第四百八十八話 幕間 永遠世界に存在する庭園
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その場所は――とても美しい、透明色の草花が咲き誇る小さな庭園だった。
赤レンガで作られた小屋の近くには、綺麗な水の流れる水路と、農作物を育てる家庭菜園用の畑が広がっている。
庭園の大きさは、縦の長さと、横の長さがそれぞれ10メートルほどしかない狭い敷地のはずなのに。
真上からその庭園を見下ろすと、まるで『地球』を上回るサイズの大きな球体のようにも見え。
真横から見つめてみると、地平線の果てが見通せないほど広大な……無限の敷地が広がっているようにも見えてしまう。
そんなあまりにも人智を超えた、『時間の概念』が存在しない、全ての事象が無限大の広がりをみせている、永遠世界に存在する庭園の中に……。
美しい金色の髪を伸ばした、一人の青年が右手に小さなスコップを持って立っていた。
庭園に咲く透明な草花の世話をし続けている彼は、いつからこの不思議な庭園に存在しているのだろう?
それはきっと……この永遠世界の庭園で、長い時を生き続けてきた彼自身にも分からない事だった。
ただ、この世界に『始まり』の概念が誕生した瞬間から。金色の髪の青年はこの庭園の中に存在していた。
いや、むしろ……彼がこの庭園に存在していたからこそ。あらゆる時空世界に存在する、全ての『過去と未来』を内包した並行世界が生み出されたといっても良いのかもしれない。
庭園で農作業をする金色の髪の青年には、『名前』が無かった。
青年には『死』という概念さえ存在せず、彼は生まれた時から不老不死であり。あらゆる世界に存在する生物達が持つ、有限の縛りが一切存在しない。
その為、特別な存在である彼の事を――『神』と定義している世界もあったという。
この透明な草花が咲き誇る、不思議な永遠世界の庭園に住んでいるのは……彼一人だけだ。
誰も、この世界にやって来る事は無い。
誰一人として、永遠の存在である青年と会話が出来るような人物は存在し得なかった。
……なぜならこの世界に足を踏み入れる為には、時間という概念も、死という概念も持たない、『永遠』の存在に成らないといけなかったからだ。
そんな不思議な庭園の中で、ただ一人……無限の時間を費やして。畑の管理をしながら孤独に生きてきた青年は、時々……茶色い畑を耕しながら。彼が過去に経験した、温かな記憶を思い出す事がある。
そう……それは、永遠の時間を生きる彼にとっては、とても不思議な体験だった。
青年が茶色い畑の土を掘り返す動作をすると。その度に、たくさんの小さな石粒が生み出され。その小さな石粒の中をよく覗いて見ると……無限に広がる『異世界』が存在していた。
この茶色い畑の中で、一体どれだけ無数の『異世界』が生み出されてきたのだろうか?
青年には、それを正確に数える事は出来なかったけれど。きっとこの小さな石粒の数だけ、無数に広がる新しい『異世界』が生み出されてきた事だけは間違いなかった。
そんな小さな石粒の中の世界から、ある時……突然、『声』が聞こえてきた。
それはびっくりするくらいに、小さな声で。どこか遠くから『私を助けて下さい……』と願う、少女の声が青年の耳には聞こえてきたのだ。
金色の髪の青年は、その小さな石粒の中から聞こえてきた声に耳を傾けるうちに――。
いつの間にかに、その少女の声が聞こえてくる……小さな石粒の『世界』の中に入り込んでしまった。
まさか自分が、毎日手入れをしている畑の中に無数に転がっている、小さな石粒の中の世界に入り込んでしまうなんて……彼は夢にも思わなかった。
自分の事を助けて欲しい……と願う、薄暗い地下の牢獄に囚われていた少女の世界に飛び込んでしまった青年は、『自分が何者なのか……』という記憶を完全に失ってしまっていた。
何も思い出す事の出来ない青年は、自分を呼び出した水色の髪の少女の願いを聞き届け。
彼が持っていた不思議な力を行使して、死の運命の直前にあった少女を地下の牢獄から助け出した。
その後……青年は、自分の本来の記憶を失ったまま。約300年という月日を、石粒の中の世界に住む少女――アスティアと過ごす事になる。
青年は、自分という存在だけが決して老いる事がなく。死の概念が無い存在なのだという事を知り。
