プロローグ
部屋の電話が鳴り響く。
取るのはワンコール、それ以外はない。
「はい!安西ですー。」
できるだけ元気な声で、与えられた偽名を名乗る。この世すらも盛り上げるように。
「一時間後、はい、一名様ご来店ですね。はい。分かりました。お待ちしております!」
相手からは見えなくても深くお辞儀をする。電話を切るのは相手から。これが社会人の基本だ。電話が切れるやいなや、大急ぎで部屋の清掃を始める。日常感を演出するものをできるだけ排除して、太客モードに切り替える。机のシーツは綺麗なものに、照明も幻想的に、キッチンは隠す。そして。
「おい!帳簿作りは後でいい。お前も手伝え!」
俺は、隣の部屋を開けて、中にいた女に声を張り上げた。女は慌てることなく、書いていた紙の帳簿から目を外し、俺を見てニコリと微笑む。
「はーい。何をすればいい?」
「取り敢えず部屋を綺麗にしろ!スーパーハイパーデンジャラスゴージャスミラクルモードだ。」
「はーい……、デンジャラス?」
首を傾げる彼女は放っておいて、俺は備品のチェックを始める。カード、ルーレット、ダイス、チップ…。一つ一つに傷がないか虫眼鏡で丁寧に確認する。殆どは勝負のたびに新品を使うが、使い回すものも中にはある。少しでも傷があれば大変なことである。
「よし!大丈夫だ!」
次は金の確認だ。今どき現金を持ち歩く者も減ったが、こういう場所には時々、全てのチップを現金で購入する客もいる。この現金は機械に放り込んでチェックする。今日できるゲーム、できないゲームを整理し、掛金の上限下限を確認。いくらまでなら負けられるのか、イカサマの有無、判別のためのカメラ。
大丈夫。今日も大丈夫。俺はこの場所の王なんだ。そう自分に言い聞かせた。
「おい、掃除終わったか?」
三十分ほど経ったとき、俺は女に話しかける。女はカーテンのホコリを取っていた。
「終わったよ。大丈夫。完璧だよ。」
「そうか。」
言葉通り、部屋にはノイズとなるものが殆どなく、神聖な雰囲気が漂っている。…何故か机の上に頭蓋骨が乗っているが、後で片付けよう。
よし!客が来るまであと一時間。最後に、いつも通りリハーサルをしよう…と言うところで、電話が鳴る。
「はい…。」
少しぼおっとしていたのが祟ったか、電話を取ったのは女だった。女はいつもの調子で、時にうなずき、時に相槌を返す。悪くはない電話対応だった。
「承知いたしました。ご来店をお待ち致しております。」
微笑みながら電話を切る。その顔に悲壮感はない。新規依頼でも取ったのだろうか。
そして。俺の顔を真っ直ぐに見て。
「先程のお客様だけど…もう、部屋の前まで来ているみたい。」
ピンポーン。間抜けなベルの音が部屋に響いた。
「は?」
ピンポーン。続けざまにもう一度鳴りひびく。
「開ける?」
女が尋ねる。いい加減にしろ。ドアの前で電話かけてくるやつがあるか。怒りが頭を満たす。しかし、そんなことも言ってられない。
「開ける。リハーサルは出来なかったが、お客様のご来店だ!笑顔でいけよ!」
「はーい。」
俺は覚悟を決めて玄関へ行く。鍵を開けて、鳴り続けるピンポンに終止符を打つ。
「いらっしゃいませ、ようこそ。ゴウマルイチ号室へ。」
外には大柄な男がニヤニヤ笑いながら立っていた。その後ろに黒いスーツを着た小さな老人の姿がある。
「お客様、どうぞ、こちらへ。」
大柄な男を無視して、老人に話しかける。大柄な男は一瞬、俺の態度にムッとした様子を見せたが、直ぐに笑みを戻して、老人を中へと招き入れた。中にいる女が老人を席まで案内する。老人の後ろ姿を見ながら、俺は男に耳打ちした。
「…遅れるときと早く来る時は連絡しろって言ってんだろ。」
男は反省する素振りを見せず、不機嫌そうにタバコを取り出す。
「仕方ねえだろ、あのじいさんが思ったより速く歩くんだよ。」
「電話くらいできんだろ。メッセージでもいいし。あとここは禁煙だ。何回言わせんだ。」
煙草を没収して老人の元へ向かう。老人は女に案内され、既に席についていた。
「お待たせいたしました。外は暑かったでしょう。何か飲み物でも如何ですか?」
「ああ、麦茶で頼む。」
