7話:とっておきのコーラ。
ゲームセンターに来るたび、俺はいつも同じことを思う。
――なぜ人は、あのケースを前にすると、あんなにも前のめりになってしまうのだろうか。
目の前にあるのは、ぬいぐるみやフィギュアが並べられたUFOキャッチャーだ。アームが景品を持ち上げれば、「あと少しで取れそうだ」と期待してしまい、落ちれば「今度こそ」と財布から次の百円玉を取り出してしまう。
一度やり始めると、引き返すタイミングを見失うゲーム。
俺がそう思うのには理由があった。
ゲームセンターでバイトをしている姉から、その手の話を散々聞かされているからだ。機種によって違いはあるらしいが、簡単に取れないような設定になっているものも多いらしく、運が悪い日はどれだけ挑戦しても無駄になることだってある。
だから俺は心に誓っている。
UFOキャッチャーには、絶対に手を出さない。
「クッソー! なんで取れねえんだよ!」
しかし、隣にいる男はそんな俺の決意など知ったことではないらしい。
「これ絶対インチキしてるぜ! なあ、林!」
「……ああ、そうかもな」
田宮は先ほどから何度も百円玉を投入し、アームを動かしては景品を睨みつけている。
何回目だ、これ。
さすがにもうやめろと何度も言ったのだが、こうなると田宮は人の話を聞かない。欲しいと思った景品が取れるまで続けるか、財布の中身が尽きるまで続けるか、そのどちらかだ。
もっとも、田宮の場合は後者になる気がしなかった。
「……お前、まだやるの?」
「当たり前だろ。ここまで金使って引けるわけねえじゃん」
いや、その考え方が一番危ないんだよ。
俺はそう思ったが、田宮はすでに次の百円玉を何の迷いもなく投入していた。財布の中には、まだまだ紙幣が残っているのが見えてしまい、俺はそっと視線を逸らす。
学校帰りにゲームセンターへ来ることは、もう珍しいことでもない。
というより、正確には田宮によく連れてこられる。
ゲームセンターでひとしきり遊んだあとは、そのままカラオケへ行く。それがいつの間にか、田宮のお決まりコースになっていた。
俺は毎回、自分の財布の中身と相談しながら「今日は帰ろうかな」と考えるのだが、田宮は俺の事情などお構いなしに「行くぞ!」と誘ってくる。
そして困ったことに、こいつに誘われると、なかなか断れない。
「……もういいわ! カラオケ行こうぜ!」
「諦めるの早くない?」
「今日はもういい。次来たときに取る」
「その『次』が怖いんだよ」
「じゃあ林、次も付き合えよな!」
「なんでだよ」
俺が呆れていると、田宮はケロッとした顔で歩き出した。
財布をしまう仕草からは、さっきまで何千円使っていたことへの後悔がまったく感じられない。
……本当に、こいつの金銭感覚はどうなっているんだ。
△▽
ただ、今日はいつもより少しだけカラオケに前向きだった。
最近、俺がよく歌っている米澤玄師の曲が、少しずつ上達してきているからだ。
いや、正確には上達している――はずだ。
以前は音程バーなんてまともに追えなかったのに、最近はそれなりの点数が出るようになってきた。田宮に「下手くそ」と笑われない程度には、歌えるようになったと思う。
「今日は何歌うかなあ!」
「お前、どうせいつものだろ」
「いや、今日は新曲もいく」
「聞いてない」
「林は?」
「……まあ、いろいろ」
少しだけ、自信がある。
それを口に出すのは恥ずかしかったから、俺は曖昧に答えた。
カラオケ店に入ると、受付のお姉さんが笑顔を向ける。
「はい、では二時間コースですね。三〇五号室をご利用ください」
「はーい!」
田宮はやけにテンションが高い。
こいつは昔から、無駄に歌が上手かった。
俺が必死に音程バーを追いかけている横で、何の苦労もなさそうに高得点を叩き出すタイプだ。しかも本人はそれを特技だと思っているわけでもなく、ただ楽しそうに歌っているから余計に腹が立つ。
「よし! 今日は俺の歌声で店を震撼させるぞ!」
「店に迷惑かけるなよ」
「林も今日は歌うんだろ?」
「……まあな」
田宮がニヤリと笑う。
