第三話 入団
三日間の旅路は驚くほどすんなりと進んだ。各国間を渡り歩いて仕事をしているというナイアンの言葉に偽りはなく、サクラは初日ほどの飢えや渇きを感じることなく歩き続けることができた。
国境を越えるのに半日、そこからさらに国境近くの町で車を借りて二日。その間、ナイアンは旅慣れていないサクラを気遣ってよく話し掛けていた。足を痛めた時は休ませ、水を飲ませた。サクラの外套の下が旅には全く向かない部屋着だということを知ってから、彼はいっそうサクラを気に掛けるようになった。
サクラはその扱いを喜んで受け入れた。ナイアンが何を思ってサクラに優しく接したのかは不明だ。サクラがシュラに隣にいることを望んでいたように、ナイアンもサクラに何かを求めている可能性がある。だが未知の世界で、慣れない旅を強いられている。その苦痛を少しでも和らげてもらえるのはありがたかった。
「もうすぐでベルハイムだよ。行ったことはある? 街も綺麗だし良いところだよ」
荒れた道を走る車のハンドルを慣れたように片手で扱いながら、ナイアンは運転席からそう呼び掛けた。後ろの座席に収まり、背を丸めながら隣に座っているシュラを窮屈そうだと眺めていたサクラは、聞いたことの無い街の風景を頭に浮かべようとした。
「ベルハイムって、どんなところなんですか?」
「ツェルヴァリアの首都なだけあってかなり栄えてるね。貴族たちのお膝元っていうのもあって、やっぱり凄く見ごたえがあるよ」
「見ごたえ? 貴族が住む家がとても大きいとか……?」
「見てみればわかるさ。ほら、見えてきたよ」
それからほんの数分と立たないうちに周囲の景色は一変した。都市を覆っていた外壁を抜けると、丁寧に切りそろえられた石畳が一面に敷き詰められている。道の脇には白塗りの石造りの建物が並び、遠くに見える街の中心部には様々な形の高い塔が乱立している。サクラはその高塔を見て、日本の首都にある高い電波塔を思い出した。
ナイアンは大きな建物の前に車を止め、二人を下ろした。サクラが足元の石畳を踏むとコツリという丁寧な音がした。街の匂いを嗅いで、行き交う人々の雑踏を聞く。その人々の営みがどれほど美しく感じられたか、表す術を持っていないことをサクラは悔いた。
「綺麗……」
「でしょ!? 俺も好きなんだ! でも観光は後にしよう。何せ一日じゃ終わらないからね!」
ナイアンは車のキーを抜いて降りると、指で弄びながら目の前の大きな建物に向かって歩き始める。見上げると、二本の剣が交差する特徴的な紋章が大々的に飾られていた。
「ここが、ナイアンさんの言っていたベルハイムのギルド支部……?」
サクラはナイアンの後を追おうとしたが、同時にずっと何も言わずにいるシュラの様子が気に掛かった。振り返ると、シュラは車を降りてからずっと俯いている。疲れたのかと頬に手を添えると、シュラは不安そうな顔をしてサクラを見た。その目はまるで親を見失った迷子のようだった。
「大丈夫ですか」
ここまでの道程で、シュラはこうして時折立ち止まる時があった。サクラはその度に隣に並んで、彼の心が落ち着くまで待った。
「……大丈夫だ、行こう」
そう言って、シュラはサクラの手を取った。緊張しているのか、ひどく冷たかった。
◇
「……ええ、多分、荷車もこの星骸獣にやられてしまったんだと思います。残念ながら残骸も見つけることはできなくて……はい。いつもの通り依頼金はマドカで俺の口座に。……あ、ちょっと待ってください。こっちのプロケッラの素材はポルクで換金してもらってもいいですか。道中で助けてもらったんですよ。だから彼女たちに報酬を分けないといけなくて。あと国境の町で車を借りたので返しておいてもらえると助かります。場所は――」
受付嬢とナイアンが長らく話し込んでいる。その後ろ姿を見つめながら、サクラは周囲を観察していた。
初めに『ギルド』と聞いた時、サクラの頭にはアニメで見るような組織が思い浮かんだ。依頼を取りまとめて冒険者に斡旋し、市民と冒険者の懸け橋になるようなイメージだ。
そして実際のギルドはそのイメージから大きく外れていなかった。入って正面には受付カウンターが並び、受付嬢が何人か立っている。彼女らはギルドに所属している人物に仕事を斡旋し、完了報告を受ければその分の報酬を渡す。向かって右側にはお知らせと依頼が貼られた掲示板と、壁一面に引き伸ばされたこの世界の地図が貼られている。左側には日光を取り込むための大きな窓が嵌め込まれており、吹き抜けから見える二階は食堂になっているらしく、並べられた長机と長椅子では、人々が食事をとっていた。