老人は俯いたままそう言った。女に目線を送り、キッチンへと向かわす。
「永合以外にもあるんだな。マンションカジノ…久しぶりだ。」
「おや、経験がお有りですか?」
マンションカジノは非合法の賭博施設だ。普段は人が本当に住んでいるマンションの一室を使って行われるカジノ。本格的なゲームはできず、大きな金額もかけられないが、気軽にできるメリットがある。
「ああ、五十年ほど前にな。」
麦茶が運ばれてきて、老人はそれを一度で飲み干した。
「おかわりを…。」
「追加はいい。早く始めよ。相手は誰だ?」
「相手は…。」
「俺だ。」
その声は、俺の背後から聞こえた。振り向くと、そこには大柄な体躯が。男はニヤリと笑って、俺の耳元でこそり。
「俺にやらせろよ。最近金がねえんだ。」
「…駄目だ、ここは俺が…。」
そう言いかけるも、男は勝手に席についてしまう。こうなればもう変更は効かない。このマンションカジノでは、ディーラー役をやれば幾らか金が入ってくる。その代わり負けすぎると責任を取らなければならない。しかし、男は自信があるのか余裕そうな顔をしている。
このクソが。
内心激怒しながらも、平静を装って進行に徹することにする。イカサマだけはしてくれるなよ。
「…では始めましょうか。何のゲームがご所望でしょう?」
老人は弱々しい手を震わせながらゲームの仕舞われた棚を指さす。
「何でもいい…好きなので相手してやる。」
「おお!じいさん、やるねえ。」
男は楽しそうだ。そして、棚からサイコロをいくつか取り出す…振りをして、自分のポケットからダイスを取り出した。
結局、イカサマか…。
こうなればもう、止めることはできない。立場上はこいつの方が上だからだ。
「…負けるなよ。」
ボソッと、すれ違いざまに呟くと、任せろと、ニコリと笑った。
「ほい、じいさん。お前のだ。」
男はイカサマのない普通のダイスを老人に渡す。勿論自分のはイカサマダイスだ。
「ああ、ありがとう。ほいっと。」
老人はイカサマのない普通のダイスを五つ、軽く振る。転がっていった先で、それら全ては六の目を出した。
男の顔から笑みが消える。
老人は楽しそうに笑った。
「さあ、始めようか。」
それが三十分前の話だった。
「あ…、あ?なんで…、?」
老人の前には、このマンションカジノではこれまで見たことのない量のチップが積まれていた。老人がチップを介しての精算を求めたためだが、途中からチップが足りなくなり、不足分は電子になった。女の持つ端末には既に七桁の勝ち分が表示されている。
カード、ルーレット、サイコロ…その他全てのゲームにおいて、老人は勝ちを収めた。
それは、紛れもない現実だった。
「もう…一回だ。」
男がギラついた目で老人を見据えた。もう辞めろ。俺はその言葉を何度も口にしたが、叶うことはなかった。
彼が席を離れない以上、俺ができることはない。だが、光明は、思わぬところから訪れた。
「そろそろ辞めにするかの。ゲームも一周したようだしな。」
老人はそう言って席を立つ。その言葉通り、この部屋にあるゲームは先程のもので最後だった。
「楽しかったぞ。久々に、いいゲームができた。もう二度と来ることはないだろうが…。元気でな。チップは全て換金してくれ、電子で頼む。」
「しょ、承知いたしました。またのご来店をお待ちしております。」
老人は玄関へと向かう。俺は正直ホッとしていた。しかし、男はそうではなかったようだ。
「待て…。」
気がつくと、彼は玄関の前で、老人の行く手を塞いでいた。
「辞めろ。そこをどけ。」
俺が阻止しようとするが、途端に顔に衝撃が走る。そして背中に鈍い痛み。頭がフラフラする。殴られ、壁までふっ飛ばされたと分かったのは数十秒後のことだった。
彼は元プロボクサーだった。
試合で人を殺してしまってから、裏に転属。しかしサボり癖が仇となり、選手としては出ることはなくなり、今ではヤクザの下請けのようなことをしている。
しかし、その強さは今なお健在だ。その拳が老人に向けられれば、頭がふらふらする程度では済まないだろう。
「おい!」
「黙ってろ、お前は。」
男は老人を上から見下し、そして威圧的な態度で言った。
「死にたくなければ、金を全部置いて行け。」
