまった。
「は?」
少女は信じられないといった表情で白石を見る。
しかし、白石は気にすることなく俺を見て手招きをした。対面にもう一席空いているから座れと、そう言いたげな笑みだ。
俺は白石と違って常識をわきまえている。知らない人の隣には座らない。だが、白石の対面に座っていた男は、俺を見て同じように手招きをした。
「どうぞ。」
くたびれた黒いスーツを着た目の死んだ男だ。都会ではこんなのをよく見た。
「すみません、ありがとうございます。」
俺はそう礼を言って、男の隣に座る。ということは、自動的に少女と対面するということで、俺を睨みつける視線をビシビシと感じながら、残りの旅路を過ごすことになったのだ。
旅路の残りと言っても、それは思いのほか長い。
意味の分からないくらい遅い電車が、イライラするほど頻繁に止まる。駅に止まるのはまだいい。車両調整だの、動物が侵入しただの、車掌の水分補給だの。そんな理由でいちいち止まる。
最後のはおかしいだろう。走ったまま飲んでくれ。
『お客様にご連絡いたします。車掌室の清掃のため、一時停車いたします。発車までしばらくお待ちください』
何度目かのふざけた停車アナウンスが流れた時、隣の男が口を開いた。
「妨害も、ここまで来ると面白いですね。」
特に何もせずに窓の外を眺めていたその目を俺に向けて、初めて見る笑みを浮かべている。
「そうですね。話には聞いていましたが、ここまでとは。」
「まだ、十駅以上あるみたいですよ。先が思いやられますね。」
「ええ、暇で暇で仕方がない。」
ここまで暇なら何か持ってくればよかった。端末があれば暇つぶしには困らないだろうと思っていたが、万別街に近づくにつれて電波が悪くなっていき、繋がりにくくなっていた。
「電波……悪いんですか?」
端末の画面を眺めていると、男が尋ねてくる。
「ええ、そうみたいです。あなたは大丈夫ですか?」
「ああ、私は端末を持っていないんですよ。ここに来る前に粉々に壊してしまって。」
「そうなんですか。落としたり?」
「いえ、自分でハンマーで叩いて壊しました。欠片さえ残らないように徹底的に。」
そう語る男の目は見開かれ、少しの恐怖を覚えた。
「これで会社は私を見つけられません。深夜に連絡が来ることもありません。私は自由なのです。ああ、でも、結局電波が悪くなるなら、壊さなくてもよかったかも。」
男の話を聞きながら、この電車にはいろんな人がいるなと思った。
前方の少女はどうだろうか。
ふと、前を見ると、少女と目が合った。彼女も俺を見ていたのだろうか。手元にはもう本はなく、読み終わってしまったことが推測できた。彼女も暇でしょうがないのだろう。俺から目線を反らすも、特にすることもなく目をつぶって寝ることくらいしかやることがないようだった。
「なんかゲームでもあればいいんだけどねー。」
白石がそう言った。
「そうだな、トランプのひとつでもあればな。」
もう何年もしていないゲームの名を口に出す。
「そうですね。家を燃やす前に運び出しておけばよかったです。」
隣の男の物騒な発言は聞かなかったことにして、相槌を打つ。すると、少女が不機嫌そうな顔で仕方がないといった様子で、鞄から何かを取り出し机の上に置いた。
「…あるにはあるけど。」
俺たちは顔を見合わせた。
『車掌の水分補給のため一時停車致します』
『車両点検のため一時停車致します』
『車掌のお気に入りのフィギュアが倒れたため一時停車致します』
アナウンスが流れるたびに動かなくなる車内。
諦めて、次々と降りていく乗客たちを尻目に、俺たちはトランプゲームにいそしんでいた。
「誰か、10止めてるでしょ。」
「俺じゃないぞ。」
「私でもないですね。」
「私じゃないよ?」
実は止めているのは俺だったりする。内心ほくそえんで少女にはしばらくの間苦しんでもらうことにする。
「では、私はこれを。」
「あ、ありがとう!これがようやく出せる!」
「おお、一気に進んだな。」
「…パス。」
「パスはあと一回だね、サユ。」
サユと呼ばれた少女は、悔しそうにカードを強く握って前のめりになる。初めはつんけんしていて、今も態度に変わりはないが、話してみるとそこまで反抗的な子ではない。
「サユさん、カードが見えてしまっていますよ。」
「あ!拓郎さん、言わなくていいのに。」
俺の隣に座る拓郎さんはブラック企業に勤めていて、脱サラして万別街に行くのだそうだ。少し話しただけでも優しい人だが、時折物騒なことを言うのでそこは聞かなかったことにしている。
さて、ゲームは終盤に差し掛かり、これまでのパス回数は俺が1回、白石が0回、拓郎さんが0回、サユが2回。枚数は俺が一枚、白石が一枚、拓郎さんは一枚、そしてサユが三枚だ。
そして、白石が最後の一枚を出した。その時、嫌な予感がした。
拓郎さんの番、拓郎さんは俺をちらりと見て、「ごめんね」とつぶやく。そして、Aを出した。
「あ。」
