第二十二話・勇者と騎士団長の邂逅
上空が黒く覆われた。巨大な影が形を変えて頭上を通り過ぎる。ソーサイスはゆっくりと首を背中側に折った。ドラゴンだ。上空二百メートルほど、余裕を感じる飛行は、捕食者としての優雅さすら感じる。ドラゴンとの遭遇は死を意味する。伝説上の生物と思われていたが、その姿は口伝えで受け継がれてきた。ソーサイスも祖父から聞かされたことがある。「決して、おとぎ話ではない」という枕詞は、祖父だけのものではなかった。フレイムもイングリットも同じ切り出しで聞かされていたという。小手の中で汗が溢れるのを感じる。川の中に飛び込んだみたいに、その水分は逃げ場を失っている。
兵士たちは冷静さを失っている。誰かが叫ぶ
「ド、ドラゴンだ。おしまいだ、終わりだ!」と。
もう少し気の利いた言い回しはないのか、とソーサイスは考え込んだが浮かばない。ドラゴンが恐ろしいのは、破壊的な鋭い爪や絶望的なブレス、頑強な鱗ではない。
執拗なのだ。
狙った獲物は逃がさない。ドラゴンの胃液から逃れる術はない。幸いにも食されたものどもは、大きさにもよるが人間程度なら、丸飲みされる。痛みなく食道を通り強靭な胃袋へと送り込まれる。強力な胃液は、濃縮された酸である。内側から火炎魔法を使った魔法使いがいたという記録があるが、体内のガスに引火し爆死したそうだ。ドラゴン自体は軽傷だったという。喉元の柔らかい一点、逆鱗に大型の剣を刺しこめば倒せると言われているが、人類でそれを成し遂げたものはいない。寿命はエルフよりも長く、正確なところは知られていない。一方、高い知力を持つというのは、おとぎ話である。ドラゴンは言語を持たず、思考する術がないのだ。現存するドラゴンは十七体といわれ、頭上には五体が飛行する。
ソーサイスはドラゴンが魔物側であるとは考えていない。知性を持たないゆえに、捕食するかしないかしかないのだ。ドラゴンは隊列を組んでいる。こちらは、隊列は乱れ、二万の兵は半数以上が持ち場を去った。ゴズリン村へと飛び込んで行った兵たちも同じくだ。ソーサイス自身も逃げるしかないとは思うのだが、超覚醒者を再び取り逃がすことになる。シャルルも同様に。あと一歩のところなのにと口惜しいが、ドラゴンがゴズリン村の中心部に向かって頭部から、急角度で降下した。
「見よ、兵たち。ドラゴンはシャルルたちを捕食するぞ」
ギアルグの宝珠をかぎつけたのか、ソーサイスはドラゴンたちの狙いがわかり、死のカードはシャルルが引いたと思い込んだ。
降下するドラゴンの翼が目視では十メートルほどだとわかる。シャルルは身体からギアルグの宝珠をその鋭い鍵爪で抉り出され、死ぬ。ドラゴンは宝石をこの上なく好む。知性がないからこそなのか、ソーサイスはドラゴンに、年齢を美しさに変えられない老婆マダムを感じてる。
次の瞬間、ソーサイスは祖父や祖父の祖父や、そのまた祖父を恨んだ。乾いた土埃舞う地面を仇敵のごとく踏みしめた。つま先からは血が噴き出るのを感じた。
野太い声が聞こえるのだ。言語体系としては、人間のものではない。エルフ語でも、ドワーフ語でも、ホビット語でも知りうる言語ではない。だがその抑揚、リズムから言語だとわかる。
誤解していたのだ。ドラゴンには知性がない、言語がないと。
言語を発しているではないか、それも、シャルルに向かってだろう。
待て、ドラゴンと交渉しているのか?
