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「こんな秘密なら・・・」【番外編】(1)





(さち)――――

彼にそう呼ばれることにも馴れたころ、私は、また彼の嘘に遭遇してしまった。



その日、仕事終わりの待ち合わせに遅れてきた彼は、


『ごめん、会議が長引いて』


そう言って、申し訳なさそうに眉を曲げた。

お詫びにと渡された小さなブーケがとても可愛らしくて、その印象ばかりが残っていたけれど、

確かに彼は ”会議” と言ったのだ。

ブーケに浮かれながらも、そのことははっきり記憶している。


ところが、翌日、同じ部署の先輩から冷やかし混じりに言われたことがきっかけで、私はそれが嘘だと知ってしまった。



「今里さん昨日は出先から直帰だったみたいけど、もしかしてデートだったの?」


……直帰?

今里さんは会議だったと言ってたのに?


「どんなに遅くなっても一旦は戻る今里さんが直帰なんて珍しいから、結構話題になってたのよ」


にこやかに話す先輩との間に、スーッと温度差が生じていくようだった。


「……そうなんですか?私は聞いてないので……ちょっと分からないです」


「あらそうなの?じゃあ、本当に遅くなっただけかしら」


「そうかもしれませんね……」


私は先輩のからかいには曖昧に答えた。

けれど気持ちの上では、はやくも、その小さな嘘に翻弄されていた。


昨夜、彼からはそんな話なかった。それどころか、まるでずっと社内にいたような言い方をしていたのだ。

小さな嘘は、あっけなく私の心を乱していく。

けれど、こういう小さな嘘や秘密の中には彼の想いが隠されていることも、もう分かっている。


……ただ、いくら分かっていると言っても、臆病な私に、その嘘を問う勇気があるはずもなかったのだ。




※※※※※




「幸!」



昼休み、一人で買い出しに行っていた私はエントランスで今里さんに声をかけられた。


「今里さん…これからお昼ですか?」


「残念ながらその時間はないんだ……あ、お疲れさまです」


私の隣に並びながらも、すれ違う社員に会釈で応じる今里さん。

その様子は、なんだか急いでいるようだった。

にもかかわらず、先に行こうとしない神楽さんに、私も足を止める。


「お仕事ですか?」


それ以外はないのだろうけど、何とはなしに、そう尋ねていた。

すると神楽さんは、


「ああ……うん、まあ、そんなところ」


彼にしては珍しく、歯切れが悪かった。

そして、


「それより、明日の夜は空いてるかな?前に話してた店が予約できそうなんだけど」


分かりやすく話題を変えたのだ。

今までにあまりない、やや強引にも感じる話の逸らし方に、一瞬、あの小さな嘘が頭をよぎった。

けれど勇気のない私は、「大丈夫です。楽しみにしてます」なんて返して、笑顔を浮かべてしまう。

内心では、気になってしょうがないのに。


私の返事に喜んでくれたのか、今里さんは恋人仕様の甘やかな眼差しで微笑んでから、「それじゃ行ってくるよ」と早足でエントランスを出ていった。



本心を隠したまま今里さんを見送った私の中に残ったのは、恋人が見せた甘い表情と、小さな嘘がまいた不安の種だった。




※※※※※




次の日、今里さんがつれてきてくれたお店は、とてもおしゃれなカフェレストランだった。

ネットで話題になってるのを同僚から聞き、少し前に私が今里さんに話したことがあったのだ。

何気ない会話を覚えてくれていたというだけでも、すごく嬉しい。


人気の店だけあって混んでいたけれど、わたし達は大きな窓際の、おそらくこの店で一番いい席に案内された。


「実は、ここのオーナーが知り合いの知り合いだったんだ」


オーダーを終えたあと、今里さんがこっそり教えてくれた。


「そうだったんですか……」


すごいですね、なんて言いながらも、わたしはちょっと複雑な思いだった。

だって、やっぱり今里さんの世界は私と違うんだな…そう痛感してしまったから。

わたしの周りにはカフェのオーナーもいなければ、会社を経営している知り合いもいないもの。

そういうことを考えるのはもうやめよう、そう決めたはずなのに、こんな風に日常の細部にまで浸透している ”差” が、私の心を弱くさせる。

ひっそり落ち込んでいると、ヴ、ヴ、ヴ、とバイブの音が近くから聞こえてきた。


「あ、オレだ」


そう言った今里さんは、携帯電話を2つ取り出した。

そしてそのうち1つ、仕事用の方を確認して、


「ごめん、少しだけいいかな」


わたしに目配せした。


「どうぞ、出てください」


「ありがとう。外で話してくるよ」


今里さんはそう言いながら、仕事用の携帯だけを持って席を立った。


「わたしは大丈夫ですから、気にしないでください」


余裕を見せて、”大人の彼女” を披露したのはいいけれど、

一人きりになったテーブルは急に静かになってしまって、やっぱり少し寂しかった。


手持ち無沙汰になったわたしは、自分の携帯電話を取り出し、特に目的もなく弄っていた。

すると、今度はテーブルの上に置き去りにされた今里さんのプライベート用の携帯が突然震えだしたのだ。


「っ、……びっくりした」


一人ぼっちの静寂をなんの前触れもなく壊したバイブ音に、私は必要以上に驚いてしまった。

けれど、無意識に目をやった携帯の画面に表示されている文字に、気持ちがヒヤリとした。



〖 着信 アオイさん 〗



聞いたこともない女性の名前が、

そこで自己主張していたのだった――――――










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