第15話 虫愛でる少女
バッタの弾幕が白石新衣に襲いかかる。
新衣は華麗に、ステップを踏むように、慣れた様子でそれを交わしていく。
しかし、どうしても避けきれない攻撃に対してはバリアを張って防ごうとするも、ことごとく打ち砕かれていく。
見えない空間の壁がガラスのように砕け散る甲高い音を聞きながら、「あと少し」とアリアは可憐に微笑んだ。
彼女は、バリアの使い方を分かっていない。
バリアとは攻撃を真っ向から受けるものではなく、斜めに傾けて配置し、攻撃を受け流すために使うものだ。
馬鹿正直に全ての衝撃を受け止めようとするならば、殺し方は至極簡単である。
アリアは温存していた残りのバッタを大量投入した。
数十匹の巨大なバッタが一斉に彼女を襲う。避けることはできない。受け切ることはもっと不可能だ。
しかし、その目論見は無残に崩れ去った。
弾幕が途切れ、砂ぼこりが晴れた時、そこには無傷の白石新衣が立っていた。
余裕そうな笑みを浮かべた彼女の足元、周囲の道路には、凄まじい亀裂と砕け散った痕が刻まれていた。すべてのバッタの威力が、綺麗に外側へと受け流されたのだと気づくのに時間はかからなかった。
透視の能力で、アリアは見えないバリアの構造を凝視する。
それは、美しい立体構造だった。二つの正三角錐を底面同士で貼り合わせたような、何というのだったろうか。
七枚のバリアを寸分の狂いもなく正確に繋ぎ合わせ、互いに衝撃を相殺・分散させる緩和構造。そして、攻撃を真正面から受け止めず面に沿って外側へと逸らす角度。
単にバリアを複数枚展開するだけなら易しいが、それを戦闘中に正確に組み上げて立体化させるのは極めて難易度が高い。
なるほど……新人だと思って舐めてかかると、こちらが食われそうだ。
アリアは即座を作戦を変えた。
周囲を満たす虫たちの羽音が、僅かに高く不気味に響き始める。
さて、どう戦おうか。
白石新衣は思考を巡らせる。
相手は明らかな格上だ。まともにやり合えば勝ち目はない。今、自分がこうして生きていられるのも、おそらく相手側の「とある事情」によるものだ。
私の三角双錐も完璧じゃない。ジュート程度なら傷一つつかなかったのに、さっきの攻撃で亀裂が入った。同時に複数の面に高威力の攻撃を受けるのは初めてだったから、当然と言えば当然だけど。
これ以上、同じような全力攻撃が続くならいずれ限界を迎えるだろう。けれど、相手がこちらの実力を過大評価してくれるなら、まだ勝機はある気がしていた。
そうこうしているうちに、アリアの攻撃パターンが変わる。
頭上から強烈な気配を感じた。
咄嗟に横へと身を躍らせる。一軒家ほどもある巨大な灰色の刃が、直前まで自分がいた地面に深く突き刺さった。
超巨大なカマキリの鎌だ。
巨大カマキリは立て続けに鎌を振りかざし、新衣を切り裂こうと迫る。
バックステップを踏み、ギリギリのところでかわし続ける。足が危うくもつれそうになり、運動不足を痛感した。
避けた隙を突き、バッタの弾幕が撃ち込まれる。足に僅かに掠れたが、残りは三角双錐の面に沿わせて外へと弾いた。
すると、今度は地面から巨大なムカデが襲いかかってきた。足首にヌルリと絡みつき、猛毒の牙を突き刺そうとする。
「くっ…!」
体表の念力で動きを一瞬だけ止め、その隙に強引にムカデを振り払って距離を取る。
背後から無数の蠅が彼女を包もうとする。蟻が足元を這っていく。蟷螂がもう二体、ビルを砕いて現れた。
「…少し、しんどいかな。ルル!」
空からルルが戻ってくる。蟷螂の一体を錯乱させ、蠅を風で追い払う。しかし、時間稼ぎにはならない。蠅は戻ってくるし、蟷螂は直ぐにルルを無視し新衣を狙う。
流石に疲れてきた新衣に。
やがて、アリアが静かに語りかけてくる。
『どこまで持ちますかしら?』
「さあ、どこまでだろうね。」
『貴方は強いわ。私が保証します。だから、一つだけ教えて差し上げますわ。戦いとは、相手を自分の盤面に乗せた者が勝つのです。』
アリアは口に人差し指を当てて微笑んだ。
『ねえ……虫の音が、大きく聞こえませんこと?』
やがて崩れるように気を失った新衣を、アリアは見下ろした。
物量に任せた攻撃と見せかけて、本命は周囲の鈴虫たちによる音催眠。
これこそが、アリアの描いた盤面だった。
アリアは用済みとばかりに踵を返し、立ち去ろうとする。
しかし―虫の知らせが、不意に首筋の悪寒となって彼女を振り返らせた。
その瞬間、冷ややかなナイフの刃先が、アリアの首筋にピタリと突きつけられる。
「貴方は私を見て『条件が面倒くさい』と言ったわ。貴方ほどの強さがあるなら、普通の戦闘が面倒なはずがない。つまり……何らかの制約を付けられている。例えば、『私を殺してはいけない』とかね。」
ナイフを握る白石が、首筋の後ろから囁く。
「貴方に私を殺す気がないなら、取れる方法は限られてくる。虫の音が聞こえ始めた時から、きっとこれだろうなと思ってたよ。体が動かなくなるのか、眠ってしまうのか、トランス状態に陥るのかは分からなかったけど……眠り系が正解だったみたいだね。」
「……なぜ? 眠らなかったのですか?」
新衣は片手で、耳から小さな耳栓を抜いて見せた。
「ごめんね、今言ったことも聞こえなかった。鈴虫の音が大きくなり始めてから耳栓をしてたの。貴方の言葉は口の動きを読んでたんだよ。」
「……なるほど。今後の参考にさせていただきますわ。ちなみに参考までに伺いますが、これからどうするおつもりですの? まさか、そんなナイフ程度で私を殺せるとはお思いになっていませんでしょう?」
「まさか。そんなこと思ってないよ。だから――交渉。」
新衣はナイフの刃を僅かに触れさせたまま、笑った。
「取引がしたいの。」




