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【完結】異世界への招待状 おじさんはそれなりにがんばる  作者: りのぺろ
第八章 四大都市ザイリアの街

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第73話 最後の選択

「これで、バグ修正デバッグ完了だ。実際は単なる神様の頼み事だがな」


俺の静かな呟きと共に、昏い大空洞を満たしていた張り詰めた空気は、一瞬にして霧散した。

床に転がった「堕ちた管理代行者」は完全に意識を失い、その黒く染まった翼は力なく床に広がっている。

中枢装置を縛り付けていた黒い触手はすべて消え去り、今や巨大な水晶の円柱は、優しく、そして規則正しい青白い輝きを放ちながら、ドクン、ドクンと暖かな鼓動を刻んでいた。

ザイリアの街全体を支配していた、あの無機質で冷酷な呪縛が、完全に解き放たれていくのを感じる。


「きゅぷぅ~♪」


俺の肩の上で、ハムが満足そうに小さなお腹をぽんぽんと叩き、鼻を鳴らしている。


「お疲れ、ハム。お前がハッキング用の魔力塊を全部食い尽くしてくれたおかげだ。本当に助かったぞ」


俺が指先で頭を撫でてやると、ハムは嬉しそうに目を細め、俺の首元に身体をすり寄せてきた。


【ハッキングの完全無効化を確認。システムは正常化されました】


脳裏に響く無機質なシステムメッセージ。

だが、その声すらも、先ほどまでの刺々しさは消え、どこか安堵したかのような柔らかな響きを帯びているように思えた。


「はーい、お疲れ様ー☆ 本当によくやってくれたよ! まさか本当にシステムを正常化しちゃうなんて、お姉さん、感動しちゃったなー☆」


「……うぉ!」


静寂が戻った大空洞に、突如として響き渡った聞き覚えのある軽い声。

空間がぐにゃりと歪み、まばゆい光の粒子が寄り集まったかと思うと、そこにはいつものギャルっぽい、しかし神々しいオーラを放つ「案内人(神)」が立っていた。実体化して現れるのは、これが初めてだ。


「神様……。本当に直接現れるとはな」


「そりゃあねー☆ なんだかんだと世界の崩壊を止めてくれた大恩人の前だもん。直接お礼くらい言いに来るよー☆」


神はフリフリとした衣装の袖を揺らしながら、床に倒れている堕天使(元・管理代行者)を一瞥した。


「もー、この子には困ったものだよ。私の目を盗んでハッキングツールなんて作っちゃってさ。でも、これで完全にシステムから切り離したから、もう二度と悪さはできないよ。この子はこっちで厳しくお説教しておくからねー☆」


神がパチンと指を鳴らすと、倒れていた男の身体が光の粒子となって消滅した。神の領域へと回収されたのだろう。やっぱすげえな神様って存在は…。


「ま、なんにせよだ。これで、すべて頼み事? クエスト? ってのは解決ってことでいいんだな?」


「うん! システムの不具合もぜーんぶ直ったし、魔物のスタンピードもこれで収まるよ。あっちとこっちの往復システムも、今度こそ完璧に復旧したから安心してね☆」


神は満面の笑みを浮かべ、俺の手首に結ばれたリリィたちのミサンガに視線を移した。そして少しだけ悪戯っぽく、しかし真剣な色をその瞳に宿して、俺を見つめてきた。


「さて……。バグも一掃されたし、おじさんへのクエスト依頼ももうない。これで完全にこちらの世界でのテスト運用はおしまい。だからね……ここで、最後の選択をさせてあげる☆」


「最後の……選択?」


「そう☆」


神は人差し指を立て、俺の目の前に差し出した。


「今回の不具合で分かったと思うけど、β版といえばいいかな? 試してみてわかったのは、二つの異なる世界を個人が何度も行き来し続けるのは、システム的にはやっぱり多少の『バグ(歪み)』が残っちゃうみたいの。だから、あっちの世界とこっちの世界、この往復はこれきりにしたいんだ」


提案されたのは、究極の二択だった。


「つまりはね。選択肢その一☆ これまでの記憶をすべて持ったまま、地球へ完全に帰還する。あっちの世界では一瞬の出来事として処理されるから、またいつものように会社員(村木京介)として、愛する奥さんと二人の息子さんと、平穏な一生を全うできるよ☆ その場合、異世界での君の存在ムクノキは消去され、みんなの記憶からも綺麗に忘れ去られることになるけどね」


胸が締め付けられるような、冷たい事実が突きつけられる。

地球の家族。毎日定時退社して、車の中でアニメを観て、妻と他愛のない会話を交わし、息子たちの成長を見守る、俺の本来の日常。


「選択肢その二☆ 地球での君の存在を完全に消去(あるいは事故などで亡くなったことにして整理)し、この世界で一生を終える。陽だまりの村の村長ムクノキとして、ヴァイスやプリン、ウェスリー、そしてリリィたちと、第二の人生をこの地で穏やかに、永遠に送り続ける。どっちを選ぶ?」


俺は立ち尽くした。

陽だまりの村。

子供たちが笑い、ウェスリーが鉄を打ち、シスターが歌い、リリィが自らの力で誰かを救うために努力している、あの温かな場所。

そして、俺を信頼し、命を預けてくれたヴァイスやプリン、子フェンリルたち。

彼らもまた、この一年の開拓の日々を経て、俺にとって決して切り捨てることのできない「家族」になっていた。

どちらか一方を選べば、もう一方とは永遠の別れになる。

普通の高校生や、天涯孤独の若者なら、迷わず第二の人生を選んだかもしれない。

だが、俺は40を過ぎたおじさんだ。地球の家族を捨てることなど、絶対にできない。しかし、この世界の家族を、リリィの笑顔を、プリンやヴァイスとの絆を、なかったことにして綺麗さっぱり忘れることも、俺には不可能だった。

