第16話 捜索③
俺と拓郎さんを安全な場所まで送り届けた後、ルルは大急ぎで白石の元へ戻っていった。
白石のことは心配だが、反面、あいつなら大丈夫だという謎の信頼感もあった。
サユを乗せたあの赤いオープンカーはすでに遥か遠くに見えたが、拓郎さんには『あれ』があった。
彼が懐から鍵を取り出し、虚空へ突き刺して回す。現れたのは一振りのシャッターだった。シャッターがひとりでにガラガラと全開になり、中から一台の無骨なバイクが飛び出してきた。
これは拓郎さんがコツコツ金を貯めて中古で買ったという、通称「拓郎バイク」だ。俺も何度か後ろに乗せてもらったことがある。
そして今、これ以上の追跡手段は存在しなかった。
「乗ってください。飛ばします。」
拓郎さんはヘルメットを俺に向かって放った。
全身で猛烈な風を受ける。振りのけられそうになりながらも、必死で拓郎さんの胴体にしがみついた。
「もう少しゆっくり…。」
と言おうとしたが、猛風で言葉にならない。拓郎さんは容赦なくアクセルを限界まで絞り込んだ。
轟音とともに周囲の景色がまるで早送りのように流れていく。逃げるオープンカーとの距離も、みるみるうちに縮まっていった。
「見えました。」
あれだけ離れていたオープンカーが、もうすぐ目前に迫っていた。
しかし、向こうも追手に気づいたのか速度を上げる。再びじりじりと離される。
その時、オープンカーの周囲の空間がぐにゃりと歪み、黒い銃口がこちらに向けられた。
「避けて!」
拓郎さんが咄嗟に身を屈める。俺も釣られて体姿勢を低くすると、頭上を掠めるように鋭い突風が吹き抜けた。
銃弾だ。奴はこちらに向けて銃を撃ってきたのだ。
あり得ない、こんな街中で。だが、これが万別街の日常なのだろうか。
男は再び空間から何かを取り出す。今度ははっきり見えた。小銃だ。
「…拓郎さん。防御できるか。」
俺の言葉に、ミラーに写った拓郎さんの顔が歪んだ。
「バリアを張りたいですが、今気づきました。私は移動しながらバリアを張れません。何かを取り出すこともできません。」
彼の言葉に、遅れて俺も理解した。
バリアの展開も物質の転移も、停止して精神を集中させなければ発動できないのだ。奴は走るオープンカーの上で簡単に銃を取り出してみせたが、あれは空間転移を移動中に行う超高等技術ということか。
現状の俺たちには、飛んでくる銃弾を防ぐ手立てがない。
敵の銃口が赤く光る。その瞬間、拓郎さんが力任せにハンドルを右へ切り、狭い裏路地へとバイクを滑り込ませた。
壁スレスレの入り組んだ道を、見事な運転技術で抜けていく。そして再び大通りへと躍り出た。
見れば、オープンカーは俺たちの後方にいた。路地を使ってうまく先回りし、追い越したようだ。
だが――俺は強烈な違和感に気づく。
ビルの前で見かけたオープンカーとの決定的な相違点。助手席に、サユの姿がない。
「やられました…。途中で下ろされたのでしょう。」
「戻ろう! そこまで離れていないはずだ!」
「はい。」
拓郎さんは再びバイクを旋回させ、路地へと入る。しかし、しばらく走ったところで急ブレーキが踏まれ、バイクが激しく停止した。
目の前には、行き止まりの立ち塞がる高い壁。
そして背後からは、あの真っ赤なオープンカー。車一台が通れるかどうかという狭い路地を塞ぐように停止する。
赤い服を着た男が、静かに運転席から降りてきた。
男は一切言葉を発さず、何もない空間からすっと小銃を取り出す。
そして、躊躇なく俺たちへ銃口を向けた。
火花が散り、甲高い銃声が路地裏に轟く。拓郎さんは咄嗟にバイクを降りてバリアを張り、それを真正面から受け止めた。
男はバリアを確認すると、興味を失ったように銃を収める。代わりに今度は一振りの剣を取り出した。刃が背に沿って大きく曲がりくねった変形剣。だが、それが直前のバリア程度では防ぎきれない代物だと、直感的に悟った。
「…下がっていてください。」
拓郎さんは低く言い捨てると、自らも刀を抜き放った。そして静かに歩み出る。
二人の距離が急速に縮まっていく。互いの死線へと踏み込んでいく。
一歩踏み込めば刃が届く――そこまで近づいた時、先に動いたのは拓郎さんだった。
俺の目では到底捉えられぬほど素早い一閃が男を襲う。男は背中を異様な角度で反らせ、間一髪で刀をかわした。
だが、回避運動はそこで終わらない。男は人間ではあり得ないほど背中を激しく反り曲げ、骨がミシミシと鳴る嫌な音を響かせると――。
「くっ…!」
拓郎さんが咄嗟に身を後ろへ引き倒す。瞬間、男は跳ね起きるように元の体勢へ戻り、反動を利用して剣を真っ直ぐ振り下ろした。まるで強靭なバネのように反らせた威力を一気に攻撃へと変え、拓郎さんへ襲いかかる。
