第二話 未知
目が覚めてそこが自分の部屋でなかったことに気づいた瞬間、サクラは深く失望した。
視界に広がる青い空も、体を撫でる風も、静かに香る草の匂いも、穏やかにサクラを受け入れているその全てを憎くすら思った。
太陽はまだ天辺には達していない。だが朝というにはいささか遅い時間だ。どちらにせよこれ以上は寝ていられないと、しぶしぶサクラは身体を起こした。疲れは全くと言っていいほど取れていない。土の上で眠っていた体には大地の匂いが染みついている。
ふと、サクラは自分の身体があまり冷えていないことに気付いた。身体に視線を向けると、昨晩男性に貸した外套がサクラの身体に掛かっている。
周囲を見回すと、少し離れた場所で昨晩の男性が様子を窺うようにこちらを見ていた。夜の中で孤独に倒れ、死体と見紛う程冷え切っていた男性は、今は太陽の下で両膝をつき、風に髪をなびかせて、黒曜石のように輝く角で青い空を貫いている。その姿は野生を宿した力強さに溢れていた。
サクラはその姿を獣のようだと思った。同時にこちらを見つめるその琥珀色の双眸に明確な理性を感じていた。
「私を助けたのは貴方か」
薄い唇が開き、サクラにそう問いかけた。男性の言葉を一言一句違わず理解できたこと、しかもそれが明確な日本語だったことに、サクラは戸惑い、同時に感動した。だがその衝撃は昨日、森の中で少女に声を掛けられた時ほどのものではなかった。
サクラは相手が自分との意思疎通に暴力ではなく、対話を用いてくれたことに安心した。
「ほんの少しの介抱はしましたが、生きようとしたのは貴方の力です。助かってくれてよかった」
外套を身につけ直しながら、サクラは心からそう答えた。それと同時に頭の中では別のことも考えていた。近くの街の場所、そこまでの距離、そして眼前の男性はそれを知っていて、ついてきてくれるのかどうか。
それらを確認しようと顔を上げて、サクラは目の前の男性が驚愕の表情で自分を見ていることに気が付いた。
「貴方……ラグシャルの言葉が話せるのか」
「え?」
「どこかで学んだのか。いや、それだけ話せるということは、きっと旅に同行していたこともあったのだろう。いつかの友よ、そして覚者よ。この再会に感謝を」
男性は座り直し、胡坐をかいた状態で両手を組み合わせ、深く礼をした。
それを見ていたサクラは困惑した。『ラグシャル』という言葉も『覚者』という言葉も聞き取れたのに、その意味が全く理解できない。聞き慣れた言語の中に知らない言葉が含まれていることは、サクラをじわじわと不安にさせる。
だがひとまずその不安は呑み込んで、目の前の男性が何者なのかを聞きだすことにした。
「貴方のお名前を尋ねても良いですか?」
「私はシュラだ。ラグシャルの言葉で『争いを以て守るもの』という意味になる」
「良いお名前ですね。私は佐倉といいます」
「サクラ……確か、花の名前だ。そうか、君は我らの旅路よりも東に近い場所で生まれたのか。旅にはいつ加わった?」
「旅? 旅とは……」
「ああ……もしや、君は旅をしていないのか? 君の父か母が加わっていて、我々の言葉を教えたのだろうか……」
シュラと名乗った男性はしばし考え込むようなそぶりを見せた。何を問うかを悩んでいるようだった。
しかしそれを待っているほどサクラには余裕がなかった。行くべき道もわからないのに、旅の必需品は何もない。これ以上ここでゆっくりはしていられなかった。
「ここがどこなのかわかりますか? 私は目が覚めたらここに居て、ここが日本かどうかもわからないのです」
サクラが幾つかの質問の応酬の中でそう言うと、シュラは少し間をおいて首を傾げた。
