外に
これは全て私の妄想の話です
次の日。
闇王は母乳を飲み終え、満足感に浸っていた。
しかし、あの不快感はいったい何なのだろう。
あの不快感に襲われると、アニシナが例の白い液体を飲ませてくれる。そして飲み終える頃には、不思議と不快感は消えている。
気になる。
もっと情報が必要だ。
そのためには――話せるようにならなければならない。
闇王は口を動かしてみた。
「あー……うー……」
やはり上手くいかない。
だが、練習あるのみだ。
「あー、うー、あー」
ときおり「きゃっ」と声が出る。
そんなふうに発声練習を繰り返していると、アニシナが部屋へ入ってきた。
「もしかして、言葉の練習をしてたのかな?」
アニシナは優しく笑った。
「ママって言ってみて」
本番が来た。
だが、ママとは何だ?
セフィーロもよく口にしていた言葉だ。
まあよい。
言ってみよう。
「ばば」
「惜しい!」
惜しくはない。
そもそも何が惜しいのか分からない。
アニシナはくすりと笑うと、闇王を抱き上げた。
「サーシャ、お外へ行ってみようか」
外?
闇王は首を傾げた。
アニシナは藁でできた扉の前まで歩いていく。
そして扉が開かれた瞬間――
あまりの眩しさに、闇王は思わず目を覆った。
やがてゆっくりと目を開く。
そして――驚愕した。
「……!」
青い。
空が青い。
闇王の世界には黒しか存在しなかった。
どこまでも続く黒だけだった。
なのに今、目の前には鮮やかな青が広がっている。
なんだこれは!?
アニシナに抱かれたまま辺りを見回す。
緑色の草。
色とりどりの花。
色づいた木々。
藁でできた家々。
見るものすべてが新鮮だった。
「あばー!」
私は黒い木だったぞ!
光め!
すごいではないか!
感動しているうちに、一際大きな建物の前へたどり着いた。
他の家とはまるで違う。
木造の立派な建物で、壁は朱色に塗られ、その上には鮮やかな紋様が描かれていた。
アニシナは扉をノックする。
「アガツマ様、いらっしゃいますか?」
「おお、アニシナか。入れ入れ」
扉が開いた。
中に入った闇王は再び驚く。
広い。
中央には毛皮が敷かれ、立派な椅子が置かれている。
隅には布を掛けた大きなテーブルと、多数の椅子が並んでいた。
アガツマは毛皮の上の椅子へ腰を下ろした。
「それで、今日はどうした?」
「サーシャについてお話があるんです」
アニシナは闇王を床へ座らせた。
「まず見てください」
アガツマは首を傾げる。
だがすぐに目を見開いた。
「もう首が据わっておるのか!?」
「それだけではありません」
アニシナは闇王に向かって手を差し出した。
「サーシャ、立って見せて」
「立つだと!?」
しょうがない。
闇王はアニシナの手を掴み、ゆっくりと立ち上がった。
その瞬間。
アガツマの目がさらに大きく開かれる。
「立った!?」
信じられないといった表情だった。
「まだ生まれて数日だぞ!?」
「私も驚きました」
アニシナは苦笑した。
「夫はアルミス様のお使い様ではないかと言っているんです」
「ふむ……」
アガツマは顎に手を当てた。
「確かに異常な成長速度じゃな」
そして闇王を見つめる。
「歩き出すのも時間の問題かもしれん。アルミス様のお使い様……可能性はある」
少し考え込みながら続けた。
「だが無魔の子だからな」
無魔?
また知らない言葉だ。
「とはいえ、清めを受ければ変わるかもしれん」
無魔とは何なのだ?
清めとは?
知りたいことばかり増えていく。
だが今は話せない。
もどかしかった。
その後、アニシナは闇王を抱き上げ、花畑へ連れて行った。
色鮮やかな花々が風に揺れている。
「綺麗ねぇ」
そう言いながら、アニシナは闇王の手を花へ伸ばした。
だが、その花には奇妙な生き物が止まっていた。
羽をひらひらと動かしている。
やめろ!
そんな気色悪いものに触れさせるな!
「あーうー!」
闇王が暴れると、その生き物は飛び去った。
ほっとする。
「綺麗な蝶々だったのに」
蝶々というのか、あれは。
気色悪い奴だ。
その時だった。
「アニシナー!」
ハナとセフィーロがやってきた。
「今日はどうしたの?」
「サーシャをアガツマ様に見せに行ってきたの」
アニシナは嬉しそうに言う。
「この子、すごいのよ!」
そう言うと、闇王を地面へ座らせ、両手を差し出した。
やれやれ。
闇王はその手を掴み、立ち上がって見せた。
「すごい!」
ハナが声を上げる。
「普通、こんなに早く立てないのよ!」
セフィーロは目を輝かせた。
「サーシャ、すごい!」
そう言うなり抱きついてくる。
さらに腕を引っ張った。
「歩けるんじゃない?」
「こら、セフィーロ!」
ハナが慌てて止める。
しかしセフィーロは気にしない。
闇王の腕を引きながら歩かせた。
右足。
左足。
右足。
左足。
ぎこちないながらも、確かに歩いている。
「歩いた!?」
ハナとアニシナは同時に驚いた。
「やっぱりお使い様かもしれないわね」
そんな会話を聞きながら、闇王は思った。
アルミス様とは何者なのだろう。
ますます気になってきた。
⸻
それから一週間が過ぎた。
その間、闇王はひたすら言葉の練習を続けていた。
だが毎日のようにセフィーロが遊びに来る。
「サーシャー! 遊びに来たぞー!」
そのたびに連れ回される。
練習どころではない。
そしてある日。
いつものようにセフィーロがやって来た。
「サーシャ! 遊びに来たぞ!」
ついに闇王の我慢は限界を迎えた。
「セフィーロ! いい加減にしろ! お前の遊びに付き合ってられん!」
言い放った瞬間――
部屋が静まり返った。
セフィーロが固まる。
「……サーシャが喋った」
その言葉で闇王も気づいた。
私が……喋った?
「もう一回!」
「お前の遊びに付き合ってられんぞ」
「しゃべったー!」
セフィーロは全力で飛び出していった。
しばらくすると。
ドタドタドタッ!
ムスファとアニシナが駆け込んでくる。
「サーシャ!」
「ママって言ってみて!」
「パパだぞ!」
二人とも必死だった。
「パパとかママとか、いったい何なのだ?」
「会話してる!」
アニシナは飛び跳ねた。
「すごいぞー!」
ムスファは大喜びで闇王を抱き上げる。
「もっと喋ってくれ!」
結局その日。
闇王が疲れて眠るまで、延々と会話大会が続いた。
そしてその夜――
いつものようにアニシナが授乳しようとした時だった。
「痛っ!」
アニシナが思わず声を上げる。
闇王の口の中には立派な歯が生えていた。




