第72話 バグ修正(デバッグ)
「能力3倍強化――常時、維持!!」
俺の叫びと共に、ザイリアの極寒の世界は、絶対的な七色の魔力光とリリィの黄金のオーラによって完全に塗り替えられた。
体内で荒れ狂う魔力の奔流。
一年前、初めて能力強化を使った時は、身体がバラバラになりそうなほどの負荷を感じたものだが、今の俺にはそれがない。
全属性を統合した【精霊のお護り】のベース能力値向上、そしてリリィが【聖なる源泉】で注ぎ込み続けてくれる無限のMP。それらが完全に噛み合い、俺の肉体を「神の領域」へと引き上げていた。
常時、能力3倍。
そのステータスは、もはやこの世界のいかなる冒険者、いや、いかなる魔物すらも凌駕する。
(ATK 243 ⇒ 729)(DEF 132 ⇒ 396)(SPD 158 ⇒ 474)
「……いくぞ」
俺が呟いた瞬間、俺の姿は文字通り「消えた」。
影移動を使ったのではない。ただ単に、素のSPDが470を超えたことで、俺の踏み込みの速度に人間の、いや改造人間たちの動体視力が追いつかなくなったのだ。
「グオ!?」
次の瞬間、宿屋を取り囲んでいた数百の改造人間たちの中心部で、凄まじい衝撃波が爆発した。
俺は一歩の踏み込みで彼らのど真ん中へと突入し、鉄の剣をただ一振りした。それだけで、お護りの永久補正と3倍強化が乗ったATK729の一撃が、大気そのものを切り裂く真空の刃となって放たれたのだ。
刃に触れた改造人間たちは、彼らが誇る頑丈な氷の装甲ごと、数十人がまとめて遥か後方へと吹き飛び、結晶の壁に激突して一瞬で戦闘不能となった。
「グガァアアアアアアアアア!」
幹部クラス?であろう少し小奇麗な改造人間が金切り声を上げ襲ってくる。
だが、遅い。遅すぎる。
俺の視界の中では、まるで空間に静止しているかのようにゆっくりと流れているからだ。
「影移動」
敵の攻撃が届くより早く、俺は彼らの足元に広がる影へと沈み込み、次の瞬間には幹部クラスの改造人間の真後ろへと出現した。
「ガッ!?」
「終わりだ」
俺の剣が、改造人間の腕の関節を正確に破壊する。
声を上げる暇すら与えず、流れるような体術で周囲の改造人間の武器を次々と叩き折り、急所へと打撃を叩き込んで意識を刈り取っていく。
それは戦いというより、まさにシステム上のバグを一行ずつ消去していくかのような、精密極まりない「デバッグ(駆除)」だった。
「主、さすがの速さじゃのぅ! これなら我も、心置きなく大暴れできるというものじゃ!」
ヴァイスが獰猛な笑みを浮かべ、その身体から災害級の嵐を巻き起こす。
「我が子らよ! 主が道を切り開いた! 残りの雑魚どもは、我らフェンリルの一族がすべて引き受ける! 一匹たりとも、あやつらの元へ通すでないぞ! 気合を入れろ!」
「「「「ワオォォォォン!!!」」」」
フェルイチを筆頭とする子フェンリルたちが、地響きを立てて改造人間たちの包囲網へと突撃していった。
プリンは今、スライム形態となって満身創痍のリリィを温め、守るために戦闘から完全に離脱している。前衛の火力が減ったはずの戦場だったが、覚醒した俺と、ヴァイスたちの猛攻の前には、数千の改造人間軍団すらもただの「案山子」に過ぎなかった。
「ヴァイス、地上は任せた! 俺は地下の中枢を叩き潰してくる!」
「心得た! さっさとあの堕天使の首を撥ねてくるが良い!」
俺は返事の代わりに床を蹴り、崩壊した宿屋の地下へと続く隠し通路へと、光速で飛び込んだ。
肩の上では、ハムが俺の服に必死に掴まりながらも、「きゅっきゅ!」と気合の入った声を上げている。
「待ってろよ、ハム。お前の『捕食』が、この戦いの最後の鍵だ」
「きゅいきゅい!」
**
地下へと降りる階段の道中、配備されていた処刑人クラスの改造人間たちが、俺を阻まんと次々と襲いかかってきた。
だが、常時3倍強化を発動している今の俺にとって、彼らの動きは止まっているのと同義だった。
「邪魔だ」
すれ違いざまに鉄の剣を一閃。
それだけで、頑丈な改造人間たちの身体が紙細工のように真っ二つに裂け、地下通路の壁へと叩きつけられていく。
一歩進むごとに、敵がゴミのように排除されていく。
かつては苦戦したはずの「超再生」を持つ敵すらも、俺の速度とATKの前には、再生を開始することすら許されずに沈黙していった。
そして、俺は再び、あの大空洞へとたどり着いた。
重厚な鉄の扉は、俺の突進の風圧だけで内側へと吹き飛んだ。
「な、何事だ!?」
大空洞の中央、巨大な魔導装置をハッキングしていた「堕ちた管理代行者」が、驚愕に目を見開いて振り返った。
その瞬間、俺の姿は既に奴の眼前へと迫っていた。
「しまっ――」
「これで終わりだ!」
ドカァァァァン!!!