「……すまない。今何と?」
「えと、ここがどこかわからないと……」
「ああ、それは聞き取れたのだが……君がどこから来たのかがよく聞こえなかった」
「に、日本、です」
ゆっくりと、一音一音を明確に発音する。しかしシュラはまるで異星の言語に触れたかのような反応を見せる。
「……やはり、理解できない」
「ええと……聞いたことが無い、ということでしょうか」
「流暢なラグシャルの言葉の中に異国の単語が挟まっているようだ。君は東の出ではないのか?」
「日本は結構東にありましたけど……極東の地、とか言われているくらいでしたし」
「極東、そうか、我らの旅路よりももっと東にあるとされる国か……なるほど」
相互に頷きながらも、サクラは相手に正しく意味が伝わっていないことを理解した。先ほど自分が聞いた『ラグシャル』や『覚者』といった単語の様に、意味が伝わらない言葉があるらしいと察した。
他の言葉の全ては通じているようなのに、どうして伝わらないのかと逡巡する。そしてサクラはやがて想像もしたくない一つの仮説に辿り着く。しかしそれを考えることは、今この場では必要の無い事だと思考を止めた。
日本を伝えることを諦め、逆にこの世界について訊ねる。
「それなら、この辺りについて何か知っていますか? 些細な事でも構いません。どっちの方に村があるかとか……」
「いや、私はオルビスの大地には詳しくない。時折外より戻った同胞が持ち帰る情報を知っているくらいだ。ましてやこのような穢れた地など……」
「……オルビス?」
オルビス。
聞き慣れない単語にサクラは首を傾げた。それが今ここに居る土地の名前だろうか。あるいは地球のような、この惑星の名前なのだろうか。それについて尋ねようとシュラの顔を見て、驚いて口を噤んだ。
シュラはひどく憎々しげな顔をして、自身の首に巻き付けられた鉄の首輪を握りしめていた。沸き立つ憎悪を隠しもせず、自らを捕縛する檻に噛みつく獣のように歯を剥き出している。人を捕らえ、繋いでおくための道具。分厚くて大きく重いそれには細かい傷とへこみがいくつもついていて、それは彼が自身を縛るものに長らく抵抗してきた痕跡のように見えた。
「忌々しい……実に忌々しい。このような……」
その首輪の由来について尋ねるのはためらわれた。シュラもそれ以上は語らなかった。思い出したくない、語りたくないという感情だけが表情に溢れていた。しかし彼の身体に残る多くの傷と首に巻かれた鉄の塊は、彼がその後どんな仕打ちを受けたのかを想像させるには充分だった。
サクラはそれを考えるだけで胸がいっぱいになった。彼が何者なのかはわからない。理解できない単語も多い。だが、人の持つ悪性は、どこでも変わらないのだということだけは痛いほどに分かった。
サクラは憐憫の情に駆られ、無意識にシュラの首を覆う鉄の塊に触れた。シュラは僅かに体を強張らせたが、抵抗することなく触らせた。指先で触れたその首輪は冷たく、硬く、重い。サクラは目を閉じ、瞼の裏でその首輪がパキリと音を立てて割れ、地面に落ちるのを想像した。無機質な拘束具から解放された獣が、自由に野を駆ける未来を思い描いた。
「……え」
そしてそれは、目の前で実際にそうなった。
サクラは呆然として、二つに割れて落ちていくその鉄の塊を見ていた。シュラもまた、呆然とそれを見つめていた。冷たい音を立てて地面に落ちたその鉄は、まるで叩き落されて死んだ虫の様に惨めだった。
解放された首には、これまで首輪に苦しめられてきたであろう跡が残っている。しかし、それも過ぎ去る時間の中でいずれ消えるだろう。
「……君は……」
冷たい重さの消えた首を撫でながら、シュラが口を開く。