サクラは掲示板に目を向けた。ツェルヴァリアという国で起きた問題が数多く貼られている。その中でも辺境に出現した星骸獣の対応の依頼書は報酬が安く、都心のちょっとした害獣対処の方が少しばかり高い。前者はそれなりに長く貼られているようで、後者は今日の朝貼ったといっても過言ではないほどに真新しい。報酬が安いから受けられないのか、それとも危険だから受けられないのか。この世界の金銭感覚はまだ身に付いていないが、自身を襲ったプロケッラの姿、その時に感じた恐怖、そしてシュラの戦いを思い出し、提示された金額は果たしてアレと相対するに足るだけのものなのかを考えた。
続いてその横に貼られている世界地図に視線を滑らせる。その形はあらゆる国がくっついて、ひとつの大陸へと姿を変えたかのようだった。そしてその地図の上には何かの名前が書かれている。
『オルビス』。
それが星の名前なのか、世界の名前なのか、それとも大地の名前なのかまでは判別できない。だがサクラは自身が飛ばされたこの世界を示す単語が見つかり、少し安心した。
「……確かに、ちょっと待ってて。お二人さん!」
ナイアンが受付嬢から目を離し、サクラの方を向いて声を掛けた。サクラはひどく緊張しているシュラの手を引いてナイアンの傍に近寄る。
「どうかしましたか?」
「ねぇ、もしよかったらお二人もギルドに登録しない? シュラさんは強いし、サクラさんも良いカーネ持ってるし、戦闘員として登録すればかなり稼げると思うよ!」
「えと、私、戦いはあまり……」
「そう? じゃあ、俺みたいにトランスポーターでもいいからさ。ギルドカードは持っておいて損はないよ? 面倒な手続きはこっちでやっておくよ」
「その、ギルドって私達にも所属……できるものなんですか? 身分証明書になる物が手元に無くて」
「出来るよ、今回は俺の口添えがあるからね。それに身分証明書を持ってないなら尚の事入っておいた方が良いと思うよ。ギルドカードさえあれば口座も作れるし、各国を渡る時のパスポート代わりにもなる。一般の人には入れない場所にも許可が下りるようになるし」
その言葉にサクラの視界がぱっと輝いた。それさえあれば元の世界に帰るための方法を探すのに幾らかの手間が省けることを一瞬で理解した。それに銀行口座も作れる、パスポートにもなるということは、それはつまり戸籍に等しい効力を持っているということ。戸籍があるということは、それすなわち人権を持っているに等しいということ。この世界で生きていくための基盤を作るのに、最高とまでは言えずとも最善の第一歩だろう。
何より、欲しい、人権。権利を保障されているだけで、世界というものは随分と生きやすくなるものだとサクラは知っていた。
「入ります」
「オッケー! じゃあこっち来て! 顔写真撮るからさ!」
ナイアンは満足そうにカウンターに向き直り、受付嬢から用紙を二枚受け取った。
彼が用紙に記入している間にサクラは受付嬢を観察してみる。
綺麗な人だとサクラは思った。ぴんとアイロンの掛かった制服を着て、モノクルを掛けている。付き合いが長いのか、ナイアンと親しげに話している。そして彼女にも普通の人間にはない、山羊のような角が生えている。この街ではそれが珍しい特徴というわけでもないらしい。道を行く人も、店を営んでいる人も、そのほとんどが山羊の角を生やしている。しかしそうでない人たちにも、ナイアンのような犬の耳と尻尾であったり、あるいは猫の特徴であったり、あるいはもっと別の動物の特徴を持っていたりする。
おそらくこの世界にとって、そういった動物の特徴が人種に当たるのだろう。サクラはそう推測した。
しかしそれ以上に、サクラはあることが気に掛かった。
誰もが日本語を話していることだ。ナイアンも、シュラも、受付嬢も、誰も彼もが。それだけでなく書類に書かれた文字も、世界地図で国を示す名称も日本語だった。
だがナイアンは各国の通訳をしていると語った。そしてシュラの言葉を思い返せば『ラグシャルの言語』なるものがあるという。