一緒に生きる少女、アスティアにも魔法をかけて。彼女を決して老いる事の無い『不老の存在』へと変えてあげた。
そして人里離れた静かな森の中で、少女と一緒に暮らしていた青年は、アスティアから『ナイト』という名前を授けて貰った。
なんでもナイトという言葉は、弱き者を守ってくれる強い存在につけられる名前であり。
少女にとって金色の髪の青年は、自分の命を救ってくれた『最初の勇者』だから、そう名付けてくれたという事だった。
石粒の世界の中で、水色の髪の少女アスティアと一緒に過ごした時間は、ナイトにとっては……あまりにもかけがえのない。幸せな想い出に満ち溢れた時間であった事を今でもよく憶えている。
だが……やがて、その幸せな時間には『終わり』がきてしまう。
ナイトと名付けられた彼は、未来からやって来たという不思議な黒髪の青年に話しかけられ。自分が『永遠世界の庭園に住まう、特別な管理者』である事を思い出した。
その昔……彼は、自分が管理する畑の中に散りばめられた、無数の小さな石粒の世界の中に入れないかと願い。
異世界を渡り歩ける『ゲート』という、異世界転移装置の試作品を作り出した事があった。
その試作品のゲートを、一体どこの世界に置いてきてしまったのかを彼は忘れてしまっていたが……。
ゲートは、彼によって命を救われ。不老の存在となった少女、アスティアのいる世界に置き忘れてきてしまっていたのだ。
そのゲートを通して少女の声を聞いたナイトは、彼女のいる世界に自分自身を転移させてしまった。
そして異世界転移の副作用で彼は、自分が永遠世界の管理人で。畑に無数に散らばる石粒の世界を管理する、特別な存在である事を忘れてしまっていたのだ。
それを知ってしまった以上……金色の髪の青年ナイトは、アスティアと同じ世界に住み続ける事は出来ない。
彼は申し訳ないという気持ちを残しつつも、少女アスティアをその世界に残して。この永遠空間の中にある庭園へと戻ってきた。
それからどれだけの時間が経ったのかは、金色の髪の青年には分からなかった。
ここには時間の概念も、死の概念も存在しないからだ。
だから、少女アスティアと別れたのは……つい昨日の事だったかもしれないし。もしかしたら、一万年近い年月が経った可能性さえもありえた。
どちらにしても、もう……ナイトという名前を彼につけてくれた、あの世界に生きる水色の髪の少女と再会する事は二度と無いだろう。
永遠世界の庭園に住む青年は、再び時間の概念を忘れ。無数に生み出されては消えていく、小さな石粒の世界が溢れている畑を管理する、色褪せた日常の生活に戻ってしまったのだから。
畑の上に無数に散りばめられた石粒を見つめながら、青年は――ふと、彼が唯一温かい想い出を共有する事の出来た、あの明るく元気な少女の事を思い出してしまう。
「アスティア……。彼女は今も、あの世界の中で元気にしているのだろうか……?」
自分はあの少女に、永遠世界の力である『不老の概念』の力を授けてしまった。
だからもしかしたら……彼女は今も、生物の寿命限界である『老い』を迎える事なく。生きている可能性もあり得る。
金色の髪の青年は、庭園の上に広がる青い空を見つめて。そして再び後悔の深い溜め息を漏らす。
そんな彼の目の前で……突如として、まるで夜空に煌めく星のような光の輝きが収束していく。
「えっ……?」
あまりに突然の出来事に、金色の髪の青年ナイトは驚愕の表情を浮かべて何度も瞬きをした。
永遠世界の中で起きたその異変は、通常では決してあり得ない事だったからだ。
この庭園では、何も異変は生じない。
時間も、死という概念さえも存在しない、閉鎖された神の住まう世界。
そこに想像も出来ないような突然の異変が生じる事など……今まで決して起こり得なかった。
青年の前に広がる白い光は、やがて彼の目の前に人間サイズの光の扉を作り出すと。
白い光の輝きに包まれた扉を開けて。一人の少女が誰も来る事が出来ないはずの、永遠世界の庭園へと降り立った。
畑の上に立つ青年は、その水色の髪色をした少女に見憶えがあった。
忘れるはずもない……。庭園にやって来た少女は、他者と交流をした事がない神の国に住む青年が、過去に一度だけ人間として温かな交流の想い出を共有した事があり。
自分に『ナイト』という名前を付けてくれて、彼にとって最も大切な時間を唯一、一緒に過ごした事のある女性だったのだから。