「覚者が使わせた天女だったのか?」
「へっ!? いや違うと思います、多分……金属の劣化でたまたま割れたとかじゃないですかね……」
そう考える方がサクラにとっては自然な事だった。自分が超能力で首輪を割ったと思うより、金属劣化で脆くなっていた首輪が自分が触れたことで壊れた、と考えた方が納得がいく。驚愕と困惑に体を固めたサクラを、シュラは見ていた。その視線には驚愕と、僅かな尊崇の念が含まれていた。
その時。
遠くの方から茂みを揺らして、何かが走ってくる音がした。
「うわああっ!!」
茂みを突き破るようにして飛び出してきた人物に、サクラは反射的に身を引いた。それを庇うようにシュラはサクラを自身の背に隠す。
その姿勢のままサクラはその人をまじまじと観察した。
飛び出してきたのは男性だった。半袖半ズボンで動きやすそうな格好だが、その下はタイツのような黒くぴっちりとした強化繊維らしきものが着込まれており、肌は露出していない。
しかしサクラの気を引いたのは、彼の頭部と臀部にある特異な特徴だった。
男性には犬のような耳と尻尾が生えていた。
頭のてっぺんには髪の色と同じ金色の垂れた犬耳。そして彼の背後でゆらゆらと揺れている同じような金色の尻尾。その姿はどことなく、ゴールデンレトリーバーを連想させた。
彼はしきりに背後を気にしながら走っていたが、その途中でサクラとシュラの姿を見つけると驚いたように声を上げた。
「逃げろ、星骸獣だ! 星骸獣が……って、魔族!? お嬢さん、今すぐその魔族から離れて!」
「へっ?」
「魔族がどれだけ危ないかなんて今時都市の外で生まれた子でも知ってるだろ!? ……って、もう来た……!」
犬耳の男性は走ってきた方を振り返る。一拍遅れてシュラも振り返った。その先から近づいてくる異様な気配を察し、シュラはサクラを背に庇ったまま、そちらへ向き直った。
「隠れていなさい、天女よ。私が守ろう」
直後に大きな地響きが鳴って、二人は同時に動いた。犬耳の男性は飛び退くように後ろに、シュラは飛び出すように前に出た。
シュラと男性はすれ違うその一瞬の間に視線を交わらせ、互いに敵意が無いことを把握した。同時に今は森の奥からやってくるその禍々しい気配を、何よりも優先して対処するべき共通の敵と認識した。
状況が読めずにいるサクラだけが、駆け寄ってきた犬耳の男性に庇われている。
「来るぞ!」
男性が叫んだ。それと同時に、シュラが空中で手を握る。何かを引き抜くようにして腕を振るうと、そこには青銅の剣が握られていた。
大木がへし折れる音が続き、森の中から巨大な化け物が姿を現した。
「ひっ……!」
ぱっくりと開かれた大きな穴。その縁には、鋭く長い氷柱のようなものが規則正しく並んでいた。穴の奥は暗く、底が見えない。洞窟のようなその穴を開いたまま、巨大な何かが木々をなぎ倒しながら迫ってくる。サクラがそれを生物の口だと認識するのには、僅かながらの時間を要した。
化け物は鋭い牙でシュラを引き裂こうと勢いよく喰らいついた。トラバサミが閉じるよりも早いその動きを、シュラは見切った。軽く飛び上がり、身を躍らせるようにして避ける。口が閉じて初めて、サクラは化け物の全容を捉えた。その姿は、巨大な狼に酷似していた。
「へぇ、すごいじゃん。プロケッラ相手に速度で勝つんだ。あの魔族って君の傭兵? 良いの雇ったね」
「えと、貴方は……?」
「これは失礼。俺はナイアン、トランスポーターさ。ここには用事があってきたんだけど、まさか星骸獣がいるなんて思わなかったよ。だから対抗策はナシ。戦闘向けのカーネも持ってないんだ。ごめんね」
カーネって何?