——この世界そのものの言語が日本語でないなら、全員が日本語を話しているのはおかしい。もしかするとサクラの視覚と聴覚が、認識した言語を自動的に日本語に翻訳しているのかもしれない。
だとすると何故そのようなことが起こっているのだろうか。サクラは無意識に右手の甲に刻まれた痣に視線を落としていた。
「……やだ、魔族?」
受付のカウンターの裏から、ひそひそと話す声が聞こえた。見れば受付嬢が三人、陰からこちらを窺っている。
「粗暴で話が通じないから嫌なのよね……受付に来たら若い子に譲りましょ」
「隣にいるのは何族かしら。ずっと手なんか繋いじゃって」
「耳も尻尾もないし、羽もないわ。彼女も魔族なのかしら」
おそらく、というか間違いなくサクラとシュラを指して話している。体を強張らせているシュラを落ち着かせようと、サクラは強くシュラの手を握り直す。
「聞こえていますよ」
ぴしゃりとナイアンの対応をしていた受付嬢が言った。彼女がこの場で一番立場が上なのか、裏で交わされていた会話はそれきりぴたりと止んだ。
「すみません、後できつく注意しておきますので」
受付嬢はサクラとシュラに向かって頭を下げた。サクラは恐縮して手を振るので精いっぱいで、何も返すことができなかった。
少しして、受付嬢がナイアンに二枚のカードを渡した。ナイアンはそれを受け取ると、サクラとシュラに向かって差し出した。
「はい、出来たよ! これがサクラさんのギルドカードで、こっちがシュラさんのカード! シュラさんは戦闘員で登録しちゃったけど問題ないよね?」
シュラは無言で頷いた。サクラの側から離れないのなら何でもいいとでも言いたげだった。
サクラは渡されたカードをよく見る。真顔の顔写真が左側に貼られたよく見るタイプの身分証明書の形式をしている。刻まれた名前は「サクラ」と名字だけだ。名字しか伝えていないのだから当然だが。あとはギルドにおける役職と、十二桁の登録番号、星で表されたランクがカードの右上に書かれている。
「その星はギルドからの信頼度を視覚化したものだよ。高ければ高いほど色んな仕事が受けられるし、立ち入り禁止の場所にも入りやすくなる。ほら! 俺はマックスの星三つ!」
ナイアンは尻尾を振りながら自慢げに自身のカードを差し出した。そこには確かに黄色に色づいた星が三つ並べられている。
「これは今までに受けた依頼の数に加えて、出身地や生年月日、種族とかの個人情報がどれだけ判明してるかも加点要素に入るから、もし元々暮らしてた場所の住民票なんかが手に入るなら提出しておいた方が得だよ。まぁ、もし無くても仕事で成功と信頼を重ねればいつかは星三つになれるけどね。でも時間が掛かるよ」
「じゃあ、提出しなくても構わないってことですか? 大きな組織なのに個人情報はあまり重要視されてないんですね」
「国土じゃない場所で生まれて、自分の誕生日すらわからないって人もいるからね。そういう人たちが住民票よりも簡単に取れるからってギルドメンバーになることも多いんだよ」
「いいんですか、そういうの。ギルド的には」
「ギルドは仕事が仕事だからね、動けるなら身分はあまり問われない。その分ランクが低い層には割と適当なことばっかりする荒くれ者が多かったりするから、信頼度が低いと重要な仕事は任されにくい。書類一枚届けるのだって、最低条件が星二つからだ。だから大抵の人は身分を明らかにして、星二つから始めるんだよ」
「へぇ……」
サクラはナイアンの話を脳内で要約する。
右上の星の数はギルドからの信頼度を可視化したもの。ただ登録しただけであれば星一つから始まるが、身元が明らかになっている人物は星二つから始まることも多い。
この星の数が高ければ高いほど、ギルドから任される仕事もより重要度を増していく。自分のような、身元を明らかにできない人物は時間をかけて多くの仕事を完遂させていけばいずれは三つの星を与えられ、様々な恩恵が受けられるようになる……。
なんとも良い足掛かりを得たものだ。ナイアンには感謝しかない。だがサクラは、そのナイアン相手に疑念を抱いていた。
「あの、どうしてここまでしてくれるんですか?」
ナイアンはその問いを聞くと受付カウンターに寄り掛かり、どこか不敵な表情で微笑んだ。
「別に大した意味はないよ。俺はただ、困ってる人を助けたいだけさ」




