無魔
全て私の妄想の話です
ピンクのクマを見送った闇王は、広大な草原をまっすぐ進んでいた。
しばらく歩いていると、前方赤いスライムの姿が見えた。
ファイアスライムの軍団だった。
スライムたちは闇王の姿を見つけるや否や、一斉に火球を放ってくる。無数の炎が空を埋め尽くし、闇王へと降り注いだ。
しかし、その程度の攻撃は今の闇王には通用しなかった。
闇王は迫り来る火球を軽々とかわしながら群れへ突っ込む。
鋭い剣閃が次々と走った。
ファイアスライムたちは抵抗する間もなく斬り裂かれ、やがて身体をキラキラと輝かせながら消えていく。
気が付けば、辺りにいたスライムは一匹残らず消滅していた。
闇王は剣を軽く振り、付着した炎の残滓を払う。
「ここにはか弱い奴しかいないのか?」
少し物足りなさそうに呟くと、再び歩き始めた。
すると今度は草むらの奥から青い毛並みを持つ狼の群れが姿を現した。
先頭にいた一匹が空に向かって遠吠えを上げる。
「ワオォォーン!」
その声を合図に、群れ全体が一斉に闇王へ襲いかかってきた。
闇王は魔物図鑑によると、
ランクC
――スピードウルフ。
個々の戦闘力は高くないが、その名の通り驚異的な俊敏性を持つ狼型の魔物だ。
実際、その速さは尋常ではなかった。
闇王が構えた瞬間には、すでに狼たちは四方へ散開し、あっという間に包囲網を完成させていた。
一匹が正面から飛びかかる。
その攻撃をかわした瞬間、別の一匹が横から牙を剥いて襲いかかってくる。
しかし闇王は冷静だった。
身体をわずかに捻って攻撃を回避すると、そのまま剣を振り抜く。
青い狼が光となって消えた。
さらに次々と襲い来るスピードウルフたちを、闇王は正確な剣技で斬り伏せていく。
やがて群れの大半が倒されると、生き残った数頭は戦意を失ったように後ずさった。
そして一目散に森の奥へ逃げ去っていく。
闇王は追わなかった。
「逃げるなら好きにしろ」
そう言って再び旅路を進んだ。
やがて前方に深い森が見えてきた。
その森の名は――帰らずの森。
どこか不吉な響きを持つ名前だった。
闇王が森へ足を踏み入れると、木々の間から川のせせらぎが聞こえてきた。
さらに耳を澄ませると、人々の話し声も混じっている。
人がいる。
そう判断した闇王は音のする方へ向かった。
しばらく進むと、森の中にひっそりと存在する小さな村が姿を現した。
エイダ村。
木造の家々が並び、穏やかな空気が漂っている。
闇王は村人に話を聞いてみた。
この村では男衆が狩りを行い、その獲物を売ることで生計を立てているらしい。
さらに闇王は気になっていたことを尋ねた。
「なぜ、この森は帰らずの森と呼ばれている?」
その質問を聞いた村人は表情を曇らせた。
しばらく黙り込んだ後、重い口調で語り始める。
「この森には……昼間でも闇が現れるんです」
「昼間に闇だと?」
「はい。その闇に飲み込まれた者は、誰一人として帰ってきません」
その話を聞き、闇王はアガツマから聞いた古い伝承を思い出した。
――闇に吸い込まれた者は二度と戻れない。
――身体も心も黒く染まっていく。
――やがて動くことすらできなくなり、そのまま魔獣たちの餌となる。
単なる昔話とは思えなかった。
もし本当にそんな闇が存在するのなら、この森には何か異常な力が潜んでいるはずだ。
しかし村の光景を見る限り、そんな恐ろしい場所には見えない。
川辺では女性たちが楽しそうに洗濯をしている。
広場では子供たちが元気よく走り回り、笑い声を響かせていた。
村人たちは穏やかに談笑し、平和な時間を過ごしている。
闇王はその光景を眺めながら呟いた。
「こんな平和な場所に、闇が現れるとは思えんな……」
空は次第に夕焼け色へ染まり始めていた。
森の調査は明日にしよう。
そう決めた闇王は、村に一軒だけある小さな宿屋へ向かった。
宿の主人に部屋を借りると、久しぶりに柔らかなベッドへ身体を預ける。
帰らずの森に潜む謎の闇。
その正体を探るためにも、まずは休息が必要だった。
静かなエイダ村の夜が更けていく中、闇王はゆっくりと目を閉じた。
翌日、闇王は調査を始めることにした。
村の周辺から森の奥まで、広い範囲を歩き回る。しかし手がかりらしいものは何一つ見つからなかった。
「闇は、どこから発生するんだ?」
闇王は考える。
自分自身もまた「闇」の存在だった。
