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4話:早すぎる告白。


問題は、どうやって林くんの消しゴムを落とさせるかだった。


自分で考えた作戦ではあるものの、冷静に考えるとなかなか難しい。消しゴムを落とさせるだけならまだしも、それを私が拾える位置まで転がしてもらわなければ意味がないのだ。


森川さんは腕を組みながら天井を見上げた。


うーん……。


しばらく考え込んだ末、一つの結論にたどり着く。


少し癪だけど、協力者を使うしかない。


△▽△▽


「次は古文かよ。古文だけはマジで苦手なんだよな」


田宮が嫌そうな顔で教科書を取り出した。


「そうだな」


林は適当に相槌を打つ。


その時だった。


「ねえ、田宮」


聞き慣れた声に振り返ると、そこには森川さんが立っていた。


「ん? 何だよ」


「ちょっと来て」


有無を言わせない口調だった。


田宮は怪訝そうな顔をしながらも席を立ち、そのまま森川さんに連れられて教室の後ろへ向かう。


何を話しているのかまでは聞こえない。ただ、森川さんは真剣な顔をしていて、田宮は途中から露骨に不機嫌そうな表情になっていた。


なんだ?


何の話をしているんだろう。


気になっているうちに二人は戻ってきた。


「なあ林」


「ん?」


「教科書忘れたから見せてくれ」


「え? まあいいけど」


そう答えたものの、林は首を傾げた。


さっき田宮、普通に教科書を出していなかったか?


だが本人は何事もなかったように机を寄せてくる。


「悪いな」


「ああ」


田宮はどこかだるそうな様子で席につきながら、ちらりと森川さんを見た。その視線には明らかに不満が混じっている。


やっぱり何かあったらしい。


キーンコーンカーンコーン――。


チャイムが鳴り、古文の授業が始まった。


林の頭の中には、先ほどのやり取りが引っ掛かったままだった。


森川さんと田宮は何を話したのか。


なぜ田宮はあんな不機嫌そうな顔をしているのか。


考えても答えは出ないまま授業は進み、半分ほどが過ぎた頃だった。


「あ」


突然、田宮がわざとらしく机を揺らした。


「お、おい!」


その衝撃で林の消しゴムが机の端から転がり落ちる。


ポトン、と床に落ちた消しゴムは、そのまま森川さんの席の方へ転がっていった。


そこで林の思考が一本につながる。


なるほど。


そういうことか。


森川さんはまだ怒っているんだ。


だから田宮を使って、あの日の仕返しをしようとしている。


消しゴムを拾われる側の気持ちを味わわせるために。


もちろん証拠はない。


だが、そう考えると不自然だった点がすべて説明できる気がした。


林は転がっていった消しゴムを見つめながら、じわりと嫌な汗をかいた。


△▽△▽


消しゴムが床に落ちてから、数分が経った。


ちらちらと足元を見るものの、白い消しゴムはいまだに床に転がったままだ。


……ん?


もしかして、自分で拾えってことなのか?


田宮を利用してわざと俺の消しゴムを落とさせて、それを俺自身に拾わせる。だとしたら、一体何の意味があるんだ。


林はますます分からなくなり、頭を抱えながら机と睨めっこを続けた。


そんな時だった。


「林くん、これ。落としたよ」


「え?」


不意に声をかけられて顔を上げる。


そこには、ほんのりと頬を赤らめた森川さんが立っていた。彼女の手には、さっきまで床に転がっていた俺の消しゴムが握られている。


「……あ、ありがとう。森川さん」


「……別に」


森川さんはそれだけ言うと、逃げるように前を向いた。


うわぁ……。


めちゃくちゃ怒ってる。


やっぱり、あの時のことを根に持っていたんだ。


どうしよう。


林は返してもらった消しゴムを握りながら、森川さんの横顔をちらりと見た。


△▽△▽


ポトッ。


「あ、林くんの消しゴム」


森川さんは床に落ちた消しゴムを見つめた。


田宮、ちゃんとやってくれたみたいね。


さて、どうしよう。


すぐに拾って渡すべきか、それとも、もう少し待って林くんを焦らしてみるべきか。


そんなことを考えているうちに、妙に胸が高鳴ってくる。


ただ消しゴムを拾うだけなのに。


……なんだか、いざとなると恥ずかしい。


でも、ただ拾って渡すだけ。それだけのことだ。


林くんだって、あの時は普通に拾ってくれた。


だったら私にだってできる。


森川さんは意を決すると、ゆっくりと机の下へ手を伸ばし、床に落ちた消しゴムを拾い上げた。


……ほ、ほら。


できた。


あとはこれを林くんに渡すだけ。


そう思ったところで、ふとあの日のことを思い出す。


林くんは、私の名前を呼んでいた。


『森川さん』


たったそれだけなのに、どうしてこんなに恥ずかしいんだろう。


そもそも、今まで林くんに名前を呼ばれたことなんてあったっけ。


ほとんど話したことすらなかったはずだ。


森川さんは手の中の消しゴムを見つめながら、しばらく動けずにいた。


……ううん。


駄目。


ここでちゃんと渡さないと意味がない。


森川さんは小さく息を吸うと、林の方へ顔を向けた。


「……林くん」


聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だった。


しかし、林は黒板を見たまま気付かない。


「……」


森川さんの眉がわずかに下がる。


な、何よ。


無視するの?