俺の放った強烈な前蹴りが、男の胸元へと直撃した。
男の身体は、まるで大砲から放たれた砲弾のように凄まじい速度で吹き飛び、地下の氷の壁を何枚も突き破って、瓦礫の山へと叩きつけられた。
「がはっ……! ば、馬鹿な……! ただの人間が、なぜこれほどの魔力と身体能力を……!?」
瓦礫の中から、ボロボロになった黒い翼を羽ばたかせながら、男が血を吐いて這い上がってくる。
その目は、驚愕と、信じられないものを見るような恐怖に染まっていた。
だが、男はすぐに狂気的な笑みを取り戻し、背後の巨大な装置へと手を伸ばした。
「ハ、ハハハ! だが遅い! ハッキングは既に九十パーセントを超えている! このまま中枢を暴走させれば、お前たちが何をしようとも、この世界は――」
「させないよ」
俺は即座に転移を発動。
装置へと伸びた男の腕を、俺の短剣が容赦なく貫き、氷の床へと縫い付けた。
「ぎゃあああああああ!」
「ハッキングしているその『触手(魔力の束)』、全部切り刻んでやる」
俺は影移動を連発し、装置をがんじがらめに縛り付けていた、黒くドロドロとしたハッキングの触手たちを、目にも止まらぬ速さで次々と切り裂いていった。
触手が一本ちぎれるたびに、装置のハッキング率が「八十……七十……五十……」と、急速に低下していく。
「あ、ありえん……! 私が何十年もかけて構築したプログラムが、これほど容易く破られるなど……! おのれ、おのれぇ!」
男は床に縫い付けられた腕を引きちぎるようにして立ち上がり、残された片翼を広げて、最後の魔力を暴走させ始めた。
その身体から、ドロドロとした黒い魔力の巨塊が噴き出し、装置の中枢コアへと直接流れ込もうとする。
「このまま装置と自爆してやる! システムを完全に破壊すれば、世界は混沌に包まれ、どのみち崩壊するのだ!」
男が狂ったように叫ぶ。
装置のコアが、異常な赤黒い光を放ち、臨界突破の警告音が大空洞に鳴り響いた。
流石にこの規模の魔力暴走は、俺の剣では切り裂けない。防げば、このザイリアごと全てが消し飛ぶ。
だが、俺には「彼」がいた。
「ハム! 出番だ! あの邪悪なプログラム(魔力塊)を、全部食い尽くせ!」
「きゅっきゅーー!!!」
俺の肩から、ハムが弾丸のように飛び出した。
ハムは空中でその小さな口をありえないほど大きく開けると、スキル【捕食】を発動させた。
【スキル:捕食(MP最大消費)が発動】
【対象:ハッキング用邪悪プログラム(魔力塊)】
ズズズズズズズズズズズズズ!!!
驚くべきことに、男の身体から放出され、装置のコアへと向かっていた巨大な黒い魔力の渦が、ハムの小さな口に向かって吸い込まれるように、掃除機のように吸引されていった。
どんな硬い鉱石も、邪悪な呪いも食い尽くしたハムの【捕食】。ハムのスキルは、もはや「概念」すらも食い尽くすほどの、絶対的な捕食能力へと昇華されていた。
「な……な、何なのだ、あの魔物は……!? 私の、私の究極のハッキングプログラムが……吸い込まれていく……!?」
男は絶望に目を見開いた。
どれだけ魔力を放出しようとも、すべてがハムの小さな身体へと吸い込まれ、完全に無効化されていく。
わずか数十秒の後、大空洞を満たしていた不気味な黒いノイズは、一滴残らずハムの胃袋へと収まり、装置のコアは、本来の透き通るような美しい青い輝きを取り戻した。
「きゅぷぅ~♪」
ハムは満足そうにゲップをすると、俺の肩の上へと着地し、お腹を膨らませて誇らしげに胸を張った。
【ハッキングの完全無効化を確認。システムは正常化されました】
「バカな……バカな、バカな、バカなァァァァァ!」
ハッキングツールをすべて失い、魔力を使い果たした堕天使の男は、その場に力なく膝をついた。
俺はゆっくりと、男の目の前へと歩み寄る。
「これで、バグ修正完了だ」
俺は冷徹に告げると、男の首筋に正確な手刀を叩き込み、その意識を完全に刈り取った。
大空洞に、静寂が戻る。
脈打つ魔導装置の音は、優しく、そして規則正しいものへと戻り、街全体を支配していた不気味な呪縛が、完全に解き放たれたのを感じた。
俺たちの、完全な勝利だった。