「お、なんだ? 今日は珍しくやる気じゃん」
「別に。ちょっとくらいなら」
「ふーん」
その意味ありげな笑顔が少し気になったが、俺は気にしないことにした。
最近の俺は、以前とは違う。
今日こそ、田宮を少しくらい驚かせてやる。
そんな小さな野望を胸に抱きながら、俺たちは三〇五号室へと向かった。
△▽△▽ △▽
「よっしゃー! 何から歌おうかなあ〜」
カラオケの部屋に入るなり、田宮はいつも通り上機嫌だった。こいつはカラオケに来ると、最初に歌う曲がだいたい決まっている。今日も案の定、憂理の曲を予約し、イントロが流れ始める前からやけに楽しそうにリズムを取っていた。
そして、こいつはその一曲目が妙に上手い。
俺にとっては、それが少し困る。
一曲目から上手い歌を聞かされると、次に歌う人間のハードルが無駄に上がるからだ。
〜ラ〜ララ〜……。
田宮が最後まで歌い切り、満足そうにマイクを置いた。
「どうよ!」
「うん、上手い上手い」
適当に拍手すると、田宮は得意げに胸を張る。
……カラオケでマウントを取るやつに、ろくなやつはいない。
「じゃあ次は林の番だぞ」
「いや、俺ドリンク取ってくるわ」
正直なところ、少し間を置きたかった。田宮の歌の直後に歌うのは、なんとなく気まずい。
「じゃあ俺、コーラな!」
「はいはい」
返事をしながら部屋を出ようとすると、田宮はもう次の曲を探し始めていた。
……人にドリンクを取りに行かせる気満々じゃねえか。
「よっしゃー! 何から歌おうかなあ〜」
カラオケの部屋に入るなり、田宮はいつも通り上機嫌だった。こいつはカラオケに来ると、最初に歌う曲がだいたい決まっている。今日も案の定、憂理の曲を予約し、イントロが流れ始める前からやけに楽しそうにリズムを取っていた。
返事をしながら部屋を出ようとすると、田宮はもう次の曲を探し始めていた。
……人にドリンクを取りに行かせる気満々じゃねえか。
△▽△▽
カラオケの廊下を歩いていると、急にさっきまでのやる気がどこかへ消えていく。
個室の前を通るたび、閉まっているはずのドアの向こうから、歌声がわずかに漏れてくるのだ。
上手い人もいる。
そして、なんとも言えない歌声の人もいる。
……自分ではそれなりに歌えているつもりでも、外から聞いたらあんな感じなのだろうか。
そう考え始めると、急に自分が歌うのが恥ずかしくなってきた。
カラオケ店には、もう少しドアの防音性能を上げる義務があると思う。
そんなことを考えているうちに、ドリンクバーへ着いた。
田宮はコーラだったな。
……いや、待てよ。
なんでいつも俺ばっかりドリンクを取りに行かされているんだ?
田宮は一曲目を歌って、俺はその直後にドリンクを取りに行く。冷静に考えれば、これって普通にパシられてないか?
なんだか急に腹が立ってきた。
……よし。
少しくらい、仕返ししてもいいだろ。
俺はプラスチックのコップを手に取り、まず底にコーヒーを少しだけ注いだ。
そして、その上からコーラをゆっくりと注ぐ。
シュワシュワと炭酸が音を立て、見る見るうちにコップの中が黒く染まっていく。
完璧だ。
見た目だけなら、どこからどう見てもコーラ。
これなら一口飲むまで気づかないだろう。
「どこからどう見てもコーラだね、それ」
「えっ!?」
慌てて振り返ると、いつの間にかすぐ後ろに水野さんが立っていた。
俺の手元にあるコップを覗き込みながら、何がそんなに面白いのか、口元を隠してにやにやしている。
……見られた。
よりにもよって、水野さんに。
学校ではほとんど話したこともないのに、まさか最初にまともな会話をすることになるのが――友達のコーラにこっそりコーヒーを混ぜているところだなんて。
人生とは、どうしてこう、肝心なところで間が悪いのだろう。
俺は手に持った、どこからどう見てもコーラのコップを見つめた。
そしてもう一度、水野さんを見る。
「……見なかったことにしてくれない?」
「無理」
即答だった。
俺の学校生活に、また一つ面倒な人物が増えた気がした。