ギリギリでかわしたものの、振り下ろされた剣はアスファルトの地面を粉砕し、凄まじい衝撃波が拓郎さんを弾き飛ばした。
拓郎さんは地面に足をついて踏みとどまる。しかし体勢が揺らいだ。土煙の中から、刺突の刃が真っ直ぐに迫りくる。これも寸前でかわしたが、肩の皮膚が裂けて血が滲んだ。
土煙が晴れると、そこには異様な光景が広がっていた。
男はその場から一歩も動いていない。しかし、その手は数メートル離れた拓郎さんを切り裂こうと刃を振るっている。
今度も間一髪で回避したものの、男の腕はムチのようにしなり、狂ったような速度で連続攻撃を加えてくる。
五メートル以上はあるだろうか。長く伸び切った腕は、もはや人間の肉体とは思えなかった。
男は不気味に伸び縮みする腕を振り回し、怒涛のラッシュを仕掛けてくる。拓郎さんは必死にかわし続けるが、攻撃の終わりが見えない。ムチのようにしなる不規則な軌道は、攻撃の予測を許さなかった。しかも、後ろにいる俺を守りながらの戦いだ。圧倒的な劣勢だった。
周囲を見回しても、武器になりそうなものは何もない。室外機、錆びたパイプ、割れた窓ガラス……マンホール。
逃げるなら、ここしかない。
俺は渾身の力を込め、足元のマンホールの鉄蓋を持ち上げた。異能の使えない俺だが、この過酷な街で過ごすうちに、マンホールを開けるくらいの腕力は嫌でも身についていた。
蓋を力任せに開けると、中に身を滑り込ませて叫んだ。
「拓郎さん!」
拓郎さんは男の剣を強く弾き返し、そのわずかな隙を突いてマンホールの中へ飛び込んできた。男の伸びた腕が追撃するように滑り込んできたが、狭い穴に引っかかったのか、不都合を感じてすぐに引き抜かれていった。
そのまま俺たちは、暗闇のつづく下水道の中を無我夢中で駆け抜けた。
下水の中は、息を吸うのも苦しくなるほどの猛烈な悪臭が充満していた。ネズミたちが壁を這い回るカサカサという不快な音が響く。
下水道には有害なガスが溜まっている可能性が高い。下手に吸い込めば即死しかねない場所だ。一刻も早く地上へ抜け出さなければならないのだが、暗闇の中でどちらが出口なのか皆目見当がつかなかった。
何より、下水道へ入ったらすぐに鍵で別の場所へ転移しようと考えていたのに、どういうわけか転移が発動しない。敵の空間結界がまだ尾を引いているのか、それともこの下水道自体がそういう性質の空間なのか。拓郎さんも何度も鍵を試していたが、反応はなかった。
生きた心地もしないまま、地獄のような一本道を進む。
懐中電灯の光を頼りに進むが、先は深い闇と悪臭に覆われ、一向に地上への光は見えない。時折壁に梯子が取り付けられていたが、上を見上げても鉄板やコンクリートで厳重に塞がれていた。
ここはもう使われていない廃下水道なんじゃないか。
そんな思考が頭をよぎる。しかし、引き返そうにも元来た道すら定かではない。
拓郎さんにも明らかな疲労の色が見え始め、互いに焦りで息が荒くなっていく。
体力の限界が近づいていたその時、暗闇の先でふっと小さな温かい灯りが揺れた。
拓郎さんも気づいたようだ。二人で顔を見合わせ、藁にもすがる思いで光の方向へ急ぐ。
近づいていくと、それは暗い壁にぽつんと嵌め込まれた一つの「扉」だった。
下水道の泥壁にはおよそ不釣り合いな、洗練された洋風の木製ドア。カフェの入り口にあるようなお洒落な扉で、ドアノブには『OPEN』と書かれたかわいらしい木製プレートが下げられていた。
店……なのだろうか?
怪しさ満点だったが、この悪臭漂う地獄から逃れられるのなら罠でも何でもよかった。
俺はドアノブを掴み、力任せに扉を開け放つ。中から温かな光と香りが一気に溢れ出してきた。
「いらっしゃいませ―。」
可愛らしい女性の声が響く。
店内を見渡すと、そこは完璧なカフェだった。整然と並ぶ木製の机と椅子、漂う芳醇な焙煎珈琲の香り。木目を基調とした西洋風のお洒落な空間。それが、汚濁に満ちた下水道の扉の先に広がっていた。
「…お好きな席にどう…え?くさっ。」
奥から女性の店員が出てきて、俺達を案内しようとしたが一瞬で鼻を抑えて汚物でも見るような表情をした。
「あ、あの、すまん。下水道にいたんだが、出口を探しているとこの扉が見えて…。」
「…下水道?え…?まさか!」
店員は早足で奥に帰っていく。
「お姉ちゃん!!下水道の扉は塞いでって言ったよね!!!」
そんな声が聞こえた。その後も言い争うような声が聞こえて、徐々にトーンダウンしていた。そして五分後、戻ってくる。
「ごめんなさい。お客様。今、洗浄できるスタッフが来ますから、それまでそこでお待ちいただいて宜しいですか?」
「あ、ああ…。」
「すみません、ここはどこなのですか?」
拓郎さんが尋ねると、店員は背筋を正して、改まって言った。
「ここは隠れ家喫茶、千代万屋。ごゆっくりお寛ぎください。」