沸いて当然のその疑問は、口にする前に突如吹いた強風によって喉の奥まで押し込められた。サクラは開きかけていた口を閉じ、顔を守るように腕を前に出す。
ナイアンも風を遮るように腕を前に出しながら、困惑しているサクラに説明した。
「もしかして君、実際に星骸獣を見るのは初めて? あの星骸獣は『プロケッラ』って種類でね、動く際に周囲に強烈な気流を発生させる。それだけで近づくのも困難だし、動きに追いつくだなんてもっと無理なのに……」
シュラは振るわれる爪を、牙を、手にした青銅の剣で防ぐ。プロケッラと呼ばれる狼の化け物相手に互角に渡り合っている。その姿はまるで舞踊のように軽快であり、同時にとても力強い。強敵と相対しながらシュラの顔に焦りはない。むしろ表情は涼し気で余裕すら感じられる。
「凄いね。魔族は戦いが得意だと聞くけど、あそこまで動ける人は見たことないよ。あの傭兵、どこで雇ったの?」
「えと、彼は雇ったんじゃなくて、たまたま会ったんです」
「そうなの!? なら相当良い拾い物をしたね。旅をするなら腕の立つ護衛は必須だよ。特に僕みたいなトランスポーターにはさ」
一進一退の攻防が、サクラの目の前で繰り広げられている。
シュラは何度か斬りかかろうと踏み込むが、狼の身体の周囲を纏う風の鎧がシュラの行動を阻害する。狼は何度も噛みつこうとするが、シュラは軽々と爪と牙を避ける。
戦闘慣れしているシュラも、プロケッラを相手に戦った経験はないのだろう。互いに攻撃を仕掛けながらも決定打を与えられずにいた。
「あの魔族、かなり強いけど、このままじゃジリ貧かもね。逃げるタイミングがあればいいんだけど」
「でも、私達のために戦ってくれているシュラさんは置いていけません」
「へぇ、拾った魔族を気に掛けるなんて優しいね。じゃあどうする? 意見を聞こうか」
試すような視線に晒されてサクラは身を強張らせた。ここで一つでも判断を誤ればナイアンは自分を置いて逃げるだろう。それほどまでに戦況は行き詰っていて、そう判断するに足るほどナイアンは冷たい目をしていた。
サクラはあらゆる神経を集中して思考を回し、同時に周囲を観察した。状況を打破するため、狼とシュラの一挙手一投足を見落とすことのないよう気を張る。
シュラの一振り。狼の一噛み。揺れる尾、吹く風、切り裂かれて舞う草。そのひとつひとつを視界に捉え、それらに込められる意味を精査する。
目に映るすべてが情報へと変わり、脳内を駆け巡る。その一瞬だけ、時間が思考の速度に追いつけなくなった。
無数の情報が渦巻く世界の中から、加速した思考が不自然な動きを拾い上げた。それが何なのかを理解する前に、サクラはシュラに向かって叫んだ。
「尻尾を狙って!」
その言葉の意味を理解したのは自身の口がそう叫んだ後だった。そしてなぜそんなことを叫んだのか、サクラ自身も理解出来てはいなかった。
しかしシュラは素早くその指示を受け取った。身を翻して狼の巨大な背を滑る様にして飛ぶと、そのまま体をくるりと躍らせて狼の尾に狙いをつける。振るわれた剣は風の鎧の隙間を滑り抜け、揺れる白い尾を断ち切った。
狼が鋭く吠える。宙を舞う白い尻尾はまるで三日月の様に弧を描き、くるくると回って地に墜ちる。その瞬間、狼を覆っていた風の鎧は制御を失い霧散した。狼は何度も風を身に纏おうと試みるが、上手くいかないらしく微弱な風が狼の白い毛並みを撫でていくばかりだった。
痛みと怒りに目を血走らせながら、狼が大きく体を動かして前足を振るう。その一撃はあまりにも速く、鋭い爪がシュラの喉を掻き切ろうとしていた。シュラはその前足を剣で容易に断ち切った。宙を舞う足が地面に落ちる。風の鎧を失くした狼は、今やただの巨大な獣だった。そしてそれはシュラにとって、狼が容易に狩れる獲物に成り下がったことを意味していた。
ナイアンは目を丸くしてその状況を見ていた。
「プロケッラが風をうまく操れなくなってる……どういうこと?」
