花の名前
お花の名前を変更しました。
教会を離れてから、いくつもの朝が過ぎた。
道は草原を抜け、緩やかな丘を越え、森のあいだへと続いていた。
雨が降る日もあった。
木々の葉から水滴が落ち、土の道に小さな窪みをつくった。
夜になれば、枝葉の隙間から星が見えた。
白き観測者は歩き続けた。
道の脇には、さまざまな草花が咲いていた。
黄色い花。紫の花。風に揺れる小さな白い花。
そのひとつひとつを通り過ぎ、やがて森を抜けると、低い石壁に囲まれた村が現れた。
村の中央には井戸があり、その向こうには小さな鐘楼が建っていた。
家々の煙突から煙が上がっている。
通りには人々の声が響き、荷車の車輪が石畳を鳴らしていた。
白き観測者が村へ入ると、道を歩いていた人々が足を止めた。
籠を抱えた女性が振り返る。
荷車を引いていた男性が歩みを止める。
子どもたちが、家の陰からこちらを覗いていた。
やがて、ひとりの老人が歩み寄った。
「……もしや、白き観測者様でしょうか」
老人は深く頭を下げた。
周囲の人々も、それに倣うように頭を下げた。
村の古い教会には、白き観測者についての物語が伝わっていた。
創造主が世界を知るために遣わす存在。
白い身体に、人と同じ輪郭を持つ者。
人々は、その姿を見たことがなくとも、物語の中で知っていた。
白き観測者は、しばらく村の人々の前に立っていた。
それから、再び歩き始めた。
誰も呼び止めなかった。
村の通りを抜けると、家々の裏手に小さな庭があった。
木の柵に囲まれた庭の片隅に、ひとりの少女がしゃがみ込んでいた。
少女は土を掘り、小さな花を植えていた。
その近くには、いくつもの植木鉢が並んでいる。
赤い花、黄色い花、まだ蕾のままの花。
白き観測者が通りかかると、少女が顔を上げた。
「こんにちは」
少女はそう言った。
白き観測者は足を止めた。
少女は手についた土を払い、立ち上がった。
「ねえ、あなた、どこから来たの?」
返事はなかった。
少女は白き観測者を見上げた。
顔のない頭部をしばらく眺め、それから首を傾げた。
「お名前は?」
返事はなかった。
少女は少し考えたあと、ぱっと顔を明るくした。
「そっか。おしゃべりできないの?」
白き観測者は動かなかった。
「じゃあ、私がいろいろ教えてあげる!」
少女は庭の隅を指さした。
「これはね、紫水花。こっちは天照花。あっちにあるのは、まだ名前がわからないの」
柵の向こうには、淡い青色の花が咲いていた。
「おばあちゃんが、山から持ってきてくれたんだって。でも、おばあちゃんも名前を忘れちゃったんだって」
少女はその花の前にしゃがみ込んだ。
「きれいでしょう?」
風が吹いた。
青い花が揺れた。
白き観測者は、その花を見ていた。
「ねえ、あなたにも名前があるんでしょう?」
少女は振り返った。
「いつか教えてね」
そのとき、家の中から少女を呼ぶ声がした。
「はあい!」
少女は返事をして、庭の出口へ走っていった。
少し進んだところで振り返り、手を振った。
「またね!」
少女が家の中へ消える。
庭には、植えられたばかりの花と、青い花が残された。
白き観測者は、しばらくその場に立っていた。
やがて、庭を離れ、村の外へと続く道を歩いていった。
すると、道の脇に小さな花が咲いていた。
淡い青色だった。
白き観測者は、その前を通り過ぎた。
しばらくして、足が止まる。
身体が向きを変える。
来た道を少し戻り、花の前に立つ。
風が吹いた。
花弁が揺れた。
白き観測者は、そこにしばらく留まっていた。