「ほほ、嫌だと言ったら?」
「じゃあ死ね。」
男は拳を何の躊躇もなく繰り出した。
拳は真っ直ぐと老人の顔面へと吸い込まれ、そして、まるで紙のように全ての肉と骨が崩れた。
それはまさしく魔法でも見ているようだった。手の皮がまるで包帯をほどくかのように肉から解け、次に肉が骨から解ける。残った骨も布のように天を舞って、風に乗って飛んで行った。
「あ……?」
一瞬にして、右肘よりも先が完全に消失した。男は訳がわからないといった様子でぽかんとしている。血が止まらずドバドバと溢れ出る。あっという間に致死ラインを超え、男の体は後ろへと倒れる。
いつの間にか鍵が開いていた扉を押し開け、廊下へと倒れる。二三度痙攣して、そして動かなくなった。
「…シーカー…。」
元は探索者を意味し、今は超常的な力を持つものを意味する言葉が口からこぼれた。体は動かない。
そんな俺には見向きもせず、男の骸を、老人は踏みつけて外へ出ていく。
老人の姿が玄関から見えなくなった時、俺はようやく息をすることができた。
しかし、次の瞬間、聞こえた大勢の革靴の音が俺に絶望を与える。
そうだ。金がこれだけなくなったのだ。収支を見ていた本部が来るに決まっていた。もし、ほんの少しだけゆっくり来ていたら、彼らの命もあったかもしれない。
「おい、荷物をまとめろ。」
俺は女に指示を出した。
「分かった。どこへ行くの?」
「どこでもだ。ここじゃない場所に。」
「いいね。ロマンスがある。」
外から銃声が聞こえた。続いて悲鳴が。そして、それも止むのに時間はかからなかった。
静まり返った廊下。他の住人も騒ぎには気づいているだろうが、出てくる様子はない。
俺はそうっと、扉を開いて様子を見る。
廊下は凄惨な状況だった。床や壁は余すことなく真っ赤に塗りつぶされている。天井のパイプには臓物が引っかかり、だらりと腸が垂れていた。倒れている人だったものは、肉の塊になっていた。地獄というものがあるなら、この場所のことをいうだろう。そう思った。
「お前もやるのか?」
下から声が聞こえた。心臓が止まるかと思った。
恐る恐る下を見ると、足元に少し小さくなった老人がいた。小学生のような身長だ。だけど、顔は老人のままで、不気味な笑みを浮かべている。
「…いや、やらない。見逃してくれると助かる。」
「ああ、そうか。いや、殺しはせぬよ。十分楽しんだ。楽しんだのに…何も与えないのも違うかと思っての。」
老人は俺の手に、血塗れの札束を握らせた。
「これは礼じゃよ。じゃあの。」
老人は背を向けて、血塗れの廊下を歩いていく。しかし、突如立ち止まった。
「ああ、一つ聞きたかったんだ。お主と一緒にいたあの女…。名前はなんと言うんだ?」
名前?あの女の…?
何だったか、いつもおい、とだけ呼んでいた。
名前は…そうだ。確か。
「白石新衣だ。」
嘘をつく気はなかった。
その名を聞くと、老人は一瞬驚いたような顔をして、だけど直ぐに元の顔に戻った。
「…知らん名だな。やはり気のせいか。」
そう、ポツリと零すと、老人はもう振り返ることなく、血塗れの道を去っていった。
その様子を背中が見えなくなるまで見送って、そして部屋に戻って、女…白石を呼ぶ。
「行くぞ!荷物を持ったか。」
「はーい。持ったよ。」
俺は何時でも持ち運べるようにしていた荷物を持って、外に出る。
「馴染み深いマンションともお別れだ。」
「冒険だー。」
白石は楽しそうだ。相変わらず変わったやつだ。部屋を出て鍵を閉めて、全速力でマンションを飛び出す。どこへ行くかは決めていた。とにかくここを離れなければ。
近くを通るタクシーに乗り込む。端末で行き先を設定すれば、ゆっくりと走り出した。
数十分後、良く使うネットカフェの前で止まる。
「取り敢えずここで少し休む。」
手続きを済ませ、個室に移動する。
「作戦会議を始めるぞ。」
恐らくは、老人が俺達を狙ってくることはないだろう。だが、今日殺された連中の上にいる組織が、俺達を狙ってくる可能性はある。できるだけ、離れなければならない。
「…何か、意見はあるか?」
白石に尋ねると、彼女は楽しそうにどこからか観光冊子を取り出した。かなり古い…。何年前のだ?
