6話:隠し事。
林くんは積極的だなあ。
クールな顔して、やることは結構大胆なんだから。
消しゴムを拾ってくれたり、実験のときに助けてくれたり、体育では私が来た途端にあんなサーブを決めたり……。
さすがに、私への好意が見えすぎじゃない?
……まあ、もう少しくらい視線を合わせてくれてもいいと思うけど。
……って、何を考えてるのよ、私。
そもそも、たまに視線が合うのだって偶然だし、私が林くんを意識して見ているわけでもない。
ただ、なんとなく目に入るだけ。
そう、ただそれだけ。
森川さんは自分の中に芽生え始めた妙な感情を認めまいと、両手で頬をペチペチと叩いた。
「よし……」
気合いを入れ直すように小さく呟いた、そのときだった。
「森川? 何してんの?」
「えっ?」
突然声をかけられ、森川さんは肩を跳ねさせた。
振り返ると、いつの間にか水野がすぐ隣に立っている。
黒髪のショートヘアに、日に焼けた肌。森川さんとはまた違った方向で目を引く女子で、いつもどこか楽しそうにしている。
「……いつからいたの?」
「ほっぺ叩いてるところから。いや、その前からいたかな」
「もう! いるなら声かけてよ!」
森川さんは眉を寄せながら頬をさする。
「だって森川、なんか面白かったんだもん」
水野は楽しそうに笑いながら、森川さんの顔を覗き込んだ。
「それよりさ、なんかいいことあった?」
「え?」
「なんか今日、機嫌よくない?」
「そ、そんなことないわよ」
「そう?」
「うん。なーんにもない」
森川さんは腕を組み、できるだけ自然に笑ってみせる。
しかし、その笑顔は自分でも分かるくらい不自然だった。
水野はそんな森川さんをじっと見つめる。
そして、ほんの少しだけ口角を上げた。
「ふーん……」
その声には、明らかに何かを察したような響きがあった。
「な、何よ」
「別にー?」
水野は意味ありげに笑うと、森川さんの隣の席へ腰を下ろした。
「……なんか隠してるでしょ、森川」
「隠してないってば!」
「へえ?」
「本当に何もないから!」
「ふーん……」
森川さんは必死に否定する。
けれど水野は、それ以上追及しなかった。
ただ、楽しそうに笑っている。
その笑顔を見て、森川さんは嫌な予感がした。
――この子、絶対なんか気づいてる。
「次の授業は美術だね。行こっか、森川」
「あ、うん」
水野に声をかけられ、森川さんは慌てて机の上を片付け始めた。
けれど、頭の中はまだ先ほどの体育のことでいっぱいだった。
林くんが、私の目の前であんなに綺麗なサーブを決めるなんて。
しかも、目が合った瞬間に顔を逸らした。
……やっぱり、あれは私を意識していたに違いない。
「森川?」
「え?」
「ぼーっとしてるよ?」
「……あ、ごめん。今行く」
森川さんは小さく首を振ると、考えを振り払うように鞄を持ち上げ、水野の後を追った。
△▽△▽ △▽
美術室へ移動し、先生の指示に従って班ごとに席につく。
俺たちの班は、俺、森川さん、田宮、水野さんの四人だった。
そして席についた瞬間、俺は思わず固まった。
「……え」
真正面に、森川さんがいる。
机一つを挟んで、まっすぐ向かい合う形だ。
「……マジかよ」
思わず小さく呟く。
隣の席に座っているだけでも、最近は何かと気を遣うというのに、今度は正面か。
これじゃ、嫌でも顔が目に入る。
しかも美術の授業。
何をするのかはまだ分からないけど、もし向かい合って作業するような内容だったら、かなり気まずい。
できるだけ森川さんを見ないようにしよう。
そう決めたところで、ふと視線を感じた。
顔を上げる。
森川さんと目が合った。
「……」
一瞬だけ、時間が止まったような気がした。
俺は反射的に視線を逸らす。
「よろしくね! 仲良く頑張ろう!」
その妙な空気を吹き飛ばすように、水野さんが明るい声を上げた。
「うん、頑張ろう……ね」
森川さんも笑顔で答える。
「よろしく」
俺もなんとか返した。
……それにしても気まずい。
今日一日、できるだけ森川さんと距離を取ろうと思っていたのに、まさかこんな形で向かい合わせになるとは。
俺がそんなことを考えていると、隣から妙な気配を感じた。
田宮だ。
「……」
さっきから、やけに静かだ。
いつものこいつなら、美術だろうが何だろうが関係なく、何かしら騒いでいるはずなのに。
「なあ、田宮」
「……」
返事がない。
「おい、田宮。具合悪いのか?」
「……ッ!」
田宮の肩が大きく跳ねた。
「な、なんだよ?」
「いや、さっきから静かすぎるだろ。お前がそんなに大人しいと逆に心配になる」
「べ、別に普通だって」
そう答えながらも、田宮はどこか落ち着かない。
ちらりと水野さんを見ては、すぐに視線を逸らしている。
……何なんだ?