「……そんな、まさか!? アスティア……? どうして君がここに……?」
青年は急いで、茶色い畑の上に降り立った少女の元へと駆け寄っていく。
水色の髪の少女は、苦しそうに額から汗を流し。その場で膝を地面について息切れを起こしていた。
それはまるで、この永遠世界の庭園の空気が少女の体には合わなかったかのように。
魔法の力によって『不老不死』の存在へと成ったはずのアスティアの体を、きつく締め付ける蛇のように蝕んでいるようだった。
「……良かった。ナイト……。私、やっとあなたに会いにこれたよ……」
激しく口から吐血をした少女は、茶色い畑の上に倒れ込んだ。金色の髪の青年ナイトは、すぐに時空を越えてこの世界にやって来た、最愛の人であるアスティアの体を両腕で優しく包み込む。
「アスティア……この庭園には、人間の身である君はやって来れないはず。どうやってここに来たんだ……?」
ナイトからの問いかけに対して、苦しそうに咳きこむアスティアは……。心配する彼を安心させる為に、満面の笑顔を作り出して優しく答えた。
「私には、あなたに与えて貰った『不老の力』があったから。だから後は時間をかけて、あなたのいる世界へ渡る為の方法をずっと考えて。一生懸命に研究をして……。そしてそれを実行して、ここに来る事が出来たの」
既にアスティアの体は、下半身の先端から細かい微粒子に変わり始め。その存在は少しずつ溶けかかってしまっている。
そんなアスティアの体を見つめて。ナイトは彼女がこの庭園にやって来るまでに費やした膨大な時間と、その執念ともいえる必死の努力の全てを理解して。
思わず……両目から大きな涙が溢れ落ちてしまう。
それはアスティアが自分に会う為に、どれほどの時間と努力を費やして『不老不死』の体を手に入れたのだとしても……。
人間の身であるアスティアの体は、この永遠世界の庭園の空気には適合する事が出来ず。わずか……数分程度の寿命しか生きる事が出来ずに。体が完全に分解されて、消失してしまう事を理解してしまったからだ。
「アスティア……。本当にすまない……。僕は、君のいる世界に降り立つべきではなかった。僕が君に会ってしまったせいで、こんなにも過酷な運命を君に強いてしまったなんて……」
「ナイト……何を言っているの? あなたが私の世界に来てくれなかったら、私はとっくに処刑台に連れていかれて、ギロチン刑で命を落としていたのよ?」
「で、でも……君はこの僕に会う為に、1万年もの時間の牢獄に囚われてしまったんだ。それは首を切り落とされるよりも、遥かに人の精神を蝕む拷問となる苦行だ。そしてそこまでして、この庭園の世界に来てくれたとしても。君はわずか数分程しか、その命を保つ事が出来ないなんて……」
金色の髪の青年、ナイトの指摘した事は確かだった。
既にアスティアの体は、下半身から順番に溶け始めていて。その存在は小さな水色の粒子へと還元されて、この世界から消失しかかっている。
「フフ……大丈夫よ。そんな事は、ここに来る前に全て研究済みだったから。私は、ほんの数分だけ……あなたに再会出来る時間を手に入れる為に。悠久の時間をかけて、異世界に渡る魔法研究に取り組んできたの。だからここに来る事が出来て。そしてもう一度、ナイトに会う事が出来て……本当に満足しているの」
既に上半身だけしか残っていないアスティアは、心配そうに見つめるナイトの手を握って。ニッコリと微笑んでみせた。
「私を地下牢から救い出してくれて……本当にありがとう。私に自分に与えられた悠久の人生の全てを賭けて、あなたに会いに行きたいと願う、強い気持ちを教えてくれて、本当にありがとう……」
ナイトを見つめるアスティアの両目からは、透き通るように美しい、透明な涙の線が滴り落ちていった。
「本当はね、凄く不安だったの……。1万年の月日はとても長くて。私の記憶の中にあるナイトの顔は、本当に本物なのかな……って? もしかしたら、ナイトと一緒に過ごした300年の日々も、私が勝手に妄想して作りあげた偽りの想い出の記憶だったんじゃないかな……って、ずっとずっと不安だった」
「アスティア……」
「フフ……。でもね、そんな心配は全部、杞憂だったみたい。だって、そんなに瞳を子犬みたいにうるうると湿らせて。私の事を心から心配してくれるナイトの顔は……私の記憶の中に残っているあなたの顔と、何一つ変わっていなかったんだもの」
