花の名を数える
朝の鐘が、村に鳴り響いた。
澄んだ音が屋根を越え、畑の向こうへと広がっていく。
鐘楼の脇に建つ小屋には、窓から朝の光が差し込んでいた。
白き観測者は、その小屋の中に立っていた。
床には、昨夜老人が掃除をした跡が薄く残っている。壁際には古い道具が並び、窓の外からは鳥の鳴き声が聞こえていた。
やがて、扉の向こうから足音がした。
「おや。もう起きていらしたのですか」
扉を開けたのは、昨日の老人だった。
老人は白き観測者の姿を確かめると、穏やかに目を細めた。
「朝の鐘は、いかがでしたかな」
返事はなかった。
老人はそれを気にする様子もなく、鐘楼を見上げた。
「毎朝、同じ時刻に鳴らしているのですがね。こうして聞くと、日によって少しずつ響き方が違うような気がするのですよ」
風が吹き、老人の白い髪が揺れた。
「さて、私は鐘の具合を見てきます。村の中を歩かれるのでしたら、ご自由にどうぞ」
老人はそう言って、鐘楼へ向かって歩き出した。
白き観測者は、その後ろ姿を眺めていた。
やがて、小屋を出た。
村には、朝の支度をする人々の姿があった。
井戸のそばでは、女性たちが水を汲み上げている。
道の向こうでは、荷車を押す男が車輪を確かめていた。
家々の扉が開くたび、焼いたパンの匂いや食器の触れ合う音が外へ流れてくる。
昨日と同じように、人々はそれぞれの仕事を始めていた。
白き観測者は、石畳の道を歩いていった。
村の外れへ続く小道に差しかかったとき、聞き覚えのある声がした。
「あ! 昨日の!」
振り返ると、少女が籠を抱えて立っていた。
少女は白き観測者のそばまで駆け寄ってきた。
「また会えたね!」
籠の中には、摘んできたばかりの草花が入っていた。
少女は白き観測者を見上げ、それから小道の先へ目を向けた。
「ねえ、今日はこっちに来て。昨日はあんまり教えられなかったから」
そう言って、少女は歩き出した。
白き観測者は、その後に続いた。
小道の両側には、背の低い草が広がっていた。
朝露をまとった葉が光を受け、ところどころに咲く花が風に揺れている。
少女は道端の花の前でしゃがみ込んだ。
「これは紫水花。昨日も見たよね」
淡い紫色の花びらが、朝の光を受けて柔らかく輝いていた。
「雨が降った次の日は、色が少し濃く見えるんだって。おばあちゃんが教えてくれたの」
少女は葉についた水滴を指先で払った。
次に、少し先に咲いていた黄色い花を指さした。
「こっちは天照花。陽の光が当たると、花びらが明るくなるの」
黄金色の花が、風に揺れていた。
「この花がたくさん咲くと、畑もよく実るって言われているんだよ。だから、村の人たちは見つけると喜ぶの」
少女は立ち上がり、さらに小道を進んだ。
その先には、柵に囲まれた小さな庭があった。
庭の中には、いくつもの花が咲いていた。白いもの、淡い紫色のもの、細い茎の先に小さな花をつけたもの。
少女はそのひとつひとつを指さしながら、名前を教えていった。
白き観測者は、少女の指先を追い、花々へ顔を向けていた。
やがて、少女は柵の向こうに咲く青い花の前で足を止めた。
「あ、そうだ。この花なんだけどね」
少女は花のそばにしゃがみ込んだ。
「昨日、家に帰ってからおばあちゃんに聞いてみたんだ。名前は、やっぱりわからないんだって」
淡い青色の花びらが、風に揺れていた。
少女はその花をじっと眺めていた。
「でも、すごく綺麗な花だよね」
そっと顔を近づけ、花びらの一枚一枚を確かめるように見つめる。
「どんな名前なんだろう……」
小さく呟いた声は、風に溶けていった。
白き観測者は、少女の隣で花を眺めていた。
風が吹くたび、青い花はゆっくりと揺れた。
少女はしばらく花を見つめたあと、籠を抱え直した。
「いつか名前がわかるといいな」
そう言って立ち上がると、今度は村の広場へ向かった。




