15話:ぼーっとしてるだけ。
「俺、昔森川と付き合ってたんだよ」
目の前にいる田宮は、確かにそう言い切った。
しかも、冗談を言っているような様子はない。いつものように軽い調子ではあるものの、その言葉だけは妙に自然で、まるで何でもない昔話でもするかのようだった。
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
森川さんと、田宮が。
頭の中でその二人を並べてみる。
……いや。
そんなこと、あり得るのか?
俺は半信半疑のまま、二人が付き合っていた頃のことを想像してみた。
放課後の校門前で待ち合わせをする田宮。
そこへ森川さんがやってきて、二人並んで歩いていく。
そして、そのまま自然に手を繋いで――。
「……いやいやいや」
そこまで想像して、俺は慌てて頭の中の映像を打ち消した。
無理だ。
どう考えても、しっくりこない。
というか、田宮が森川さんと付き合っている姿そのものが、どうにも想像できなかった。
田宮は昔から、良くも悪くも細かいことを気にしない。授業中だって平気でぼーっとしているし、金の使い方も雑だ。こいつを見ていると、本当に何も考えずに毎日を生きているんじゃないかと思うことすらある。
そんな田宮と、学校でも一、二を争うくらい目立つ森川さんが付き合っていた?
しかも、あの森川さんだ。
容姿だけなら、テレビに出ている人気女優と言われても信じてしまいそうなほど整っている。男子からの人気だって高いし、実際、森川さんを好きだという話は何度も耳にしたことがある。
そんな彼女が、よりによって田宮と?
「……いや、でも」
そこで一つの可能性が頭に浮かんだ。
もしかして――森川さんって、こういうタイプが好きなのか?
だとしたら。
「……相当な変わり者だな」
思わず口に出してしまった。
「何が?」
「いや、なんでもない」
田宮は不思議そうに俺を見る。
俺は慌てて視線を逸らした。
けれど、どうしてもさっきの言葉が頭から離れない。
森川さんと田宮が付き合っていた。
そう考えるだけで、胸の奥に妙な引っかかりが残っている。
田宮なら別にいい。
こいつとは昔からの友達だし、森川さんと付き合っていたとしても、俺には関係のない話だ。
「……」
田宮が、じっと俺の顔を見つめていた。
さっきまでの軽い表情とは違う。何かを探るような目で、黙ったまま俺を見ている。
「な、なんだよ」
妙に落ち着かなくなって、思わず声が引きつった。
すると田宮は、数秒ほど俺の顔を眺めたあと――突然、口元を歪めた。
「……ぷっ」
「?」
「うっそー! 嘘に決まってんだろ!」
「は?」
次の瞬間、田宮は机をばんばん叩きながら、腹を抱えて笑い始めた。
「俺が森川と付き合ってたわけねえだろ! 俺は森川なんかと付き合ったこともねえし、付き合いたいと思ったこともねえよ!」
「…………」
あまりにも突然のことに、俺は口を半開きにしたまま固まってしまった。
さっきまで胸の奥を占領していた妙なざわつきが、一気に行き場を失う。
「……は?」
ようやく出てきた言葉は、それだけだった。
田宮はそんな俺を見て、さらに笑う。
「いやー、お前の顔、最高だったわ。まさか本気にするとは思わなかった」
「お前な……!」
俺は呆れながらも、深く息を吐いた。
なんだよ。
嘘だったのか。
それならそうと、最初から言えよ。
さっきまでの自分が馬鹿みたいじゃないか。
「ただの幼馴染なんだよ。小学校の頃からずっと一緒だから、今さら気を遣わなくて済むっていうかさ。まあ、あっちは俺のこと完全になめてるみたいだけどよ」
「幼馴染……」
小学校の頃から。
そう聞くと、さっきまで感じていた二人の距離感にも妙に納得がいった。
森川さんが田宮にだけ気軽な口調で話していたことも、あいつが森川さんに遠慮なく絡んでいたことも、全部そういうことだったのか。
恋人だったわけじゃない。
ただ、昔からずっと一緒にいる幼馴染。
それだけだった。
「……そういうのは、もっと早く言えよ!」
思わず田宮を睨む。
こいつが最初からそう言ってくれていれば、俺だってこんなに悩むことはなかった。
「ん? まあ、聞かれたら答えるくらいでいいかなって思ってたんだけど」
田宮は眉を寄せ、本当に不思議そうな顔をする。
「で、どうしたん?」
「……」
どうした、と聞かれても困る。