既に体の上半身さえも、徐々に微粒子となって。存在の全てが消失しかかっているアスティアは――。最後に、自分の事を見つめる金色の髪の青年に向けて。
精一杯の笑顔を作り、ニコリと笑ってみせた。
「さようなら……私の騎士様。私にかけがけのない大切な記憶を与えてくれて、本当にありがとう……。あなたに、もう一度会えて良かった。最後に、どうしてもあなたに伝えたい言葉が私にはあったから……」
ナイトの握りしめている、水色の髪の少女の手がサラサラと風に溶けて消えていく。
永遠世界の住人ではない人間の少女は、この一瞬の為だけに。この言葉を伝える為だけに。
数えきれないほどの孤独な夜を通り越して、彼のいる永遠世界へとやって来たのだ。
「……ナイト、私はあなたを愛しています……」
遠い異世界で『女神』と呼ばれていた、伝説の少女の体は完全に消失してしまう。
彼女には、最初からこの結末が全て分かっていた。
例え分かっていても、ここまでの歩みを止める事が彼女には出来なかった。
人間の寿命には限りがある。だからどんなに魔法の研究を重ねても、神のいる世界へは届かない。
そう……自分自身に対して言い訳が出来たなら。少女は自分の想いを諦める事が出来たのかもしれない。
でも、彼女には金色の髪の青年から与えられた『不老』の力が宿っていた。永遠に老いる事なく、生き続ける事が出来るのならば……彼女の心の中に『諦める』という選択肢は、頭の片隅にも浮かんでくる事は無かった。
どのような道を歩む事になっても、ここに至る道を決して諦める事はしない。
そんな彼女の強い意志を知った人々が、一人、また一人と孤独な彼女の魔法研究に協力を申し出て。
女神教という組織は、少しずつ成長していったのだから……。
「アスティア……本当に、本当に、ごめん。僕は君に……幸せでいて欲しかったんだ……」
永遠庭園の世界の中で、全ての並行世界の頂点に位置する存在である青年は……。誰もいなくなった元通りの庭園の上で、大声であげて子供のように泣き続けた。
彼にとってアスティアとの別れは、永遠世界では決して知る事の出来ない深い悲しみを心に残した。
自分が作り出した異世界転移装置である『ゲート』を、あの世界に残してきてしまったから。こんなにもあの世界のバランスと法則を崩してしまったんだ。
そして、一人の少女の人生を大きく変えてしまった。
少女にナイトと名付けられた青年は、深い後悔の想いに苛まれてその場に座り込んでしまう。
「……ゲートの使用は、今を持って全て停止する。あのゲートを使用したのは、アスティアが最後となるだろう。僕はもう、二度と後悔を繰り返したくはない……」
ナイトはその場で目をつぶると。片手を空に向けて掲げてみせた。
その動作が何を意味しているのかは、きっと彼にしか分からなかっただろうが……。遠い世界に残された異世界転移装置である『ゲート』がその役目を終えて。使用不可能な状態にされた事だけは間違いなかった。
異世界のゲートの機能を停止させたナイトは、アスティアの体が消失した畑の土の上で。静かに腰を落として、うずくまった。
彼にとって最も温かな記憶と想い出を共有し。
彼にとっても『最初の想い人』であった、アスティアを目の前で失ってしまい。
金色の髪の青年ナイトは、希望を失ったまま自暴自棄な心に精神が飲み込まれそうになっていた。
そんなナイトが、ふと……真下の地面を見下ろしてみると。
そこには今まで一度も見た事が無かった、小さな水色の花が……茶色い土の中から、わずかにつぼみを出して咲いているのが見えた。
「ああ、アスティア……。そこに、居てくれたんだね」
青年は茶色い土の上に咲いた水色の花を、優しく両手で包み込み。
その場で何度も何度も涙を流して、自分が孤独にならないようにと……美しい花を届けてくれた、水色の少女の優しさと。ずっと彼を想い続けてくれた、一途な愛情に深く感謝する。
永遠世界の庭園に生きる青年は、その後……彼の畑に咲いた一輪の水色の花をとても大切に育て。
水色の花が決して枯れないように、心を込めてその花と共に無限の時間を過ごした。
やがて、神の世界に渡った少女の話は……無数の石粒の中の世界に形を変えて語り継がれ。
ある世界では『神になった少女、アストレア』として。夜空に煌めく星座の一群に彼女の名前は加わり。その伝説は後世にまで、長く語り継がれる事もあったという。