俺はゆっくりと息を吐き、手首のミサンガを強く握りしめた。

そして、神の瞳を真っ直ぐに見据えて、こう言った。


「……どっちも選ぶ」


「えっ?」


神が、間抜けた声を上げて目を丸くした。


「どっちも選ぶ。地球の家族も、この世界の家族も、どっちも俺の家族だ。片方を切り捨てて、もう片方だけで幸せになるなんて、そんな選択、俺には選べない。……選びたくはない」


「もー、そういうわがまま言うと思ったよー☆ でもね、システム的にさぁ……」


「システムなんて、ハッキングを完全に止めてみせた俺たちの前では、いくらでも書き換えられるだろ? それに、世界を救った英雄のわがままだ。そのくらい、大目に見てくれたっていいじゃないか」


俺は不敵に笑ってみせた。神はしばらく俺の顔をジッと見つめていたが、やがて呆れたように、そして本当に愛おしそうにクスクスと笑い出した。


「あはは! 本当におじさんはそれなりにわがままだなー☆ でも、しょうがないよね。世界を救ってくれた超・大恩人の、たった一つのわがままだもん。神様、特別ルールを適用しちゃいます☆」


神が楽しげに指を鳴らした。

その瞬間、俺の脳内に不思議なシステム情報が流れ込んでくる。


「陽だまりの村の君の自宅の奥に専用の『転移ドア』を設置してあげる☆ このドアを使えば、地球の君の部屋(あるいは車の中のような、誰も見ていないプライベートな空間)と、村を、一切の不具合のリスクなしに、いつでもドア一枚で行き来できるようにしてあげる! もちろんハムちゃんも行き来できるよ。これなら、平日は地球で会社員、週末は異世界で村長さん、なーんて二重生活もできちゃうでしょ?☆ ただ、時間軸は同時進行になっちゃうけど、そこは勘弁してね☆」


「……ま、マジか」


あまりにも完璧すぎる「特別ルール」。おじさんへの至れり尽くせりな計らいに、俺はただただ驚くしかなかった。


「ただし、あっちの近代兵器とかパソコンとか、世界観を崩すようなものは相変わらず持ってきちゃダメだからねー☆ 買い出しの調味料とかお菓子くらいなら、これまで通り目をつむってあげるから☆」


「ああ、それで十分だ。ありがとう、神様」


「どういたしましてー☆ じゃあ、これからも『それなりに』がんばってね! ばいばーい☆」


神はウィンクをすると、光の粒子となって大空洞から消え去った。


**

地上へと戻ると、そこには激しい戦いを終えたヴァイスと子フェンリルたちが、瓦礫の山に腰掛けて俺を待っていた。

その中心には、スライム形態の『断熱・発熱モード』のプリンに優しく包まれ、すやすやと穏やかな寝息を立てているリリィの姿があった。プリンの発熱と、究極の【精霊のお護り】の魔力供給が落ち着いたことで、彼女の体温は完全に回復し、ただの心地よい眠りへと落ちているようだった。


「終わったようじゃの、主よ。システムの気配が元に戻ったのが分かったぞ」


ヴァイスが剣を鞘に納め、安堵の笑みを浮かべた。


「ああ、終わった。みんな、本当によく頑張ってくれた。村へ帰ろう。俺たちの、我が家へ」


俺はリリィをそっと抱き起こし、プリンを人型に戻して頭を撫でてやった。


「おうちに帰るのぉ~♪」


「きゅっきゅ!」


俺はスキル『転移』を発動させた。

目的地は――俺たちが一年かけて作り上げた、あの温かな陽だまりの村。




**

フッと景色が切り替わり、俺たちは見慣れた村の広場へと降り立った。

夕暮れの柔らかなオレンジ色の光が、村のログハウス群を優しく包み込んでいる。


「ムクノキさん! ヴァイスさん! おかえりなさい!」


ウェスリーが工房から飛び出してきて、俺たちの無事な姿を見て涙ぐんだ。シスターや子供たちも、俺たちが連れて帰ったリリィを見て、安堵の歓声を上げる。


「ただいま、みんな。リリィは眠っているだけだから、部屋のベッドに運んでやってくれ」


リリィをシスターに預け、俺は自宅である一番大きなログハウスへと向かった。

扉を開け、その奥の部屋へと進むと――

そこには、昨日はなかったはずの、重厚で美しい木製の「ドア」が、壁にひっそりと埋め込まれるようにして設置されていた。

ドアノブに手をかけ、そっと開けてみる。

隙間から見えたのは、夕方に差し掛かった日本の、俺のいつもの愛車の車内の光景だった。ダッシュボードに置かれた缶コーヒー、シートの質感。


「……本当に、繋がってる」


俺は静かにドアを閉め、胸に去来する言葉にならない感情を、ただ静かに噛みしめた。

地球の家族も、異世界の家族も、どちらも失わずに済んだのだ。


「主よ、何をしておる? さっさと夕飯の準備をせぬか。我はあのおしるこ缶とやらが気になって仕方がないんじゃがのぅ」


扉の向こうから、ヴァイスの呆れたような、しかし嬉しそうな声が聞こえた。


「あるじぃ、プリンも地球のお菓子たべるのぉ~♪」


「きゅっきゅ!」


「わかった、わかったよ。今すぐ行くから待ってろ」


俺は転移ドアを背に、笑顔で部屋を飛び出した。

これから始まる、おじさんの「それなりに忙しい」二重生活。だが、その胸にあるのは、かつてないほどの充実感と、未来への確かな希望だけだった。

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