第十集「襲撃犯」
翌朝。
約束通り、大伴くんが部屋まで迎えに来てくれた。
「よく眠れた?」
「はい」
朝の日差しも霞むほど爽やかな笑顔を向けられ、俺は頷きつつそっと目を外した。
笑顔が眩しいから――もあるが、気まずいがもっとある。
昨夜、事態に気づいた門前の兵士がすぐさま二階に駆け上がったけれど、廊下に人気はなかったらしい。開けっ放しの窓は枠が外されていて、正面は施錠された空き部屋だった。花瓶は、廊下のつきあたりに飾られていたものということだ。
念のためと兵に建物内と俺の部屋を確認させてから、許宇様は帰っていった。言われた通り観音扉に閂を渡し外部からの侵入を防ぎはしたけれど、「これで安心」とは当然ならず、まんじりともせず朝を迎えてしまった。
「じゃあ行こうか」大伴くんに連れられて、一緒に食堂に行く。
一階の食堂は広く、細長い机が整然と並んでいた。
そこそこ席が埋まっていて、多くはアジア系だったけれど、西洋系の顔立ちも少なからずいた。さすがは世界都市、感心しながらキョロキョロしていると、「こっちこっち」と日本語が聞こえてきた。見れば、奥の窓際で、手招きしている一団がある。
「壱岐殿、大丈夫ですか?」
「心配していたぞ」
「無理はするなよ」
馴染みある顔立ちの集団に近づくと、みんなが口々に声をかけてくる。どうやら壱岐くんは、年若メンバーとしてかわいがられているようだった。
「壱岐殿には柔らかめの粥をもらってきました」
そう盆を捧げ持って現れたのは、三十過ぎくらいの、俺と同世代と思われる御仁。留学生って壱岐くんみたいな若いメンバーばかりじゃなく、結構幅広い年齢層なんだな。
話を聞くに、この御仁が最年長らしい。そしててっきり壱岐くんが最年少かと思ったら、十一歳の僧侶がいるんだとか。小学生!?
待て、十一歳の留学僧と言えば確か――。
「どうぞ」
御仁が俺の前に粥を載せた盆を置いてくれた。粥、というより重湯か。その他、薬味が載った小皿もいくつか。色々な種類が少しずつ用意されている。気配りの人なんだなと思いつつ、「ありがとうございます」と頭を下げたら、笑顔で会釈を返された。年長者なのに偉ぶってない。さすがは国の代表。人間ができている。
「ではいただきましょうか」
そう声を上げたのは、二十代半ばの若者。聞けば皇族の血を引いているとかなんとか。なるほど、と言いたくなる品の良い佇まいではある。
みんな出身は確かだろうし、学問の勉強に来ているだけあって誰もかれも文人らしくひ弱――もとい、穏やかそうな人たちばかりだ。とりわけガタイが大きいヤツもいない。
その中でも壱岐くんはとりわけ背が低いのだけれど――成長期はこれからだ、うん。
同じ遣唐使と言っても、技術者、留学僧は長安中の施設や寺で寝起きして学んでおり、大使ら官人たちは帰国のため近日中に長安を発つとのことで別棟に住み別行動、よってここに集まっているのは長期滞在予定の留学生たち。
異郷の地で同じ目的を持つ者同士、身を寄せ合って和気藹々としているように見えた。
そんな中でも、大伴くんは当たり前のように壱岐くんの隣に座り、「これ美味しいよ」だの「こっちが酢だよ。使う?」だのと何くれと世話を焼いてくれ、「大伴様は、相変わらず壱岐殿に甘い」みなが苦笑いしている。
誰もが大伴くんに敬意を払っているようだ。やっぱり名門の子息なんだな。
和やかに談笑をしながら食事を進め、食後のお茶を飲み終えたところで皇族後裔の彼が声を上げた。
「じゃあ、そろそろ学校へ行きましょうか」
それを契機にみなが立ち上がる。
「真仁は、今日は静養なんだよね? しっかり休んで、早く良くなって。部屋まで送るよ」
大伴くんが当たり前のようにそう言うと、皇族後裔くんが続けて、
「そうだったな、何かあれば掌客殿にすぐ知らせるんだぞ。私からも声掛けをしておこう」
「大丈夫です」俺は少し大きめの声を上げた。少なくとも、この日本人留学生グループ全員に聞こえる程度の声で。
「掌客様は、今日は出かけられると伺っています。それでなくてもここ数日ご迷惑をおかけしていますから、何もおっしゃらないでください。部屋でただ横になっているだけですから、大丈夫です。お気遣いありがとうございます、みなさまはどうぞ、学校へ」
だから、大伴くんの傔従くんが様子見&昼ご飯を持ってくる昼過ぎまでは、部屋には誰も来ない。俺一人きりである。そして傔従くんが出入りできるように、閂は抜いておく――そう、誰もが分かるように伝えた。
俺がベッドに入ると大伴くんはすかさず衾を掛けてくれた。気まずさを衾を引き上げることでやりすごす。
「じゃあ何かあったら、うちの傔従を呼んでくれ」
「寝てるだけですから大丈夫ですよ。いってらっしゃい」
何度も大伴くんは振り返り、やっとのことで部屋の扉を閉めてくれた。俺はほっと息を吐き、天井をしみじみと見上げる。
「私といると危ない。当面は何かあれば他の者を派遣する」昨夜、許宇様はそう言っていた。だから却って好都合だ。
許宇様は自分が狙われていると言っていたけれど、そうじゃない。
彼が一人でいる機会はいくらだってある。わざわざ人がいるところで、しかも確実性がない場所で狙う必要なんかない。
そして襲撃に遭う時に必ず一緒にいるのは。ただ一人。
狙われているのは、壱岐くんの方だ。
あれだけ大伴くんと許宇様が傍にはりついているし、長安に到着してひと月、外出も許可制なわけだから、現地の人と揉めるようなことはないはず。
襲撃場所を考えると、犯人は同じ日本人留学生である可能性が高い。
とはいえ、壱岐くんが恨みを買うような真似をするとは思えない。きっと何かの誤解だ。
相手は文人、話せば分かる。誤解を正して、場合によっては謝罪して、平穏に済ませよう。相手だって、壱岐くんに正体を知られてしまったなら、大事にされては困るはず。
事が露見して相手の未来を潰すようなことになったら、壱岐くんはきっと悩み苦しむ。だから穏便に済ませよう――それが両者最善の落としどころだろう。
彼が戻ってくるまでには、何とか解決したい。
扉の奥に、人の気配がする。
来た――扉がゆっくりと開いて、しばらくの沈黙の後、それが閉められた。
足音がこちらに近づいてくるのを確認して、俺は掛布団を払って起き上がった。
「お待ちしておりました――」
予定通りにそう声掛けをしたものの、そこに立っている人物に、俺は固まってしまった。