それを開けると、中には赤い印や線が引かれている。
「行ってみたいところなら沢山あるんだよね。」
「…観光じゃねえんだぞ。」
「でも、どのみち捕まると思うよ。警察も来るだろうし、組織にはあなたの個人情報握られてるだろうし。」
「それは…まあ…そうなんだけどな…。そこを考えるんだよ。」
「無理だと思うよ。諦めようよ。」
「おまっ!お前だって危ないだろう。ちゃんと考えろよ。」
「私の個人情報なんてないよ。彼らも持ってない。」
白石は自信満々に言った。そうだ、確かにこいつは身分証もパスポートも何も持っておらず、戸籍すら役所に存在しないと彼らが言っていた。扱いに困って俺のところまで流されてきたんだ。その時は哀れなやつだと思ったが、ここに来れば最高の強みだ。
「でも、顔バレしてるだろ。どうせいつか捕まる。」
「まあ、それはそうだね。だから、それまで楽しく過ごそうよ。」
「こいつ…。」
楽観主義も、ここまでくれば恐ろしい。こんな調子で適当に過ごして組織に捕まったんだろうな。
可哀想な奴だ。
こいつのことは取り敢えず無視して、頭の中で考える。遠くに逃げても、いつかは捕まる。
力があればいいのに。誰も俺を害せない、圧倒的な力が。
頭の中に、この状況を作り出した老人の姿が浮かんだ。
「シーカーか…。」
「……。」
シーカーとは、この世に唯一存在する異能者だ。彼らは、この国の法には縛られない。特殊な法のもとで活動している。きっと、今日老人が起こした事件も、なかったことにされるのだろう。
彼らは異界への入り口が存在する万別街に住んでいる。そこは、日本であり日本ではない。
きっと、そこへ行けば、組織さえも追ってこられないだろう。問題は、そこは組織さえ赤子同然に扱う、化け物どもの巣窟だということだ。
「万別街って知ってるか。」
「…うん、知ってるよ。」
「そこに行けば、俺は自由になれるか?」
「さあ…どうだろうね。」
上手くいく気もするし、上手くいかない気もする。でも、結局人生なんてそんなものだろうか。
鞄から、老人に渡された札束を取り出す。電子が一般的な現代においてこの厚さの札束を見るのは珍しい。血に塗れて何も見えなくなっているが、良く見ればそれは日本円ではなかった。
拭けば少し見える万別の文字。これは、あの街のお金なのだ。
「…これ、あの街で、使えるか。」
「使えると思うよ。」
「お前はどう思う。」
白石はいつの間にか観光マップを閉じていた。俺がシーカーの話を始めてから、心なしか様子がおかしいように見える。
「反対か?」
「ううん、いいと思うよ。」
「お前は…無理して付いて来なくてもいいぞ。」
こいつなら、どうとでもしてしまいそうな気がする。
「そうだね。」
「悩んでいるのか?」
「そうかもね。」
会話が前に進まない。嫌…なのだろうか。
皆が好きに生きられたらいいのにな。だけど、思いついてから、俺の心は決まっていた。
「俺は行くぞ。」
そう、宣言した。あの街のことは何も知らないけど。それが一番いい気がした。
「そう。」
白石はそれっきり話さなくなった。黙って、どこか遠くを見ている。
そして、ネカフェの時間が終わったとき、俺は白石を置いて外に出ようとした。
俺の袖を彼女が掴んだ。
「あなた一人じゃ死んじゃうよ。」
彼女は寂しそうに笑った。




