2話:林くんは、分かりやすい。
あの日以来、森川さんは授業中以外ほとんど俺の方を見なくなった。
朝のホームルーム前も休み時間も、昼休みも俺の方へ背を向けるように友達と話している。
……やっぱり嫌だったんだろうな。
消しゴム勝手に拾ったし、勝手に触ったし、挙げ句の果てには……。
『私、彼氏いるんだからねっ!』
である。
思い返しても意味が分からない。
だが一つだけ分かることがある。
森川さんには、もう関わらない方がいい。
あの日、森川さんが教室を飛び出した直後、クラス中の視線が俺に突き刺さった。
あれは本当に痛かった。
物理的な攻撃じゃないのに、精神にダメージが入るタイプのやつだ。
以来、俺もできるだけ森川さんを見ないようにしている。
平穏な学校生活のためである。
「なあ、林」
隣から声がした。
田宮だ。
机に突っ伏したまま、だるそうに顔だけこちらへ向けている。
「何だよ」
「お前ら何なの?」
「お前ら?」
「森川さんと」
田宮は半目になった。
「どう考えても変だろ」
「何が」
「いや全部だよ」
即答だった。
「いきなり『彼氏いるんだからね!』だぞ?」
「俺も意味分からん」
「だよな」
「だよ」
二人で顔を見合わせる。
結論……、やっぱり理解できない。
「まあ気を付けろよ」
田宮が欠伸をした。
「彼氏いるんだろ?」
「らしいな」
「他校のイケメン彼氏に刺されんなよ」
「それ洒落にならねえからやめろ」
田宮はケラケラ笑った。
俺は笑えなかった。
数日後のニュースで、
『高校生、消しゴムを拾った罪で刺される』
なんて見出しになったら嫌すぎる。そんな未来は全力で回避する。
だから俺は決めた。
森川さんには近付かない、関わらない、目も合わせない。
それが一番、そう思っていた。
△▽△▽
もう……なんなの。
森川さんはノートの端をシャーペンでつついた。
授業内容は頭に入ってこない。
原因は分かっている。
隣だ。
隣に座る林くん。
あの日から、全然こっちを見ない。授業中は黒板、休み時間は田宮くんで昼休みはベランダ。
たまに目が合いそうになっても、すぐ逸らされる。
なんなの……本当に。あんなことしたくせに。
消しゴムを拾ってくれて、優しく渡してくれて挙げ句の果てには名前まで呼んでくれて……。
それなのに。
「森川ー?」
友達に呼ばれ、慌てて顔を上げる。
「え? あ、なに?」
「聞いてた?」
「ご、ごめん」
クスクスと笑われる。
恥ずかしい、最近ずっとこんな感じだ。
頭の中にいるのは一人だけ、気になってしまう。
理由は分からないけど気付くと探してしまう。
ふと視線を横へ向ける。
その瞬間、林くんと目が合った。
「あっ」
思わず声が漏れる。
すると林くんはまるで見てはいけないものを見たみたいに勢いよく顔を逸らした。
「……」
な、なによ、それ。
胸の奥が少しだけモヤモヤするけど、少しだけ嬉しくもあった。
△▽△▽
やべ。
目を合わせちまった。
林は反射的に顔を逸らした。心臓が嫌な音を立てる。
刺されるのか? 俺、死ぬのか?
いや、落ち着け。
まだ何も起きていない……、たぶん。
……なんで窓の外なんか見たんだ俺。
今日は移動教室の化学だ。
教室を移動すれば席も変わるから、さすがに距離を取れるだろう。
そう思っていたのに。
「……」
同じ班だった。しかも向かい。
逃げ場のない四人掛けの机。
向かいには森川さん。隣には田宮、もう一人は女子。
田宮がいるだけまだマシなのだろうか。
いや、どうだろう。
正面に森川さんがいる事実は変わらない。
見ないようにしよう、できるだけ自然に。
そう思うのだが、実験となれば向かいを見る場面はいくらでもある。
ずっと田宮だけ見ているわけにもいかない。
それはそれで気持ち悪い。
「よっしゃ! 実験だ!」
田宮だけは上機嫌だった。
「なんか面白そうじゃね?」
「小学生かお前は」
「失礼な。男子高校生だ」
同じだろ。
先生の説明が終わり、実験が始まる。
酸化還元反応……だった気がする。
正直よく分からない、テスト前に覚えればいいだろう。
とりあえず器具を並べ、薬品を確認する。
班ごとに作業を進める、その時だった。
「ちょっと、押さないでよ」
「ごめんごめん」
女子同士が軽くぶつかった拍子に、
コトッ。
森川さんの手元のガラス容器が傾いた。
落ちる、そう思った瞬間だった。
「危ない!」
林は反射的に手を伸ばした。
ガシッ。
床に落ちる寸前で受け止める。
数秒遅ければ割れていた。
「ふぅ……」
思わず息が漏れる、良かった。
そう思ってから気付いた。
……あ。
これは森川さんのだ……やばい。
また余計なことしたかもしれない。
別に格好つけたかったわけじゃない。
誰の物だろうと手を伸ばしていた……、そういうことにしておこう。
そうじゃないと怖い。
△▽△▽
まただ……。
森川さんは受け取ったガラス容器を見つめた。
消しゴムの時もそうだった。
今回もそう。
いや、偶然にしては出来すぎているだけ。
でも普通そこまで反応する?
割れたら先生に怒られるだけの話だ。
なのに林くんは真っ先に手を伸ばした。
まるで守るみたいに。
「森川? 大丈夫?ごめんね!」
友達の声で我に返る。
「え?」
「だ、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
そう答えながら、ちらりと林くんを見る。
するとまた逸らされた。
目が合う前にものすごくあからさまに。
「……」
森川さんは小さく口元を緩めた。
ふーん、なるほど。そういうことなんだ。
好きなのは別にいい、私だって可愛いのは知ってるし。
でもそんなに分かりやすいと困るんだけどな……少しくらい隠してくれないと。
そう思った瞬間。
胸の奥が少しだけむず痒くなった、その理由は分からない。
ただ、もう一度だけ確かめてみたくなった。林くんが、本当に私を見ているのかどうかを。
「森川?」
「なに?」
「なんか機嫌よくない?」
「そう?」
森川さんは視線だけを林へ向ける。
ちょうどその瞬間林はまた慌てたように目を逸らした。
「ふふっ」
やっぱり。
明日、少しだけ試してみようかな。




