第十五話・あるホビットの悔恨記
ソーサイスは宝物庫に封印されているシャルルの右腕を開封した。魔力は低減することなく、むしろ強さを増している。勇者の右腕というだけで、ここまでの力を得るものだろうか。静かな宝物庫は、氷冷魔法によりマイナス三度を保たれている。変温動物の活動を停止させる温度である。封印開封略儀を自ら発行したソーサイスは焦っていた。
シャルルが生存していること自体が驚異である。さらに、超覚醒したエルフも魔物側にいる。フォッサリと同等いや、凌ぐほどの魔力を手にしたバケモノだ。ここに、ギュレもいれば勇者シャルル一行とおなじではないか、とソーサイスは背中に冷たい汗をかいた。それはすぐさまソーサイスの背中を流れることなく凍り付いた。
右腕がまだ健在ということは、シャルルは間違いなく生きている。ソーサイスは勇者シャルルに関する文献を調べるために、北方三国国立蔵書館に向かった。出陣まであと三時間であった。
シャルルに関する記述は数多くはない。勇者の中でも名が通っていない。魔王トロニカを倒したという偉業に対して、その評価は驚くほどに低い。
あるホビットの悔恨、という書物にシャルルに関する記述を見つけた。
――戦争で親を失ったシャルルは、幼少期ホビット族の夫婦に拾われた。奴隷として育てられた。ホビット族の背格好にも似ていたことから、シャルルは表情筋の訓練を絶やさなかった。奴隷として十年経つ頃には、ホビット独特の顔のパーツが中央に近づくように「見える」筋肉の使い方を覚えた。子どものいなかった夫婦は、ホビットと言っても違わないシャルルを見て、養子として迎えた。十五歳になったシャルルに、夫婦はひとつ欲しいものを与えると約束した。シャルルは、幼い頃から奴隷として一緒にいたエルフを自分の従者にし、奴隷から解放して欲しいと願い出た。
「沈黙」魔法により、魔法詠唱のみならず日々の会話すら封じられていた奴隷のエルフをシャルルは従者とした。従者と言いながらも、そのエルフを友人として扱った。
エルフは次第に心を開いたが、「沈黙」の魔法効果のため、言葉を話せなかった。シャルルはその夫婦から魔法を習うことにした。夫婦はホビットとしての自覚が芽生えたシャルルに深い愛とともに、魔法を手ほどきした。火炎・雷撃・氷結といった攻撃魔法は、シャルルには習得できなかった。適性がないことには夫婦はがっかりしなかった。ホビットの魔法は精霊魔法であり、精霊を介することができるのはホビットだけ。つまり、シャルルのような人間には、精霊魔法は習得ができないものであるからだった。シャルルは、夫婦に精神魔法を教えて欲しいと懇願した。夫婦も精霊を介しない精神魔法であればと同意した。シャルルは睡眠、混乱、魅了、恐怖、服従と習得した。だが、沈黙については夫婦は教えてくれなかった。精神魔法は鍵と鍵穴を兼ねている。つまり、魔法をかける・魔法を解除するが一体化されているのだ。睡眠をかけた相手を目覚めさせるには、ふたたび睡眠魔法(解除の手順はあるものの)によるのだ。
シャルルは沈黙魔法を習得し、従者のエルフと話したかったのだ。シャルルは夫婦に服従魔法をかけ続けた。家で顔を合わせるたびにだ。一年後、ほぼ夫婦同時にシャルルの服従魔法にかかりきってしまった。あとは、沈黙魔法を強引に教えるようにと仕向けた。
シャルルは沈黙魔法をエルフに詠唱した。長年の沈黙魔法の力はそのエルフの中に複雑に根のように張り巡らされ、解除するのに半年を要した。その甲斐あり、エルフは沈黙魔法から解き放たれた。
エルフは深々とシャルルに感謝の言葉を伝えた。彼女は「フォッサリ」と名乗り、赤眼の双子の妹を探しているとシャルルに告げた。そのなかで妹を奴隷とし商人に売ろうとしている夫婦がいると耳にした。フォッサリは怒りに任せて夫婦のもとに乗り込んだ。なんの策もなく、味方もなく。その類まれな魔法使いとしての力を過信しすぎた。フォッサリは、妹を盾にした夫婦に屈することしかできなかった。奴隷商人の男も夫婦に加勢し、フォッサリは沈黙魔法により、夫婦の奴隷とならざるを得なかった。妹は奴隷商人の男に買われ、再び行方知れずとなったということだった。
沈黙を解かれたフォッサリは、奴隷生活のなかで精神性を高めていった。シャルルの誤算は、フォッサリが「類まれな魔力を備えた魔法使いである」とは微塵も想定していなかったということだ。シャルルが夫婦に服従魔法を解除することはなかった。決してフォッサリに同情したからではない、シャルルは十五歳になるまで奴隷として扱われてきた。この夫婦を心底憎んでいたのだ。
フォッサリと共に、双子の妹を買った奴隷商人の男の名を吐かせた。その後、すぐにフォッサリは夫婦の服従魔法を解除した。フォッサリは、夫婦二人相手に戦いを挑んだ。夫婦は精霊を召喚する。火炎魔法と竜巻魔法、この二つの魔法は相性がいい。火炎の効果を竜巻がさらに底上げする。シャルルはもとより、フォッサリは余裕の表情で対魔法防御により爆炎をいなす。夫婦の周辺、ホビットたちの家屋は無残にも焼け落ちる。瞬間のことであった。村の半分以上が焼け落ちたが、高度な対魔法防御を学んだシャルルはもとより、フォッサリも無傷であった。
ホビットの寿命は短い。五十年ほどだ。エルフと比べれば、一瞬の命。フォッサリはただ殺してしまうだけではと考え、まず夫を混乱魔法により錯乱状態にした。次に妻には、恐怖魔法によりあらゆるものに対する、平静な精神状態を奪った。そして、妻に告げた。
「恐怖から逃れたくば、その悔恨記を書き残し、後世に残るようにせよ」と。
恐怖の心理状態のなか妻は錯乱する夫を殺害した。その後、恐怖魔法を解除されると信じ、この悔恨記を書き連ねた。最後に、いつになればこの恐怖から逃れられるのか、と叫びに近い一文を残して、悔恨記は終わっている。
その妻が遺した恐怖が、自分の身にとり憑くのではと、ソーサイスは慌ててその書物を閉じた。ここには、ギュレは登場していないが、フォッサリとシャルルがこうして出会ったのかと初めて理解した。勇者シャルル一行のうち二人は奴隷出身である。ソーサイスやその父は奴隷たちにとっては、畏怖の相手だが、同時に憎悪の対象でもある。
ゴズリン村から発している強大な魔力の正体は?
エルフであるはずがない。
北方三国の魔力に溢れた土地は、エルフやドワーフたちの力を半減させる。ゴズリン村も例外ではない。出陣の時間まであと一時間。
万一、転送魔法に成功したエルフを処刑していなかった、とグイ王にバレてしまえば自身はおろか、親族もろとも葬られるだろう。なんとしてでも、ゴズリン村に行き、巨大な魔力を放つものの正体を掴み、それがそのエルフであるならば、首を刎ね、なかったことにしなければならない。ソーサイスはあの時なぜ処刑に立ち会わなかったのか、今更ながらに強く後悔した。大兜の中で噛んだ唇からひたひたと、冷たい血が流れ落ちた。