Aを出せば、その列はKからしか出せない。そして、俺が持っているのは止めていた10だけだ。つまり。
「もう、これ以上は続けなくていいわよね。」
サユは自信満々に、K〜Jを机に叩きつけた。
結局、三位のくせに一位よりも喜ぶサユ。やっぱりこいつはガキだ。ガキにはお仕置きをしてやらねばならん。
「もう一回だ。」
「いいわよ、かかってきなさい。」
第二ラウンドが始まった。
数時間後、一人の男が、車掌室でモニターを見ながら頭を抱えていた。
今日の途中下車率は95%。他の車掌からしてみればかなり良い数値だが、彼からすれば、それは気に食わない数字でしかない。
彼は人呼んで【終点の簒奪者マサ】。彼はこの路線の車掌になってから今まで、途中下車率100%という驚異的な数字をたたき出している万別街行き電車車掌界最強の男だ。
彼はこれまでどんなに決意を固めた愚か者でも、その低速運転と途中停車、そして車内のアナウンスを用いて、必ず途中下車に追い込んできた。彼はその自らの仕事に誇りと責任を持っている。しかし、それを邪魔する愚か者がモニターの中に四人。
すでに万別街までは残り少ないというのに、まだ楽しそうにゲームをしている。
これまでも複数人で集まってゲームをしている奴らは見たことがあるが、皆、やがて飽きてきて、そして諦めて途中下車していった。しかし、こいつらはどうだろうか。かれこれ四時間ほどトランプだけで盛り上がっている。そして途中下車する気配はない。久々に出会った難敵である。
だが、マサは焦ることはない。この程度の敵。これまでも何人だろうと相手してきた。そいつらを全員途中下車させてきたからこその、【終点の簒奪者】なのだ。
マサはマイクのスイッチを入れた。
『お客様にご連絡いたします。当社では、ドロー4は、自分の手札に、場札と同じ色のカードがない時にしか出してはならないというルールは採用いたしておりません。故に、一時停車致します。発車までもうしばらくお待ちください』
「ほら!そんなルールないって!チャレンジとかいうのは無効よ!」
「えーでも、公式ルールには書いてるんだよ。」
「じゃあ、その公式ルールとやらを見せてみなさい。電波が通じるもんならね!」
「うー。」
白石が頬を膨らませた。拓郎さんはうとうとと船を漕いでいる。俺も長時間の移動でいい加減くたびれてきた。だからもう停車理由に突っ込んでやるものか。
「私は万別街の生まれなの。ちょっと用事があって、出てきただけなのに、こんなに時間がかかるなんて。」
「そうなんだー。着いたらさ、案内してよー。」
「まあ、ちょっとだけならいいわよ。ちょっとだけね。私、忙しいから。」
トランプもほかのカードゲームもすっかりやりつくしてしまい、さすがに暇で車内を歩き回りながら、サユに万別街のことを教えてもらっていた。
「万別街に着いたら先ずは執政院に行くといいわ。そこで身分証を発行してもらうの。これがないと色々不便だからね。後は、保険会社ね。安心保険に入るといいわ。」
「住む場所は?」
「まあ、無限城に住んだらいいんじゃない?部屋数がほぼ無限にあって、誰でも住めるマンションなんだけど、マンション自体が好き勝手増築するからたまに迷子になってそのまま出てこれなくなる人もいるわ。」
「へー、面白そうですね。」
「そうよ、万別街は面白い場所よ。そりゃあ人も毎日たくさん死ぬけど、怖いだけの場所じゃないんだから。ああ、早く戻りたいな。そして……。」
サユはとても幸せそうにそう言った。
彼女は他にも色々な話をしてくれた。危険なこと、楽しいこと、様々な話を。
「…そんな場所なら、行ってみてもいいのかもね。」
白石が、初めて万別街に行くことに肯定的な発言をした。
「…そうだな。」
「まあ、入った瞬間に死んでるかもしれないけど。」
「…まあ、そうだな。」
そうそう上手くは行かないか。
「私は…会社から電話がかかってくることがなければなんでもいいんですよ。どんな状況でも、たとえ寝ていたとしても、電話さえかかってくれば必ず三コール以内。それが合言葉でした。」
「なんかわかる気がする。」
「分かりますか!まさかあなたは、我が社の企業理念にも賛同していただける……。」
「拓郎さん。ブラック出てるよ。」
そんな話をモニター越しに聞いている人物がいた。そう、マサだ。彼は拳を握り、プルプルと震わせていた。
楽しいだと?あんな地獄が。
怒りに任せてテーブルを叩こうとして、お気に入りのフィギュアが倒れる。
それを口実にマイクを入れようとして思いとどまった。
もう、いくら停車したところで意味はないだろう。彼らは希望を持っている。偽りの希望だ。しかし、それがある限り彼らが途中で降りることはない。
「そうか、分かったよ。決着をつけよう。」
マサは覚悟を決めた。そして、マイクを入れる。
『お気に入りのフィギュアが倒れたため、一時停車致します』
そして、徐々に減速する。
「行かせはしない。誰一人。あの地獄へと。」