私がこんなに勇気を出しているのに。


もしかして、わざと気付かないふりをしているの?


森川さんは少しだけ頬を膨らませた。


……もう一回。


今度はちゃんと聞こえるように。


「林くん、これ。落としたよ」


そう言って、消しゴムを差し出す。


ようやく気付いた林が、驚いたように目を丸くした。


「え……あ、ありがとう」


林は戸惑いながら消しゴムを受け取る。


その手が、ほんの少し震えているように見えた。


森川さんはそれを見て、胸の奥がくすぐったくなるのを感じた。


やっぱり。


林くんも緊張してるんだ。


私と同じように。


そう思うと、自然と口元が緩んだ。


△▽△▽


森川さん、顔を真っ赤にして消しゴムを渡してきたよな。


やっぱり怒ってる。絶対に怒ってる。


林は授業中も何度となく隣を気にしていたが、森川さんは前を向いたまま、こちらを見ようともしない。授業が終わったら一体何を言われるんだろう。またこの前みたいに、クラス全員の前で罵倒されるのか。


そもそも俺は何を間違えたんだ?


消しゴムを拾わなかったことか。それとも、拾ってもらったことに対する何か別の対応が気に入らなかったのか。


考えれば考えるほど分からなくなり、林はとうとう授業の内容がほとんど頭に入らなくなっていた。


そして間もなく、授業終了のチャイムが鳴る。


キーンコーンカーンコーン――。


来た。


林は覚悟を決めるように一度目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


すると、隣から小さな声が聞こえてくる。


「林くん……」


「え?」


森川さんが席に座ったまま、こちらを見ていた。ほんのり頬を赤くしながら、それでもどこか強気な表情を浮かべている。


「いい? こんなことじゃ、何も伝わらないんだからね!」


「……え?」


林が聞き返すより早く、森川さんは席を立ち、そのまま教室を出ていった。


「な、何……?」


林はしばらく呆然としたまま、森川さんが出ていった扉を見つめていた。


何も伝わらないって……何が?


やっぱり俺、何か重大なことをやらかしたのか?


△▽△▽


……う、上手くいったわよね?


教室を出た森川さんは、廊下を歩きながら先ほどのやり取りを思い返していた。


消しゴムを拾ってあげた。


そして、「こんなことじゃ何も伝わらない」とまで言ってみせた。


ここまでやれば、さすがの林くんも気付くはずだ。


私がどういう意味で言ったのかくらい、分かってくれるよね?


森川さんは少しだけ口元を緩める。


もちろん、私は林くんのことを好きでも何でもない。


ただ、林くんが私のことをどう思っているのか、ちょっと試しているだけ。


それだけだ。


……たぶん。


△▽△▽


やっぱり、謝った方がいいよな。


林はしばらく悩んだ末、席を立った。


あれだけ怒っていたんだ。このまま何もしないのも気まずい。


林は森川さんを追って廊下へ出ると、少し先を歩いている彼女に声をかけた。


「あ、あの!」


森川さんが振り返る。


「え?」


「あのさ、消しゴム……拾ってくれてありがとう!」


「……え?」


「俺、この消しゴム、大好きなバンドのやつなんだ。だから、その……本当に助かった」


林は少し照れくさそうに笑った。


「ありがとう、森川さん」


「そ、そう……」


森川さんは戸惑いながら頷く。


林はそれだけ伝えると、軽く頭を下げ、そのまま教室へ戻っていった。


「……」


森川さんは一人、廊下に取り残された。


わざわざ追いかけてきてまで、お礼を言うなんて。


それに――。


『大好きなバンド』


……大好き。


森川さんの脳裏に、その言葉だけが妙に残った。


まさか。


いや、でも……。


森川さんの頬が少しずつ赤くなっていく。


林くんって、本当に私のこと……。


その時だった。


廊下の向こうから野球部の集団が走ってくる。


「おーい! 急げー!」


「先行くぞ!」


「うわ、やべえ!」


一気に騒がしくなった廊下を、森川さんは慌てて端へ避ける。


そのまま彼らを見送っていると、ふと自分の頬が熱くなっていることに気付いた。


「……もう」


森川さんは両手で頬を押さえた。


△▽△▽ △▽


一方その頃。


教室へ戻った林は、自分の席に座りながらほっと息を吐いていた。


これでよかったよな。


ちゃんとお礼も言った。


これで少しは機嫌を直してくれればいいんだけど。


林は隣の席を見る。


森川さんはまだ戻ってきていない。


……やっぱり、相当怒ってるのかな。


林は小さくため息をつき、再び前を向いた。



その頃、廊下では――。


「……大好き、か」


森川さんが一人、顔を真っ赤にしていた。


――今のって、もしかして告白?



森川さんは、まだ知らない。


あの「大好き」が、自分に向けられた言葉ではなかったことを。


けれど、その日を境に二人の距離は、ほんの少しずつ変わり始めていた




△▽△▽


まあ、家にたくさんある消しゴムなんだけどね…。




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