具合が悪いというより、明らかに様子がおかしい。
俺が首を傾げていると、先生が教壇に立った。
「それでは、今日の授業を始めます。今日はデッサンをしてもらいます」
教室がざわつく。
「先生、何を描くんですか?」
生徒の一人が手を挙げると、先生は少し楽しそうに笑った。
「もう準備はできています。机に向き合って、顔を上げてみてください」
その言葉に、生徒たちから一斉に声が上がった。
「えー!」
「まさか……」
先生は黒板に今日の課題を書き込む。
二人一組で、お互いの似顔絵を描く。
「今日は毎日顔を合わせているクラスメイトの顔を、しっかり観察して描いてもらいます。席はそのまま。入れ替わったりしないようにしてください」
「なるほどねー!」
水野さんは楽しそうに鉛筆を手に取った。
「私、似顔絵描くの得意かも!」
「得意“かも”って何よ」
森川さんが笑う。
「今決めたの! 任せて!」
水野さんは自信満々に胸を張り、正面に座っている田宮へ視線を向けた。
「じゃあ、田宮。よろしくね!」
「…………」
田宮の動きが止まった。
「……田宮?」
「…………」
「どうしたの?」
水野さんが不思議そうに首を傾げる。
田宮は答えない。
ただ、顔だけが見る見るうちに赤くなっていく。
「おい、田宮?」
俺が声をかけると、田宮はようやく俺の方を向いた。
そして、妙に真剣な顔で俺の袖を掴んだ。
「……林」
「ん?」
「ちょっと、頼みがある」
「何だよ」
田宮は周囲を気にするように一度だけ辺りを見回すと、声を潜めた。
「……俺と代わってくれ」
「は?」
「席、交換してくれ」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「なんで?」
「いいから……頼む」
田宮の顔は真っ赤だ。
俺はその視線の先を追った。
水野さんが、こちらを不思議そうに見ている。
「……お前、水野さん苦手なのか?」
「ち、違う!」
即答だった。
「じゃあ何なんだよ」
「それは……」
田宮は言葉を詰まらせる。
「……とにかく、頼む」
いつもの田宮なら、こんな頼み方は絶対にしない。
俺は少し考えたが、まあ席を替わるくらいなら別に構わない。
「……分かったよ」
「マジで?」
田宮の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとう、林!」
「そんなに嫌なのかよ」
「いや、そういうわけじゃ……」
田宮は言葉を濁しながら、俺と席を入れ替えた。
俺は田宮の席へ腰を下ろす。
そして――。
「……あ」
目の前にいたのは、水野さんだった。
さっきまで正面にいた森川さんは、今度は田宮の向かい側にいる。
「よろしくね、林」
水野さんがニコッと笑った。
「……ああ、よろしく」
さっきまで感じていた妙な緊張が、一気に消えた。
正直、助かった。
これなら普通に授業を受けられそうだ。
一方、田宮はというと――。
「……ふぅ」
さっきまでの緊張が嘘みたいに、肩の力が抜けていた。
「何よ、そのため息」
森川さんが笑う。
「いや、別に」
「さっきから変じゃない?」
「そうか?」
「うん。なんか落ち着きないし」
「気のせいだって」
田宮はそう言いながら、ようやくいつもの調子を取り戻していく。
「まあ、森川なら楽だしな」
「どういう意味?」
「昔から知ってるだろ。今さら顔を描くくらい、どうってことないって」
「それもそうね」
森川さんも笑った。
その様子を横目で見ながら、俺は一人で納得する。
なるほど。
田宮は水野さんが苦手なのかと思ったけど、森川さんとは気心が知れているから、こっちの方が楽なんだろう。
……まあ、田宮にもいろいろあるか。
「じゃあ、林。描くよ!」
「え?」
水野さんが鉛筆を構え、俺の顔をじっと見つめている。
「似顔絵なんだから、ちゃんと見ないと描けないでしょ?」
「あ、ああ……そうだな」
俺も水野さんの顔を見る。
その瞬間、ふと隣から笑い声が聞こえた。
「田宮、動かないでよ」
「動いてねえって」
「動いてるじゃん」
「お前が変な顔してるからだろ」
「してないし!」
森川さんと田宮が笑い合っている。
俺はその二人をちらりと見た。
……やっぱり仲いいんだな。
一方、その頃。
水野さんは俺の顔をじっと観察しながら、何かを思い出したように口元を緩めていた。
「……ふふ」
「何?」
「ううん。なんでもない」
そして、鉛筆を紙の上に走らせる。
美術室には、鉛筆の音と四人の小さな笑い声が静かに響いていた。
あの日の席替えは、ただの偶然だった。
けれどその小さな出来事が田宮と水野の距離を少しずつ変えていくことになる。
そしてそれは、俺たち四人の関係が動き始めた瞬間でもあった。