「私にも正確なことは分かりませんが、あの化け物が風を操る瞬間、よく尻尾が揺れていた気がして。それで、何かあるんじゃないかと」
「ふぅん、観察してるんだ。そしてそれをあの魔族は素早く、かつ的確に読み取った。君たちは結構いいコンビかもしれないね。もしよければ……待って」
テンションを上げていたナイアンが再び警戒態勢に入った。見るとシュラも戦闘態勢を解いていない。サクラはもう一度狼に意識を向けた。
狼は足を斬られた怒りで大きく吠えた。そして残る三本の足で地面を踏みしめると、全速力でシュラに突撃する。
彼は避けなかった。風と同等の速さで迫る狼に剣を向ける。
そして一閃。
青銅の剣がプロケッラの巨体を両断した。左右に引き裂かれた化け物が、そのままシュラの横を通り過ぎて地面に激突する。
両断された狼の死骸は、勢いを殺せないまま地面に激突した。その衝撃は凄まじく、地面を抉り、砕けた岩を周囲に撒き散らした。
「危ない!」
シュラが焦ったようにサクラを見た。ナイアンは上を見上げ、吼える様に声を上げた。サクラが視線を上げると、地面に激突した狼の死骸が吹き飛ばした岩がこちらに向かって飛んできている。
サクラの目にその動きはひどくゆっくりに見えた。前に、死を目前にした人間の目にあらゆる出来事はスローモーションに映ると聞いたことがあった。それは確かな事実だったのだと、場違いなくらい明るい思考でサクラはそう考えた。剣を握りしめたまま駆け戻るシュラの動きも、サクラを守ろうとするナイアンの動きもとても遅い。
そんな緩慢とした死が迫るまでの時間、視界の端に昨日の少女が現れた。
止まっているかのような世界で、彼女だけが普段どおりに動いている。
――あなたは私が見ている幻覚なの?
サクラはそう問いたかった。しかしその言葉が口から発せられることは無く、意識だけが明瞭だった。
「貴方とあの岩の間に、壁があるの」
突拍子も無く少女はそう言った。
「そうだなぁ……その壁は空気がとっても圧縮されていて、とんでもないエネルギーを秘めていて、触れたものをはじき返すの。そう説明したら想像しやすいかな?」
――どういうこと?
「出来るよ。貴方はもう二度も『楔』の力を使ってる。私が教える前に! だから大丈夫。イメージしてみて?」
そう言って少女は微笑み、再び視界の外へと歩いていった。サクラはその姿を目で追うことさえできなかった。
少女が視界から立ち去ってすぐ、サクラは言われた通りにイメージしてみる。
両手を前に出す。その先には透明な壁がある。尋常ではないエネルギーを秘めた壁だ。風船の内側のように張り詰めた空気が、触れるものすべてをはじき返す。
瞬間、世界の速度は戻って、岩は元の速度で飛んでくる。そしてサクラのイメージした『壁』に衝突して、粉々に砕けてその場に落ちた。
息が切れる。張り詰めていた緊張が解け、どっと疲れが襲ってきた。右手の甲に刻まれた痣がチリチリと熱を持っている気がした。
少女が去っていった方へ目を向ける。やはりそこには誰も居らず、誰かが居た痕跡すらなかった。
「天女よ!!」
その後間もなくサクラの側にシュラが戻った。急いでサクラを抱え込むように腕を伸ばすと、頬や腕に触れてその無事を確かめた。
「無事か、怪我は……」
「大丈夫です、この通りピンピンしてますよ」
シュラに無事をアピールするため、サクラは握りこぶしを作ってその場で軽く体を揺らし、能天気に踊ってみせた。母が元気な自分をアピールするためにいつもやっていたのを思い出したのだ。シュラはそんなサクラを見て安心したように息を吐いた。
「あの~、俺も会話に入っていい……?」
その横からナイアンが控えめに顔をのぞかせた。シュラは素性の知れないナイアンにまた警戒を向けたが、サクラが言葉を返すのを邪魔することは無かった。
「はい、大丈夫です。ナイアンさんも、助けてくださってありがとうございます」
「助けてもらったのは俺の方だよ。お礼ついでに聞きたいんだけど、君たちはどこに向かう予定なの? もしツェルヴァリア方面だったら俺も一緒に行きたいんだけど。そこでちゃんとしたお礼をさせてもらいたいな」