ダメだ、ドラゴンの敵は俺たちになる。
逃げなければならない、死ぬ。
死んでは、何もならない。
ソーサイスは正式に撤退の合図を上空に放った。わずかに残った兵たちに命じて、撤退の魔法陣を空に放たせる。ソーサイス騎士団の団紋だ。ひし形のなかに十字のマーク。
正気を失いつつある兵たちは、撤退の合図に歓喜した。生きる可能性があるのと、全くないのとでは、忠誠心たるものに灯りがともるわけもない。
ソーサイスは、誰がドラゴンを呼び寄せたのか、しかも五体も、と考え込んでいた。撤退の命を出したものの、その疑問と好奇心の方が勝っている。
五体のドラゴンたちは、再び空に舞う。土埃が上空にまで舞い、竜巻魔法の名残で熱が漂っている。先頭を飛行するドラゴンがソーサイスたちに睨みを効かせるように視線を落とす。上空からでもソーサイスは、獣然とした無垢の欲望を感じた。ドラゴンたちは俺たちという馳走を捨てて、シャルルとの交渉を選んだのだ。その視線はソーサイスを貫くようにだった。
《いつでも、喰ってやるからな》と脅しをかけられているのだ。脅しというレベルではない、約束か。いや、確定した未来なのか。ソーサイスは鎧甲冑を脱ぎ捨てた。溢れる汗で脱ぎにくくもあり、脱ぎやすくもあった。ドラゴンの翼風により、乾いた砂がむき出しの肌にこびりつく。
まんまと逃げられた。グイ王にどう言い訳をすればいいのか。シュトレン卿は俺をこれ見よがしに叱責するだろう。ネチネチと、断頭台に俺を拘束したまま何日も恐怖の中に置き晒すかのごとくだ。俺も逃げるか、ソーサイスが不徳の腹積もりを始めた。
周りには誰もいない。焼け死んだフレイム隊の兵を踏む。電撃を帯びた魔法矢に貫かれたフレイムが火炎魔法よりもひどい有様で黒焦げになっている。
フレイム隊を踏みしめながら、まっすぐ進む【誰か】が向かってくる。鎧甲冑を脱いだことを後悔した。大剣は武器持ち兵が持ちかえった。律儀なヤツだ。腰に直剣。魔力は残っているがエンチャントする気力がない。不思議なものだ。魔力は気力を凌駕すると、父が言っていたのはなんだったのだ。
近づくその何かは、いびつな人の形をしている。
右腕がない。
シャルルだ。こっちは心が満身創痍だ。勝てる相手ではない。逃げたい。だが足がすくむ。ドラゴンのそれよりも、執拗な目をしている。言葉が出ない、簡単な防御魔法はもちろん、防御結界魔法を詠唱する「気」が回らない。
死ぬのか、ソーサイスは命乞いをするべきか、判断を迫られる。瀕死の兵がいるかもしれない、どこかに逃げ遅れた兵がいるかもしれない。
命乞いがバレれば、終わりだ。それこそ終わりだ。
だが、戦う気力がない。
ソーサイスは死を受け入れた。シャルルがソーサイスの前で立ち止まり、剣を振り上げた。十英傑の剣だ。そのまままっすぐ振り下ろされた。
ソーサイスは生きながらにして、自分からあふれ出る血を、ほとばしる血を見た。焼けるような激痛が走る。目の前には、見慣れた物体が転がっている。
それがソーサイスの物体であることに気付いたのは、髪をかきあげたくなったからだ。兜を外した頭部からは、金色の前髪が垂れ下がり邪魔だ。前が見にくい。右腕に命令が届かない。
シャルルが十英傑の剣を振り払い、焦げ付いた兵のマントで血を拭う。
シャルルは利子だけを取り立てに来た金貸しのように、目が凍り付いた笑顔で言った。
「これで、おあいこだね。ソーサイス騎士団長殿」
その言葉の温度は低い。満足はしていないようだった。
次の瞬間、ソーサイスは止まらない出血を認識し、気を失った。地面に吸い込まれるように落ちていくソーサイスの目には、微動だにしないシャルルがはっきりと見えた。