この世界にも自分と同じ闇があるのかもしれないという期待があった。一方で、もし本当に闇と出会ったなら、自分も伝承に語られるように魔獣の餌になってしまうのではないかという不安もあった。
そんな複雑な思いを抱えながら、闇王は探索を続けた。
その日の昼のことだった。
村に戻ると、子供たちがまだ帰ってきていないことを知る。
村人たちが心配そうに辺りを見回していたその時、一人の子供が息を切らしながら駆け込んできた。
「や、闇が現れた!」
ぜいぜいと荒い息を吐きながら叫ぶ。
「あっちに……!」
子供が震える指で森の方を指差した。
闇王はすぐさま駆け出した。
森へ向かう途中、遠くに黒い闇が見えた。
それはまるで生き物のように森を飲み込みながら広がっている。
その手前では子供たちが必死に逃げていた。
「闇の侵食速度は遅いようだな」
闇王はさらに速度を上げる。
もうすぐ追いつける。
そう思った瞬間だった。
一人の子供が木の根に足を引っ掛けて転んだ。
他の子供たちはそのまま走り去り、闇王とすれ違っていく。
転んだ子供の背後には、迫り来る闇。
「助けて!」
子供は恐怖のあまり立ち上がることもできず、ただ悲鳴を上げた。
黒い闇がその小さな身体を飲み込もうとする。
間一髪だった。
闇王は子供の腕を掴むと、闇とは反対の方向へ力いっぱい投げ飛ばした。
次の瞬間――
闇が闇王を飲み込んだ。
◇
闇の中は、どこを見ても黒一色だった。
空も地面も存在せず、世界そのものが暗闇で染め上げられている。
しかし不思議なことに、闇王はそこに懐かしさを感じていた。
伝承では、闇に飲まれた者は身動き一つ取れなくなると言われていた。
だが闇王は違った。
自由に動ける。
しばらくすると目が慣れてきた。
その時、半透明の身体でふわふわと浮かぶ存在が現れた。
見覚えがある。
それだけではない。
周囲を見渡せば、どこかで見たことのある者ばかりだった。
闇の中には無数の魔物たちがいた。
「……こいつらは」
闇王は目を見開く。
「ここは……私の世界なのか?」
かつて自分が名付けた魔物たち。
見覚えのある姿ばかりだった。
その時だった。
丸い身体に大きな口。
無数の牙をむき出しにし、目を赤く光らせた魔獣が襲い掛かってきた。
闇王は剣を振るう。
斬る。
避ける。
反撃する。
だが、まるで効いていない。
何度攻撃しても魔獣は怯むことすらなかった。
そして――
パキッ。
嫌な音が響いた。
グレートソードが真っ二つに折れたのだ。
「くっ……!」
逃げるしかない。
闇王は走った。
後ろから何十、何百という魔獣たちが追いかけてくる。
もし闇のオーラさえ使えれば、こんな連中など一瞬で消し飛ばせる。
だが今の自分にはそれができなかった。
その時だった。
長く伸びた腕が背後から飛んできた。
腕は蛇のように足へ絡みつき、闇王の身体を宙へ持ち上げる。
目の前で巨大な口が開かれた。
鋭い牙が並び、闇王を飲み込もうとしている。
もう駄目だ。
そう思った瞬間――
無数の枝が闇を切り裂くように現れた。
枝は闇王を守るように巻き付き、魔獣たちを遠ざける。
魔獣たちは一斉に怯えたように後退した。
そして逃げ出していく。
その姿を見て、闇王は理解した。
「本体……」
現れたのは、自分の真の姿。
闇の木だった。
巨大な木は静かに闇王を包み込む。
すると木の内部から膨大な闇のオーラが流れ込んできた。
失われていた力が戻ってくる。
身体の奥が満たされていく。
「少しだけ眠ろう……」
闇王は目を閉じた。
「力が満ちるまで……」
◇
どれほどの時間が過ぎたのだろう。
目を覚ました時、身体は闇のオーラで満ちていた。
そして、その力を自在に操れるようになっていた。
闇王はオーラを凝縮し、一振りの黒い剣を生み出す。
新たな力だった。
その剣を振るい、闇を切り裂く。
すると空間に裂け目が生まれた。
そこが出口だった。
闇王は裂け目を抜け、現実世界へと戻った。
◇
村へ帰ると、村人たちが驚いたように集まってきた。
「生きていたのですね!」
村長が安堵した表情で言う。
あの日助けた子供も駆け寄ってきた。
「ありがとう!」
子供は深々と頭を下げた。
闇王は周囲を見回す。
村の様子が少し変わっている。
「あれから何日経った?」
そう尋ねると、村人たちは顔を見合わせた。
「数日です。」
「みんな、もう亡くなったものだと思っていました。」
闇王は静かに空を見上げた。
闇の中ではそれほど長く感じなかった。
だが現実では、すでに数日もの時が流れていたのだった。