俺は一瞬、森川さんについていろいろ聞いてみようかと思った。
小学校の頃から一緒なら、森川さんがどんな性格なのかも知っているはずだ。
どういうときに怒るのか。
何が好きなのか。
普段はどんなことを考えているのか。
聞いてしまえば、ここ最近ずっと頭の片隅に引っかかっていた疑問も、少しは解消されるかもしれない。
でも――。
「えっと……別に、なんでもないけど」
結局、俺はそう答えた。
今さらそんなことを田宮に聞いたら、変に思われる。
それどころか、
『お前、森川のこと好きだったのか?』
なんて、余計な勘違いまでされかねない。
それだけは避けたかった。
別に、森川さんのことが好きだから気になっていたわけじゃない。
ただ、最近どうにも様子がおかしいから。
俺が何か嫌われるようなことをしてしまったのか、その理由を知りたかっただけだ。
……そう。
ただ、それだけだ。
俺は自分にそう言い聞かせるように視線を机へ落としたけれど、さっきまで胸の奥にあった重苦しさが消えていることに気づいたとき、なぜか少しだけ安心している自分がいた。
△▽
さっきは田宮のことで頭がいっぱいになって、適当に聞き流してしまったけれど、教室を出ていった森川さんのことを考えているうちに、ふと別のことが気になった。
そういえば、森川さんと田宮が話していた佐々木という人物は、俺に似ていると言われていた。
顔が似ているわけじゃない。田宮が言っていたのは、性格のほうだ。俺もよく頬杖をついてぼーっとしているし、佐々木も河川敷の公園で何をするでもなくぼーっとしていたらしい。
そこで俺は、さっき聞いた話を頭の中でもう一度整理してみた。
森川さんは、河川敷でぼーっとしていた佐々木を見つけて、自分から話しかけた。
……ということは、だ。
森川さんは、ぼーっとしている人に対してなら、普通に話しかけることができるということじゃないか?
俺と佐々木は、性格が似ている。
佐々木がぼーっとしているところに森川さんが話しかけた。
だったら、俺も同じようにぼーっとしていればいい。
「……なるほど」
自分で考えておきながら、妙に納得してしまった。
もしかすると、今まで森川さんと気まずくなっていた原因は、俺が変に意識しすぎていたからなのかもしれない。森川さんの顔色をうかがって、嫌われているんじゃないかと勝手に考えて、どう接すればいいのか分からなくなっていた。でも、そんなことを気にする必要なんてなかったのだ。
佐々木みたいに、何も考えずにぼーっとしていればいい。
そうすれば森川さんも、俺に対して変に警戒することはなくなるだろう。今までみたいに目を逸らされたり、話しかけるたびに気まずそうな顔をされたりすることも、少しずつ減っていくかもしれない。何より、森川さんのほうから普通に話しかけてくれるようになれば、俺だって余計なことを考えずに済む。
考えてみれば、単純な話だった。
俺が森川さんを意識しすぎていたから、余計に距離ができていただけなのだ。
「……よし。これでいこう」
自分の中で作戦が決まると、さっきまで感じていた胸の奥の重たさが、少しだけ薄れた気がした。
明日からは、森川さんの前でも余計なことを考えないようにしよう。森川さんが近くにいても、必要以上に気にせず、いつも通りにしていればいい。それこそ、佐々木みたいに何も考えず、ぼーっとしていればいいのだ。
そうしていれば、きっとそのうち森川さんも以前みたいに普通に話してくれるようになる。
そうなれば、今までの気まずさだって、いつの間にかなかったことになるかもしれない。
俺はそんな都合のいい未来を思い浮かべながら、窓の外へ目を向けた。夕方の校庭には、部活動へ向かう生徒たちの姿がちらほら見える。いつもと変わらない学校の風景を眺めていると、不思議と気持ちまで落ち着いてきた。
これでいい。
俺はそう思った。
森川さんに嫌われないためにも、これ以上変に意識させないためにも、しばらくはこの方法で様子を見るしかない。
……とはいえ、俺はこのとき気づいていなかった。
森川さんの前で「ぼーっとしていればいい」と考えている時点で、俺がすでに森川さんのことをかなり意識しているという、もっと単純な事実に。
そして翌日から俺が実行するこの作戦が、俺の想像していたものとはまったく違う方向へ、森川さんとの距離を動かしていくことになる。