「ツェルヴァリア、とは?」
「ああ、えっと……ベルハイムのギルド支部に行きたいんだ。今回のことを報告しないとね」
「ギルド……」
よくわからないことは多いが、サクラはこの縁をここで終わらせてしまうのは勿体ないと思った。ツェルヴァリアという国がどういった場所なのかはわからないが、少なくとも森の中を延々と彷徨うよりは安全だろう。それに文明がある場所に行けば、この世界の常識的なことも把握できるかもしれない。
「シュラさん、どうしますか」
シュラは何かを思うように目を伏せた。そしてそっとサクラの耳に頬を寄せると、ナイアンとはまた違う選択を提示した。
「このまま私と共に東へ行かないか」
「どうしてですか?」
「彼の口にした場所に覚えは無いが、少なくとも都市には碌な人間がいないことは知っている。君も鎖をつけられて飼われるかもしれない。私はそれが耐えられない」
「それは……大丈夫ですよ、多分」
「何故そう言える? 君は私よりもこの世界について詳しくないのだろう。奴らの言葉を用いて言うなら『箱入り娘』というやつではないか?」
「はは、そう言われればそうかもですね」
「なのに行くのか」
サクラは頷いた。
「何故だ?」
シュラは問う。サクラの傍にいるために、自分からは踏み出せない一歩を、彼女に押し出してもらうのを待っているようだった。
「私が言うことは、もしかしたら、シュラさんを傷つけるかもしれません」
「……構わない」
自分の思考を噛み砕きながら、サクラは言葉を選ぶ。なるべく彼を傷つけないように。それでいて気持ちが伝わるようにと。
「その都市にいる人たちが、皆シュラさんを傷つけた人たちと同じだとは思わないからです」
その言葉にシュラは息を呑んで黙りこんだ。ああ、やっぱり傷つけたと、サクラはそう思った。
「どう、話はまとまった? さっき箱入り娘とか言ってたけど……」
「はは、私があまりにも世間知らずなもので……えと、何でしたっけ、シルバニア? には、私たち二人で行きましょうか」
「ツェルヴァリアね。ツェルヴァリアのベルハイム。本当に随分な箱入り娘だね」
「あ、あはは……」
苦笑しながらサクラは一歩踏み出す。
その手をシュラが掴んだ。何かを言いたげだが、何を言えばいいのかを迷っているようだった。
「シュラさん……?」
酸素を求めるようにしばらくはくはくと口を動かして、シュラはようやく言葉を見つけたようだった。
「私も行く」
「……いいんですか?」
「君一人で行かせるより……ずっとマシだ」
そう言いながらもその顔は暗い。だがそれよりもサクラから手を離すことの方が嫌なようだった。
「お、一緒に来てくれる感じ?」
「そうみたいです」
「よっしゃ、これで無事に帰れそうだ! これでようやく安心できるよ。星骸獣が出るなんて聞いてなかったからさ」
そう言うと、ナイアンはサクラとシュラの前に立ち、改めて背筋を伸ばした。
「そうだ。改めて自己紹介をしておこう。俺はナイアン。出身地はヴァルビオンで、ギルドに所属して通訳とトランスポーターをしてる。今回はここらで失踪した行商人の荷物を探しに来たんだけど、星骸獣がいたってことで捜索は打ち切り。この結果をギルドに持ち帰って依頼主に伝えるまでが今回の俺の仕事。君たちはそこまで同行してもらいたいんだ。ちゃんと報酬は払うからさ!」
「私は佐倉です。彼はシュラさん。どうかよろしくお願いします」
サクラは頭を下げてお辞儀をする。日本人としての礼儀が染みついたその所作を見て、ナイアンは目を丸くした。
「わぁお、ここらじゃ珍しい位に礼儀正しい子だ! 君、何処かの貴族の隠し子だったりするのかい? ともかく、君達との旅路が良いものになるのを願ってるよ! といっても、ここから三日くらい歩けば着くけどね!」
そう言うと、ナイアンは尻尾を振りながらサクラを先導し始めた。サクラは尽きない疑問を抱えながらも、不安そうに手を握るシュラの手を握り返した。




